おおらかな気持ちで適当に読んでください。
世の中は新年を祝って賑わいを見せている。
市井は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。宮廷では三日三晩の無礼講。花街は財布の紐の緩んだ旦那が詰め寄り、妓楼はかき入れ時と忙しくしている。そして商魂たくましい
その盛り上がりは後宮も例外ではなく、そこで働くものすべてに皇帝の計らいで馳走が振舞われた。
下級女官の普段の食事は、一日二回、雑穀と汁物と偶に一品の惣菜のみだ。
それが今だけは肉に魚が並ぶのである。
下女には貧しい生まれのものが多い。豪華な食事に不慣れな味蕾は驚き、うまみを正しく認識できないだろうが、それでもその刺激は生涯記憶に残るのだろう。
後宮での暮らしは大変なことばかりだが、美味しいものを苦楽を共にする仲間と囲んで食べるという思い出は、年季が開け後宮を出たときに辛いことばかり思い出さなくてよくなるのだ。
稀に出世すればこれが毎日食べられるのか、と欲を見せ野望を抱く娘もいるが、それは下女とはいえ後宮に生きる女としてある意味正しい姿ともいえる。もっとも、早々に鼻を折られる者が大半で、なんならいつの間にか姿を消している者もいるのだが……。
*
天女の如き
その口には腹の虫が無様に主張しないように飴玉を転がしている。
(いつになったら落ち着いて食事ができるのか……)
年の瀬には祭祀が集中している。新しい年に憂いを残さないためだ。
そして壬氏はいくつもの祭祀を請け負っていた。
祭祀を執り行うものは禊を行わねばならない。肉や魚を避けた精進料理を食すのだが、まだまだ育ち盛りの身体。どうしても物足りない。
普段なら半月に一度、一日の我慢なのだが、前述のとおり多くの祭祀が連なっていた。
長く続いた禊からも解放され、ようやく濃い味付けのものが食べられると喜びも束の間。
すぐに始まった宴に出席せねばならなかった。
顔を隠した覆面、ひっきりなしに話しかけてくる高官、虎視眈々と酌の機会を窺う甘ったるい香が鼻を突く女たち。盛られた媚薬。
目の前に酒池肉林が広がっていようともそれに有り付けるわけがなかった。
(どうやらまだ、俺には価値があるらしい)
不義の子、病弱な皇弟、公務に耐えられないと言われていてもすり寄るものは後を絶たない。皇帝を除く皇族唯一の男子という肩書きがあまりにも大きすぎるのだ。
(もっと拵えてしまえばいいのに)
四年間で一人も子が無事に育っていない、役割を果たしているとは言えない後宮の主への文句が出る。
しかし、すぐに首を横に振った。
そうやって半年前、帝の機嫌を損ねたのだ。
神経を逆なでする行いとはわかっていた。けれどもまさかあんなにお怒りになるとは思ってもいなかった。
一体何が主上の逆鱗に触れたのか、それは壬氏にはわからなかった。
でも引き金を引いたのは壬氏で、
大いに反省していた。
(
壬氏の失態の尻拭いをしたのは新参者の十五の妃だった。
主上がその妃のもとに通い詰めていると、心配に思われていた体調も阿多妃との関係もいつの間にか元通りになっていた。
都合が良すぎるとすら思った。
年若い妃が歳の離れた主上を癒やして、全てを理想的に収めてしまった事。
寵妃となったというのに彼女は非常に落ち着いていて、その実家も常識的な範囲でしか動いていない事。
違和感を覚えた壬氏は魅音妃を訪ねる頻度を上げて見極めようとしたが、困ったことに極めて善良なのである。偶に壬氏を揶揄うような眼で見てくる以外は後宮にあるまじき清廉さだ。
壬氏は邪心無しと判断した。
そう結論つけられたのならば、壬氏は心置きなく魅音妃に恩を返せるわけで、肩入れするようになる。
新しく雇いたいと言った魅音妃の願いを自ら動いて叶えたのもそういった理由だった。
さて、目的地に着いた。
宴をほどほどに切り上げて後宮に来ていたのはある人に呼び出されていたからだ。
壬氏は微笑みを絶やさない。しかし見る者が見ればわかる憂鬱な顔をしている。
ここの主にまた玩具にされるのだろう。
口の中に残った飴玉を嚙み砕くと、腹を空かせながら柘榴宮の敷居を跨いだ。
* * *
案内されてその部屋に入ると、胡服に身を包んで寛いだ様子の阿多妃と相槌を打つ魅音妃の姿があった。
魅音妃がいるとは聞いていない。
「ごきげんよう、阿多妃。何の御用でしょうか。おや魅音妃もおられましたか」
「新年の祝いに共に酒でもどうかと思ってな」
「ごきげんよう壬氏さま。私もお呼び頂きまして」
阿多妃は杯をくるくると遊ばせながら空席を指す。
その通りに壬氏が席に着くと丸机を三人で囲う形になる。
「どうせ碌に食べれてないんだろ」
阿多妃はお見通しのようだ。
机の上には肉団子、春巻き、餃子、月餅などが並んでいる。
「どうした、食べないのか? この三人しかいない私的な場だ楽にすればいい。なぁ?」
阿多妃はちびちびと酒を嗜む魅音妃に同意を求める。
「侍女の手を借りずに好きなものを好きなだけ自分で取り分ける。楽しいですよねぇ」
しみじみと言う魅音妃の語尾が僅かに甘くなっている。
改めて二人の顔を見てみれば頬に赤みがさしており、血行が良さそうだ。
壬氏が到着する前から酒盛りを始めていたそうだからそれなりに酒精が溜まってきているのだろう。
強く勧められたので壬氏は料理に手を付けた。
(帝以外の男がほろ酔いの妃と同席するなんてあってはならないことだというのに)
よくこのように壬氏を呼び出す阿多妃は壬氏の正体を知っているのでいいとして、魅音妃が居合わせるとなると話が変わる。
壬氏がこの場にいることを許されていることは宦官だったとしてもありえない。
魅音妃は察しが良いというか、妙に勘が鋭いところがあるのでその理由にたどり着いてもおかしくない。
(主上と阿多妃の囲い込み様から知られてもいいと思われているのか?)
しかし魅音妃は壬氏が皇弟であるということは知らないと仮定して、いつものように気づきを得られないように立ち回らなければならない。
阿多妃はこうなることはわかった上で呼び出したのだろう。気を楽にしろという言葉の裏に揶揄う意図が見え隠れしている。やきもきする壬氏を見て楽しんでいるのだ。
「もう一人遅れてやってくると仰っていましたがまさか壬氏さまとは思いませんでした」
「誰が来ると思っていた?」
「面識のある妃か、大穴で主上なのかと」
「あいつはなぁ。抜け出した奴がいるからあいつも抜け出すのは難しいだろうな」
阿多妃は宴を抜け出した本人である壬氏を横目に見ながら言った。唇が横に延ばされて弧を描いている。
皇族が誰一人いない宴にはできないということなのだが。
(呼び出したのはあなただろ)
こめかみに集まる力を逃しながら心の中で毒づく。
しかしそれに助けられたというのも事実。
毎年の事であるので慣れたものではあるが、あのまま宴に出ていれば疲労困憊になるのは避けられまい。
それを知る阿多妃の助け舟であった。
「元旦の祭祀が終わった二日目とはいえ主上はお忙しいですから」
阿多妃の言葉を無視しながらいつもの微笑みを装備して言う。
この程度ではボロを出さないと阿多妃は思ったのだろう。話を変えるように口を開いた。
「そういえば魅音。そろそろその中身を教えてくれないか」
その視線の先は魅音妃の足元に置かれた一つの籠だった。
「そうですね。壬氏さまもいらっしゃいましたし、良い頃合いでしょうか」
魅音妃は空になった皿を纏めて机に場所を作ると、籠を持ち上げて置いた。
そしてゆっくりとその中身を取り出す。
「これは阿多さまへの
石を削り出して作られた躍動感のある亀の像だった。甲羅に埋め込まれた
因みに魅音の好みとしては翡翠なのだが、今の後宮において翡翠は玉葉妃の象徴という認識が強いので同じ上級妃の阿多には贈りにくい。まぁ一番の理由は亀には黒と相場が決まっているからである。淑妃の五行にも合う。
細かい意匠とつやつやと光り輝く表面はどれだけの技術で整えられ丁寧に磨かれたのか。
「見事な品ですね」
一級品を見慣れた壬氏でもほうとため息が出る。
「そう言っていただけて故郷の者たちも誉れ高いでしょうね」
縁の深い地元の技術者を褒められて嬉しそうな魅音妃は、酔いもあってか十六という歳相応の幼さが笑顔となって漏れている。
「すごいなこれは。ありがとう魅音、目立つところに飾らせよう」
立ち上がって亀の像の甲羅を撫でながらまじまじと鑑賞していた阿多妃が何かに気づいたようだ。
「おや?籠の中にまだ何かあるみたいだが」
「あっ、それは」
籠の中に手を突っ込んだ阿多妃がそれを持ち上げる。
不気味な仮面だった。
全面が朱く、その上に様々な色で模様が描かれている。そして額と頬に孔雀の羽が貼り付けられていた。
「これは阿南付近の小さな集落で祭りの時に使われる伝統工芸品でして、昔私が買おうか迷っていたことを覚えていた商会の者が気を利かせて商品を引き渡すついでに用意してくれたんです……」
籠に紛れ込んでいたのは手違いだったようで、それでいて悍ましいものだから誤解を解くために魅音妃が説明する。
「これはその……呪われそうな、いや独特な意匠ですね」
これが魅音妃の趣味なのかと、強烈な意匠に頬を引きつらせながら壬氏が言うと、阿多妃から仮面を返してもらった魅音妃がさらりと言い返した。
「呪いですか。あながち間違いじゃないですねぇ」
「は?」
壬氏と阿多妃の声が被る。
流石に聞き捨てならない。
壬氏は眉間を揉みながら説明を求めた。
「この集落は老人がいないのですよ」
「その仮面の呪いということですか?」
「呪いと言いますが、理由がありまして」
魅音妃は仮面の裏を見せて小さくひっかいた。繊維質に解れる。
「これ石綿で固められているんです」
その集落は石綿の利用が盛んなのだという。
だが石綿は長い長い年月をかけて肺を蝕む。発症すると助からないため老人が極端に少なかった。
この仮面の大きさで人体に害があるかは不確かだが、一応仕舞っておこうとしたときに誤って亀の像の籠に入れてしまったらしい。
壬氏は神妙な面立ちで魅音妃に聞く。
「それは、禁止すべきでしょうか」
「どうでしょう。長生きこそはできませんがその集落の平均寿命は普通です。なんせ肺を悪くする前に死んでしまうのですから。それに石綿が原因だと説明する方法が無いのでその人たちを納得させることは難しいと思います。伝統でもあるので住民の想いは強く、強引な手を打とうとしたならば反発は相当でしょうね」
壬氏たちのような恵まれた者の寿命は長い傾向にあるが、殆どの民の栄養状態と衛生状態は不足しており、命の長さに大きな隔たりがある。
一般的に五十生きれば十分とされるが、僻地では四十生きたら長寿とすら言われるのでその頃に肺が悪くなったとしてもそれは寿命だった。
どうして石綿が有害だと知っているのか、なぜその詳細を知っているのか、疑問は残るが魅音妃の言うことを正とするなら規制の意味はなさそうだった。
「魅音はそれを知っていて当時買わなかったのか?」
黙って聞いていた阿多妃が魅音妃に問いかける。
魅音妃は少し恥ずかしそうに答えた。
「いや、その。これは現地の祭りの際、異性に求愛するときに被るものなんです。私に思い人がいたわけじゃないんですけれど、気恥ずかしくて買えなくて。だって絶対男衆に揶揄われますから」
貼り付けられた羽根の通りに孔雀にあやかった代物だという。
「へぇ、求愛か」
壬氏の方を向いた阿多妃の目が光った気がした。
「壬氏殿は今年で二十四だったかな?そろそろ妻帯してはどうだ」
急に矛先がこちらへ向いてきた。
壬氏は平静を保とうとする。
「私は宦官ですよ。そんなまさか」
「そんなの関係ないだろう?なぁ」
阿多妃はまたもや魅音妃に同意を求める。
魅音妃はと言うと、先ほどのしおらしく恥ずかしがっていた姿はどこに行ったのやら。壬氏を面白がって揶揄う阿多妃に完全に同調してきらきらと輝く笑顔をしていた。
「壬氏さまは後宮に住まう者全ての憧れですからね。宦官といえど手を上げる娘は後を絶ちませんよ」
女二人は壬氏の反応を玩具にして盛り上がっていく。
阿多妃に頭が上がらない壬氏はこうなると耐えるしかない。
やれあの娘はどうだ、いいや不釣り合いだ、壬氏の好みは……と好き勝手言ってくれる。
壬氏は壬氏の顔を伺いながら囀る妃たちの声を無視して食事に集中することにした。
一々反応していては阿多妃の思う壺である。
だが男色を疑うのだけはやめてほしい。帝の愛人かという噂が立っているのは知っているが、目の前で言われると身が震えあがるような悪寒に襲われる。
二人とも違うと知っていて悪乗りするのだからたまったもんじゃない。
そんな壬氏の受難は半刻ほど続いた。
アスベストが問題視されたのって近代からじゃんね!
と話している途中に気づいた魅音は肝を冷やす思いだったそう。
明らかに説明のつかない知識ですしね。
因みに仮面は壬氏に回収されることになって少し落ち込んだとか。