自堕落な生活に侍女らも思うところはあるが、落ち込み、無気力な姿は新人三人娘には衝撃的なものであり深く踏み込むわけにもいかず、比較的付き合いの長い
「今日もいいお天気ですよ。またそんなに深く被って、暑くありませんか?」
「……寒いくらいよ」
そう言うと、丸まっている背に掛かる上掛けの端を掴んでダンゴムシの様に小さくなった。
外界を拒絶する魅音に優しく語りかけていた
今の季節は夏真っ盛り。昼前と言えど天気の良い今日は室内でもそれなりに暑い。
と言っても温暖化の最中にある現代日本と比べると快適なものだ。
しかしそれは前世の肉体での話。魅音になってからは暑さがあまり得意ではなかった。
西方の西都や南方の亜南など、暑さの厳しい地域に行ったことは何度かあるが、それで体が慣れるわけもなく、侍女らに大きな団扇で風を送ってもらうことがままある。
そんな北国から来たお姫様だが、故郷の極端すぎる冬のせいで寒さに特別耐性があるわけでもないのが悲しい、いや、知識を含めれば都の人間よりは強いと言えるが。
そんな環境の中、上掛けできた自分の城に引き籠もっていてはどうなるかなんて決まっている。
「魅音さま、そう意地張らずに。ふふふ、実は元気ですね?」
静が穏やかに見つめる先は魅音のこんもりとした布の砦だ。
そのままじっと見つめていると、微動だにもしなかった山がもぞもぞと動き出し、終いにはパタパタと上掛けの端を掴んで熱の籠った空気を必死に入れ替えようとしていた。
華奢で白い指が上下に動き、乱れた黒髪が居城から溢れ出てくる。
「もう無理!」
ガバッ、と少女、いや美女がアヒル座りで上体を大きくのけぞらせ、重く長い髪が宙に舞った。
「ふぅ」
汗をかいて額に張り付いた濡羽色の真っすぐな髪を白い痣の残った手で払う。
体温が上がって血行の良い肌に、愁いを帯びた表情。元々垂れ気味で優し気な瞳なので際立って儚げに見える。
若草色に染められた、麻で出来た薄い薄い寝間着を着た彼女は両手を上に挙げて伸びをする。
散々ぐずって根気勝負をした彼女だが、寝起きには違いないので滞った血を流す。
背を伸ばしたことで発育の良い胸部が目立つ。寝間着が引っ張られて可哀そうだ。
儚げではあるものの、放心状態であるようには見えない。
静の言う通り調子は良さそうだった。
(まぁ、思うところが無いわけじゃないんだけども)
東宮が身罷られたことで魅音は己の振る舞いが難しくなっていた。
東宮が居なくなって後宮での争いも振り出しに帰った。
つまり次に男児を産んだ妃が皇后になるということだ。
それは魅音が皇后になる可能性もあるということだった。
(向いてないんだよなぁ)
皇后という皇族になってしまうと色々とめんどくさい。
まず一つは後宮を管理する立場になること。
それはもう扱いにくいお嬢様方を手懐ける必要があるのだが、魅音にできるとは思えない。
高貴な生まれで
もう一つの理由はいらぬ政争に巻き込まれることだった。
皇后という存在は次代の皇帝を産んだ尊い身であり、大きな権力が宿る。
例えば、先代皇后である皇太后は鶴の一声で宦官手術の全面的な禁止を成した。
宦官を廃止すると近い将来、後宮を始めとした現在のあらゆる仕組みの継続が困難になるのは誰にでもわかることなのだが通ってしまった。
魅音としては宦官手術の足りない安全性や、無理矢理な施術など人道的な問題から皇太后に理解は示せる。
また、宦官は汚職の温床になりがちだ。今は大した権力は持っていないようだが、魅音の知る地球の歴史では血みどろの争いを作り出している。
もしかしたら当時は何か問題があったのかもしれない。
五年以上も前の話で魅音が知るはずもなく、知る手段も無いのだが。
そういう強大な力は恐ろしくて仕方がない。
(赤子はいとも容易く死ぬ。分かっていたはずなのになぁ)
東宮が死んだことで魅音は酷く動揺してしまった。
この数日間、梨花妃の感情に共鳴して気持ちが落ちる魅音は壬氏の言葉を思い出していた。
要約すると、自分のことだけを考えていればいい。
そう魅音は受け取った。
妃は世継ぎを産むだけでいいとも聞こえた。
勿論、それは魅音の考え過ぎで、精神的に参っていた故に
魅音の至上命題とは故郷の果てしない数の命を救うことである。
領主は本気で魅音に期待しているわけではなかったし、魅音自身も現実的じゃないと諦め八割で、二度と故郷の土を踏めないことをどう受け入れようかと考えていたくらい望み薄だったのだが、まさかまさかの主上に見初められるという一番の壁を突破してしまった。
それだけならまだしも子の約束までした。気狂いの妄想と言われた方が納得できる。
こんなことは普通あり得ないことだ。過去に類を見ない幸運である。
蜘蛛の糸を掴んだのだから、使命のため、己を殺し主上に尽くすべきだろう。皇后になることが嫌だと言ってもそれも些細なことのはずだ。
ましてや他所の妃のために身を削るなんて、そんな余裕はないだろう。
いや、まぁ碌な後ろ盾も無く、権力者の坩堝で生きる術を持たない魅音が皇后となっては角が立つし命の保証がないのでもっともな言い分だが、それも二の次だ。
己のすべきことははっきりしているのに、どうして必須条件ではない他所の赤子の命一つに執着するのか。
(ま、分かっていたらこんな苦労はしていないわな)
どうも最近感情に振り回されることが多くて困る。
「何かお口になりませんか?」
寝台に座ったまま、ぼぅと宙を眺めながら考え事をしていると静に話しかけられた。
もうさすがに起きようと、這って寝台の端に移動すると腰掛けて、静に向き直る。
「今朝収穫した胡瓜を用意いたしましょうか。食欲が無いようですがそれなら食べられるでしょう。氷室から氷もいただいているんです。氷水に漬けてあるので氷菓のように冷たくて気持ちいいですよ」
火照って水分不足気味な体に胡瓜は良く効く。塩で食べたらたまらない。
それにどうやら氷もあるらしい。
冷蔵庫の無いこの世界で夏場に氷を楽しめるというのは想像を絶する贅沢である。
「収穫……そういえば土いじりをしていたわね」
「言い出したのは魅音さまなのに飽きてしまわれましたからね。もう時期が時期なので胡瓜は今日の分で終わりですが、世話をしてきたあの子たちは次何を植えようと話しておりましたよ」
「そう、自由に使っていいと言っておいて」
暇を持て余す後宮生活で、金魚以外に何か愛でようと思ったのが始まりだった。
最初は花でも植えようかと思っていたのだが、実利を求めて……いや、隠さず言うと食い意地を張って野菜を育てることにした。
裏庭にこぢんまりとした畑を作らせ、種を植えたのは良いのだが、朝起きれないことが増え、侍女らに世話を任せているうちに畑に寄らなくなってしまっていた。
(胡瓜なら食べれそうかな)
「あっ、動かないでください」
絡まった髪に櫛を通す静に甘えるように、夢うつつにゆらゆらと身体を揺らす魅音だった。
*
「え? お客様? 食事は先延ばし?」
なんとも間の悪い。
身支度が終わり、これから頂こうという時に無視のできない
火急の用と言われると断る気にならない。
何か悪戯でもしてやろうかと考えながら来客を待った。
* * *
「ご機嫌麗しゅう。急な訪問で申し訳ありません」
「
定例の挨拶から入る壬氏に対して随分な挨拶をする魅音。
お互い微笑みを絶やさないが、魅音の機嫌が悪いのは誰にでもわかった。
壬氏も想定外だったらしく、一瞬動きを止めて戸惑っていた。顔に出さないのは流石である。
理由を考える壬氏だったが答えは出ない。当然、魅音の八つ当たりの意地悪だからだ。
「ふふふ、ごめんなさいね。ようこそ壬氏さま。それよりもそこの娘を紹介してくださらない?」
小さな間の後、冷たさのある微笑みを一転、花咲くように笑い転げて悪戯をばらす。
またですかと呆れる壬氏の背後に、隠れるように一人立っていた。
「魅音妃に用があるのはこの者でして。どうして隠れている」
壬氏に背を押されるようにして魅音の前にその姿を現したのは、小柄な女官だった。
左手にまかれた包帯、不愛想な顔と雀斑。
(うん!?)
目の前の情報が信じられず、思わず手袋をした手で目を擦りそうになる。
そこには魅音が見たくて見たくて仕方のなかった壬氏と猫猫の並ぶ光景が広がっていた。
(え……え?)
心の準備が出来ていなかった魅音は脳の回路がぷつりと千切れてしまった。
衝動のまま魅音は机に両手をついて立ち上がり、身を乗り出して猫猫を視界の中央に据える。
「あなたうちの子にならない?」
獲物を狙う肉食獣のような目を向けられて、猫猫は顔をゆがませながら申し訳ありませんと返した。
* * *
「というわけで、薬屋は玉葉妃の侍女ですのでお諦めください」
「困らせるようなこと言ってごめんなさいね……」
どうも魅音が自堕落に溶けている間に猫猫は玉葉妃に登用されていたらしい。
(その手があったかぁ!)
猫猫を手元に置いておけば壬猫が見放題であるという発想に至らなかったことを悔いる。
壬氏と猫猫の接点が減ることにはなるが、壬氏と魅音の面会は頻繁にあるので、壬氏と猫猫が顔を合わす機会は変わらなかっただろう。
場所が変わっても猫猫ならきっと何かしらやらかして壬氏の気を引いてくれるに違いない。
(……それは希望的観測が過ぎるか)
そう考える魅音は厄介オタクそのままだった。
「それで、私になにの用が? それも翡翠宮の侍女がだなんて」
わざとらしい咳をして、高鳴る己の胸を落ち着かせると壬氏に問いかける。
魅音が気にしないにしても体裁というものがある。
他の寵妃のもとに自分の侍女が行くとなると玉葉妃も面白くないはずだ。
だから壬氏が付いているのだろうが。
机を挟んで向かい合う椅子に座る壬氏が口を開く。
「呪い騒ぎを覚えておられますか」
「それは勿論。風化するほど時は流れてないでしょう?」
「えぇ、なので日々判明することがあるのですよ。これをご覧ください」
壬氏が懐から何かを出す。
それに魅音は見覚えがあった。
壬氏が机の上に置いたのは紙の帯。しわくちゃになっているが魅音だからこそ、それが何か察しが付く。
自分のものだとばれるわけにもいかないので、初めて見たという風にしらを切る。
「紙? 随分と汚れていますね」
「これは水晶宮の庭の木に引っかかっていたものです。高いところに挟まっていまして、私が見つけるまではずっとそこに在ったようです。おそらく一月の間」
「木陰とはいえ野ざらし同然だった紙がここまで形を保っているなんて凄い。それでこの紙がどうしたのですか?」
まさか現物がこんな形で壬氏に渡るとは思っていなかった。
魅音の元に来て、一番にこれを出すということは、壬氏は魅音を疑っているらしい。
「どこからか飛ばされただけだろうと思ったのですがね、どうも何か書かれた跡があるのが気になりまして。復元と解読をしてもらいました」
壬氏は再び懐から、今度は綺麗な紙を取り出し、音読した。
「化粧品を一新せよ。さもなくば更なる呪いが降りかかるだろう。と書かれていたようです」
反応があったのは静だった。
ひゅっと息を呑む音が聞こえた。
呪いに怯えるというのは普遍的な感性で、静の反応が正しいともいえる。
「薬屋」
壬氏が一言で猫猫を呼ぶと、猫猫が小さく頷く。
「いいんですね?」
「ああ、俺が責任を取る」
魅音には理解できない会話を交わすと、猫猫が一度深く拱手をして魅音の元へと歩いてきた。
(!!)
猫猫が手の届く距離まで寄ってきて、どぎまぎする魅音。
染み付いた薬草の香りが鼻腔をくすぐる。
猫猫の目は魅音の手袋をした手を注視していた。
「あ、あなたどうしたの?」
「失礼いたします」
膝をつく猫猫を心配に思って手を伸ばすと、猫猫の左手に腕を掴まれる。
そして余った右手で手袋を引き抜かれた。
魅音のすらりとした白い手が晒される。
反射的に手を引いて後ろに回そうとするが、手首を猫猫にがっしり掴まれていて動かない。
本来は体格差があるのでこうはならないはずだった。
しかし、胃に何も入っていないことが災いして力負けした。
「なにを!?」
静の非難する声が響く。
だが、その声なんて聞こえないみたいに猫猫は魅音の手を観察する。
そして一拍の後、猫猫が顔を上げる。
上目遣いで見られて思わずときめき、胸が跳ねる思いになる魅音だが、すぐに冷や水を掛けられることになる。
猫猫の唇が横に伸びながら開く。
化粧っ気が無いというのに艶やかで怪しい表情だった。
「お久しぶりです。