TS転生傾城妃は諦めた   作:青すぎる空は目が痛い

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 A.慣れが人を大胆にする。そういうことだと思います。迂闊でした(反省の色なし)


24 Q.隠し通す気はありましたか?

 

 

 

 

 魅音(ミオン)玲玲(リンリン)と呼んだ猫猫(マオマオ)は、跪き、魅音の手を取りながら淡々と言葉をつづけた。

 

玲玲(リンリン)という人物は私が食堂で出会い、少し話をした女官の名前です。その特徴は私より頭半分高い身長(170㎝弱)と琥珀色の瞳、文官顔負けの筆タコに教育を受けたであろう優雅な自然体。そして北寄りの顔つき」

 

「珍しいこともあるものね。同郷かしら」

 

「そうかもしれません」

 

「世界は広いわ。瓜二つの人間が二人はいるそうよ?」

 

「初耳ですが興味深い話ですね。しかしここは後宮です」

 

 猫猫の視線が魅音の目を見て、降りて行きその手に留まる。

 

「二千人しかいない場所でこれだけの特徴は稀有です」

 

 猫猫はそう言うと立ち上がり、皺のできた(スカート)を軽く整えると、壬氏(ジンシ)が座る椅子の斜め後ろに位置どった。

 

 国の祖が王母という女性である為、賢い女は(たっと)ばれる一方、女に学は要らないという考え方も一般的であった。

 この場合の学とは高等教育の事である。

 学を積んだ先には文官や医者などの食うに困らない職業や、科挙という受かれば三代安定と言われる最難関の試験がある。

 高等教育という高額な対価(コスト)を支払っても費用対効果が見込まれる土壌がこの国にはある為、皆こぞって知識を蓄える。

 

 しかし、それは男に限った話だった。

 文官も、医者も、科挙も、女に対してその道は開かれていない。

 特に科挙は受験資格が無いのもあるが、三十半ばで漸く合格するという難易度から女にも戸口を広げるなんて発想は生まれる筈もない。

 女の幸せは結婚であり、その婚姻も子を成せねば蔑ろにされるという常識の中で、高等教育と若さという膨大な対価(コスト)を払えるわけがないのだ。

 

 そういう事情があって、後宮の年若い下女が筆タコを育てているわけもないのだった。

 

阿多(アードゥオ)さまも珍しいとおっしゃっていたし、この手は私だけ、というのは本当なのでしょうね」

 

 魅音は手の平を眺めながら言った。

 

 先の時代に木々の伐採が制限され、紙がそれなりに貴重なこの国で勉強といえば穴が開くまで本を読むことである。

 潤沢に紙を使えるわけもあらず、書き覚える場合には石盤を用いたりする。

 魅音の故郷では近場の木は炉の燃料として優先されたり、辺境故に流通が弱かったりと紙は他所よりも一回り高価なものであり、相当に裕福だった実家でも、弟は書き損じ紙を使っていた。

 それは魅音も例外ではなかった。しかし、違うとしたら魅音は早いうちから実務に携わっていたことである。

 

 そしてそれも滅多にないことだ。

 魅音が商会の中核に関わり始めたのは(とお)の前後。跡継ぎの男児でも見習い止まりだろうその歳に、女の身で大人顔負けの働きを見せたのはハッキリと言って異常だ。

 本来、男社会に女が乗り込んだ場合、それも上司になるとなればいくつもの大きな障壁がある。

 しかし、前世の知恵から来る能力と子煩悩な会長(ボス)の愛娘という異常と立場が男共の醜い嫉妬と自尊心(プライド)を粉砕した。

 

 筆で手を酷使していた魅音の少女時代はそういう特殊が過ぎる状況があって成り立っていたのだ。

 

 それほどに魅音の経歴は風変りなのだが、まさかそれを知らないはずの猫猫が筆タコ一つで同一人物と確信しようはずもない。

 

(私の過去を話したのは壬氏さまか?)

 

 稀代の才女と呼ばれていたことや、養女であることは隠しているわけではないが末端の官女は知りえないことだった。

 入内する際に経歴がめちゃくちゃにされていたのである。程度の低い嫌がらせの一環で呆れたものだ。

 一応お手付きになって少しした後、改めて調べ上げられて正しく伝えられている。

 その情報は誰もが閲覧できるものでもないのだが、お気に入りのおもちゃにはとことん甘くなってしまうお坊ちゃまなら見せてしまいそうではある。

 

 まあ有力なのは口伝だろう。

 魅音は阿多に対して過去を隠すようなことをしていない。商会絡みの口外厳禁なもの以外はべらべらと喋っている。

 そして年明け頃から魅音と阿多がお茶をする場に壬氏が同席する機会が増えている。

 阿多が壬氏で遊ぶために呼んでいるのだが、その場にいるとなると壬氏は魅音の話も聞くことになる。 

 必然的に後宮管理人という立場以上に魅音のことに詳しくなっているのだ、猫猫が求める情報に何でも答えられただろう。

 

「でもね、一致するというのは貴女の記憶ありきでしょう? 何の証拠にならないわ」

 

「そうですね。ですので今から証拠を頂こうと思いまして」

 

「えっと……?」

 

 いまいちその言葉を理解できないでいると、猫猫が淡々と話し始めた。

 

「玲玲は変装用の特殊な化粧も、下女の服装も慣れたものでした。もし玲玲が身分を詐称した高貴な人物だと仮定した場合、変装は一度や二度ではないでしょう。しかもそれは恐らく単独での行動。なにせあの時の玲玲は付き人のいない一人でしたから」

 

 壬氏は黙って聞いていた。

 事前に話はすべて聞いているのだろう。

 

「ところで、魅音さまは時折自室にお一人になられるとか」

 

「……どうしてそれを」

 

 侍女らしか知りえない情報を口にする猫猫に、思わず声が低くなる。

 猫猫はそれに答えることはなかったが、顔に出ていた。

 僅かに軽蔑した表情で壬氏に一瞥をくれていた。

 

(あの子らかぁ!)

 

 壬氏に微笑みかけられて新人三人娘が誑かされる光景が容易に想像できた。

 大悪党壬氏に言葉巧みに引き出されたに違いない。

 魅音を慕っているあの子たちの事だ、山ほどの書類と対面する主に憧れを抱いているのは知っている。きっと鼻高々に「お一人で頑張っておられるのです」とでも言ったのだろう。主が一人で本当は何をしているか知らずに。

 

 壬氏は猫猫に渋い視線を向けられて不満気だった。

 魅音の予想は正しいものだったらしい。

 侍女らに粉をかけられて面白くない魅音は、悪びれない壬氏に文句の一つでも言いたくなるが、己の美貌を恨み、その上で利用できるものは何でも使うという覚悟に思うところがあるので複雑な気分になる。

 

「そしてもう一つ。妃の皆様はいつでも豪奢に着飾っておられますよね。とても一人では着こなせないくらいに」

 

 猫猫は魅音ではなく、(ジン)の方を向いた。

 

「仮に、玲玲が妃だとして、妃の装いを脱いで下女に変装することは可能でしょう。しかし、そのあとは? 複雑に結い上げられた髪は? 重たい衣装は? どう一人で元に戻すのでしょうか」

 

「そんな、はずは……」

 

 静は恐れでわなわなと震えながら、縋りつくように魅音を見た。

 その目は揺れていた。

 魅音を部屋に一人にした時を思い出しているのだろう。

 約束の時刻を過ぎて魅音に迎えられると、猫猫の言うとおりに簪も化粧もすべて落として襦袢一枚になっていた。

 勿論毎度というわけではない。しかし、折角時間と人の手をかけて整えた装いを脱ぎ散らかして疑問に思わなかったわけはないだろう。

 仮定と仮定が積み重なって静は混乱しているのだ。もしかしてと思う気持ちが強くなっていく一方、否定する主を信じたいという気持ちが双璧を成してせめぎ合っていた。

 

「これだけ一致すると魅音妃を疑うなという方が不自然です。潔白を証明するために棟の捜査の許可を頂きたい」

 

 しばらくぶりに壬氏の声を聞いた。

 

(ここが引き際か……)

 

 決定的な証拠はここには無い。ただ、自室を調べられたら見つかってしまうだろう。

 何度かこういうことをしていた魅音は隠してある下女服を使いまわしていた。

 今後も抜け出す気でいたので捨てずに残っているのだ。

 

 猫猫の言う証拠とはこれだろう。

 どうしてそれの存在に気が付いたかは甚だ疑問ではあるが、知られているならこれ以上足掻いたところで醜いだけだ。

 

 ふるふると頭を横に振って、小さく肩を落とした。

 

「降参よ。あなた達の思う通り、私が玲玲です」

 

 諦めて白状した。

 そして間髪を入れずにすくっと立ち上がる。

 

「着いて来てください。確固たる証拠が必要でしょう」

 

 

 

* * *

 

 

 向かう先は魅音の自室。

 応接室から居間を挟んだ先にあり、寝室の手前に位置する。

 

 一同何も話さずに歩く。

 猫猫は廊下に飾られた品々を横目に見ているようだ。

 故郷の特産品である宝石を用いた壺を始めとする調度品が並べられている。ただ、猫猫はそれには見向きもせず、同じく飾られている原石に興味を示している。

 

 特に琥珀が気になるようで、これを砕けば何人分の薬に……と零していた。

 この琥珀に関しては故郷で産出されたものではなく、西方の貿易品で非常に高価なのだ。そして主上からの贈り物なので砕かれては困る。

 ほら、独り言を聞いた静が睨みつけている。猫猫は凍るような気配を感じ取ってすぐに背筋を伸ばしていた。

 

 中級妃用の棟というのは極端に広いものではないのですぐに目的地に着いた。

 魅音自らの手でその扉を開く。

 

 きぃと少し軋む音がしてその内装が目に入った。

 

 今までの甘い芳香とは違い、紙の匂いが開けたそばから漏れている。

 部屋の両端にぎっしりと本棚が敷き詰められ、中央には膝ほどの高さの机と長椅子。長椅子の対面には座布団が一つ置かれている。その座布団の近くの机の上には墨を溢したであろう染みが付いていた。そこで書き物をしていたのだろうと誰でも想像つく。

 

 そして最奥には例の執務机風の机が鎮座しており、さらにその背後に大きな窓があった。

 今は戸が閉められており一筋の光が差すのみである。

 

 魅音は机まで着くと、右下の、他の引き出しより倍ほどの大きさのそれを開けた。

 前と変わりなく雑多に物が詰め込まれており、底が見えない。

 

「底に用があるのだけれど、私が触るわけにはいかないわよね?」

 

「私がやります。全部触っても大丈夫なものですか?」

 

 流石に犯人(少し語弊があるが)である魅音が触るわけにもいかない。従者である静も同じだ。

 本来は第三者が好ましいが、生憎この場には居ないので猫猫に頼む。

 

 猫猫は手際よく中身を取り出していく。

 その様子を壬氏が興味深そうに覗き込んでいた。様々な種類の編み物用具、文鎮、新品の巻物などが大量に詰め込まれているだけなので別に見られても構わないのだが、それでも殿方が乙女の自室の引き出しをまじまじと見るのはいかがなものか。

 案の定猫猫に指摘されて一歩引いた。

 

 そう時間もたたずに底が見えた。

 

「何も無いな」

 

「いえ、横から見てみてください」

 

 壬氏は猫猫が言うとおりに空になった引き出しを横から見て、またすぐに中身を覗き込んだ。

 

「分かったようですね。では開けますよ」

 

 猫猫はそう言うと、魅音が教えるまでもなく底板の一番奥の陰になる部分にある、指一本がようやく入る大きさの穴に人差し指を差し込んで持ち上げた。

 

 下女の服が変装に使った道具一式がそこにはあった。

 壬氏は本当にあったと驚き、静は絶句していた。

 

 全員がそれを見たのを確認すると、魅音は口を開く。

 

「さて、水晶宮に侵入したのは正真正銘私なのですが、どのような罰が下るのでしょうか」

 

 覚悟を込めた、硬い声色で問いかける。

 いくら寵妃という加護が強大だといっても、万能なわけじゃない。しかもよりにもよって東宮を産んだ、次期皇后候補であった梨花(リファ)妃の住まいに忍び込んだのだ。

 位を下げられるだけで済むのなら御の字だろう。最悪の場合は……。

 

 その問いには壬氏が答えた。

 

「そんな不安そうな顔をなさらないでください。何か罰をとは考えてません。これらは回収させていただきますが」

 

 証拠一式を猫猫が布で包んでいる。

 

「それはもちろん……。しかし良いのですか? 不穏分子と言っても間違いないですが」

 

「私の目的は透明な人間の正体を明らかにすること。不審者が魅音妃だったのならばそれでよいのです」

 

 それに、と壬氏が続ける。

 

「魅音妃が如何に御子たちに心を砕かれていたか、それはよく知っていますから。脅しに呪いを仄めかすのはいただけませんが」

 

 動機に邪心が無いと壬氏が柔らかい表情で言った。

 特に罰は下されず、無かったことにされるらしい。

 二度とこんなことをしないように、と釘を刺された。

 一件落着、だろうか胸を撫で下ろす。

 

「一つ、聞いてもよろしいでしょうか」

 

 緊張の糸が切れ、緩んだ空気が流れる中、猫猫がこちらを向いた。

 

「猫猫には迷惑をかけたもの。一つと言わずいくらでも答えるわよ」

 

「ではお言葉に甘えまして。魅音さまはどうして私の事を知っておられたのですか?」

 

 ずっと気になっていたのだろう。これまでになく真剣だ。

 

「なぜって、それは貴女と会ったことがあったからだけれど……覚えてないの? 三年前に一度きりだけれども」

 

「三年前……今日で三回目、ですか?」

 

 猫猫はすっかり忘れているようで、人を覚えるのは苦手なんだよなぁとボヤキながらうんうんと頭を悩ませている。

 これでは答えがでそうにもないので、手がかり(ヒント)を与えることにした。

 

「私の過去はある程度知っているのでしょう? 装飾具の(ジョウ)って聞き覚えない? 緑青館にも縁があるのだけれど。私が緑青館に行ったのはその一回きりだけど猫猫から軟膏を買ったのよ」

 

「装飾具、周、軟膏……あっ!!」

 

 猫猫は俯きがちだった顔を勢い良く上げて、大きな声を出しながら魅音を指さした。

 

「帰りによく軟膏を買っていってくれるふくよかな旦那か! じゃあ、あの時の愛人が魅音さま!? いだっ」

 

「こら! 妃を指さすな」

 

 壬氏が猫猫の頭を強くたたく。

 本来は笑いどころなのだろうが、魅音はそれどころじゃなかった。

 

「あ、愛人? 私とお父さまがそういう関係に見えていたの? いえ、それ以前によく買ってくれたって、それだけ通っていたってこと?」

 

 あの日、冗談で言った「緑青館に詳しいのですね」という言葉が正しかったことに動揺する。

 都で宿をとるときは個室だった。家族といえど年頃の娘だ、金に余裕があるのなら部屋を分けるのは自然なことだろう。

 確かに、夜は自由時間で、互いに無干渉だった。娘の目を気にせずに花街に赴く環境が揃っている。

 

 いや、一応魅音は理解はしているのだ。

 一度も鞘から刀身を抜いたことが無かったとしても前世は思春期を経験した男。

 その欲望の不自由さには共感する。

 

 するのだが、それとは別に消化しきれないものがあるのも事実だ。

 

「魅音さま、大丈夫ですか?」

 

 顔を青くする魅音に静が心配そうに寄り添う。

 混乱する中、この部屋唯一の男が目に入る。

 

「もし、もし壬氏さまが遊び上手でも軽蔑しませんとも。お金持ちの殿方とはそういうものですから。えぇ」

 

「魅音妃!? 何の話ですか!?」

 

 正気を失って脳を通さずに脊髄で話す魅音と、顔を真っ赤に初心(うぶ)な反応をする壬氏とで場の収拾がつかなくなる。

 魅音が落ち着くのには少し時間がかかった。

 その頃には外は茜色に染まっており、壬氏と猫猫は帰らねばならない時間だった。

 

 結局、これですべてお終いとなった。

 魅音は憧れの二人が部屋を出て角に消えるのを見届ける。

 完全に見えなくなって、ゆっくりと目を閉じた。

 

(これだけは見られるわけにはいかなかったんだよ)

 

 魅音は執務机の左中段の薄い引き出しの鍵口を撫でた。

 もしこの中身を移動させる暇なく棟全体を調べられたら全てが水の泡になる所だった。

 

(あの二人なら大丈夫だったのだろうか)

 

 そう思ってすぐに否定する。

 優し()すぎる彼がどんな行動をとるか予想が立たない。

 壬氏のままでは振るえない権力を求められては困る。

 急いてしまえば猫猫と親密になれないかもしれないのだから。

 

「さーて、(オバちゃん)は見守るとしますか」

 

「何か仰いましたか?」

 

「んーん、何でもない」

 

 これから楽しくなりそうだと思った。

 

 

* * *

 

 

(あーあ、一つ聞きそびれた)

 

 翌日、猫猫はいつものように医局へと向かっていた。作った薬を見てもらうのだ。

 翡翠宮での猫猫の仕事というのは殆ど無い。鈴麗(リンリー)公主(ひめ)の御守くらいだ。

 壬氏からの厄介事がない限り時間を持て余している猫猫は頻繁に医局に足を運んでいた。

 薬の香りが落ち着くのだ。

 

 医局への道中、猫猫は昨日の出来事を思い出していた。

 

(帝の趣味が分かった気がする)

 

 主に思い出すのは魅音妃の肉体だった。

 豊かなそれと肉感的な肢体は暴力的だろう、それでいて下品にならないように筋肉をつけて引き締めているのだからついつい魅入ってしまいそうだった。あれで十六だというのだから恐ろしい。

 

(大きさは玉葉(ギョクヨウ)さまと同じくらいか?)

 

 ただ、玉葉さまが授乳期であることと魅音妃の年齢を考えると玉葉さまより大きいのは間違いないだろう。

 

(いやまぁ、それがすべてじゃないんだけども。赤い髪と翡翠の瞳は唯一無二だし)

 

 そう言いつつも猫猫はつい人の発育を見てしまうのだ。

 それは薬屋としての(さが)姐ちゃん達(三姫)の影響か……。

 

 

 

「おはようございます。薬を見てもらえます……か」

 

「猫猫じゃない。おはよう」

 

 考え事をしているうちに医局へと着き、人影を見てやぶ医者かと思い挨拶をしたのだが、それはここには似つかわしくない貴人だった。

 

「魅音さまこんなところでどうしたのですか」

 

太医(せんせい)とは茶飲み仲間なのよ。最近は色々あって久しぶりだけれどもね」

 

 そこには魅音妃がいた。手に持つ湯呑を見せてくれる。

 付き人は、誰だろう。昨日の侍女頭ではない。

 

(血色がいいな、昨日とは見違える。体調が悪かったのかな)

 

 昨日(さくじつ)の魅音妃は気丈に振舞っていたが少し顔色が悪かった。

 手に触れたときも指先の冷たさが気になったが、今すぐどうこうならないと判断して目的を優先していた。

 

「体調は大丈夫でしたか?」

 

 思わず聞いてしまった。

 

「あら、分かってたの? 昨日は一際暑かったでしょう? 身体がついていかなくて……。それに貧血気味でね。月の障りも重かったし気が乱れるといいことないわね」

 

 寝て起きたら元通りだったと魅音妃は笑っている。

 医局までのそれなりに距離のある道のりを歩いてきたらしく、心配無用なようだ。

 

「そんなことより。面白いものがあるのよ、こっちに来て」

 

(なんだ?)

 

 呼ばれたので背中の籠を下ろして近寄る。

 魅音妃の隣の椅子を勧められて恐れ多いと辞退したが、強引に座らされた。

 

 机の上を見てみると、柔らかな布が広げられており、そこにはよもぎの葉と朝顔の花といくつかの丸い眼鏡があった。

 

「猫猫はこれが何か知ってる?」

 

「眼鏡ですよね?」

 

 市井では一般的なものではないが猫猫はその存在を知っている。

 それがどうしたと思っていると、触ってもいいと許可をもらった。

 玻璃(ガラス)に触れないように縁をもってまじまじと見る。

 滑らかで非常に透明度が高い。ここまでの物は初めて見たのでとんでもなく高価なものだろうと予想がつく。

 

(高い技術力は分かるけど……度でも入っているのかな)

 

 玻璃を通してよもぎの葉を見てみる。

 拡大されて葉の形がよくわかる。

 

「はい、空いてる手でこれ持って。重ねてみて」

 

 観察に夢中になっているともう一枚、玻璃を手渡される。

 言われたとおりにやってみる。

 

「これは……」

 

 さらに拡大されて見えた。肉眼でも見える範囲ではあるが、全然違う。

 朝顔の雄しべなどそれが顕著だ。()()の中に花粉が詰まっている様子が落ち着いて観察できる。

 

「これください!」

 

 興奮するまま言う。

 これがあればいつでも薬草の構造を見れる。

 何て素晴らしいことだろうか。時間を忘れて没頭するに違いない。

 

「はい、没収。落ち着きなさい」

 

「あぁ! 殺生な!」

 

 両手の眼鏡を取り上げられる。

 我を忘れて縋りつくように手を伸ばすが、背丈と手足の長さが違う。

 玩具を取り上げられた子供のような光景だ。

 

「おいくらでしょうか! 借金……してでも欲しいです」

 

「非売品よ。主上からお借りしているものだし」

 

 帝の名前が出てくるとは思わなかった。

 流石の猫猫でもその名が出てくれば落ち着く。

 けれどもなかなか諦められないものだ。分かりやすく落ち込んでいると魅音妃が肩に手を置いた。

 

「これはまだ試作品なの。いつかは市井に出回るでしょうからそれまでよく働きなさい。さ、次よ」

 

 こんなに高価そうな物を買えるほどのお金が貯まるとしたらいったい何時になるのか。

 脳内で算盤を弾いていると魅音妃がまた玻璃の眼鏡を猫猫の前に出した。

 先ほどのものと何が違うと言ったら縁の色だろうか。赤く色づけられている。

 これもまた玻璃を通して物を見るためのものらしいので色を付けているのは分別のためだろう。

 

 同じようによもぎの葉を見てみると、今度は縮小されて見えた。

 これでは観察には向かない。

 どうしてこれを見せたのだろうかと考えていると、隣の魅音妃からかちゃかちゃという音が聞こえた。

 

 そちらを向くと、魅音妃が何やら木製の筒をもって、筒の両端のくりぬかれた穴に最初の玻璃(ガラス)を差し込んでいた。

 

「それ返してもらえる?」

 

「わかりました」

 

 縮小される眼鏡を返すと魅音妃は筒の中ほどの穴にそれを差し込む。

 そしてそれに片目を当てて医局の外を向いていた。

 

「これで良し。どうぞ。太陽は見ちゃだめよ」

 

「はぁ」

 

 特に何も指示があるわけでもなく、その筒を手に乗せられる。

 差し込まれているだけの玻璃を落とさないように筒の上下に気を付けながら、魅音妃を真似て片目を当てた。

 

「!?」

 

 目の前に遠くにあるはずの建物の壁が現れた。

 驚いて筒を目から離す。

 

「ふふふ、良い反応をありがとう。面白いでしょう? まだ名前は無いんだけど、そうね、千里鏡とでも呼びましょうか」

 

 千里も見渡せられないけどね、と魅音妃は笑っているが、その言い方ではまるで自分が考案したかのような……。

 

(おやじから拡大鏡の存在は教えてもらったけど)

 

 養父が何十年も前に留学した西洋は、玻璃(ガラス)の加工技術が(リー)の何倍も上をいっていたらしい。

 その数十年前の情報で止まっているが、玻璃(レンズ)を何枚も重ねて使うなんて発想は聞いたことがない。

 技術が進歩した西洋からの貿易品だと言われる方が納得できるが、それなら新しい物好きのお金持ちや上級妃の間で流行ってないとおかしい。

 

 猫猫はうすら寒いものを感じて身震いした。

 

「まだ荒くてぼやけてしまうのだけれど、月ならきっと綺麗に見えると思うのよ。今夜は空を見上げて晩酌でもしようと思って、猫猫もどう?」

 

「いえ、私は玉葉さまの侍女なので……」

 

「残念」

 

 酒には惹かれるが、猫猫にも立場があるので断る。

 とんでもないものを猫猫に見せた後だというのに、魅音妃は何事もなかったかのように拡大鏡と筒を片付けていた。

 

(さっき、これはまだ試作品だと言っていた。いったいどこまで見えているんだ?)

 

 あぁ、こういう所だと猫猫は思った。

 ずっと魅音妃に対して感じていた違和。

 玲玲を能動的に探し出そうとした理由。

 

 攫われて後宮に来た猫猫を探し出す速度。

 生来、事なかれ主義の猫猫がお世継ぎ連続死事件に首を突っ込むことを前提とした行動の数々。

 猫猫の文を踏襲した水晶宮への脅しの警告。

 

(まるで未来が分かっているかのようじゃないか)

 

 未来は推察できてもわかるものではないという考えは変わっていない。

 だからこそ猫猫は確信する。

 噂の未来が見える天女とは魅音妃の事なのだと。

 未来視に近い推察を可能にする智見が、猫猫の好奇心をくすぐる知識がその高貴な身に詰まっていると。

 

「あの」

 

 本能のままに質問を投げかけようとした時だった。

 

「ここにいたか薬屋。頼みたいことがあるのだが」

 

 間の悪い男の登場で聞けなくなってしまった。猫猫は舌打ちをする。

 思いのほか大きな音が出てしまったようで、壬氏は呆気に取られ、魅音妃は大笑いをしていた。





魅音さん「明かりも少ないし空気もきれいだから星空がすっごい。もっとみたいなぁ……そうだ!」

と主上に持ちかけたのが去年の秋。
なおすぐに秘匿研究にまわされた模様。

今回主上から借りられたのはめちゃくちゃごねたから。


たった半年で雛形ができるほどガラス加工の技術があるのかと言われると、天啓でも降りないと無理だと思うんですけど、ご都合主義ってことで何卒


片眼鏡のおっさん「へぇ、これは」

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