「
「あれでも『卯』の姫なんだからないでしょ」
「でもさぁ、主上の寵愛なんてないじゃん。しかもほらあそこ。貧相でいっつもおどおどしている里樹さまと違って
「やめてよ、私もそんな気がしてくるから。徳妃の侍女じゃなくなるなんてごめんだわ」
「はぁ、なんで里樹さまもよりによって魅音妃をお茶に誘ったのやら」
(聞こえているんだが)
金剛宮の侍女らの囀りを無視して歩みを進める。
恐らくはわざとではないのだろう。上級妃の侍女という後宮内の階級で高位に位置する立場に毒されて増長した結果だ。
まったく、教育がなっていない。
こうはならないように統率するのが妃の仕事でもある。
特に上級妃となればその侍女らは気位の高いお嬢様なことも多くその重要性は増すのだが……。
主の意思が感じ取れない金剛宮から里樹妃の現状が手に取るように分かった。
金剛宮の玄関を跨ぐ。
すぐに広間があり、沢山の調度品で彩られている。どれもこれも庶民が見ればひっくり返る高級品だ。
しかし、むやみやたらと豪華絢爛であり里樹妃の幼い可愛らしさとは
そして、統一感が無いのも気になった。
金剛宮らしい白を基調とした純真な美しさがあると思えば、それらを破壊する極彩色の壁掛けが目を
今日は
さらには魅音らを遠巻きに見る金剛宮の侍女たちの隠さない敵愾心だ。
その敵意というものは慣れたものであり、大したことではないのだが、ここが敵地であるゆえに油断を許さない。
いくらなんでも流石に問題になるような「余程の事」はやらかさないと信じているが、万が一の想定くらいはしておかないといけないので神経を張り詰めていた。
(やっぱり無理がありますよ……
あいさつ程度で関りを避けていた金剛宮に魅音が今いるのは自分の意思ではなかった。
それは少し前、阿多妃のおわす柘榴宮にて、二人っきりでお茶を嗜んでいた時の事だった。
* * *
「後宮から出ることが決まってな」
「んぐっ」
「おいおい、大丈夫か? これをつかえ」
寒い季節となり、気候に合わせた熱々のお茶を飲んでいるときにとんでもない爆弾を放り投げてくるものだから、むせて気管に入り、ゴホゴホと苦しい咳が出る。
それを見て阿多が手巾を取り出して貸してくれる。
淡い紫の無地の生地に花菖蒲の刺繍だけが施された
帰りは羽織で隠れて見えないのが幸いではあるが、染みにはなりそうだ。
同じ服はそう何度も着ないというのが常識らしいので、染みのできたこの服はもう駄目かもしれない。
と言っても捨てるわけではなく、丹念に染み抜きをして生地をばらしたのちに下賜されるという。
季節の変わり目で沢山生産されるそれは、主に
静と若汐の元職場であり、特に静は血縁者がいるので下賜する先としては丁度いいのだ。
勿論その時、新人娘三人に何も与えないでのけ者にするということはない。
だが、彼女らの実家の殆どは貧しく、最高級の布地を貰ったとて加工して売りさばくにも伝手が無い上に、実物は治安的に困るということで、幾らか
仕送りするにも多すぎるので、下賜された布地の一部は各々自由時間にちまちまと針仕事をしておしゃれを楽しんでいるとか。
まぁ、それは置いておいて阿多の爆弾発言だ。
「話してもよかったのですか」
「よくはないな」
からからと笑う阿多に魅音も毒気が抜けるというか、諦めがつく。
「もう随分前から決まっていた話だ。あいつの所有する離宮に移る手筈になっている」
「それはまた」
「正直に言え。気持ち悪いだろ?」
阿多が主上が東宮時代の唯一の妃で、思い入れが深いというのは誰でも想像ができる。
だが、下賜するでもなく自由にするでもなく、手の届く私物の離宮を与えるというのは主上の思惑が色々と透けて見える。
指摘できるはずもないが官僚たちも違和感を覚えているだろう。
もっとも、阿多が気持ち悪いと一蹴しているから魅音は何とも言えないのだが。
「後宮を去るのは年末ですか。まだ時間があるようですぐなのでしょうね。でもどうして私に?」
仲良くしていたのだから、後宮を去ること自体は教えてもらっても特段変なことではないはずである。
しかし、それにしては遅すぎる気がした。
阿多が後宮を出ることは
いや、いっそ最後まで隠しきるつもりなのかととも考えていたので魅音が傷つくなどは無いのだが、尚の事、今更どうしてそんなことを話すのかという話だ。
それはつまり阿多に心境の変化があったということである。だから魅音は阿多に聞いたのだ。
「つい先日園遊会があっただろ?」
「えぇ、大きな騒ぎになったという」
前世の彼が死ぬ理由になった(冤罪である)冬の園遊会。
しかし、その毒殺未遂の背後は忘れてしまっているのだから使えない。
一つ確かなのは犠牲者は出ないということ。
そもそも後宮外で開かれる催し故に魅音が関与する隙などなく、いっそ余計なことはしない方がいいだろうと静観を決め込んでいた。
実際、誰か死んだなどという話は聞かないので正解であったのだろう。
「寒さは堪えたが面白かった。魅音も見れたらよかったがなぁ。特に噂の毒見役は良かった。毒を食んでああも恍惚とした表情は不謹慎にも笑ってしまいそうだった」
思い出しているのだろうか、その時笑えなかった分、楽しそうに笑っている。
しかし、すぐにその笑顔は収まり、困ったように腕を組んだ。
そして真っすぐに魅音を見て真剣な声色で言う。
「察しているだろうが、今この話をしたのは魅音に頼みたいことがあるからだ」
予想通りである。そして後宮を去る阿多の頼みとなれば魅音に断る選択肢などない。
「勿論なんでもお申し付けください」
「そう言ってくれると思っていた」
阿多は満足そうに頷いた。
そして魅音を困らせるお願いをする。
「里樹のことを気にかけてくれないか」
(はい?)
喉元まで出かけた、ドスの利いた声を飲み込んだのは偉かった。
* * *
十四の上級妃と十六の中級妃。
年齢が近い二人は比べられることが多かった。
そしてそれは里樹妃を貶す結果になることも多かった。
九つから後宮に居るのに一度も妃の仕事を果たしたことのない里樹妃と、一瞬で寵妃となった魅音。
里樹妃の勝る部分と言えば名持ちの家であることと上級妃であることだけで、直接心無い言葉を投げかけられることはなくとも、里樹妃には過ごしにくい空気が後宮には漂っていた。
その為、魅音は里樹妃と距離を置くことにしていた。
お互いに良いことが無いからである。
それは阿多にもわかっているはずであった。
しかし、その上でこんなことを頼むのは園遊会で見た里樹妃が心配になったからだという。
里樹妃の母は主上と阿多の共通の友人だったらしい。らしいというのはその人は故人であり、その時初めて聞いたからである。
里樹妃はその忘れ形見ということになり、阿多は里樹妃を気にかけていたそうだ。
先帝の妃だった里樹妃が出家したのち、また後宮に戻ってきたのも、先帝の崩御に合わせて実家に帰ることになった里樹妃が売り飛ばされるような婚姻を結ばれようとしていて、それを気の毒に思った阿多が動いたからだった。
そして、そんな悩みの種である里樹妃が園遊会で空気の読めない色の衣装を着て、子供のような振る舞いをしていたら、阿多も後宮を出るに出れない。それで魅音に話が来たというわけだ。
(いやいや、無茶ぶりが過ぎるって)
先ほども言った通り、魅音と里樹妃の関係は最悪であり、いくつもの障壁があって無理難題極まれりである。
魅音も流石に不可能だと断ろうとしたが「魅音だからこんなことを頼めるんだ」と言われて、気が付けば二つ返事だった。
敬愛する阿多の調子のよい言葉に一瞬で乗せられてしまって頭が痛い思いだ。
「今日はお招きいただきありがとうございます」
「ようこそいらっしゃいました……魅音さま」
金剛宮の主である里樹妃に迎えられる。
園遊会の時のような濃い桃色の衣ではなく、徳妃の五行に合わせた白を基調として淡い桃色が差され実に可愛らしくまとまっている。
小柄な体躯にくりくりとした瞳と明るい栗色の髪がこれでもかと庇護欲を掻き立てる。
(私は嫌われているのか?)
魅音から見てもついつい抱きしめたくなるような愛らしさの里樹妃だが、その態度はつんけんとしていて不満を露わにしていた。
その瞳は警戒を隠しておらず、落ち着かないのか前で組まれた手がもぞもぞと動いている。
「こちらへどうぞ。お茶を用意しておりますので」
こわばった声で応接間へと案内を受ける。
その声に乗った感情は既に分かっている警戒と、緊張。そして最大の感情は恐怖だろうか。
(どうして)
魅音が一体何をしたというのか。
気の強い妃が怯えていても因果応報と思うが、小動物のような里樹妃に目を背けられると心が痛む。
案内されて応接間へと着いた。
対になるように置かれた長椅子。その間には長机がある。
その机は黒檀で出来ており、よく磨かれた艶が美しい。
だが、立派なだけあって大きく、里樹妃と魅音の間には物理的な距離があった。
「
「ありがとうございます」
胸を張って里樹妃が茘枝茶を勧める。
普段から飲んでいるのだろうか。これは間違いないという自信が見て取れる。
茘枝茶が注がれた、青い花の模様の白い陶器の茶器を持ち上げてその中身を見る。
これは紅茶の類なのだろう。明るい赤色で、良い香りが大して近づいていないにもかかわらず鼻腔に広がる。
優しい香りで、その通りの優しい甘さのお茶なのだろうと分かる。
魅音は茶器を手に取ったその一度で口まで運ぶ。
毒見を忘れたと思ったが、もうその時には後の祭りだった。
(うん!?)
とにかく渋い。
舌がざらざらとし、口の粘膜という粘膜が収れんする。
茘枝茶の甘みも感じるには感じるのだが、それを邪魔する強すぎる酸味もあって混沌としている。
もはやえぐみと言ってもいい。
まさかこれが里樹妃の好物なのかと面を上げて確認すると、里樹妃は変わらずに居たが、その背後に控える茶を用意した侍女が歪んだ口角を直している瞬間を目撃した。
(あぁ……そういうことか)
もしこの茶を指摘したとしたら恥をかくのは里樹妃だ。
里樹妃がこの場でその侍女を叱咤したとして、里樹妃が飲めない茶を客人に出したという事実は消えない。
これは魅音に対する嫌がらせに見えて、里樹妃へのいじめであった。その両方、という可能性も大いにあるが従者が主にいじめをしている方が問題なので、魅音に対する嫌がらせは些細なことである。
くい、とその渋いお茶をもう一口喉に流し込むと、魅音は唇に手巾を当てた。
「優しい甘さで飲みやすい茶でした。里樹さまは日常的に飲んでおられるのですか?」
「はい。私これが好きで……。水出しして氷をいれて飲んでも美味しいのです」
口の中で暴れるえぐみに耐えながらそう聞くと、里樹妃は意外と饒舌に話してくれた。
人間好きなものを話す時は気が大きくなるもので、里樹妃も例外に漏れず楽し気な声色で美味しい飲み方を教えてくれる。
どうやら少し緊張をほぐしてくれたようだ。
(それはそれとしてだな)
例の醜い表情を見せていた侍女を一瞥して牽制する。
舐められてはお終いなのだ。
正しく魅音の意図が届いたようで、その侍女は顔を青くして横を向いた。
金剛宮の敷地を跨いだ時から思っていたが、ここは里樹妃にとっては過ごしやすい場所ではないのだろう。
ここで働く者たちから主に対する敬意というものが感じられない。
馬鹿にした空気が漂っているし、徳妃の威光を掠め取って勝手な買い物をしていると見た。
従者がここまで身の程知らずになったのも、里樹妃が何もしなかったから、と責任の所在を明らかにすること自体は簡単だが、里樹妃の事情を考えるとそう冷たく切り捨てるのも憚られる。
元々妃に向いた気質ではないのだ。
気が小さく、要領が良い方でもない。
それでいて九つという幼さで親元を離れて、後宮という悪意を煮詰めたような魔窟に身を置いていては正常に成長出来ようはずもない。
それでも手の付けられない我が儘にならなかったのは阿多の愛情が崖の一歩手前で引き留めていたのだろう。
だが、文明が未成熟故に子供の精神が早熟の傾向にあるこの世界にしては、里樹妃は些か幼すぎるように思えた。
(それはもしかしたら九つより以前の話。肉親にも恵まれなかったのか?)
そうだとしたら愛情に飢えた里樹妃はどれほど心細かっただろうか。
不幸なんてものは溢れた世の中だ。目につくもの全てに首を突っ込んでいては体が足りないが、魅音は無情になり切れなかった。
「小鳥のさえずりで目を覚ましたら、番の小鳥が窓辺で互いに毛繕いをしていて可愛らしかったのですよ」
「私も見て見たかったです」
怖がりな幼子の心を開くように相手の
魅音の心地の良い落ち着いた声は天賦の才の一つであると言えよう。
その声は人の懐に潜り込むような天真爛漫さは微塵もないが、警戒心を融解させて寄り添うことに一役買っている。
傍からみれば余裕綽々と捉えられなくもないので、後宮の女性にはウケが良いとは言えないが、里樹妃のような不安に揺れる少女には効果覿面である。
丘の上の大木の木漏れ日のような包容力がそこにはあった。
(これなら次の約束もできそうかな)
里樹妃が思っていたよりも素直で助かった。
この調子ならば継続的な関係を築けそうである。
里樹妃と仲良くすることによって、阿多が後宮を出たときに魅音は徳妃に鞍替えして尻尾を振る金魚のふんと誹りを受け、今後悩みの種になるだろうがそれも織り込み済みだ。
「阿多の最後の頼み」だからこその覚悟である。
「……魅音さまは阿多さまとどういう関係なんですか」
そろそろお開きになるだろうという空気になったころだった。
聞き手になっていた里樹妃がようやく自分から話しかけてくれたかと思えば、その表情は優れない。
「阿多さまとはよくお茶を飲んだりと良くしていただいています。それがどうかしましたか?」
魅音と阿多が懇意ということは
里樹妃がそれを知らないはずもないので、何を聞きたかったのかよくわからないままに返す。
「私は……」
里樹妃は顔を真っ赤にしながら、何度も言葉に詰まっていた。
必死に口にしようとしても、その度にどもってしまう。
そんな里樹妃を見守っていると、意を決したように顔を上げてきゅっと唇を嚙みしめた。
「私は! 阿多さまに会いたくても会えないのに! ぽっと出の癖に仲良くして! お茶会に呼んだのだって阿多さまの頼みだったからで、一言嫌味を言いたくて……。魅音さまにはわかりますか? 阿多さまからお手紙を頂いたとおもったら憎い相手と茶会をしてくれと書かれていた時の私の気持ちが」
大粒の涙を堪えようとして、でもぽたぽたと留まるところを知らずに嗚咽を漏らす。
肩を跳ねさせる里樹妃を見かねて、一人の侍女が寄って背をさする。
傲慢にも里樹妃を見下していた侍女らではなく、ずっと不安げに里樹妃を見つめていた毒見役の侍女だ。
「二歳しか違わないのに魅音さまに勝る所なんて私には一つもなくて、顔を合わすだけで惨めになってくるのに……。でも魅音さまとお話をするのは嫌じゃないんです。優しくて、暖かくて阿多さまみたい……。阿多さまと魅音さまが仲良くなる理由が分かるのに仲良くしてほしくないんです。私はどうしたらいいんですか……」
全てを聞いた魅音は逡巡考えたのちに、懐から一冊の本を取り出した。
これは巷で話題の恋愛物語である。
魅音の趣味ではないが、里樹妃が年頃の乙女ということで、共通の話題の一つになると思って仕込んでいた。しかし今回はその内容に用があるわけではない。
冊子に挟まれている物が必要だったのだ。
それを引き抜くと、手に持ったまま周りの目を気にすることなく立ち上がり、顔を覆って泣き崩れる里樹妃の横に腰をおろした。
「里樹さまは阿多さまを私に取られたくないんですね」
正しい表現ではないかもしれないが、きょうだいが出来て今まで通り母親が構ってくれなくなるようなものなのだろう。
幼子のような感情だと思った。
けれどもそれを否定することはない。
「阿多さまはいつも里樹さまを気にしておられました。里樹さまを忘れるなんてとんでもない」
「じゃあどうして昔みたいにあって下さらないの?」
「きっと阿多さまにも事情がおありなのでしょう。でも私なら橋渡しができます。だから阿多さまも私を紹介したのではないでしょうか」
対等な立場である四夫人同士が仲良くするのは難しいのだろう。
しかし、だとしてもあれほど里樹妃を気にしていた阿多が今の今まで現状で放置していたことに違和感を覚えなくもない。いくらでも接触しようとすれば出来たはずだ。
魅音にはわからない事情があるのか。
もしかしたら、崖から子を落とす獅子のように自立を促していたのかもしれない。
だが、過保護な気質のある阿多には似合わない気もした。
魅音は里樹妃の力が入って強張る右手を両手で包むと、先ほど恋愛小説から引き抜いたそれを握らせる。
「これは……?」
「
「阿多さまとお揃い……」
紫色の花弁は阿多を彷彿とさせる。
里樹妃は押し花の栞をじっと見つめていた。
(口裏合わせをしておかないとなぁ)
栞を贈る予定はなかった。そもそも阿多も同じものを持っているというのは嘘である。
純粋な里樹妃を騙して心が痛むが、気に入っている様子を見るに正解であったし、それならば最後まで嘘を貫き通す責務がある。
今度阿多と会った時に、予備を渡しつつ話をしておかねばと、忘れないように記憶に刻む。
「そうだ、もしよろしければお友達になりませんか? 実は私、気の置けない友人というものができた試しがなくて」
「なんだかわかる気がします」
「ふふふ、言うようになりましたね」
里樹妃に女友達が居なさそうと言われても事実であるし気にしていない。
失礼な物言いだが、そういった距離感はこれから学んでいけばいい。
今は心を開いてくれていることが嬉しかった。
「あの! 今度魅音さまのお部屋に行ってもいいでしょうか……! これのお返しをしたくて……」
勇気を振り絞ったのだろう。上ずって裏返った声で里樹妃はそういった。
耳朶が真っ赤である。
「はい、勿論。歓迎いたします」
位の高い者が低い者の部屋に行くなど普通ありえないことだが、まぁ良いだろう。
里樹妃は甘いものが好きとのことだから、さて何を用意しようかと考える魅音だった。
もはや依存症製造機なのでは