アリウスの王 作:大嶽丸
──どうにか逃げ切った。
アビドス郊外を越えた先にある、砂に埋もれた廃ビルへと辿り着いたニトは、追手の気配が無いことを確認すると駐留部隊に連絡し、ふぅと一息吐く。
「……あれが空崎ヒナか。噂に違わぬ強者だった。小鳥遊ホシノを差し置いて“最強”などと呼ばれているだけはある」
まるで分厚い鋼鉄の塊でも蹴っているような感触だったと、未だに意識を失ったままのミサキとヒヨリをソッと床の上に寝かせながら思い返す。
加えて、かなり本気で蹴ったが、大したダメージは無いように見えた。そこらの生徒ならば骨折とまでは行かずともヒビくらいは入るであろうくらいには威力を込めたにも拘わらず。アレでは現状の装備ではまともなダメージを与えることは難しいだろう。
「しかし、
目元の隈、乱れた毛先、肌荒れ、どれもが微々たるものであったが、彼女のような強靭な肉体を有する者が隠し切れず表面上に出てしまっているだけでそれが相当なものであるということを、
少なくともあの状態ならば脅威度は小鳥遊ホシノよりも一歩劣ると分析する。そこまで過労に追いやられる程にゲヘナの治安維持というのは困難なものなのだろうか。
実際、そうなのだろう。見たところ他の風紀委員の戦闘練度は低くもないが、高くもない。それこそ一個中隊規模がアビドスと便利屋だけで壊滅させられてしまう程度には。
あのイオリと呼ばれていた少女は
となれば、空崎ヒナの圧倒的な強さに依存し、大半の仕事が彼女に集中するのは自然なこと。風紀委員長という立場上は最低限の雑務もこなさなければならない。
ゲヘナ最強という暴力装置を最大限活用するには、風紀委員長という立場はあまりにも足枷だった。
「……愚かしい」
多少の憐憫を抱きながらも、そうニトは断ずる。少なくとも自分ならばもっと上手く運用出来る自信があった。
彼女自身、アリウス最強でありながら生徒会長という立場だが、それはアリウス統一の為には必要不可欠であったし、指導者として成すべきことがあるからこそ。仮に空崎ヒナも同じ考えだとして、ならば所詮は治安維持組織のトップに過ぎない風紀委員長という立場は中途半端であるし、もっと上を目指すべきだ。
良くも悪くも実力主義の風潮が蔓延っているキヴォトス、特にゲヘナであれば生徒会組織である万魔殿を蹴落とし、頂点に立つのはそう難しい話ではないだろう。
ゲヘナ学園では、あろうことか風紀委員と万魔殿が敵対しているという、簡単に言えば警察と政府が真っ向から対立している常軌を逸した状態であることは工作員の情報から把握しているが、だからこそ根本から改革しなければ状況は変わらず悪化するばかりだろうに。
「惜しいと言わざるを得んな。こちらとしては都合の良いことだが……」
単純な戦力だけを見れば最大級の仮想敵であるゲヘナだが、その実態を知ればあまりにも付け入る隙が多過ぎる。現にアリウスは多くの工作員を送り込むのに成功しており、“自由と混沌”という校風の弊害とも言えよう。
唯一先代議長である“雷帝”とやらに関する情報だけは徹底的に隠匿しているようだが……。
「うっ……」
思考を巡らせていると、ミサキが意識を取り戻す。
「ここは……?」
「おお、調子はどうかね。──戒野」
「ッ……あんたは……もしかして、駐留部隊の……?」
「ん? ああ、外し忘れていた」
ゆっくりと体を起こし、ふらつく頭を押さえながらミサキがこちらへと視線を向け、首を傾げる。白い格好とガスマスクから同じアリウスの人間だということは察しているようだが……。
それもそうかとニトはガスマスクを外して素顔を見せる。彼女の格好は一般のアリウス兵と然して変わらないのだから仕方あるまい。
「──は?」
瞬間、ミサキは大きく目を見開いた。
当然の反応だろう。誰かと思いきや自分達が属する学校のトップだったのだから。
「ッッ!?!? か、カカカ閣下……ッ!? 何で──じゃなくてっ、失礼しました!! 私、は……」
「落ち着け。まだ安静にしておいた方がいい」
慌てて立ち上がって姿勢を正そうとするミサキを手で制し、ニトは簡易医療キットを投げ渡す。
「じきに駐留部隊が回収に来る。基地で治療を受けさせるつもりだが、一応軽く手当てしておけ」
「! は、はい……申し訳ありません、取り乱して。ありがとうございます……」
冷静に諭され、落ち着きを取り戻したミサキは恥ずかしそうに俯く。隣を見ればヒヨリがスースーと寝息を立てており、彼女も無事だったことに安堵する。
「私達は……確か、空崎ヒナに……」
「ああ。随分と手酷くやられていたな」
ニトは事の経緯を説明する。二人が空崎ヒナに負けた後に偶然居合わせていた彼女が救出したということを。
「ッ……誠に申し訳ありません。無様に敗北した挙げ句、閣下自ら助けていただくなど不甲斐無い結果になってしまい……」
結局、あの捨て身の攻撃でも一矢報いることすら出来なかったのだと知ったミサキは悔しげに顔を歪め、深々と頭を下げる。それに加えニトがアビドスとゲヘナ風紀委員の前に姿を現すというリスクを犯してしまったのだということも理解し、自分達の失態を痛感した。
「いや、ゲヘナ最強相手によくやった方だろう。そう己を卑下するなよ」
これにニトは労いの言葉を掛ける。
「しかし、手榴弾で自爆した時は肝を冷やしたぞ。あまり無茶はするな……お前達は貴重な戦力であり、大切な部下なのだからな」
「……有り難きお言葉です」
淡々とそう口にするミサキに、了承はせぬのだなとニトは内心苦笑いする。
(ううむ……彼女とこうして面と向かって話すのは初めてだが……)
スクワッドのメンバーだとリーダーのサオリや個人的にも親交があるヒヨリは勿論、アツコともその
そして、彼女の眼にどこか“諦念”のような感情が入り交じっていることに気付く。それこそが、いくらキヴォトス人といえど微塵も躊躇無く自爆という手段を取れた要因なのだろう。
「兵士として、命を捨てる覚悟は尊ばれるべきだが、それはあくまでも覚悟に過ぎず、死兵になれという意味ではない。むしろ戦場においては生き残ること、
「………………」
「──それとも、お前は死兵となることを望んでいるのか?」
「!」
その問いかけに、ミサキは図星を突かれたように肩を震わせる。
内面を見透かされた。それも、ある意味では最も知られたくなかった人物に。
「原理主義……いや、単に馴染めていないのか。未だにかつての
「ッ……すみません」
「謝る必要は無い。むしろオレの責任だ。急進的な改革だったが故に、お前のような子が現れるのは当然の帰結だった」
「………………」
──全ては虚しい。
その教義は、ニトの手によって改革され、積極性と能動性が取り入れられた。
しかし、宗教的な洗脳というのは根深い。幼少期から当たり前のように教えられていたのであれば尚更深刻であり、七年の歳月を経ても新たな環境に適応し切れない者は然して珍しくはなかった。
サオリやヒヨリの様子から、彼女達と幼馴染みであり、同じ部隊に所属するミサキは問題無いかと思っていたが……。
「……戒野よ。であれば、自分なりに解釈を変えればいい。結局のところアリウスの教義に
それは信仰であり、思想であり、絶望であり、希望であり、警告でもある。古き先人が何を抱き、この教義を掲げたのかはもはや解らず、故に自分自身の手で紐解くしかない。
少なくともニトはそう考え、実行している。他ならぬアリウスの為に。
「……解釈、ですか?」
「ふむ、例えばそうさな……命を捨てるにしても、“捨て時”を選ぶべきだ」
「え……?」
故に、ニトは新たな道を示す。自らが提唱した教義からは外れず、しかしミサキの思想に近しい道を。
「全ては虚しい。万物は虚無へと消えるが故に。その結末へと至る“終わり”というのは、常に一つだけ。だからこそ、有終の美を飾る、なんて言葉がある」
「……有終の美」
「“終わり”に意味を見出だすのだ、戒野。より価値のある善き終末を求めろ。お前が真の意味で命を捨てても構わないと思う、絶好の時を──」
その言葉に、ミサキは表情を変える。その考えになぞらうと、確かにあのタイミングは“捨て時”などではなかった。あそこで本当に終わっていたのだとしたら、その終末は決して美しくはなかったのだから。
全ては虚しい。だからこそ、新たな意味と価値を創造し続けなければならない。生きなければならない。諦めてはならない。
それはミサキにとっては、かつての教義よりもずっと残酷で厳しい戒律だった。
無意識に、首元の包帯に触れる。
サオリのように強くなれず、アツコのように優しくなれず、ヒヨリのように開き直れず、アズサのように意志を持つことも出来ずに。
ミサキの心には、“虚しさ”があった。それは諦念であり、悲観であり、そして酷く無意味で無価値なもの。自覚して尚、決して棄てられず、固まった重油のようにこびり付いている。
家族と共に暮らそうと、暖かな布団で眠ろうと、美味しい物を食べようと、いくら幸福を享受しようと、ミサキの心にはいつもその“虚しさ”が存在し、それらが生きる理由に足り得ることはなかったのだ。
「……はい。肝に銘じておきます。閣下」
しかし、今ニトの言ったように“終わり”に意味を見出だすという理念には、酷く感銘を受けた。
己の命など、ミサキにとっては無価値な代物。それは変わらずともそれを捨てる時、より価値のある、意味のある結果をもたらせるかもしれない。こんなどうしようもない己が、終わりの瞬間には誰よりも美しく在れるかもしれない。
(それはきっと、凄く良いこと……そう、思えた)
より良く、より善き終末を。
──命の“捨て時”を探すことが、彼女の生きる理由となった瞬間である。
「フッ……良い眼になったじゃあないか」
これにニトは笑みを浮かべ、ソッと頭を撫でる。
「あ……」
「とはいえ今の教義も忘れないでくれると助かる。終末も、その過程もどちらも等しく重視すべき概念なのだから。解せぬことも惑うこともあるだろうが、このオレが導いてやるから安心したまえ」
「……そう、ですね。難しいことだらけですけど、閣下がそう仰られるのなら、善処します」
子供をあやす親のように、優しい手付きだった。
実際、彼女からすればアリウスの生徒達は皆、子供のようなものなのだろう。
頭を撫でられるなどいつ以来だろうか。羞恥心を覚えるミサキだったが、不思議と動くことは出来ず、頭部に伝わる暖かい感触をいつまでも味わいたくなってしまう。
(……サオリ姉さんがあそこまで敬愛する理由が少し分かった気がする)
てっきり否定されると思っていた。
今の教義に照らし合わせるならば、未だに過去に囚われ続けるミサキのような人間は、前に進もうともしない思考停止しているだけの獣以下。そう思われても何ら不思議ではないと、少なくともミサキは認識していた。内戦時の武勇伝からニトのことを苛烈な人物だと予想していたのだから。
しかし、ニトは彼女の在り方を否定するどころか肯定し、新たな道を提示してくれた。ついて来れない者を切り捨てず、救い上げようとしてくれた。
(アリウスの救世主……この人こそが、私達の“王”……)
改めて、思い知った。
(過去の影響で鬱屈しているが、本質は優しく、聡明な子だな……本当はもっとマシな生き甲斐を与えてやりたかったが、これで少なくとも無闇やたらと捨て身の特攻をかけることは無くなっただろう)
一方、ニトはその様子を見て安堵した。
ミサキの問題は時間が解決する。それだけは確信を以て言えた。いくら虚しさを抱えようと、その心には絶望は存在していない。サオリ達スクワッドのメンバーが側に居てくれたお蔭であるし、彼女達が居れば今後も大丈夫だろう。
同時に、やはりアリウスにはこういった問題が水面下で燻っているのだと再認識した。ミサキのように諦念を抱えているのだとすれば、その特性上声も上がりにくい。こればかりは環境を整え、少しずつ救い上げていくしかなかった。
「さて、と……お前もそろそろ起きたらどうだ? ヒヨリ」
「……はい?」
「あ、バレてましたか。すみません」
ニトがそう言えば、寝ていたヒヨリが恐る恐る目を開け、身体を起こす。
「なっ……」
彼女の狸寝入りに気付いていなかったミサキは驚きの声をあげ、バッと物凄いスピードでニトから、正確には彼女の撫でる手から離れる。
え、と若干のショックを受けるニトを他所にミサキはわなわなと震えながらヒヨリへと問いかける。
「いつから起きてたの?」
「……あー、その、ほんの今さっきですよ? なので決して閣下に頭をナデナデしてもらえてるミサキさん羨ましいな~だなんて思ってませ──!?」
「忘れなさい、今すぐ……!」
顔を真っ赤に染め、即座にヒヨリの胸ぐらを掴み上げるミサキ。どうやら先程までのやり取り全般をばっちり見られてしまっていたらしい。
「うわぁん! 口が滑りました! た、助けてください閣下! ヘルプミー!」
「……落ち着きたまえ。その、嫌だったか? 撫でられてるの。ハラスメントになったり?」
助けを求めるヒヨリの声に応じ、場を収めようとするニト。尚、彼女は別のことを気にしていたが。
「あ、いえっ……嫌じゃないです! 本当に!」
「そうですよ閣下、ミサキさんは見られたのが恥ずかしかっただけで──」
「あんたねぇ……!」
「……そうか。えっと、ヒヨリも悪気は無いと思うぞ。多分」
「はぁ……だから余計癪に障るのですが」
「まあ、それもそうか」
「二人して酷いっ!?」
喧嘩するほど何とやら。ここに来て大きく感情を露にしたミサキの姿に微笑ましく思うニト。一方、ミサキはその視線に気付いて羞恥心を覚え、落ち着きを取り戻す。
二人の言葉にショックを受けつつ命拾いしたと、ヒヨリは安堵するのだった。
「しかし、災難だったな二人とも。折角の休暇中にこのようなことになるとは」
「うう、本当ですぅ……ラーメンも食べれませんでしたし、お腹ペコペコでもうおしまいです……」
「……結構食べてなかった? 私は本当に少しだけど」
「四割くらいしか食べてないので四捨五入してゼロですよ、ゼロ」
「いや、替え玉注文してたでしょ」
「まあ、拉麺はこの後奢ってやるとして「本当ですかっ!? やったぁ今晩はアブラチョモランマです!」 ……しばらくアビドスには近付かない方が良いな。錠前達もだが、少々目立ち過ぎた」
これでスクワッド全員にアビドスとの因縁が生まれてしまった。
「……本当にすみません」
「なに、次に活かせばいい。今回の件は想定外の事態が重なってしまった結果であるし、致し方無いさ」
とはいえアビドスはともかく、シャーレとゲヘナは知ってしまった。
自分達が把握していない、未知なる勢力の存在に。今後の動きはまた今までの予測とは変わってくるだろう。それによっては身の振り方を考える必要が出てくる。
果たして、どう動くか──。
「……ん?」
その時である。
胸ポケットにしまっていたスマホが振動する。確認すれば、一件のモモトーク通知。ニトのアドレスを知っている人物は限られているが、このタイミングから察するに……。
簡潔明瞭な一文。
送り主は、“小鳥遊ホシノ”だった。
物語がエンドマークで完成するように、人もまた死で完成する……なんかミサキだけやたらとヴァニってる……