アリウスの王 作:大嶽丸
白い廊下を、白い蛍光灯が照らしている。
アビドス自治区の寂れた病院。そこに久々に急患が運び込まれ、昨日は大変騒がしくなっていた。
「……大事無くて良かった」
「おう、大したことねぇよ。わざわざ見舞いに来てくれてありがとうな、嬢ちゃん」
ベッドの上で、元気良く笑う柴大将。その視線の先には包丁で林檎の皮を剥くニトの姿があった。
この日、彼女はフルーツの盛り合わせを片手に見舞いに訪れていた。跡形も無く崩壊した店に対して中に居た大将は奇跡的に軽傷で済み、見ての通り元気そうである。
これにニトはホッと胸を撫で下ろす。最悪の事態も有り得たので骨折すらしていないのは本当に奇跡的としか言い様が無い。
「そういやあの緑色の髪の子は大丈夫かい? ほら、前に一緒に来てた子だよ」
「ヒヨリのことか。彼女なら怪我は無いとも。一緒に来ていた者も含めてな」
空崎ヒナにやられて軽傷ではあるのだが、爆発による怪我ではないので嘘は言っていない。
「おお! そりゃ良かった! そいつがずっと気掛かりだったんだ。あの子はいつも美味しそうに食べてくれていたからな……」
「……本人にもそう伝えておこう」
あの時、客として来ていたヒヨリ達のことをずっと心配していたのか大将はその安否を確認すると酷く安堵した様子で笑う。
「その調子なら、復帰は早そうだな。店は壊れてしまったが……また再開したら真っ先に食べに来るとしよう」
「あー……それなんだが……」
大将は、ばつが悪そうに頬を掻く。
「さっき見舞いに来たセリカちゃん達にも言ったんだが、実は店はもう畳むつもりなんだ」
「! ……それはまた、どうして?」
「少し前から退去通知を受け取っていてな、どっちにしろあの場所で店は続けられなかったのよ。セリカちゃんがバイトに来てくれたから限界まで続けるつもりだったんだが、このザマだ。潮時だと思ってな……」
「………………」
ニトは驚く。柴関ラーメンのあるあの土地一帯の所有権がカイザー・グループの手に渡っており、立ち退きを勧告されていることはずっと前から知っていた。
しかし、土地の利用価値やカイザーの動きからそこまで躍起になって立ち退きさせようとはしないだろうと思っていたが、今回の一件があって大将は決意したようだ。
店が壊れたのもそうだが、既にここがアビドスの土地ではないことをゲヘナやトリニティといった他の自治区が認識していることを薄々察しているのだろう。
表情を変えずともニトは奥歯を噛み締める。一瞬ゲヘナ風紀委員への怒りが湧くも、すぐにその対象は元凶であるカイザーへと向く。
「……そうか。では、他の自治区で経営すればどうだ? 大将の味ならばどこでもやっていける」
否、天下すらも取れる。ライバル店は多いが、それでも柴関ラーメンの味はそのジャンルではトップクラスだとニトは確信していた。
「何なら広告も……」
「いんや、そのつもりもねぇ。元々赤字ギリギリで無理やって経営してたから資金繰りも厳しいし、そもそも俺はアビドスの人間だ……あの子達を置いて、知らぬ顔でラーメン屋なんか出来るかよ」
「ッ……そう、なのか……それは、残念だ。本当に」
「悪いな、嬢ちゃん。あんたがうちの味を気に入ってくれているのは知っているが、こればかりはなぁ……」
「いや、構わない。個人的には店を再開してほしいが、大将がそう決断したのであれば、その意思を尊重するよ。単なる一客でしかないオレがあれこれ口出しするようなことではないしな」
地元への愛着……それだけではないのだろう。大将の心情を理解したニトは無理に説得するべきではないと判断し、彼の決断を受け入れる。
それでもやはり自身が気に入っていたあの拉麺がもう食べられなくなるという事実に酷く落ち込んでしまうが、その姿を見て大将に余計申し訳無く思わせる訳には行かないので出来る限り外面には出さずに平静を装う。
「だが、困った時はお互い様だ。何か面倒があれば協力は惜しまんよ」
「協力って……良いのかい? 嬢ちゃん、この辺りの人間じゃないし忙しいんだろ?」
「ああ。あの拉麺に出会わせてくれたことへの、ささやかな恩返しという奴だ」
「……なんか照れちまうなぁ」
顔を背けて後頭部を掻く大将。当然己の腕に自信はあるが、ここまでベタ褒めされると流石に照れ臭い。
「んじゃ、お言葉に甘えて引っ越しの手伝いでも……」
そう言いかけたところで、ふとアビドスの子達の顔が脳裏に過った。
彼女達は、きっと戦うのだろう。最後まで。
「……そうだ。じゃあさ、嬢ちゃん──」
果たしてそれは彼女に頼むべきことなのだろうか。一瞬そう思って躊躇するも、意を決して大将は口にする。
大将の見舞いを終え、次にニトが向かったのは病院の屋上。本来であれば立ち入り禁止であるが、老朽化で鍵は壊れており、当然警備員も居ないため今や誰でも入れる。
そこには、先客が居た。
「やぁ、小鳥遊ホシノ」
「会う前に大将のお見舞いがしたいって……先生達と鉢合わせたらどうするつもりだったのさ」
「他ならぬ大将の見舞いだ。多少のリスクは度外視せねば」
「そう……じゃあ、閉店の話も聞いた?」
屋上から一望出来る絶景……とは到底言い難い砂まみれの街を見下ろしていたホシノは、振り返るなり溜め息を吐く。
「ああ。残念だよ、本当に」
「……知ってたんでしょ? ここいらの土地全部がカイザーの物になってるってことに」
「………………」
「笑っちゃうよね。君が言っていた
土地の所有者がカイザーであるのであれば、ホシノとの契約に正当性は無い。もはやアビドスに土地の使用を許可する権限など存在しないのだから。
「なのに、なんで?」
泣きそうな、消え入りそうな声で問いかける。
「……アビドスとカイザー。どちらと契約を結び、取引したいかは明白だろう」
「うへ。そりゃそうだね、カイザーだったら骨の髄までしゃぶられそうだけど、私達ならはした金渡せばオーケーしてくれそうだもん」
否、決してはした金などではない。それは借金返済の為に汗水流して金を稼いできたホシノがよく分かっている。
握り締めた拳が震える。俯いていてニトから見えなかったが、彼女は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「……結局、私達に同情してたからってこと? それとも、都合が良かった?」
「それは──」
「──違わないでしょ」
「だとしても、だ。土地の所有権など所詮は書類上のものに過ぎない。我らは本来の持ち主であるアビドス高校、そしてこの自治区の人間を選んだまで」
突き放すような態度を取るホシノに対して、ニトは毅然と対応しながらも、内心は困惑していた。
カイザーの土地の占有について、連中が大砂漠で“宝探し”を行っているという事実を知った時点で、彼女は薄々察していたはずだ。
にも拘わらず、ここまで動揺している理由は──。
「ッ…………」
「それに、今回はこのようなことの為に呼び出したのか? オレはてっきり──」
「てっきり、昨日の件について叱られるとでも思ってた? ま、あれには吃驚したけど……お蔭で決心が着いたよ」
「……何?」
「ゲヘナに存在がバレるリスクを考えれば、こんな廃校寸前の学校なんかに構ってられる余裕はないんじゃない? ──アリウス分校さん」
「………………!」
ニトは目を見開く。
一方、ホシノはそれを見て自身に
「大昔にトリニティに弾圧されて今は地下暮らしなんだってね……そりゃ何も無い砂漠だろうと、土地は欲しくなる」
「……どこでそれを」
「ある筋からの情報とだけ言っておくよ。あ、勿論だけど先生や皆には教えてないから安心して。でも……今後の身の振り方次第では、うっかり口が滑っちゃうかも」
脅しの言葉に、ニトの顔が強張る。
「……何のつもりだ?」
「私、カイザーに就職することにしたんだ」
「!」
「それで借金について、どうにか出来そうなんだ。だからもう支援はしなくていい」
その言葉によりホシノがカイザーに、或いはその裏に潜む何者かに“契約”を持ち掛けられたことをニトは察した。そして、敵の真の狙いにも。
地下に眠る遺物などはついで。本来の目的はアビドス最高の神秘──小鳥遊ホシノ自身なのだと。
「土地はこれまで通り自由に使ってくれて良いよ。何なら永住権でも出そうか? ま、元より私達に許可を出す権限なんて無かったんだけど……」
「……君なら、理解しているはずだ。その契約とやらは、きっと──」
「うん。
言葉を遮り、ホシノは告げる。やはり彼女は自分が掌の上で転がされていることを自覚していた。
けれど、それでも、彼女にはそうすることしか出来なかったのだ。
「──だとしても、アビドスは大丈夫。私が居なくても皆は強いし、何より“先生”が居る」
「……小鳥遊」
「ああ、そういえば伝えてなかったね。私から見た“先生”の評価だけど……あの人は、優しくて、どうしようもないほどお人好しで、信頼足り得る“大人”だよ」
「………………」
「うへへ……現在進行形で“悪い大人”に利用されちゃってるおじさんが言うと、信憑性があるかどうか微妙だけどねぇ……」
惚けた様子で笑いながらそう言い、ホシノはニトの横を通り過ぎ、出口へと向かう。
ニトは、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
「……失楽ニト。いやニトちゃん」
そして、扉を開けた所で立ち止まり、名を呼ぶ。
「──今までありがとうね」
時は遡り、柴関ラーメンが破壊される少し前。
アビドス郊外にある、“カイザー・コーポレーション”のロゴが掲げられた建物の薄暗い不気味な一室に、ホシノは足を運んでいた。
「──その話は、本当なの?」
「クックックッ……ええ勿論。微塵の虚偽も無いことを誓いましょう」
そこで一人の男……かどうかすらも怪しい異形と対峙していた。
白いシャツ以外はネクタイもフォーマルなスーツも、それを纏うすらりとした体も、一切の汚れの無い漆黒で統一されており、闇が人間の形を取っているようだった。
唯一、頭部には白く光る亀裂のような文様が刻まれており、それが笑みを浮かべた表情のように見えた。
──黒服。
デスクに肘を突き、ビジネスマンを気取る目の前の存在は、かつてホシノが呼んだその呼称を、さも自らの名前かのように名乗っている。
シャーレの先生と同じく、キヴォトスの“外”から来た存在。それとは、ホシノがアビドス高校に入学してからの付き合いとなる。
曰く、アビドス最高の神秘……その素養に魅力を感じたらしく、配下に加われば莫大な報酬を出すと勧誘を受けており、今回もアビドスの借金を何とかするという条件で、またつまらない話をされるのだろうと考えていた。
──考えていた、のだ。
「“アリウス分校”……それは、現在のトリニティ領内にかつて自治区を有した、数ある分派の一つ。諸派の統合に向けた“第一回公会議”において唯一反対の立場を取り続けた結果、連合を果たしたトリニティ総合学園から激しい弾圧を受け、自治区からも追放されてキヴォトスの表舞台から姿を消した学校です」
黒服は理解していた。
もはや暁のホルス──小鳥遊ホシノがこちらの契約にも取引にも応じないであろうことを。
何せ、彼女には
故に、黒服は教えたのだ。ホシノに余裕を生み出した
「弾圧を生き延びたアリウス派の残党は、逃避行の末トリニティ領内の“カタコンベ”……ああ、地下墓地のことです。そこを通って未開の地で自治区を打ち立て、外部との一切の関係を絶ち、連邦生徒会の目も届かぬ孤立状態となりました」
「………………」
「親近感を覚えたのではありませんか? 連邦生徒会から見捨てられ、廃校の危機に瀕しているアビドス高校の一員としては」
「ッ…………!!」
ギロリ、と睨む。
殺傷力すら宿りそうな視線を向け、しかし黒服はくつくつと喉を鳴らした。
「私の
「……どういうこと?」
「閉鎖的な地下空間では、いくら慎ましく暮らそうといずれ限界が来ます。長きに渡って貧困が続き、限られた物資を巡って自治区を二分する内乱が勃発してしまうまでに治安は極めて悪化しました。それこそ幾人もの餓死者が出る程の食糧難だったようです」
「餓……死、者……」
ホシノが瞠目する。このキヴォトスでは“死”という概念は何よりも忌避されるべきもの。
特に彼女にとっては──。
「その内乱でも多くの戦死者が出たそうです。成人に達した生徒も、初等部の生徒も、或いはまだ生徒ですらない幼子も例外無く。ヘイローを有する生徒の強靭性も、劣悪な環境で衰弱した状態では大きく損なわれ、存外容易に命を落としてしまう」
──正に血みどろの“戦争”だった訳です。
淡々と、まるで世間話をするかのように黒服はアリウスで起きた凄惨な出来事を語っていく。
ホシノはただ茫然と、それに耳を傾けるしかない。
「そんなアリウスですが、およそ七年前に内乱が終結し、分裂していた勢力が統一されました。そして現在、どうにか安定した彼らは外の情報、そして何よりも自分達が生き抜く為の資源を求め、秘かに地上へと進出した……このアビドスに足を踏み入れ、あなたに接触したのはその一環でしょう」
「七年……」
ニト達──アリウスが自分の前に現れた経緯よりもその年数が気になった。
たったの、七年前。その頃のホシノはまだアビドス初等部で今みたいに借金や砂漠化といった問題に悩むことなんて微塵も無く年相応の子供らしく振る舞っていた……少なくとも記憶の限りでは、理不尽や不自由を強いられたことは無かったはずだ。
けれど、失楽ニトも、支援金の受け渡しを行う際に頻繁に顔を合わせていたあの子も、時折見かけていた彼女達の仲間も、ホシノがそう過ごしていた時に飢え、苦しみ、戦火の中を生きていたのだという。
(……そりゃ
かつて、ニトの所作を見て彼女がその落ち着いた雰囲気とは裏腹に常に戦いを忘れていないと形容したことがあった。
それは正しくその通りであり、飢えて、殺し合うような地獄としか言い様が無い過酷な世界を生き延びてきた結果であったのだ。きっと、彼女からすれば
黒服の言っていることがどこまで本当かは分からないが、それでも彼がもたらした事実と照らし合わせると納得が行ってしまった。
「でも……それを私に教えてどうするつもりなの?」
しかし、だからこそ疑問だった。
てっきりニト達のことを悪く言い、彼女達と手を切らせるつもりかと思ったが、ならば今の話は逆効果だ。
むしろより信頼を強くする。彼女達も
そこで、思考が止まった。
(ほんの七年前まで戦争をしていた……そんな学校に数百万もの大金をポンと払えるような余裕が、本当にあるの……?)
ホシノのその気付きは、黒服にとっては予定調和であり、また期待していたものだった。
「クックックッ……実を言うとですね、ホシノさん。私は貴女がこちらの勧誘を断り続けるのであれば、次はアリウスに“契約”を持ち掛けようと思っていまして」
「え……」
「何せ、あそこには実に興味深い“神秘”が存在する。あなたと並び得る特大の“神秘”がね……心当たりはありませんか?」
「…………? ッ、まさか──」
黒服の問いかけに一瞬眉をひそめ、しかしホシノには思い当たる節があった。
脳裏に過るのは、一目見て自分と同じくらい強いと思った、あの少女の顔。
「失楽、ニト……」
「ええ、その通りです。今はそう名乗っている、アリウスの指導者にして“光をもたらす者”。我々にとって最大級のイレギュラー。彼女ならば暁のホルスと同等以上の研究成果が得られると思っています」
「……あ、そう。だけど、あいつがお前の話なんか聞くとでも──」
「思いませんか? アリウスの過去と現状を知った今も」
「! ……何を言って──」
「あなた方アビドスは彼らに支援してもらっていますが、本来であれば支援が必要なのはあちらではないでしょうか」
「それは……」
ホシノは何も言えない。土地を使う為の利用料として毎月数百万などアリウスの方から持ち掛けてきた話とはいえ法外過ぎる金額だ。てっきり容易く金が用意出来るような組織だと思っていたが、アリウスの実態を知ればそうではないのは明らか。
本当はそんな余裕は無く、自分は彼女達に無茶をさせていたのではないか。そう思わずにはいられなかった。
「それから、そうですね……例えば、私がこの情報を連邦生徒会、或いはトリニティ総合学園に伝えてしまった場合どうなりますかね?」
「なっ……!?」
「無所属の武力学校の存在……それは火種として充分。そして、かつてトリニティ総合学園が弾圧し追放した“汚点”となれば、敵対しているゲヘナ学園も見過ごさない。アリウスは再び戦争に逆戻りするでしょう」
次に黒服が告げた言葉にホシノは青ざめる。連邦生徒会、トリニティ、ゲヘナ……そのいずれか一つが相手だとしても、ずっと地下で隠れ、七年前まで内部分裂を起こして戦争していた分校規模の学校が太刀打ち出来るとは到底思えなかった。
いくらニトが自分と同じくらい、いやそれ以上に強くても個人では限界がある。
「そうなれば、アビドスへの支援どころではなくなるでしょう。或いは、アリウス自体が──」
「ふざけるな……ッ! あいつらは……彼女達は、関係無いはずだ……ッ!」
声を荒げ、身を乗り出さん勢いで両腕をデスクへと叩き付けるホシノ。今にも銃を抜き、黒服の頭を吹っ飛ばしそうな様子だった。
「クックックッ……支援者、ないし同盟相手の時点で決して無関係ではありませんよ。それに、我々が目的の為ならば手段を選ばないのは、とうの昔にご存知では?」
「ッ…………!!」
しかし、黒服は表情を変えず、ただ笑みを浮かべる。
「要するに、ホシノさん。アリウス分校は、あなたよりもずっと、付け入る隙があるということです」
「……外道が」
「クックックッ……しかし、不思議ですね。アリウスがアビドスと無関係であるのであれば、喜ぶべきです。彼らの犠牲によりあなた方は救われるのですから」
「────」
頭が沸騰しそうになる。
アリウスが犠牲になって喜ぶ? ふざけるな、彼女達は──。
(──そうだ)
そこでホシノは、漸く気付く。
彼女にとって、失楽ニトとは、アリウスとは何であったかを。
“初めまして、小鳥遊ホシノ”
怪しい奴らだと思っていた。
今まで自分達を利用してきた悪い大人達と同じように、何か裏があると警戒していた。
“そもそも我らは君達を支援しているつもりはない”
“君達に渡している金は相応で正当な報酬であり、その代価として我らはこの土地での活動を許されている”
“つまりは疑いようもなく、対等な関係なのだよ”
しかし、彼女達は恩を着せることもなく、深く干渉することもなく、当初結んだ契約を続けてきた、続けてきてくれていた。
その実態は、不利どころか向こうが身を削っていたというのに。
──彼女達は、紛れも無くアビドスの“恩人”だった。
(私とは違って──)
アビドスを守る。後輩達を守る。借金を返済し、脅威を取り除き、学校を復興させる。
その為ならば何だって出来る、何でもする──そう、思っていた。
では、この有り様は何だ?
(あの人が、ユメ先輩が居なくなってから、私は何をやった?)
もしアリウスの支援が無ければ、利息を返すだけで精一杯だった。完済には三百年以上も掛かるというのに、一体どうするつもりだったのか。
ノノミの会社の財力を使うか? それともシロコの提案に乗って銀行強盗でもするか? 否、たとえアリウスが居なくても自分はそのような手段を取れなかっただろう。あの時と同じようにセリカを竦め、綺麗事を並べ立てたに違いない。
本当に脅威を排除したいなら、カイザー・グループも、目の前で笑う黒服も、一切合切容赦無く始末するべきだった。
(そうしなかったのは、そう出来なかったのは、私が無力な子供だったから)
ホシノが立ち上げた“アビドス廃校対策委員会”は、果たしてその存在意義を全う出来ているのだろうか。
(出来ていない。アリウスが、それに“先生”が居なければ、とうに終わっていた)
シャーレの先生。
最初は警戒していた、得体が知れず、大して期待すらしていなかった、しかし今では頼り切りになってしまっている大人──。
彼なら膨れ上がった借金も何とか出来るだろう。学校の復興も可能かもしれない。
ホシノには、どれも出来なかった。
何だこれは?
何だこの有り様は?
アリウスと先生におんぶにだっこで、あれだけ皆を守ると豪語していた自分は、何一つとして出来ていないではないか。
「さて、小鳥遊ホシノさん」
絶望的な気分となったホシノに、黒服は相も変わらず笑みを浮かべ、“悪意”を以てその名を呼ぶ。
弱みを見せた獲物を狙う、肉食獣のように。
「──あなたに、決して拒めないであろう提案をひとつ」
黒服(クックックッ……まあ、マダムを退けるような存在相手にそのようなリスクの大きいことはしませんがね……)