アリウスの王 作:大嶽丸
「初めまして、小鳥遊ホシノ」
「……誰ですか?」
抜け殻のようだと思った。
あの日、二年前のいつか、砂混じりの校舎で対面した彼女に対して抱いていたのは憐憫であり、そして
力が在りながら、守るべきものを取り零し、己が在り方を失った者の末路。深い後悔と絶望に呑まれ、夢の残骸に縋り付くその有り様は、酷く痛々しかった。
かつての己も、あのような顔をしていたのだろうか。希望を失い、無気力で、空虚、ふとした拍子に死んでしまいそうな程に。
このまま何もかもに絶望し、心折れてしまうのであればそれまでの話だが──。
(いいや、彼女は立ち上がるとも)
それは確信があり、事実彼女は再起した。
遺志を継ぐ為に。折れることも、挫けることも、許されるはずが無いのだから。
報われるまで、否、たとえ報われたとしても、この身が朽ちるその時まで罪と罰の中、戦い続けなければならない。
自分がそうしているように、きっと彼女もそう在り続けるのだ。そういう意味では、失楽ニトと小鳥遊ホシノは同じ道を往く“同志”だった。
だというのに──。
「………………」
ニトは、街道を歩いていた。
砂塵の舞う市街地は人通りが少なく、ごく稀に現れる通行人も彼女を見るなりにそそくさと逃げ去ってしまう。
──苛立ち。
表情こそ真顔であったが、ぐつぐつとマグマのように煮え滾るそれが滲み出ており、その有り様を見ればたとえゲヘナのスラムであろうと誰も絡んでは来ないだろう。
病院を後にしてから、ずっとこの調子だった。どうしようない程に、彼女は苛立っていた。
(オレ達を庇ったのか、彼女は)
聡明であるが故に、ニトはすぐに気付いてしまった。
ホシノが何故カイザーに身売りするなどという馬鹿げた契約を結んだのか。そのような判断をしてしまう程に追い詰められた理由を。
アリウスに危害が及ばぬように。
どうやら自らを犠牲にして庇うくらいには、信頼されていたらしい。いつも警戒され、疑いの眼差しを向けられていたので、酷く意外だった。
(……考えてみれば、当然の話だ。これまで接していて、その戦いの才能に反して彼女の本質が優しく純粋だということには、気付いていたというのに)
対するニト達アリウスはあくまでも同盟相手。土地を使用し、その対価として相応の金額を支払うという関係に過ぎないというスタンスだった。現に自分達の都合でカイザーの活動にはその進行こそ妨害していたが、排除しようとはせず基本的には看過していたのだから。
しかし、それでもカイザーが強硬手段に出た場合、全力でアビドスを支援し、防衛するつもりではあった。自治区内のカイザーの基地や関連施設は既に隈無く把握済みであり、いつでも駐留部隊を動かせるまで準備してある。
後は機を待つだけ。そう、たかを括ってしまっていた。
その結果がこれだ。裏に潜む存在の策略に気付かず、みすみすホシノを自己犠牲に走らせるまでに追い詰められ、守るべき存在に、逆に守られてしまっているではないか。
何という体たらく。自らの楽観的な考えと傲りが招いた結果が、何よりも腹立たしい。
(──“ゲマトリア”)
黒幕の検討はついている。あのベアトリーチェが属する組織ないし団体。砂漠に眠る遺物についてカイザーに情報を流した存在として以前から関与を疑っていたが、十中八九ホシノに我らアリウスについて教えたのはその組織の人間だろう。
ベアトリーチェ本人ではない。奴とは明らかにやり口が違う。より狡猾で悪どく、そして知略に長けている。力押しを好まないのか、そうすることしか出来ないのか……いずれにせよ、未だに影も形も掴めていない時点で相当厄介なことは間違いなかった。
そもそもホシノとの接触は外部に気取られぬよう細心の注意を払っていたはず。少なくともカイザー程度の諜報能力ではまず不可能。にも拘わらずそいつはホシノとアリウスの繋がりに気付き、限られた、都合の良い情報だけに絞って吹き込み、ホシノを揺さぶった。
恐らくかなり前からホシノに接触し、アプローチを掛けていたのだと思われる。故に、彼女の心理をよく把握しており、知っていたのだ。
彼女にとって最も大切で優先すべきなのは“身内”であり、自分自身の価値は著しく低いことを。
そして、その“身内”とはアビドスの仲間だけではなく、ニト達アリウスも含まれていた。だからこそ、彼女は何ら躊躇もせずその身を捧げることに応じてしまった。
つまり、まんまと利用されたのだ。
アビドスを、小鳥遊ホシノという生徒を手中に収める為のダシとして。
(随分と舐めた真似をしてくれる……いや、敢えて挑発しているのか。こちらの動きを窺っているな?)
唯一の生徒会役員であるホシノが居なくなった今、すぐにカイザーはアビドス高校を制圧する為に大挙して押し寄せてくるだろう。
とはいえ所詮は軍隊崩れのオートマタ共に過ぎない。いくら数を揃えようとホシノや空崎ヒナといった規格外が存在しない以上、アリウスの敵ではなく駐留部隊の戦力だけでも充分に対処が可能。多少贔屓目が見ている部分があるかもしれないが、ニトは概ねそう判断していた。
しかし、懸念点としてゲマトリアという不確定要素。戦力は未知数であり、仮にベアトリーチェと同等の存在だとすれば駐留部隊だけでは荷が重く、またそいつからはアリウスが動くことに対する
少なくともアリウスを、失楽ニトを敵に回すことに見合うだけの何かが目的なのは明らか。このまま感情に身を任せてカイザーを叩けば相手の思う壺……ニトの苛立ちに反して恐ろしく冷静な理性がそう囁く。
(そもそも単独とも限らない。ベアトリーチェのような奴が複数人居るのだとしたら相応の準備をして相手にしなければならん……カイザーの動向の確認、及び迎撃にあたりつつも今はまだ様子見すべきだろう。だが──)
ゲマトリアという最大級の脅威を前にして、ニトに
彼女にとって最優先すべきはアリウスに他ならない。あくまでも同盟相手に過ぎないホシノを助ける為に迂闊にゲマトリアと正面衝突し、アリウスを危険に晒しては本末転倒だった。
故に、アリウスの指導者としての選択は──。
“嬢ちゃんに頼むことでは無いかもしれないんだが……もし良かったら……アビドスの生徒さん達を助けてあげられないかい? あの子達は、まだ戦っているんだ”
脳裏に過ったのは、柴大将の頼み。
いつも気にかけ、身を案じ、しかし力が無いが故に何もしてあげられず、だからこそ微かな希望を抱いてこの思いをニトに託した。もしかすると彼女にそれだけのことが出来る力があることを、何となく感じ取ったのかもしれない。
ふと思い出したそれは揺れ動くニトの天秤の比重を変動させ、彼女の思考が冴えてくる。
(──ああ。時間の無駄だったな。結論など、とうに分かり切っていたではないか)
ほんの数瞬怒りを忘れ、馬鹿馬鹿しそうに笑う。いくら迷い、悩んだところで導き出される答えは変わりはしないというのに。
(ふざけるなよ失楽ニト。身を犠牲に守ろうとしてくれている小鳥遊の救出を躊躇うなど、そのような道理があるものか)
ゲマトリアが抱かせた僅かな迷い、その揺らぎは、しかしすぐに止まり、決意は固まった。
結局のところ、彼女の行動原理は──。
「上等だ、上等だとも。そちらがいくら策を弄しようとも……真っ向から叩き潰すまで」
かつて、ベアトリーチェにそうしたように。
次の日。
アビドス高校、及びその周辺にある市街地では、銃声と爆発音が鳴り響き、騒然としていた。
「……この自治区にはもう、退去命令が下った」
市街地を攻撃するのは、戦車、装甲車、武装ヘリ、それから数百ものロボット兵の軍勢。それらを率いながらスーツを着た大柄なロボットが高笑いする。
その者は、カイザーPMC理事。カイザー・コーポレーションの幹部であり、PMCの代表取締役でもある人物だ。
「遂に条件は全てクリアした。最後の生徒会がアビドスを退学……これで実質的に、アビドス高等学校は消えた!」
カイザーPMC理事は有頂天だった。
当然だろう。小鳥遊ホシノ……アビドスで唯一残っている生徒会メンバーであり、戦闘力的にも立場的にも目障りだった存在の排除に成功し、遂にアビドス高校へと攻撃し、学校を乗っ取る大義名分が出来たのだ。
これでアビドス自治区を手に入れることが出来れば、本来の目的である“宝探し”だけではなく、
つまりカイザーは企業としてではなく、一学園としても連邦生徒会に意見することが可能になるということ。
(クク、そんな偉業を成したこの私は更に昇進! 次期プレジデントのポスト確保も夢ではない!)
もはや勝ったも同然。理事の頭の中には今後の輝かしい人生プランのことしかない。
実のところ計画はそこまで順調ではなかった。ヘルメット団を利用して補給を断ち、疲弊させ、借金返済に手一杯にすることでホシノの戦闘力と思考力を削る。それからスカウトという名目で甘言を弄し、精神的に追い詰める……しかし、予想に反してホシノ、及びアビドスには余裕があり、利息はおろか地道ではあるものの着実な返済を続けていた。
何か裏がある。そう思いながらも要因を見つけることは出来ず、挙げ句にシャーレの先生などというイレギュラーまで現れてしまう。ヘルメット団もその後に雇った便利屋68も役に立たず、理事は憤慨していたが、協力者……あの“黒服”という得体の知れぬ存在はどう揺さぶったかは知らんが、上手くやったようだ。
「さて、早速アビドスの哀れな連中共を出迎えると──」
『理事! こちらブラボー小隊! 応答してください!』
その時である。
無線機から聴こえる配下の悲鳴に近い自分を呼ぶ声が、高まった気持ちに水を差す。
「ぬ? 何だ、一体……」
『攻撃を受けています! 被害は甚大で既に半数が無力化されています!』
「──は?」
その報告に、思考が止まる。
「アビドスの連中か? たった四人の生徒に何を──」
『いいえ! アビドスではありません! 正体不明の集団で……う、うわああああ!!』
「何? オイ……オイッ! 応答しろッ!」
『こちらマイク小隊! 同じく攻撃を受けています!』
『チャーリー小隊もです! クソッ、何なんだよコイツら──』
銃声、或いは悲鳴に掻き消され、幾つもの通信先から応答が無くなっていく。
理解不能な出来事に先程までの高揚感から消え失せる。理事が最初に通信してきた第三中隊を向かわせた方角へと視線を向ければ、丁度武装ヘリが墜落していくのが見えた。
「何だ……何が起きているッ!? まさか──」
唖然としながらも理事は思い至る。
いつぞや配下の誰かが計画が上手く事が進まなかった要因として推察していたこと。
アビドスに、
『こちらジャッカル、目標の撃破を確認。送れ』
「了解。残存兵の処理、及びキャメルとガゼルの支援に向かってくだせえ。くれぐれも本隊と合流させんように。送れ」
『ジャッカル了解。終わり』
「……さて、とりあえず順調に撃退出来そうッスね。取り柄が数だけで良かった良かった」
眼前で倒れ伏す大量のカイザーPMC兵士達を見下ろしながらアビドス駐留部隊の部隊長は呟く。
ゲリラ的な奇襲。単純な人数こそかなりの差はあるが、ただ市街地を襲い、たった四人の生徒と一人の大人を一方的に蹂躙するとばかり思い込んでいたカイザーPMCに対応出来るはずもなく、大隊規模の軍勢の損耗は既に四割近くに達していた。
「それに、こちらの士気もかなり高い。皆、漸くムカつくカイザーの連中に鉛弾をぶち込めるって息巻いてたし」
かくいう部隊長も半ばパニックに陥りながらバタバタ倒れていくカイザーPMC兵士を見て清々した。
駐留部隊ではアビドスの境遇と自分達アリウスを重ね、同情的な感情や仲間意識を抱く者は少なくなく、アビドスへのカイザーによる仕打ちに対してかなりのヘイトが溜まっている。
加えて、あのベアトリーチェと同じ大人連中なのがより一層悪感情を加速させていた。
「隊長、PMC本隊は再度前進を開始。我々への対処よりアビドス高校への侵攻を優先した模様です」
「了解。……だいぶ削ったんだ。ホシノさん無しでも何とかなるとは思いやすが──」
次の瞬間、ふわりと風に乗って何かが横切る。
その場所に居たアリウス兵達は困惑し、唯一部隊長だけがほんの一瞬視界に入った淡い
「……閣下の命令ッス。万が一なんてのはもっての他。全身全霊で守るとしましょうぜ」
──オシリス。
冥界の神、或いはアビドス駐留部隊の最高戦力の名を呼び、部隊長は笑う。
たとえ残骸であろうと、それは本懐を果たさんとしているのだ。
それは駄目押しだった。
謎の勢力に攻撃を受けながらもアビドスの生徒達と対峙し、数のごり押しと精神攻撃で追い詰めた理事率いるPMC部隊であったが、そこに裏切った便利屋68まで参戦してしまう。
形成は逆転。想定外の事態に怒り狂いながら理事は自らカイザーの最新兵器である“ゴリアテ”に乗り込み、応戦するが──。
『飼い犬の分際で裏切りおって……! まとめて始末して──は?』
ガコンッ! という横合いからの衝撃音と共に、ゴリアテの巨体が宙に浮いた。
『ぐおおぉぉっ!?』
横転し、後頭部を強打する理事。何が起きたのか分からず、混乱している様子だった。
一方、先生も、アビドス生達も、便利屋も目を見開く。理事と違い、一同には何が起きたのか見えていたが故に。
突如として高速で飛び込んできた何者かが、ゴリアテに
「………………」
水色の短髪が靡く。それは、一人の少女だった。
右手には大型かつ大口径のショットガン、そして左手には何と対物ライフル。いくらヘイローを有するキヴォトス人といえど、とてもではないが扱えるような武装ではないにも拘わらず軽々と持ち歩き、平然としている。
これまた重そうな分厚い防弾チョッキの下は、白装束。それに加えてガスマスクで顔を隠しているとその風貌は先日ゲヘナ風紀委員長を蹴り飛ばした謎の存在と合致しており、体格から本人ではないにせよ関連性を疑うには充分過ぎる要素だろう。
味方なのか、それとも──。
「あれは……?」
皆が困惑する中、十六夜ノノミだけが既視感を覚える。しかし、記憶には無く、また自分自身でも戸惑いを抱く程度のものだった。
『お、おのれ! 今度は一体どこのどいつだ──グオッ!?』
横転していたゴリアテが起き上がるも、少女は既に対物ライフルを向けており、放たれた弾丸が膝の関節部分を撃ち抜く。
スコープを覗かず、片手なのに精密な狙い。それどころか凄まじい反動であろうに構えた腕は微塵もぶれず、体の軸がほんの僅かに揺れただけ。
圧倒的な重武装が飾りなどではなく何ら問題無いことを証明した少女は地面を蹴り、体勢を崩しているゴリアテへと急接近する。
そのスピードに驚き、慌てて理事は上部にあるキャノン砲の照準を合わせようとするが、当然間に合わず股下へと入り込んだ少女はショットガンの銃口を押し当てた。
丁度エンジンを内蔵している部分だった。
『しまっ──』
即座に引鉄を引く。散弾が頑丈な装甲板を抉り取り、内部で拡散する。更にそのまま二発ほど撃てば、遂に弾丸がエンジンへと届いて爆発を起こす。
「……目標沈黙」
あっという間だった。
黒煙を出し、炎上しながら機能停止するゴリアテ。それを冷たい眼差しで見据え、少女は静かに呟いた。
何の感慨も無く。
ニトちゃんはゲマトリアのことをベアトリーチェ軍団だと思っているので内心結構ビビってます