アリウスの王 作:大嶽丸
「ハァ……ハァ……!」
いつかのように、カイザーPMC理事は必死で走っていた。
対デカグラマトン大隊が壊滅し、本社からの増援も傭兵達に食い止められていることを知った時点で彼は敗北を悟り、迫り来るアビドスの報復を恐れて逃亡を選んだのだ。
「おのれ……!! 何故だ……ッ!? 何故こうなった……ッ!?」
「理事! 落ち着いてくださ……」
「黙れっ!! 落ち着けだとッ!? 私はもうおしまいなのだぞ……ッ!?」
後ろで自分の後を追い、宥めようとする秘書を怒鳴り付ける。
こんなはずではなかった。つい先日まで次期プレジデントだと夢見ていたのが馬鹿馬鹿しくなるドン底っぷり。仮に逃げ延びても責任を負わされ、蜥蜴の尻尾切りで解雇されるか、良くて左遷だろう。
理事のキャリアは今ここに終わった。絶望的な事実に怒り狂いそうになる。
「クソッ! これも全てアビドス共の──」
「ギャッ!?」
その時である。
背後から一緒に逃げていた秘書の悲鳴が聴こえる。思わず足を止め、振り返った先には──。
「ひ」
あのガスマスクの少女が、居た。
ガシャンとショットガンをリロードし、頭を吹っ飛ばされて倒れる秘書を踏み越え、理事へと歩みを進める。
「あ、ああああ! く、来るな……ッ! 何なんだ、何なのだ貴様は……ッ!?」
懐から護身用の拳銃を取り出し、狂ったように乱射する理事。長らくろくに射撃訓練をしていなかったようで銃弾は明後日の方向へと飛んでいくが、数撃ちゃ当たるということなのだろう。
一発が、少女の顔を掠め、その衝撃でガスマスクがずれ落ちていく。
「──は?」
間抜けな声が漏れる。
有り得ない。その顔には覚えがあった。けれど、それはもう存在しないはずの顔で──。
「き、貴様はまさかっ!? ヒィッ!」
理事は茫然とし、しかしすぐにまるで幽霊でも見たかのように鋼鉄の顔を青ざめさせ、情けない怯えた声をあげたかと思えば、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまう。
限界に達した精神状態であった故に、もはや冷静な思考が出来なくなっていた。
少女は、亡霊は何も言わず、そんな身動きの取れない理事の眼前に立つ。
そして、銃口を向ける。
「や、やめっ……う、うわああああああああ!!」
砂漠の決戦から一週間が過ぎた。
アビドス廃校対策委員会は名実共に連邦生徒会に正式に認可された部活動となり、同時にアビドス生徒会としての役割を担うこととなった。
今回の事件に際してカイザー・コーポレーションは当然であるが、大きな損害を受けた。ただでさえアビドスのPMC戦力が壊滅し、兵器も大半が破壊されてしまったというのに自治区襲撃に対する償いとして連邦生徒会から賠償金を請求されてしまう。
その額は約2億円。賠償金はアビドス高校が受けとり、そのまま借金返済に宛がわれた。しかもその際に少し前に
つまり8億の半額で4億、そこに賠償金の2億が返済され、借金は残り2億円にまで大幅に減少したのだ。加えて、暴利なまでに引き上げられた金利もその前より遥かに少額となり、見込みとしてはもはや数年で完済出来るくらいだった。
土地の返還は叶わず、アビドスの大半は未だにカイザーが保有しているものの以前とは比べようもない余裕が生まれたと言えよう。
借金半額についてはアビドスの面々は大いに困惑したが、唯一ホシノだけは心当たりがあった。
「……君達がやったの?」
「正確には、黒服がな。随分と吹っ掛けさせてもらったよ」
病院の屋上。
いつぞや袂を別ったこの場所で、ホシノとニトは再会を果たしていた。
「……その、ごめん」
俯きがちになりながら、ホシノは謝罪する。
「構わん。オレ達を庇ってのことだったのだろう。むしろ謝らなければならないのはこちらの方だ。我らの秘密主義が君に付け入る隙を生み出した」
「ッ、そんなことはない! 黒服のことだって私がちゃんと話していれば……」
自己犠牲で全てを守ったつもりだったが、結局のところ自分は利用されただけで皆に迷惑を掛けただけ……その挙げ句に助けられ、また返し切れぬ借りが出来てしまった。
ホシノは申し訳無さで一杯だった。こうして会わせる顔なんてあるのかとすら思っている。
「過ぎたことだ。次に活かせばいい……そうさな。どうしても申し訳無いと思うのであれば、改めて結んでくれないか。アリウスとアビドス……或いはオレと君個人の同盟を」
そう言い、ニトは自らの手を差し出す。
「……良いの?」
「ああ。前に言ったであろう、我らはカイザーではなく君達を選んだのだと」
「……優しいね。ニトちゃんは」
歩み寄ろうとしてくれている。以前ならばどことなく胡散臭いとすら思っていたが、今ならよく分かった。
この娘は、いくら取り繕おうと、根はどうしようもなくお人好しなのだと。
先生と同じように。
あの人と同じように。
ソッと、その手を取る。気恥ずかしさからすぐに離したが、暖かい手だった。
「ねぇ……アリウスのことは、相変わらず秘密なの?」
「ああ。くれぐれも他言無用で頼む」
「うん……まあ、そりゃそうだよね。でも、いつかは大っぴらに仲良く出来る日が来るよね……?」
先生なら、アリウスのことも解決出来るのではないか。そんなことが頭に過るも、希望的観測が過ぎるとホシノは改める。ニトがこうも徹底的に隠し通しているのだから、相応の理由があるのだろう。
ただ、それでも、いつの日かは──。
「……ああ。そのつもりだ。いつになるかは分からぬが、我々アリウスは必ずや表舞台に返り咲く。ただ、その……場合によっては君達と敵対することになるかもしれん」
目線を反らしながらニトは言う。
「うへ。そこは嘘吐くか言わないでよ」
「……すまない」
これにホシノは呆れながらジト目で視線を送る。妙なところで正直な奴だ。
敵対……何がどうなってそうなるかは何となく予想が出来た。恐らくアリウスの仮想敵はトリニティやゲヘナだけではなく連邦生徒会も含まれている。当然そこに属するシャーレ、そして先生ともアリウスは敵対することになり、そうなれば先生に恩があるアビドスは共に闘う……そういうシナリオを想定しているのだろう。
「じゃあ……そうならないことを祈るよ。アリウスの王様を相手取るなんて御免被るからね……」
「フッ……そうだな。オレもそう思う」
もしもそうなったら、ホシノはどちらに味方するべきか分からない。ニトも、先生も、紛れも無い恩人で大切な人なのだから。
故に、そうならぬことをただ願うしかない。自分に出来ることを精一杯しながら──。
「にしても……まるで“夢”のようだよ」
ぽつりと、ホシノが呟く。
「……夢?」
「うん。それだけまだ実感出来ていないんだ。何せ、今までどうしようもないと思っていた問題が、嘘のように解決しちゃったんだもん……ほんと”奇跡”ってのはあるんだねぇ」
青空を見上げ、今の状況が夢ではなく現実であることを噛み締めるようにホシノは言う。
ほんの少し前まで、想像すらしていなかった。どれもこれも、先生やアリウスのお蔭である。
「……奇跡、か」
同じように、ニトは青空へと視線を送った。
そこで浮かべる表情は──。
「……小鳥遊。オレが思うに、奇跡なんてものは、実のところ普遍的で、ありふれたものだ」
「え?」
唐突にそんなことを言われ、ホシノは固まる。
「日々の積み重ね。それによって構築された風景、日常……それらはありふれたもので、しかし変わらぬ日々とは、それこそが偶発的な出来事の連続で、正しく奇跡としか言い様が無い」
ニトは語る。それはホシノを励ましているようにも、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
「アリウスから地上へ出て、このキヴォトスの有り様を目の当たりにした時から、一段とそう思うようになった。あの戦場は地獄だった。そして、この街も決して楽園とは言い難い」
地上には楽園があると、誰かが言った。
けれど、現実は違う。
「この世は、あまりにも理不尽で、残酷で、許し難いことばかりが満ちている。だが、それでも……その中には確かに“美しい”と、“素晴らしい”と感じられるものは存在している」
それを奇跡の賜物と言わず、他に何と言う。世の中悪いことばかりではない。誰しもが知る当たり前の道理であり、だからこそ尊ばれるべきものなのだ。
そう思ったからこそ、ニトは今この場に立っている。
「要するに、何が言いたいかと言うと……その奇跡は、紛れも無く必然なのだ。小鳥遊」
「ぁ…………」
「この結果は、君が先人から受け継ぎ、守り抜き、紡いできたことの証明だろう。シャーレの先生によるものでも、我らアリウスによるものでもない」
彼女が存在していなければ、シャーレの先生が赴任した頃にはアビドスはとうに無くなっていた。
彼女が立ち上がらなければ、アリウスは手を差し伸ばすことすら出来なかった。
彼女が学校に残り、遺志を継いでいなければ十六夜ノノミは、砂狼シロコは、黒見セリカは、奥空アヤネは、アビドス高校に入学することは叶わず、今も笑い合えてはいなかった。
「他ならぬ君自身が皆と少しずつ積み重ね、それが実を結び、成し遂げたことだ」
「────」
「だから誇れ。胸を張れ。君が居なければアビドスは、あの子達は救われなかった」
その激励は、どこまでも己を肯定せんとする言葉は、ホシノに深く突き刺さる。
何故なら、だって、それは、その言葉は──。
“ねぇ、ホシノちゃん”
何度も、何度も思い出した声。今でも鮮明に思い出せるくらいに、覚えている。
“ただ、こうしてホシノちゃんと一緒に居られることが私にとっては奇跡みたいなものなの”
そう言ったあの人に、自分は何と言ったか。当たり前のことだと、大袈裟だと言い、奇跡とはもっと凄くて珍しいことだと呆れた。
そんなことは、なかったのに。
気付きたくなかった。認めたくなかった。
だったら、その奇跡で成り立つ日常は、いつしか崩れてしまうのではないかと。
そして、それは現実となった。
「奇跡なんてものは、ありふれたこと……か。そうだね、そんなことも、私は分かってなかったんだ」
目元が熱くなり、視界がぼやけていく。
ホシノにとってそれは残酷な真実であり、直視したくない現実である。
「──ありがとう、ニトちゃん」
けれど、だからこそ、その積み重ねは決して無駄ではなく、こうして実を結んだのだと肯定するニトの言葉は、酷く心地好く、少しだけ
こんなどうしようもない自分でも、確かに残せたものがあったのだと。
報告によると、理事が
監視は継続。何十年も掛けて目ぼしい成果が無いのだから正直その“宝”とやらが実在するのかも怪しいが、ビナーなんて奇天烈な存在が彷徨いているため本当に砂の底に何かしら眠っているとみて良いだろう。
とはいえ兵力を削がれ、借金も大幅に減額された今の状況ではアビドス高校にも手も足も出せず、アリウスにとっての
(残った問題点は、砂嵐とゲマトリアくらいか)
原因不明の砂嵐。こればかりは自然現象なので、ビナー辺りが人為的に起こしたという都合の良い展開が来ない限りはどうしようもない。
アリウスも対策は幾つか考えているが、それが本当に効果があるのかアビドス復興に繋がるかは不明だった。
そして、ゲマトリア。黒服には契約でアビドスに手を出すなと釘を刺したが、曰くキヴォトス最高の神秘であるらしいホシノをそう簡単に諦めるとも思えず、また他のゲマトリアの構成員が干渉してくる可能性は充分にある。
(まあいい……小鳥遊にも忠告した。オレだけでなくシャーレの先生も目を光らせていることだろう。これ以上考えても仕方あるまい)
最終的にニトはそう結論を下す。
少なくとも現時点で考えてもどうしようもないのだから、今は戦勝ムードに浸るとしよう。
「お待たせ。いつものだぜ、嬢ちゃん」
「ありがとう、大将」
あれから今後のことをホシノと話し合い、別れた後にニトが向かったのは、喜ばしいことに営業を再開した柴関ラーメンだった。
レンゲで熱々のスープを一口飲み、それから割り箸を割って麺を啜る。
「ああ……やはり、美味い。またこの味を味わえて本当に嬉しいよ」
「へへ、相変わらず照れクセェこと言ってくれるじゃねぇか! チャーシュー丼もサービスしてやるよ!」
もう食べられぬと思っていたせいか、以前よりもずっと美味しく感じる。
以前と変わらず元気そうに笑う柴大将を見て、心の底から安堵するニト。この店の味が消えるのはキヴォトスにおいても一二を争う損失であるし、何よりこの人間の鑑のような方が失意のまま店を畳むなんて道理があっていいはずがないのだから。
「にしても、屋台にしたのだな」
「おう、一から再スタートしようと思ってな」
こじんまりとした屋台。本当なら
「ダメになったんなら、またやり直せばいい。お客さんが居る限り、店は消えない……いやぁ、恥ずかしいことに、すっかり初心を忘れちまってたよ」
「……そうか。そうだな」
本当にその通りだ。一度失ったものは決して元には戻らず、しかしそれでも元に戻さんとしなければ、現状は少しも変わりはしない。
どん底だったアリウスを持ち直したニトには、身に染みるような言葉であった。
「本当に……あの便利屋の子達に感謝しないとな」
「ほう……便利屋とな?」
「ああ。アビドスの生徒さん達の友達でな、良い子達だよ……あの子達のお蔭で初心を思い出せて、店を再開しようとまた思えたんだ」
柴大将の口から便利屋の名前が出るとは思わず、ニトは驚く。
そういえば敵同士だったはずのアビドスに加勢し、雇い主であるカイザーPMCに反旗を翻していたが、どういう経緯かはまだ把握していない。冷静に考えればツッコミ所だったが、当時はそれどころではなかったため内心疑問に思いつつも普通にスルーしてしまっていた。
(便利屋を味方につけるとは見事な手腕だと思っていたが……柴関ラーメンの為に戦ってくれたのか? それによもや大将が奮起する要因にもなるとは……クク。陸八魔達には感謝せねばな)
アウトローらしからぬのは今更だが、世話になったラーメン屋の為に巨大企業相手でも裏切って敵に回し、啖呵を切るその威風堂々たるスタイルには感服させられる。
しかし、分かりきったことでもあった。彼女は、陸八魔アルは、“悪”を美徳としているもののそれは
そんなアルの気高く揺るがぬ精神性を、ニトは好ましく思っていた。
(ダメになったんなら、またやり直せばいい……か。確かに陸八魔の奴なら言いそうなことだ。きっと、彼女も……)
脳裏に過る顔、擦り切れた思い出にあるそれはアルとは似ても似つかず、しかしどうしようもなく懐かしいと思ってしまう。
「お、先生じゃないか! いらっしゃい!」
その追憶は、大将のそんな声によって中断される。
先生? と、思わぬワードにニトが視線を送ってみれば、案の定そこには今回の功労者の一人が来店していた。
「“なっ……貴方、は──”」
「……ん?」
どういう訳か茫然と、瞠目しながらこちらを見ている大人。その様子に一瞬首を傾げ、しかしニトは偶然だなと思う程度でいつもと変わらぬ様子で笑いかけた。
こうして直接言葉を交わすのは二度目か。といっても一度目は会話らしい会話ではなかったので今回が本当の意味での初めての会話となるだろう。
「──ごきげんよう。シャーレの先生」
ニトは気付かない。
気付くはずもない。
未だにこちらを見据えたまま固まっている彼の瞳に映る己の姿と、彼が認識している姿は全く違うことなど。
今ここに、二度目の邂逅は成った。
ホシおじ「そういえば皆から聞いたんだけど」
ニトちゃん「ん?」
ホシおじ「ガスマスクをした凄く強い子に助けられたって。おたくの仲間だよね? 最初はニトちゃんかと思ったけど聞いたら特徴が違ったし」
ニトちゃん「え、ああ。まあそうだが……」ギクッ
ホシおじ「いやぁショットガンと対物ライフルの二刀流って凄いね。そんな凄い子が居るだなんて流石のおじさんも吃驚したよ」
ニトちゃん「そ、そうか……」メソラシー
ホシおじ「?」