アリウスの王   作:大嶽丸

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太古の教義

 

 

「──“崇高”とは何か」

 

 カタコンベの奥深く。アリウス自治区からも離れた、常に形を変え続ける巨大な迷路を、しかし一切迷うこと無く二つの人影が歩いていた。

 

「……君達(ゲマトリア)の悲願、といった程度の認識しかないが、要するに自らをより高次の存在へと至らんとしているのだろう。安っぽく言い換えてしまえば、精神的ないし肉体的、或いはその両方を人から超越した存在、グレート・ワン──“神”にならんとしていると言っても差し支えない」

 

 後ろを歩くマエストロの呟きに、ニトは淡々とそう返す。

 

 他には誰も存在せず、静謐に包まれた空間で二人の声と足音、木が軋む音だけが反響し、響き渡る。

 

「“神”、か……確かに高次の存在という意味合いではそう言い換えても通じる。思えば、かつて存在した()()()()()()()()は“神の存在証明”を目指していた」

 

「本来の……? ああ、そういえば黒服が拝借したと言っていたな。神の存在証明というのは“デカグラマトン”だったか……どいつもこいつも、やることは変わらぬのだな」

 

 嘆くように、呆れるようにニトは言う。どうやら黒服達よりも以前に同じくカバラの数秘術を名乗ったろくでもない組織があるようであり、アビドスの砂蛇やその他の機械共は連中の遺物らしい。

 

 何ともまあ、傍迷惑な話だ。

 

「神、高次元……そなたがそう称する領域または理念を私達(ゲマトリア)は“崇高”と呼ぶ。そして、所謂それは二つの側面を持っている……一つは、到底辿り着くことの叶わない“神秘”。そしてもう一つは不可逆の“恐怖”だ」

 

「ほう? 何だ、てっきり酷く曖昧なものかと思えば、わりと具体的なのだな。だが、“神秘”に辿り着くことが叶わぬとは一体どういうことかね?」

 

 意外に思う。どうやら“崇高”とやらがどのようなものか大方見当は付いているらしく、また至る方法自体も確立しているようだ。

 

「失敗したのだ、私達は。コインの両面のように“神秘”と“恐怖”は互いに切り離せるものではなく、またその本質は同じだが、私達は“崇高”の形として、その二つの内の一面しか観測することができない」

 

「……それが、“恐怖”であると?」

 

「左様だ。お恥ずかしい話だが、私達はそれを真に理解していなかった。“神秘”を手にすることが出来ず、それどころか真っ当に近付くことすらなかった」

 

 心底残念そうに、マエストロは語る。故に、ゲマトリアは“崇高”が一体どういったものか大まかに知るまでに至っているにも拘わらずそこ止まりで停滞してしまっている。

 

「私達が近付くことが出来たのは“恐怖”だけであり、その上それは複製(ミメシス)されたものに過ぎなかったのだ。まあシミュラクラの概念を支持する私としては、“原本”や“複製”の区別は無意味だと考えているがな」

 

「それに関しては同感だ。結局のところ優劣は作り手によって決まるのだから。贋作が本物を凌駕することなど然して珍しくなく、またそれは人間にも当て嵌まる」

 

「然り。そなたとは話が合う。だからこそ、惜しいな。そなたであれば、私達よりも先に“崇高”にも辿り着くやもしれないというのに」

 

「……そうか? 随分と買い被ってくれているようだが、オレは識者でも探究者でもない。ただアリウスの指導者足らんとする、“死に損ない”に過ぎん」

 

 訝しげにニトが言えば、マエストロは一笑するようにギシギシと軋む音を出す。

 

「ただの死に損ないが、アリウスを纏め上げ、マダムを打倒することなど出来るものか。それに、そなたは私達と違い、既に“神秘”を手中に収めている。先の“契約”……個人間で法を敷き、縛りを設け、破る者には()()()()罰を下す、“呪い”にも似た秘儀。あれは相当な“神秘”への造詣の深さが無ければ出来ぬ業だ」

 

「……あれは知識を応用しただけに過ぎないし、試行錯誤した結果だ。というか、自分の身に宿る“力”なのだから否が応にも詳しくなろう」

 

 黒服とも交わした“契約”。それは単なる契約ではなく、アリウス自治区全体を覆う“防護結界”のようにニトが有する数ある“異能”の一つ。

 

 互いの合意の下、約定する。その際にニトは相手に触れ、マーキングすることでそれは絶対的な縛りとなり、破った者にはニトの意思関係無く対象がどこへ居ようとも即座に“攻撃”が行われる。

 

 その対象はニト自身も例外ではなく、故に強力でリスクは高いものの信用ならない悪党相手に約束を取り付けるには非常に有用ではあった。仮に黒服達が契約を破った場合の攻撃を防ぐ手段を有していようとも、作動した時点でその事実はニトへと伝わる。

 

 とはいえ使用した際に“神秘”の総量が僅かに減ってしまうので多用は避けたい。ついでに同時使用出来るのも“七人”までだ。ゲマトリアには教えていないが、彼らも何らかのデメリットが存在することには気付いているだろう。

 

「残念なことに、大半の“キヴォトスの生徒”はその身に秘めた“神秘”を自覚すらしておらず、純粋な暴力にしか変換出来ない。最高峰の“神秘”を有する“暁のホルス”ですらな……嘆かわしい限りだ」

 

「……確かに、そうだな。環境の問題か? “異能”を有する生徒自体は時折見掛けるくらいには居るが、特に関連性や共通点は見つからなかった」

 

 特段“異能”を有する生徒が強いという訳でもなく、かといって弱い者ばかりでもなく、まちまち。“神秘”の総量にも差がある。

 

 一体どういった条件なのだろうかと、今更ながらにニトは疑問に思った。

 

「要するに、如何に“生徒”の肉体を有していようとも、あれ程までに“神秘”をコントロール出来ているのは異常と言う他無いということだ。是非ともご教授願いたいものだが、私達に“神秘”を手に入れる手段が無いのが残念極まる」

 

「……既にゲマトリアは、“神秘”の獲得を諦めていると? 黒服はそのように感じなかったが」

 

 現に小鳥遊ホシノを手に入れんとしていた。

 

「ああ。あくまでも私の結論だ。“神秘”は私達に扱える代物ではない……その結論に同意しない同志も居るだろうが、その各々の判断については私が関与すべきものではなかろう」

 

 少なくともマエストロは“神秘”を手に入れることを諦め、別のアプローチをかけることを選択した。

 

「しかし、そなたは違う。“ミメシス”を手に入れた今、そなたは“恐怖”すらものにする可能性が芽生え、そうなれば“神秘”と“恐怖”の両方を扱う、このキヴォトスで最も“崇高”に近い存在へと成り得るだろう……!」

 

 途中から興奮気味にマエストロは語る。対するニトは冷ややな視線を送った。

 

「……悪いが、興味が無いな」

 

 “神秘”と“恐怖”。

 

 二つの側面により形成されるナニカ。その“崇高”とやらが何にせよ、そのような得体が知れぬモノに手を出すほどニトは余裕が無い訳ではない。

 

 何より、今の彼女は“神”になどなりたくも、なってやるつもりもなかった。

 

「ふむ……別に構わない。結局のところ“崇高”は私達の悲願に過ぎない。無理強いしたところでそれでは無意味であろうしな」

 

 マエストロは淡々と、しかし名残惜しそうに言った。黒服辺りならば策を巡らせたかもしれないが、マエストロはそういったタイプではなく、またそれも“契約”により縛られた時点で失敗したようなもの。ニトが“崇高”を望まぬのであれば致し方無しと諦めるしかなかった。

 

 それに、ニトが“崇高”に至っても至らなくても、マエストロは満足せず、己自身の手で成し遂げんと探究と挑戦し続ける。

 

 一人の芸術家として。

 

「話を戻そう。──私達は、“神秘”を手にすることが出来なかった。故に、別のやり方を考えなければならなかった」

 

「……それが今回、接触を図った理由か」

 

 そして、二人は足を止める。

 

 視線の先には、一際広がった空間。古い“祭儀場”のような跡地が存在していた。

 

「おお。文献通りの空間だ。それに、この荘厳な気配……やはり“太古の教義”は、ここに眠っていたか」

 

「ほう……これが、そうなのか」

 

 到着するなりマエストロは感嘆の声を漏らす。彼の言う通り確かに、()()は強大な“力”に包み込まれていた。

 

「第二回カタコンベ調査遠征において発見されてから、ここは手付かずのままだった。物理的に存在するのならいざ知らず、目に見えず触れも出来ぬ非科学(オカルト)を解析することは当時のアリウスの設備や技術では難しく、歴史的な価値以外は何も見出だせなかった」

 

 この空間自体は数年も昔に発見しており、ニトもまた何かあると践んでいたが、物理的に現存しているオーパーツ群である“遺物”の調査と解析を優先し、一先ず放置していた。

 

 自治区拡張の過程でいずれは再調査を行うつもりであったが、その正体はマエストロによって教えられ、当時の調査技研が成果を獲られなかったのも仕方無いと納得する。

 

 何せ、そこに眠るのは“太古の教義”という、目に見えぬ“信仰”そのものだったのだから──。

 

「“戒律の守護者”といい……かつてのトリニティは、“信仰”という形無き概念を“神秘”として具現させることに長けていたようだな」

 

 これもある種のロストテクノロジー。こういった“奇跡”、“神の御業”と言う他無い事象を人為的に引き起こせたからこそ、ユスティナ聖徒会は強い立場を手に入れ、トリニティの人々は天上の“主”を崇め、その信仰は広く伝播していった。

 

「とはいえ、それを具現化する術はとうに失われてしまったようだが……」

 

 逆に言えば、その“奇跡”が伝説・伝承にまで風化したが故に、ユスティナ聖徒会はシスターフッドへと変わり、今の立場にまで落ち着いたのだろう。

 

「──私が複製(ミメシス)すれば、問題無い」

 

 マエストロの目的。それは“太古の教義”を複製(ミメシス)し、それを元に“作品”を作り出すこと。

 

 その為に、カタコンベにあるアリウス自治区を支配する失楽ニトと接触を図ったのだ。

 

「探究に行き詰まり、別のやり方を模索した結果、私達はトリニティの地下に封印されし“太古の教義”へと目を向けた。“崇高”とは違うもののそこに秘められた“神秘”、そして“恐怖”はまた別の意味で似ている部分がある」

 

「……ふむ、君から話を聞き、“太古の教義”について少し調べた。“聖徒の交わり”……“神の子”と信徒、信徒同士の霊的な絆と交流を指す教理であったか。尤も、オレの知るそれとは少々差異があるようだが」

 

 聖なるもの(Sancta)の分かち合いと、聖なる人々(Sancti)の交わり。

 

 一人が苦しめば、全てが共に苦しみ、一人が尊ばれれば、全てが共に喜ぶ。神の信徒になるということは、そういう交わりの中で生きるということであり、それはトリニティの信仰において根底ともなるような教義であるはずだが、何故そのようなものが地下に封印され、失われてしまっているのだろうか。

 

 もしかすると、その何らかの力を有している“太古の教義”をも“戒律の守護者の威厳”と同じようにユスティナ聖徒会は統合されたトリニティにではなく、追放されしアリウスに託したのかもしれない。

 

 その真意は不明だが、ニトからすれば別段どうでもいいことだった。

 

「しかし、教義そのものを複製(ミメシス)するとなると……“太古の教義”という概念の受肉。よもや、人工的にトリニティが信仰する“神”を創造しようとしているのかね?」

 

 ニトは自身の推察を述べる。“ミメシス”は複製した感情・逸話・概念を元に、“実体”となって顕現するのをあの()()()で直接目の当たりにしているが故に。

 

「──流石だ」

 

 これにマエストロは笑う。見事だと言わんばかりに。

 

「概ねその通りだとも。正確には“神”ではなく、使徒たる人工の“天使”だが……間も無く古き者達が信仰したその意志が天と同様に地においても結実することが証明されるだろう。その教義に関わる名を借りて……おっと、まだ製作前だと言うのに明け透けに語るべきではないな。続きは完成してからのお楽しみとしよう」

 

「……一応言っておくが、自治区に被害は及ぼすなよ。下手なことを仕出かして契約違反になって死なれると、オレも困る」

 

「無論だ。早速取り掛かろう。しばらくここに籠ることになるが……用があればいつでも呼んでくれ」

 

 愉しげにマエストロはそこに存在する“太古の教義”への干渉を始めた。それを尻目に、ニトは今後の方針について思考する。

 

(さて、“戒律の守護者”を複製するには、“ロイヤル・ブラッド”と“第一回公会議”を再現する必要がある。今足りない要素は後者であるが、これは代用でも良さそうだな)

 

 トリニティが関与する大規模な儀式。それに当時弾圧され、参加していなかったアリウスが干渉し、日時や場所も再現すれば、第一回公会議の続きであると定義付けられる可能性は高かった。

 

(となると──)

 

 直近で思い当たるのは、“エデン条約機構”。トリニティとゲヘナの不可侵条約は、歴代の公会議のどれよりも規模が大きく、代用には充分だろう。

 

(……いや、リスクが高いな。可能かどうかも分からぬ試みの為に両校を相手取るのはあまりにも馬鹿馬鹿しい)

 

 すぐにニトは却下する。元よりアリウスは“エデン条約”に関わるつもりは毛頭も無かった。

 

 何より、他にも代用可能なイベントが存在していることを彼女は知っている。

 

(トリニティとの融和……ベアトリーチェの存在が気掛かりだが、明確な戦力増強に繋がる。少し早めても良いかもな)

 

 ミカも喜ぶことだろうと、笑う。

 

 当たり前だが、ニトは知る由も無い。今、想像の中で笑顔を浮かべている彼女の身に起こっていることなど──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「アリウス分校について訊きたいことがある」

 

 時は遡り、トリニティの廊下。

 

 冷や水を浴びせられる、というのは正しくこのような感覚なのだろう。

 

 セイアの思わぬ問いかけにミカの表情は固まり、頭の中はこれ以上無い程にパニックに陥っていた。

 

 なんで? バレた? どうして──? そんな疑問が脳内を渦巻き、冷や汗が止まらない。

 

「……どうかしたかね?」

 

「あっ、いや……なんで、そんなことを?」

 

 幸いだったのは、その混乱をあからさまに表に出さなかったこと。セイアは眉をひそめるも、唐突な質問に呆気に取られただけだと判断したようだ。

 

 否、本当にそうだろうか。セイアほどの切れ者ならばミカの動揺を見抜いていてもおかしくはない。

 

「少し気になっただけだ。もしも彼らがまだ生き残っているのであれば、条約締結を控えた今、大きな懸念事項と成り得る。君は以前に言っていただろう? アリウス分校と和解がしたい、と……随分と熱心に調べていたようだし、何か知っているのではないかね?」

 

「……いや、私が知っているのは古書とかで調べられる程度のことだけ。それ以外は、何も知らないじゃんね」

 

 どうにか心を落ち着かせ、ミカは質問に答える。アリウスの存在を懸念事項、などと扱われ、内心苛立ちを覚えるが、それに対してセイアはそうかと淡々と返すのみ。

 

 かまをかけているのか、或いは本当にただ質問しただけなのか。ミカには判断が付かず、セイアがその無表情の裏で一体どのようなことを考えているかさっぱり分からなかった。

 

「質問は、それだけ?」

 

「……ああ。すまないね、妙なことを尋ねて」

 

 するとセイアは問い詰めることなくあっさりと引き下がる。これにミカは困惑する余裕も無く、平静を装うのに必死だった。

 

「あ、あはは……別に良いよ。じゃあ、私はもう行くからまたね……ッ」

 

 そそくさと、逃げるようにミカは立ち去る。内心穏やかではない感情を抱きながら。

 

(セイアちゃんにバレてる……? ど、どうしようっ!? 一刻も早くどうにかしないとアリウスが……!)

 

 自分らしくなく細心の注意を図り、慎重にやって来たつもりだった。これまで決してボロは出していなかったはずだが、それでもセイアにはミカとアリウスの関係を知る手段があることを今頃になって思い出す。本当かどうかも分からない眉唾な、そこまで大したものではないと軽視していたが故に。

 

 預言の大天使──百合園セイアは、“予知夢”を視ることが出来るのだ。

 

「………………」

 

 ミカの背を、セイアはジッと見据える。

 

「……本当にすまない、ミカ。()()()()させてもらった。友人である君を利用することになってしまうが……これも、“未来”の為だ」

 

 セイアは俯き、目を閉じる。あの衝動的で、欲張りで、時に自傷的で、けれど心優しく天真爛漫な友人に、これから絶望を知り、過酷な道を歩ませる運命を決定付けたことへの罪悪感で胸が張り裂けそうになった。

 

 そんな己を、何を今更と嘲る。未来は変えられず、運命は抗えぬものだととうの昔に諦め、いずれ来たりし“滅亡”を受け入れてしまっていたというのに。

 

 それに、自分のやったことは荒れ狂う大河に小石を投げ入れるようなもの。そんなことをしたところで大筋の流れは変わらず、どのみち聖園ミカの行く先もその結末も変わりはしない悲劇のまま。

 

 つまりあまりにも無意味な、悪足掻きとしか言い様が無い行為であるが、それでもセイアはやらずにはいられなかった。

 

「“Vanitas Vanitatum, et omnia Vanitas.” 全ては無為に帰する。定められた未来は変わらない……そのはずだったのだがね」

 

 セイアは、追憶する。

 

 かつて観測した、あの紅い空を、災厄と共に現れた方舟を、滅びに抗った者達を。

 

 荒野にただ一人立つ、少女を。

 

「待ち受ける未来を知った時、君は一体何を思うのだろうね? ──“アリウスの王”よ」

 





因みにニトちゃんとの契約を破るとどこからともなくドラゴンの首が噛み付いてくる。こわい。

ホシノやミカとはこの契約はしておらず、今のところは黒服とマエストロのみ。
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