アリウスの王 作:大嶽丸
(──マジか)
“百合園セイア誘拐計画”。
自らが居ぬ間に起きたその一連の出来事について記された報告書に目を通したニトは言葉を失う。
「も、申し訳ございません……! せ、生徒会長という座を任されておきながら、このような失態を晒してしまい……!」
一方、眼前では副会長──月島ヒトミがこちらへ跪き、そのまま土下座せんばかりの勢いで深々と頭を下げていた。
生まれたての小鹿のようにカタカタと震えており、顔全体には床に滴りそうな程の冷や汗が滲み出ている。彼女を知る者が見れば、普段とは全く違うその有り様に驚愕することだろう。
(いや、マジか。え、まっじでぇ?)
これに対してニトはそれどころではなく、内心ですら語彙が死ぬテンパり具合。衝撃的な情報の数々を咀嚼するのに必死だった。
(ええと、まず百合園セイアが“予知夢”の“異能”を持っていて……その時点でおったまげたんだが、それでミカとアリウスとの関係がバレてるかもしれないから口封じに誘拐しようとして……そこはまあ分かる。爆発ってなに? え、爆死? 何で爆死してんの? いや死んだとは確定してないけど……マジで何でこうなった?)
頭が痛くなってくる。ツッコミどころの嵐に危うく某便利屋社長の如く白目を剥きかけるも、目の前にヒトミが居る手前、醜態を晒すまいと何とか踏み留まった。
「……お前の判断自体は間違っていない。オレが居たとして、百合園セイアの“異能”を危険視するのには変わり無く排除或いは無力化に動いていただろう」
こほん、ニトは咳払いし、内面の動揺を隠しながら言う。そこにヒトミを咎めるような棘は無く、酷く落ち着いた声質だった。
「となれば、誘拐という手段は悪くはないと言える……無論、成功すればの話だがな」
「ッ…………! 本当に、面目ありません……!」
予知夢による未来視……聞いた時は「そんなの有り?」と度肝を抜いたものだ。つくづくキヴォトス人の宿す“神秘”というのは侮れない。
故に、アリウスとの関係を感付かれたミカやヒトミが焦り、先走ったのも理解出来る。ニトの不在の間に作戦を決行したのも、そもそも指揮権は譲渡していたので“作戦失敗”という一点を除いては、特段問題は無かった。
──その一点が致命的なので大問題になっている訳だが。
「如何なる罰も慎んでお受けする所存です……! 何なりとお申し付けを……!」
己の失態と事の重大さを理解しているヒトミはそう懇願するが、これに対してニトは何とも言えぬ表情を浮かべる。
「あー、ならば励め。今回失敗した要素……特に原因不明の爆発とやらの究明、及び招かれた混乱の収拾。アリウス生徒会副会長、そして内務部門統括として全身全霊で事にあたるように」
「はっ……!」
慈悲ではない。確かにヒトミは今回の件について責任を問われる立場にあるが、ここで処断しても余計な混乱を招くだけ。作戦失敗に関しても予想しろと言っても到底無理であろう想定外が発生したのが大きな要因であり、かつ作戦内容についても問題点は見えなかった。
故に、ニトは今回のことでヒトミや誰かを咎めるつもりは更々無く、まず何故こうなったかを解明し、対処することを優先すべきであると判断した。
(にしても、タイミングが悪過ぎる……単に不運が重なった結果、ならばまだ良いが……伝令の件といい、
ニトが居ない隙を見計らったという可能性。流石に杞憂かもしれないが、いずれにせよ第三者の介入があったということだけは間違いない。
原因不明の爆発、そして百合園セイアの“ヘイローが破壊された”という噂……いくら病弱といえど単なる爆発ではキヴォトス人を死に至らしめることは困難だろう。
しかし、単なる爆発などではなかったとしたら?
(──“ヘイローを破壊する爆弾”)
ニトは、それを知っている。
異形の女、ベアトリーチェが内戦中のアリウスで用いた忌々しき凶器。そのまま過ぎる名の通り生徒のヘイローを破壊することに特化したそれの効力は、嫌というほど
(だが、それならば白洲が無事なのはおかしい)
ヘイローを破壊する爆弾が用いられたのであれば、たとえ距離が離れていたとしても巻き込まれたアズサがあの程度の負傷で済むとは思えなかった。
とはいえベアトリーチェが裏で暗躍している可能性は大いにある。何せ彼女からすれば、今回のアリウスとトリニティの接触は介入する絶好の機会であり、百合園セイアの失踪で混乱を招こうとしているのかもしれない。
今度こそ、アリウスを乗っ取る為に。
「ッ…………」
無意識に奥歯を噛み締める。確証無き憶測ながら、またもやあの愚かな女は自らの目的の為に他者の命を犠牲にしたかもしれぬことが脳裏に過っただけで腸が煮え繰り返った。
(或いは、百合園セイアの自作自演? 死を偽装し、我らから身を隠した? だが、襲撃を見越していたのであれば未然に潰せば良いはず……その方が都合が良かった? いや、実はそこまで万能ではないのか? ううむ、断定は出来ん。“未来視”がどれ程の代物かは分からぬ以上、最悪何もかもが掌の上の可能性すらある……)
しかし、思考は冷静そのものであり、すぐに別の可能性についても推察する。
果たして、どこまで未来を見通しているのか。ここまでの展開全てが彼女のシナリオ通りという恐れ……その能力が本物ならば荒唐無稽と断ずることは出来るはずもなく、想定に想定を重ねなければならなかった。
かといって腹立たしいことに、想定したところで対策出来るようなことではないのだが。
(加えて、単に百合園セイアを疎むトリニティ内部、或いは
後者は、最も考えたくない可能性。かといって身内贔屓にする訳には行かない。ニトが不在していることを把握するのは容易であり、トリニティとの遺恨を考えると疑う理由は充分であった。
となると、反トリニティ派が疑わしくなってくる。当然その巣窟であり、作戦にも参加していた聖堂騎士団も……。
(ふむ……だが、疑心暗鬼になっても仕方あるまい。とりあえずは最有力の容疑者であるベアトリーチェと百合園セイアを探るとしよう。と、その前に)
そして、犯人捜しよりもやるべきことが一つ。
「──聖園ミカは、どうしている?」
「は、はい……応接室で待機させています……」
現段階での一番の問題。自治区へと足を運んで来てくれていることから、まだこちらを見限ってはいないようだが、今回の件でこれまで順調だった関係に亀裂が入ったことは間違いない。
修復を急がねば。そんな打算的な考えとは別に、望まずして、友人を失ってしまったかもしれない彼女のことをニトは純粋に憂いていた。
聖園ミカは、失意の中に居た。
青天の霹靂とは正しくこの有り様のことを言うのだろう。あの夜、百合園セイアが中に居た建物の一角が爆炎に包まれる光景が脳裏に焼き付いて離れず、応接室の中で一人頭を抱える。
「本当に、死んだの……?」
そんなはずはない。嘘だと思いたかった。
しかし、爆発現場へと真っ先に駆け付けた救護騎士団、そしてその団長である蒼森ミネはティーパーティーへと赴き、確かに言ったのだ。
ヘイローが破壊されているのを確認した、と。つまり今トリニティでまことしやかに囁かれている噂は──。
「何で? 何でセイアちゃんが……? おかしい、だって、私はそんなこと望んでなんか……!」
嫌いだった。
事あるごとに小言を言われ、鬱陶しくて仕方無かった。邪魔だと、消えてほしいとすら思っていた。
けれど、それでも
そんなことを、今頃になって思い出す。
「──ミカ、入っていいか?」
沈んだ思考を、ノックと共に扉の向こうから聴こえてきた声が引き戻す。
それは待ち侘びていた存在だった。
「うん、入って」
震えた声で告げれば、扉が開く。
「ニトちゃん……!」
その艶のある黒髪と紅い瞳を確認するなり立ち上がり、飛び付くように駆け寄る。
「おっと」
「セイアちゃんが……セイアちゃんが……!」
両肩を掴まれ、後ろへ転びそうになるニト。一方、ミカはそれに気付く余裕も無く捲し立てるように事情を説明しようとする。その目頭には涙が溜まっており、今にも零れ落ちそうであった。
「……話は大方聞いた。まず今回の件について、こちらから謝罪をしたい」
「え……?」
「百合園セイアの誘拐に失敗し、このような状況を招いてしまった。さぞ失望し、不安に駆られていることだろう……すまなかった、我らアリウスが不甲斐無いばかりに」
「ッ……そ、そんなことないよ! むしろ謝るのは私の方だよ!」
謝罪の言葉に呆気に取られ、しかしすぐにミカは食い気味で反論する。
「元はと言えば私がセイアちゃんの“予知夢”のことを警戒しなかったからバレそうになって……それで誘拐を提案して……貴女達アリウスを危険な目に遭わせて……アズサちゃんも怪我をさせちゃった。ニトちゃんから預かった大切な子なのに……!」
ミカは己を恥じる。セイア排除の為にアリウスを使ったこと、それでアズサに怪我を負わせたこと、そしてそんなことをしておきながら内心では“アリウスの裏切り”が頭に過ってしまっていた。
それこそ有り得ない話だったというのに。ニトの姿を見て自分が如何に愚かであったかを思い知らされる。
「だから、貴女達じゃなくてっ、私のせいで、セイアちゃんは……」
「……いや、君のせいでも断じてない。この状況を望み、絵図を描いた者が居る。誰が悪いかと問えば、間違いなくそいつだ」
自罰的なミカをそう諭し、ニトは自らの推察を語る。ベアトリーチェが暗躍している可能性、それから百合園セイアの自作自演である可能性を。
「セイアちゃんが生きて……? でも、蒼森ミネはヘイローが破壊されたって……」
ミカは驚きを隠せない。
「ふむ……確証は無いが、救護騎士団が口裏を合わせている可能性は充分にある。生存を知れば命を狙った者が再び襲ってくるかもしれないし、妥当な判断だ。それに百合園セイアは未来を視ることが出来るのだろう? ならばこうなることを全て見越していても不思議ではあるまい」
「な、なるほど……そっか、確かによくよく考えればセイアちゃんと対立してた私に本当のこと言う訳ないもんね。だったら、良いんだけど……」
セイアが生存している可能性。それを提示され、ミカはほんの僅かに安堵し、淡い希望を抱く。
「でも、そのベアトリーチェって奴の仕業だったら……」
ニトは告げた。かつてアリウスを侵略せんとした異形の大人が、ヘイローを破壊する手段を有していることを。
故に、本当に死んでしまっているという最悪の可能性も想定しなければならない。
胸の奥がズキリ、と痛んだ。
「その……私ね。やっぱりセイアちゃんのこと、大切な友達だって思ってたみたい。消えてほしいなんて思ってたのに、失ってから気付くなんて……ほんと馬鹿みたいだよね」
懺悔するように、告解するようにミカは言う。思えば、ミカにとってセイアはそこに居るのが当たり前の存在だった。
いつも会って、ナギサも含めた三人でお茶をして、くだらないことを語らい、笑い合い、それがティーパーティーに所属し、各派閥の首長となって、いつしか政敵となっていた。そんなことはないと思いながらもトリニティの環境に染まってしまっていたのだろう。
だからこそ、気付けなかった。失うまで。
「……そうか」
これにニトはばつが悪そうな顔をする。元々ミカとセイアの不仲を知った際にその方が都合が良いと放置していたが故に。
関係が悪化し、鬱憤がかなり溜まっている際には対処しようとも思ったが、それもアビドスの件もあって後回しにしてしまっていた。
(……後悔先に立たず、か。そういう意味では、少なからずオレにも一因はある訳だ)
もっと早くセイアと話し合い、蟠りを解くよう促していれば、今回の悲劇は起こらなかったかもしれない。
アリウスに対する益を優先した結果だが、そうしたことで廻り回ってこうなっているのだから、つくづく因果というのは忌々しいものだとニトは顔をしかめる。
「だからね、ニトちゃん……私もう、セイアちゃんの敵にはなれないかも。でもアリウスのことは大事なのは変わらないし……もう、どうしたら良いのか分かんなくなっちゃった……」
そんなニトの心境には気付かず、ミカは俯きながら話を続ける。既に彼女の心は大きく揺らぎ、迷ってしまっていた。
「……我らの目的は、アリウスとトリニティの融和だろう? 元より敵対したい訳ではないさ。故に、これまで通り共に往こう」
ソッと肩に手を置き、ニトはそう告げる。
「! うん……そ、そうだよね。ごめん、変なこと言っちゃって……」
「疲れているのだろう、きっと。あれから眠れてないのではないか? 百合園セイアの安否が気になるかもしれないが、しばらくは休んだ方がいい」
目にはうっすらと隈が浮かんでおり、窶れているのは目に見えて明らかだった。そんな有り様では冷静な思考など出来るはずもあるまい。
「え? ……そうだね、確かに全然寝れてないかも。あはは……恥ずかしいとこ、見せちゃったね。ありがとう、ニトちゃん」
頷き、笑顔を浮かべるミカ。それが空元気による作り笑いであることは明白であり、まだ精神が不安定であることをニトは察した。
当然だろう。元よりミカは純粋で優しい人間だ。それ故に、自分のやったことを重く受け止め、過剰に自罰的になってしまうのだ。セイア生存の可能性を知って少しはマシになったが、まだまだ心のケアは必須と言えよう。
(敵対したい訳ではない……それは本当だが、恐らくそうは行かぬだろう。このタイミングで百合園セイアが狙われた、トリニティ側は間違いなく犯人を“エデン条約”を破綻させようとしている存在、と考える)
即ち、トリニティの裏切り者。もう一人のティーパーティー、フィリウス分派首長の桐藤ナギサはきっとその犯人探し、そして排除に躍起になるだろう。
いずれはミカ、及びアリウスに辿り着くやもしれぬ。そうなれば、融和の為に少なからず
(……すまないな、ミカ。その時はきっと、君が矢面に立つことになるだろう。我らアリウスと手を取り合う、新たなトリニティのリーダーとして)
想定しつつも出来得ることならば、そうならないでほしいとニトは願う。
それはアリウスの為ではなく彼女個人としての──。
「やぁ、初めまして。“アリウスの王”」
「……む?」
その夜、ニトは目を見開く。
そこに一人の少女が立っていた。
小柄な肉体、狐の耳……随分と個性的な制服を身に纏っているが、その姿は少女の言う通り初めて見る顔で、しかし覚えがある。否、正確には伝聞、ミカからその容姿の特徴は散々聞かされていた。
「……百合園セイアか?」
「ああ。その通りだ。改めて自己紹介しよう。──私は百合園セイア。ティーパーティー・現ホストにしてサンクトゥス分派首長だ」
訊ねれば頷き、そう淡々と名乗る。
爆発に巻き込まれ、消息不明のはずの人物が目の前に現れ、ニトは困惑の色が隠せない。
「……ここは──」
「端的に換言すれば、ここは夢の中だ。
疑問を見越していたかのように、言葉を遮って少女──セイアは説明する。
夢の中……それを聞き、ニトはすぐに理解した。“予知夢”の異能を持つ彼女は、未来視の他に他者の夢にも干渉することも可能であったのだと。
「にしても、君の夢に入り込むのには苦労したよ。まるでプロテクトが掛かっているようだったが……」
「……精神干渉への対策は、基本だろう? 尤も、君に入り込まれた時点で無意味だったようだが。──それで、何の用かね?」
怪訝そうにニトは問う。
夢という精神の中に侵入されているという事実に内心焦りながらも、やはりと言うべきかアリウスと自分のことを把握していた彼女が如何なる理由で会いに来たのか。
「──話をしに来た。これからの“未来”の為に」
これにセイアは簡潔に答える。
かくして、アリウスの王と、預言の大天使は邂逅を果たした。