アリウスの王 作:大嶽丸
エデン条約機構の調印式襲撃計画。
その具体的な内容を告げられたセプテム各員は大きな衝撃を受けた。
当然だろう。融和に向けて、ベアトリーチェを筆頭とした不穏分子の排除、そして何よりもいずれ来たりし“脅威”に備える為に、トリニティとゲヘナの双方に対して攻撃を仕掛けるというのだから。
「“戒律の守護者”、それに“ミメシス”……ですか」
ヒトミが静かに呟く。今回もたらされた情報の中でも一際異質であり、アリウスが調印式を襲撃する最たる動機。
「技研から報告が上がってたけど、まさか本当に実用化出来るなんてね。補給も休養も、治療すらも必要としない兵士……しかも数は無尽蔵ってもう、私ら食いっぱぐれちゃうじゃん。悲しいなぁ」
「あのユスティナ聖徒会の思念体なのだから武力の方は最低限約束されているしな……ハハ、こりゃすげぇ。“人数差”という私達の致命的な弱点が解消されちまう」
「兵力よりも“労働力”としての価値の方が重要よ。どこまで操作可能か知らないけれど、もし工業・農業においても利用可能だとしたら、革命どころの話じゃないわね……」
“戒律の守護者”。
調印式を乗っ取り、“第一回公会議”を再現することにより具現化されるという、ユスティナ聖徒会の“威厳”……それを
そのメリットは図り知れず、サリアは嘆くようにぼやきながらも実のところ獲られるであろう新たな“兵器”の仔細に胸が躍り、三大校とのどうしようもない格差をよく知るカペラはそれらを覆せる存在に興奮気味に笑う。
イツカもまた戦力として以外の運用方法に思い至り、その凄まじさに驚きを隠せない。
「つ、つまり“戦争”ってこと……? こ、怖いよぉ……」
「………………」
一方、ヨモギは相変わらずビクビクと震えており、レミの方も無表情のまま黙り込み、しかし何やら考え事をしているようだった。
「私は反対です閣下! エデン条約はあのトリニティとゲヘナに和平を結ばせる、歴史的快挙にも等しい“平和条約”……! その調印式を襲撃するだなんていくら何でもそれは……!」
ただ唯一、ナナヤだけは他の面々と違い、鬼気迫る表情で反意を示す。
かつて穏健派に所属していたこともあり、ただでさえ争い事を嫌う彼女は、長年敵対していたトリニティとゲヘナが名目上とはいえ手を取り合うエデン条約の存在について個人的に好ましく思っていたが故に。
尊敬しているニトの提言であり、獲られる多大なメリットを顧みても、到底看過することは出来なかった。
「……ほう」
これにニトは、意外そうに笑う。
「ッ……出過ぎた発言だということは理解しています。ですが──」
「いや、誤解するな。お前の諫言は最もであり、臆せず反対の意志を貫くその姿勢は素晴らしいものだ」
じろりと視線を向けられ、身構えるナナヤ。しかし、ニトは真っ向から反対意見を口にしてくれた彼女に対して素直に感心する。
かつてのアリウスでは、そういった考えを持つことさえ儘ならなかった。真っ当な情緒が芽生えているという事実はニトにとって大層喜ばしいことであった。
「まあなんだ……安心したまえ、笛木。我らが手を出さずとも、エデン条約が締結されることは無い」
「え?」
故に、どこか申し訳無さそうな、残念そうな表情を浮かべ、そう告げる。
「先日、ゲヘナの工作員から情報があった。万魔殿は、エデン条約を結ぶつもりは更々無く、調印式の際に騙し討ちするつもりであるとな」
「なっ──!?」
瞠目し、思わず立ち上がってしまうナナヤ。
「そ、それは確かなのですか……!?」
「ああ。加えて、我らアリウスと接触を図っている。聖園ミカのクーデターが失敗した場合の保険として、
ニトとしても本当に和平可能だというのならば倫理的な観点からも個人的な思いからも介入するつもりなどなかった。
が、百合園セイアから聞かされた“予知”の情報、そして答え合わせするかのように万魔殿、正確には議長である羽沼マコトがエデン条約締結には微塵も興味無く逆にトリニティを制圧せんとしようとしていることを工作員に漏らした。しかも自らの情報網を駆使し、アリウスのことを嗅ぎ回っているらしい。
目的は明白だろう。同じトリニティを恨む者同士、手を組まんとしているのだ。ニトはあれだけ徹底的に隠匿していた自分達アリウスに辿り着けるその情報網に驚きつつも、後日自ら出向いて接触するつもりであった。
「そ、そんな……」
好感を抱いていた、夢のような平和条約が、所詮は絵に描いた餅だったことを知ったナナヤはショックを受けた様子でわなわなと震えながら俯く。
「それに、仮に無事結べたとしてもゲヘナのならず者共が大人しくなるとは思えん。特に美食研究会とかいう度し難き狂人共は、な……」
対するニトは何故か遠い目をしていた。
「……やけに実感のこもった意見」
「シーッ気のせいだ、黙ってろ」
そんなニトの様子を見てぽつりと呟くレミに対してカペラが小声で小突いて黙らせる。外務部門である彼女は頻繁に外出するニトの動向を把握しており、それ故に何があったのかを察していた。
「悲しいなぁ ナナヤったらピュアなんだからー」
サリアは愉しげに笑う。トリニティとゲヘナが解り合える訳無いと端から判断していた彼女からすればそりゃそうだろという感想しかなかった。
「それで閣下、資料によると“戒律”を手中に収めるには調印式の乗っ取り以外にも、“ロイヤル・ブラッド”が必要らしいとのことですが──」
「──ああ。丁度連れて来ている」
「はい?」
ニトがそう告げた僅か数秒後。ノックと共にドアが開かれ、一人の少女が入ってくる。
「あら、アツコちゃんじゃない」
その姿を見て真っ先にイツカが反応する。
「……失礼します。閣下、生徒会の皆様」
「よく来てくれたな、秤」
招かれた、薄桃色の頭髪をした少女──秤アツコはその機械的な仮面を外し、その素顔を晒すとぺこりと一礼する。
「秤の姓、それにあの顔……“リリス”の奴にそっくりじゃないか。そりゃユーグ達が担ぎ上げようとする訳だ」
「アレの血縁とは思えないくらい良い子だけどね……よく果樹園の手入れとか手伝ってくれるわ。妙な偏見とか難癖とかは許さないから」
その顔を見て、亡き“先代”を思い出したカペラがぼそりとぼやいたのに対して、元々顔見知りであるらしいイツカが牽制するように言い放つ。
しかし、お蔭で疑う者は居ない。
彼女が歴代アリウス生徒会長の貴き血脈であるということを。
『ねぇ、教えてあげる。あんたの身体に流れてる血は、
いつだったか。
遠い、遠い遠い昔の記憶。もはや顔すらも朧気な誰かがそう語りかけてくる。
『そして、それにだーれも気付いていない。血統だの高貴だのなんてものには何の価値も無いってのにねぇ』
愉しそうに、可笑しそうに。
『あんたの血に秘められた“力”は、いつか災いを呼ぶ。その時にあんたがどう決断するのか……今から楽しみよ、アッちゃん』
そう言って彼女は、微笑んだ。
当時はその言葉の意味が分からなかった。今の今まですっかり忘れていた、取るに足らぬ記憶の断片だった。
──けれど、漸く理解した。
(あのユスティナ聖徒会が残した“戒律”……それに干渉し、支配することが出来るのが、私の身に流れるこの血──“ロイヤル・ブラッド”の真髄)
急に自治区へと呼び戻され、そう告げられた際には酷く驚いたものだとアツコは思い返す。
同時に、あの記憶の中で言われていた“秘められた力”とやらの正体にも納得が行った。そして技研の方で幾つかの検証を終えた結果、アツコはそのようなオカルト的な“力”が己が身に宿っているのだと信じるに至った。
「……しかし、本当に良いのか?」
すると唐突に、ニトが問う。
あれからつつがなく会議を終え、生徒会室を後にしたアツコは彼女の背中に追従していた。
「良い、とは?」
「オレはお前の身に流れる“血”と、“戒律”とやらを軍事利用しようとしている。それはお前達の先人──ユスティナ聖徒会の思想には、恐らく反する行為だろう」
先人が何を思い、何を考え、後世に託したのかは、それらを失伝した今ではもう分からない事実……だが、少なくとも現代までこうも徹底的に隠匿され、歴代生徒会長が“戒律”を用いた記録も確認出来ないことから、単なる“武力”として活用しようとしているニトのやり方は望まれていないように思えた。
であれば、その“血”の継承者とも言うべきアツコからしても何かしら思うところはあるのではないか。
「……別に構いませんよ。私は受け継いだのは思想や信仰などではなく、ただその血筋だけ。それがアリウスの役に立てて、それを閣下が望むというのなら、光栄に思うことはあっても拒否する理由なんてありません」
実のところニトから“ロイヤル・ブラッド”を利用することを頼まれた際、アツコは
仲間内から“姫”などと持て囃されているが、歴代生徒会長の血脈という身に余る肩書きに対して、己がアリウスに貢献出来ているかと言われれば首を傾げざるを得ないと常々思っている。
それにニトは、“ロイヤル・ブラッド”である彼女を政治利用することも生徒会に引き入れることもなく、皆と同じ一人の生徒として扱い、サオリ達と一緒に居たいという要望も聞き入れてくれた。
今だってその力を利用することに負い目を感じてくれている。そのようなこと思うことも思われる謂れなど無いはずだというのに。
故に、アツコは多大な恩義を感じており、それに報いることが出来るのであれば喜んでこの身を捧げる所存だった。
「……そうか。そう言ってくれると助かるよ、本当に」
その返答にニトは安心したように笑い、しかしやはりどこか申し訳無さそうであった。
気負う必要などあるまいに、隠し切れていないその性根の優しさにアツコは微笑む。思い返せば自分が“ロイヤル・ブラッド”だと知った際、結果的に生徒会長の座を纂奪した形になったことに対しても律儀に謝罪してきたことがあった。
「それよりも、本当に“戒律”を手に入れることが出来るかどうかの方が不安です。私自身、いまいち実感が湧いてなくて……」
「ふむ……検証こそしたが、実証は出来ていないからな。こればっかりはぶっつけ本番になってしまう。とりあえず“専門家”には立ち会ってもらうが」
「……あのマエストロという大人、ですか」
技研で会った、双頭の木人形。
曰く、あのベアトリーチェと同じ組織に所属しているらしい。関係は良好ではないとのことだが、アツコとしてはその時点で不安要素の塊だった。
「本当に信用出来るのですか?」
「現時点では、な……少なくともこちらとの“契約”が完了するまでは裏切る可能性は低いだろう。とはいえゼロではなく、世間一般で言うところの“悪党”であることには変わりない。用心しておくべきだな」
その警戒心は正しいと、暗に告げる。清濁併せ呑んだ上でニトはあの怪しい大人と取引しているのだということをアツコもまた理解した。
「彼から、ベアトリーチェの動向について情報を引き出すことは出来ないのですか? 或いは他の大人からは」
「……いや、奴らとあの売女は曲がりなりにも共通の目的を有する同志。如何に不仲であろうと仲間を売るような真似をするとは考えづらい」
結局のところ黒服もマエストロも、ベアトリーチェと相容れないと思いながらも、その在り方に対して一定のリスペクトを持っている。
もし仮に応じたとしても相応の代価を要求してくるのは明白。加えて、その情報が事実であるかどうか精査するのも手間も掛かる。情報は多いに越したことはないが、本当かどうか判断の付かぬ余計な情報は混乱の元であり、無駄に疑心暗鬼なってしまっては元の子も無い。
「成程。となるとやはり……ベアトリーチェの動向は未だに不明と」
「不安に思う気持ちは分かる。精神こそ醜悪な愚物であるが、奴は理外の化物……オレ達では思いもよらぬ手段を有している可能性も無くはない」
かつて、ニトがベアトリーチェに勝利出来たのは、単純に運が良かったからだ。
実力的にはおおよそ拮抗。然れど、一番の勝因は向こうがこちらを完全に侮っていたから。取るに足らぬ路肩の小石だと看過し、障害となってから排除すれば構わないと楽観したからこそ、その実力に気付いた時には手遅れであった。
初めて対峙した際の余裕が呆気無く崩れ、途中から躍起になって排除に掛かり、それを打ち破られる度に怒り狂うその有り様は見物だった。
そうして最終的には完膚無きにまで叩きのめされ、邪悪なる侵略者は逃げ帰った。
しかし、もしも相手が最初から油断していなければニトはこれまで憐れにも散っていた多くのアリウス生達と同じようにそのヘイローを破壊されていたかもしれない。
「だからこそ、宣言しよう。奴が愚かにも再びアリウスの“敵”として姿を現したのであれば──その時は、絶対に
これは確定事項だ。
一度は
ニトはずっと前からそう決めており、百合園セイアから聞いた未来により、その思いはより一層強くなっている。
「! ……はい。閣下」
そのどこまでも真っ直ぐな殺意を前に、アツコは頷きながらも戸惑いを覚える。
ベアトリーチェが行った所業の数々を考えれば酷く真っ当な判断だ。今後のアリウスの為にも、賛同こそすれど疑念に思うことなどあるはずがない。
──だというのに、何故だろうか。
殺させてはならない。彼女に手を汚させてはならないと、誰かが叫んでいるような気がした。
「そういえば、錠前達は元気にやっているか?」
そんな思いが胸の中で錯綜していると、唐突にニトがそう問いかけてくる。
既に先程見せた殺意は欠片も存在していなかった。
「は、はい……あのアビドスでの一件から、サッちゃ……サオリはより一層任務や訓練に励むようになりました。どうやら小鳥遊ホシノに敵わなかったのが悔しかったみたいで」
「ほう……やはり良い経験になったな。向上心があるのは良いことだ」
その戦いは視ていた。スクワッドとして挑めば結果は変わっていたかもしれないが、ニトの目論見通り“格上”との戦闘はサオリにそれなりの影響を与えたようだ。
調印式襲撃の際に、あの空崎ヒナを相手取る可能性を考えれば、丁度良い予行演習となったことだろう。
「ミサキは……あれから少し元気になったような気がします。ただ時折“美しい死”だとか“善き終末”だとか物騒なことをブツブツ呟くことがあるのがちょっと……」
「む……そ、そうか」
心当たりしかないニトは内心冷や汗を掻く。
「もしかして、閣下が何かしたんです?」
「……少し話をしただけだ。恐らくまだ影響されたばかりだからそうしたことを口走るだけで、そのうち治まっていくとは思うぞ。多分」
「フフッ……大丈夫ですよ。むしろ礼を言わせてください、私達ではあの子を変えるのは難しかったと思いますから」
平静を装うニトを見てアツコはくすりと笑う。元々ミサキがニトと接触したのであろうということは察していた。
「……いいや。戒野がオレの言葉だけで生きる活力を得られたのは、他ならぬお前達の存在があったからだ。そういう意味では、彼女と“家族”になってくれたお前達にオレは感謝しなければならん」
ニトが与えたのは、キッカケに過ぎない。決断し、実行したのはミサキ自身の意志に他ならず、そう出来るようにしたのは間違いなくサオリ達がドン底から彼女を掬い上げ、大切に扱ってきてくれたからに他ならないのだ。
「……そうですか。嬉しい言葉、ありがとうございます」
感銘を受けつつ、ふと気になった。家族、そう口に発した際のニトの表情にはどこが影があるように感じられ、加えて口振りからして彼女にとってそれは中核になる要素なのかもしれないと思ったが故に。
──ニトの家族は、果たしてどのような存在だったのかと。
「ヒヨリの方はどうかね?」
しかし、それを尋ねるよりも先にニトが最後の一人について問うた。
「……相変わらずですよ。見ていて飽きません」
「フッ……違いない。また今度一緒に食事しようと思っているのだが、お前達も来るといい」
「是非とも。本当に仲が良いんですね」
迷惑を掛けていないか不安である。否、あのヒヨリのことだから絶対何かしらやらかしてはいるだろうが……。
「閣下! 姫!」
すると廊下の向こうからスクワッドのリーダー、サオリがこちらへ駆け寄ってくる。
噂をすれば何とやらであるが、実際には会議が終わるまでこの先にある部屋にスクワッドの面々を待機させていた。
「お疲れ様です。会議はもう?」
「ああ。つつがなく終わった。待たせてすまなかったな、錠前」
「いえ! そんなことは……しかし、この物々しい雰囲気。一体何が起きているのですか?」
ぴしりと不動の姿勢で敬礼しながら、サオリは当惑している様子で問いかける。
数日ぶりに戻った自治区は例のトリニティ襲撃事件と百合園セイアの失踪により騒がしく、様々な噂や情報が錯綜していた。
そのためサオリは未だに現状を把握出来ていなかった。真っ先にニトが一番知りたかった白洲アズサの安否を伝えてくれたので比較的落ち着いてはいるが……。
「無論、説明するとも。お前にも深く関わる話だ……一先ず他のスクワッド達の所へと戻るとしよう」
「は、はい……!」
この後、サオリは驚くことになる。
当然だろう。アリウスの命運を賭けた作戦──その指揮を任されることになるのだから。
今回の作戦の要は“ロイヤル・ブラッド”であるアツコだが、作戦の指揮を担うサオリもまた欠かせぬ要素の一つ。そういう意味では、彼女に対してニトは多大な“期待”を寄せていた。
優れた成績、目まぐるしい功績、それらが理由ではなく、では何だと言われると驚くべきことに他ならぬニト自身がそれを分かっていない。
ただ、何となく予感がしたのだ。
ベアおばをぶっ○す党
笛木ナナヤ
三年生。生徒会書記、及び法務部門統括。
穏健派に所属していたこともあり、秩序を重んじる平和主義者。元々は由緒正しい家系だったらしくそれを忘れぬ為に礼儀正しい言葉を学び、それらしく振る舞っている。
トリニティやゲヘナに対する偏見はほぼ無く、融和にも乗り気だったが、今回エデン条約をゲヘナが裏切るつもりであることを知って若干ゲヘナアンチ寄りに。
趣味はトランペット。