アリウスの王 作:大嶽丸
あれから数週間が過ぎた。
聖園ミカの手引きにより侵入したアリウスが百合園セイアを誘拐しようとし、失敗した一連の出来事はティーパーティー内部での乱闘事件として扱われ、表向きにはだいぶほとぼりが冷めてきたが、上層部は未だに混乱に見舞われていた。
当然だろう。その真相は謎の武装集団による“ティーパーティー襲撃事件”であり、現ホストだった百合園セイアが失踪、否、その
加えて、襲撃を行った武装集団の正体は未だに掴めず、エースである剣先ツルギや一部主力メンバーが不在だったとはいえ正義実現委員会、及びティーパーティーの護衛達を相手に互角以上に渡り合い、何と一人残らず逃げ仰せられてしまった。
襲撃者──アリウスにとっては予期せぬ結果であるが、知らぬ者からすればトリニティ側の完全敗北と言って差し支えなく、この体たらくを公にしてしまえば、トリニティ全体がどのような混乱に陥るか分かったものではない。
エデン条約締結を控えた今、ゲヘナや条約反対派、その他多数の敵対勢力にも付け入る隙を与えてしまう。
故に、隠蔽するしかなかった。そのような対応に正義実現委員会は乗り気ではなかったが、事実を公表することによる混乱を加味し、最終的には苦渋を飲んだ。
結果としてそれは嘘のように順調に成功したが、巷では様々な噂が流れ、事情を知る上層部内でも幾つもの憶測が飛び交い、犯人、及び間違いなく存在するであろう内部に潜む“裏切り者”の捜索に躍起になっている。
特に、桐藤ナギサは酷かった。
大切な友人でもあったセイアの死亡というショック、次は自分か、或いはもう一人の
そして、彼女は遂にこの怯え、疑うだけの現状を一刻も早く打開する為に動き出す。
「……それが、補習授業部とやらであると?」
「うん。スパイを炙り出す“箱”だってさ」
ミカから告げられた情報にニトは漸く
補習授業部。
表向きには、落第に匹敵する程の成績不振者が現れた為に特例として編成され、その名の通り補習を受けさせて成績を向上させることを目的とした部活動であるが、その実態はナギサがエデン条約締結を阻む“裏切り者”候補達を一纏めにし、隔離する為に新設したものだった。
「手っ取り早い方法ではある。いざとなれば全員退学にしてしまえば不安要素は取り除けるのだから」
尤も、ニトは好まないが。そのような強硬的なやり方では反感を買ってしまうのは勿論のこと、疑わしき時点で罰するということは全ての人間がいつどのような理由で裏切り者認定されるか分かったものではないということをティーパーティー内部、延いてはトリニティ全体に知らしめてしまう。
それでは恐怖政治と何ら変わらない。もし仮にニトがリスクを承知の上でそのような手段を取るとすれば本当に最終手段としてだ。
桐藤ナギサは聡明な人物だと聞く。であれば、当然それも理解しているはずであり、つまりそれが意味するのは──。
「あー、やっぱりそのつもりだよね? それなのにあんなに仲良くしてたヒフミちゃんまで加入させて……疑心暗鬼になり過ぎて相当おかしくなっちゃってるみたい。ナギちゃん」
ミカは溜め息を吐く。補習授業部の部長に任命されたのはナギサと親しい間柄であるはずの阿慈谷ヒフミだった。
本人曰く“親しい相手だからこそ盲点になっていたかもしれない”らしいが、彼女が友人すらも疑い、誰も彼も信じられなくなっている状態だということを証明していた。
「──ま、私のせいなんだけど」
それでいて、未だに自分のことは疑わず、むしろ守ろうとしてくれているのだから胸が痛い。
「……ミカ」
「心配しなくても全然大丈夫だよ。ナギちゃんには全てが終わった後に誠心誠意謝るから。──それまで、絶対に投げ出したりなんてしない」
あれからミカは覚悟を決めた。
もう後戻りは出来ず、足を止めてしまえばこれまで育んだアリウスとの関係も、百合園セイアの死も全てが無駄になってしまう。
故に、彼女は幼馴染みからホストの座を簒奪し、必ずやトリニティとアリウスの融和を成し遂げてみせるのだと誓いを立てた。
「だからニトちゃんも、最後まで私に協力してね?」
「……無論だ。けれど、くれぐれも無茶はするなよ」
アリウスとしては喜ばしいこと。そのはずだというのに、ニトはそんな状態のミカの身を案じている様子だった。
気丈に振る舞ってはいるもののその内面は後悔に満ち、精神的に不安定なまま。覚悟を決めた、と言えば聞えは良いが、それは相当追い詰められた結果であり、いつ限界に達して決壊してしまうか全く以て分からない。
恐らく桐藤ナギサも似た精神状態なのだろう。
(……つくづく度し難いな。年端も行かぬ少女達に政治や統治を強いるなど)
このキヴォトスにおいては常識であり、今も尚ニトにとっては相容れない異常極まりない実態。別段ニトは年齢という括りで大人だとか子供だとかで区別するつもりはなく、そういうものであると受け入れようと思った時もあったが、ミカを見ているとやはり彼女達はまだ“成熟”していない子供なのであるということを思い知らされてしまう。
学園のトップ、つまりは国家のトップという立場はたとえ成熟した大人にとっても相当な重責であり、それを子供が担い、あろうことか伴う欠点を補い、サポートするようなシステムは全くと言って良い程に整備されていない。支えるべき周囲の人間達もまた子供なのだから。
当然これはトリニティに限ったことではなく、連邦生徒会ですらあの有り様。残念なことに、このアリウスもまたそうせざるを得ない。
何とも度し難く、理解し難く、故にこそニトはどうしようもなく気に食わなかった。
「さて、話を戻そっか。問題なのは……とりあえずこれ見てくれる?」
「……白洲の成績表か」
ソッとミカから手渡される、二つ折りにされた厚紙。こちらへ会いに来ると連絡された時点で大体は教えられたのでその中身はどういうものかは想像が付く。
一呼吸置いてから、成績表をニトはゆっくりと恐る恐る開いた。
「………………」
ものの数分。一通り読み、険しい表情を浮かべる。
「……一応聞くが、今回のテストはかなり難しかったのか?」
「ううん。範囲内を勉強さえしていれば全然いける内容だったと思うよ」
「それが、古学以外は赤点……どういうことだ? 彼女は優秀な生徒だったと記憶しているのだが、よもや勉学を疎かにしているのかね?」
内心マジかよ、と額に手をやる。ニトからすればあまりにも意外であり、信じ難い有り様であった。
少なくともアリウスにおいて白洲アズサの学力は平均以上だったはずだ。戦闘技術においても集団戦への適正はそれなり程度ではあるが、個人戦と工作活動に関していえばアリウスでもトップクラスの成績を有していた。ミカからの経過報告でも勉強熱心であったと聞いている。
事前に確認した限りでは、アリウスとトリニティのカリキュラムにそこまでの差は無かったにも拘わらずここまで壊滅的な成績に陥るとは通常では考えられない。
「普段の成績は得意科目以外は平均より少し下くらい……あ、でも毎日の訓練を欠かさずやっててそれだから全然凄いと思う。──なんだけど、どうも今回のテストは勉強する時間が無かったんじゃないかな? ほら、あの襲撃でアズサちゃん怪我しちゃったから……」
「……成程な。その辺を考慮するのを失念してしまっていたか」
軽傷だとは聞いているが、爆発に巻き込まれたのだ。休養は必要であるし、生真面目なアズサのことだから作戦失敗により精神にも不調をきたしている可能性もある。
ただ無事だったから安堵したが、ケアするように言っておくべきだったかもしれない。
「それでも赤点は今回が初めてだし本来なら少し補習するだけで済むんだけど、ナギちゃんはこれを口実に半ば無理矢理補習授業部入りさせたの。おかしくなっちゃってるけど、スパイ候補を選別する眼だけは確かみたい」
ミカの紹介とはいえキヴォトスでは“転校生”というのは非常に珍しく、怪しまれるには充分。加えて、どうやら直近で暴行事件を起こしてしまっており、統制不能であると判断されたようだ。
暴行事件に関しては、パテル派の調査により虐められていた生徒を助けたことへの報復として正義実現委員会へと通報されたらしく、アズサに非は無いが、どうであれ一度裏切り者候補と認定したナギサは彼女を見逃すつもりはないだろう。
「ニトちゃんの言う通りだったら、アズサちゃんの成績を回復させたとしても、あれこれ裏工作されちゃう。──だから、そうなる前にナギちゃんをホストの座から引き摺り下ろさなくちゃならない」
「ふむ……白洲をスケープゴートする方法もあるが、それは看過出来ないかね?」
もしアズサが退学させられた場合でもミカやパテル派が残っているし、そもそもアリウス側にはそこまでデメリットは無い。ナギサがそれで一旦満足するのであれば、アズサを囮に調印式まで様子見に徹するのも悪くないとニトは考えた。
「そんなの当たり前じゃんね? アズサちゃんは、アリウスとトリニティの架け橋となる和解の象徴……そんな大切な子を退学にさせる訳には行かないよ。それに、ヒフミちゃん達を巻き添えにするのも可哀想だし」
しかし、その案をミカは却下する。クーデターを決意した彼女だが、それでも犠牲は出来る限り最小限にしようと心掛けていた。
後から退学を取り消したとしても、その際に負った心の傷は消えず、ナギサとヒフミとの友情にも亀裂が入ってしまうだろう。
「……そうか。確かに、流れる血は少ないに越したことはない。白洲の奴も漸くトリニティに馴染めてきた頃合いであろうしな」
これにニトも全面的に同意する。結果、難度は上昇するものの誤差の範疇。元より純真な彼女を矢面に立たせる負い目から、その考えや意見は出来る限り優先し、尊重するつもりだった。
「でしょ? じゃあ、決まりってことで☆ 後は決行するタイミングだけど……」
「ふむ……補習授業部とやらの活動と、それに対する桐藤ナギサの動き次第だな。彼女の注意が自らが選別したスパイ候補へと偏っているのであれば、そこを横合いから叩くべきだろう」
少なくともヒフミは抵抗するであろうし、アズサにも落第を回避するように命じる。理不尽な退学に対する彼女達の反抗を、ナギサはティーパーティーの権力を行使して潰しに掛かるはず。
そこが、クーデターの絶好の機会だった。
「成程ね……なら、そうしよっか。アリウスからはどれだけ人員が出せるの?」
「主力として親衛隊、ベータ隊を含んだ120人程度の混合部隊に、予備としてガンマ隊から80人の計200人を動員する予定だ。必要とあればもっと人数を増やすことは可能だが……」
規模にして一個中隊程度。ミカの手引きがあれどトリニティ内部へと潜入する必要があり、隠密・夜襲がメインになるため極力人数は減らしたかったが、かといって正義実現委員会、シスターフッド、救護騎士団といった仮想敵と本格的な戦闘になった場合を想定するとある程度は数を揃えておきたくもあった。ミカ以外のパテル派の者達をクーデターに巻き込むのはリスクが高い。
「充分だよ。正実の方は私がティーパーティー権限で拘束しておくから」
「……であれば、気掛かりはシスターフッドと救護騎士団だな。前者はともかく後者は百合園セイアを匿っている可能性がある」
「一応、両方ともパテルの子達に監視してもらってるよ。とはいえ流石に内部までは調べられないね、もし仮にセイアちゃんが匿われていたとしても蒼森ミネが箝口令を敷いているだろうし……」
「ふむ……こればかりは彼女が意識を取り戻しておらず、情報を伝えていないことを祈るしかあるまい」
最悪なパターン。夢の中で百合園セイアと邂逅し、言葉を交わした際のその態度や口振りから考えづらいとニトは思うものの、そうなってしまえばこのクーデター作戦は前提から破綻してしまう。
しかし、相手が未来視でこちらの動きや情報が常に筒抜けになっているなどと、そのような展開は想定したところで対策のしようがなく、どうしようもなかった。
「そう、だね……」
ニトの懸念に対し、ミカは複雑な心境だった。彼女としてはセイアが無事だということは望ましいことであるが、それでアリウスとの融和が水泡に帰してしまうことは当然望んでいないが故に。
因みにミカにはセイアとの邂逅については伝えていない。友人の生存を知らせて安心させたいという思いもあるが、今の状態で不用意に伝えてしまってショックを与えるべきではないと考えたからだ。
「……やはり思い詰めているようだな」
「え? いや、そんなこと……あはは、バレちゃってる? 流石だねやっぱ……」
ニトの言葉に、咄嗟に誤魔化そうとするもすぐに無理だと諦めてミカはきごちなく笑う。
「すまない、君にこのようなことを強いてしまって」
「ううん、強いるだなんて……そんなこと言わないで。そりゃ望んでたことじゃないし、後悔もしてるけど……それでもこれは、私自身が選択したことなんだから」
あの日から、後悔しない瞬間なんて無い。それは紛れも無く己の楽観的で考え無しの行動が要因。間違ってもアリウスのせいだなんて思うはずがなく、だからこそミカは覚悟を決めたのだ。
「……そうか。強いな、君は」
「えへへ。そうかな? いやぁニトちゃんがいつも相談に乗ってくれているからだよ。──ごめんね、忙しいだろうに」
「何を言う。他ならぬ君の頼みだ、少しでも気休めになるのであれば、いつでも頼ってくれたまえ」
「うん……ありがとね、本当に」
元よりミカはニトとモモトークを交換し、日々の他愛の無い出来事について話したり、主に友人関係の愚痴や鬱憤を溢したりと連絡を取り合っていたが、百合園セイアのあの一件からはその頻度は激増し、今のように直接会うことも一段と多くなった。
それは当然と言えよう。トリニティにおいてミカとアリウスの繋がりを知る者は存在せず、いずれ明かそうと思っているパテル派の側近にもこのような状況下ではひた隠しにするしかなく、ただでさえ精神的に不安定だというのに、こうも秘密を抱えていてはストレスは溜まるばかり。
唯一トリニティで事情を知るのはアズサであるが、彼女は託された庇護対象であり、弱みを見せる訳には行かず、そうなれば頼れるのはニトだけだった。
ニトはそれを快く受け入れ、それどころか遠慮するミカにそうするように誘導した。胸の内を吐き出すだけでもだいぶ変わるものだ、彼女の精神的負担が少しでも和らぐというのならばいくらでも付き合う所存である。
(……しかし、今のところクーデターについては特に支障は無いな。想定よりずっと、桐藤ナギサは疑心暗鬼に陥っている)
元より一枚岩ではないトリニティ。賛否の多いエデン条約締結前なこともあって、その派閥争いはより激化していると言えよう。
そんな中でホストが襲撃により失踪し、“裏切り者”の存在を確信した彼女は、恐らくシスターフッドや救護騎士団は勿論のこと正義実現委員会すらも信用出来ないでいるのだろう。
そして、致命的なことにアリウス分校が現存していることは知らず、また幼馴染みのミカが裏切り者であるということなど夢にも思っていない。否、もし疑っていたとしても、もはや彼女には誰が味方で敵か判別することなど不可能とみて良かった。
(──クーデターは成功する。不確定要素さえ無ければ、だが……)
危惧する存在はただ一つ。未だにその影を見せぬベアトリーチェ。
奴が動くのはエデン条約調印式であるとニトは考えていたが、こちらがそう考えることを読んで、或いは調印式を問題無く行わせる為にクーデターの際に介入してくる可能性も充分にあった。
そう思案するニトだったが、後に新たな不確定要素が舞い込むことを知ることになる。
──シャーレの先生が、トリニティへと派遣された。
度々出ているアルファ隊とかベータ隊とかは大体1チーム一個中隊~小隊規模くらいの人数。