アリウスの王 作:大嶽丸
トリニティ某所。薄暗い路地裏にて。
人通りの少ないそこはいつもと比べて一段と人の気配を感じさせず、まだ明るい時間帯にも拘わらず通行人はおろか屯している不良も居ないため
そこを、白洲アズサは進んでいた。慎重に、誰にも尾行されていないことを確認しながら。
「……ここか」
そして、彼女は目的地に到着する。
直立不動のまま、正面にある光の差し込まぬ暗闇をジッと見据えていた。
「──久しいな、白洲」
足音と共に、それは闇からゆっくりと顔を覗かせ、姿を現す。恐ろしいことにその瞬間まで微塵も存在感を感じさせなかった。
古い形式のアリウスの制服。フードを深く被り、けれども僅かに見えるその顔を見間違う者などアリウス分校にはただ一人足りとも存在するはずがない。
アリウス生徒会長、失楽ニト──トリニティに潜入し、長らくアリウスから離れていたアズサがその顔を直接見るのは実に数ヵ月ぶりであったが、懐かしさよりも緊張の方が勝ってしまう。
「は! お久しぶりです、閣下。アルファ隊所属・白洲アズサ、只今馳せ参じました」
ビシッとアズサは敬礼する。普段の定例報告とは違い、トップ自らこうして現れたことから今が異常事態であるということは容易に察しが付く。
理由もまた、明白である。
「積もる話もあるが、残念ながらあまり時間は無い。早速、報告を聞くとしようか」
「は、了解です! まずは──」
ハキハキとした口調で、アズサは前回の定例報告から起きた出来事を余すこと無く伝える。
補習授業部へと入部させられたこと、そこでの日々、そしてつい先日行われた第一次試験の結果が不合格であったということ、それにより次の試験に向けて別館にて勉強合宿を行うことになったということを。
「ふむ……合宿か。それはまた、面倒なことになったな」
となれば自由が制限され、監視の目も強化されるのでミカやアリウスとのコンタクトも難しくなるだろう。
「ッ……不甲斐無い結果で申し訳ありません」
「構わんさ。お前はギリギリではあったが、合格点だったのだろう?」
今回、アズサは紙一重ではあるものの目標点数に到達することが出来た。しかし、合格するには全員が基準点を満たす必要があり、ヒフミ以外の二名は半分にも満たぬ赤点であったため再試験という結果となったのだ。
とはいえ不合格スレスレのその点数はアズサの普段の成績を考えるとらしくなく、ニトもヒフミも冷や冷やさせられることになった訳だが。
「下江コハルはともかく、浦和ハナコは端から合格する気など無い訳か……まあ、落第をすっ飛ばしていきなり退学させられるとは思っていないのであろうな」
やれやれと肩を竦めるニト。彼女の予想通り浦和ハナコがトリニティに嫌気が差している場合、果たして真実を知った後も道化を演じ続けるかどうか。
「! 退学……ですか?」
「ああ。お前も察しているだろうが、桐藤ナギサはお前達を合格させる気など最初から無い」
ニトの言葉にアズサは目を見開くも、その言葉の通り薄々そうではないかと予想していたことだった。
補習授業部は、落第の危機にある問題児達を矯正する為の部活であると表向きにはそうなっているが、その真の目的は百合園セイアを襲撃した裏切り者──即ち“スパイ探し”。
一度テストを落としただけの自分が追試を受けることなく強制的に入部させられたのは、つまりそういうことなのだろう。
そのような疑念を持っていたが故に、今回の勉強にも集中出来ず、点数が振るわなかった。
(私は退学になっても構わない。しかし、そうなればヒフミ達も……)
予想が正しかったと証明された今、いくら勉強して良い点数を叩き出そうと無意味。裏切り者が炙り出されるまで補習授業部から解放されること無く、このままだんまりを決め込んだとして、痺れを切らしたナギサが全員を退学にするだけ。
アズサはアリウスに帰るだけだが、巻き添えとなった他三名の人生は滅茶苦茶になってしまう。
「では、いっそのこと私がスパイであると名乗り出れば……!」
進言しようとすれば、ニトが手で制する。
「お前をスケープゴートにする案は聖園ミカが却下した。和解の象徴たるお前を切り捨てることはしたくないようだ。それに、もし仮に名乗り出たところで裏切り者が一人だけだとも限らぬのだから桐藤ナギサが止まるかどうかは不明瞭だ」
やるにしても、名乗り出るのではなく、恐らくスパイ探しを頼まれるであろうシャーレの先生に突き止めてもらう方が有効だと言えよう。
「ッ……左様ですか……」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、アズサは俯く。彼女としてはあの三人が自分の巻き添えとなることは到底許容出来なかった。
「安心しろ。聖園ミカの嘆願もあり、我々の方針はお前達を退学にさせずに事態を解決するつもりだ」
「それは、つまり……?」
「──桐藤ナギサを排除する。そして、聖園ミカをホストとし、首を挿げ替えるという訳だ」
ここでアズサは初めて知る。ミカがアリウスと結託し、クーデターを企てようとしていることを。
既にアリウスとの融和は当初思い描いていたような悠長なものでは無くなってしまっていた。
(でも、それでは百合園セイアの二の舞……いや、アリウスの、閣下の命であれば次こそは必ず──)
果たして本当に?
全ての歯車が狂ったあの出来事を思い返し、アズサの決意が揺らぐ。あの時の百合園セイアの発言が真実ならば今やろうとしていることはアリウスにとって──。
「既に決行の準備は整い、後はタイミングを見計らうのみ。お前もそのつもりで心しておくといい……まあ、今のところお前が作戦に加わる予定は無いし、シャーレの先生に怪しまれぬよう今まで通り勉学に励みたまえ」
「……了解しました」
そんな思考をするアズサを他所に、ニトはそう告げる。元より警戒されているであろうアズサをわざわざ動かす理由は無く、クーデターはミカの手引きの下で行われる予定だった。
これにアズサは返事をするも、内心ではグラグラと揺れ、如何なる選択をすべきなのかと未だに迷い続けている。
「──どうした? 何か思うことでも?」
それを不明瞭ながらも感じ取ったニトは眉をひそめ、問う。
「!? いえ。特に何もありませんが……」
ポーカーフェイスを貫いていたつもりだったアズサは驚くも、どうにか表情に出すことはなく平静を装いながらそう答えた。
「……そうか。そういえば、補習授業部のメンバーについてはどう思っている?」
「は……?」
「いやなに、必要な報告は終わったが、まだ時間はある。お前さえ良ければ聞かせてくれないか?」
何を思ったか、唐突にニトがそう質問する。その口調は優しげで不思議と安心感を覚えてしまう。
「……そう、ですね。まだ短い期間しか関わっていませんが、みんな善い人間だということは、分かりました」
戸惑いながらもアズサは答える。これまでの触れ合い、共に勉強した日々を思い返しながら。
「ヒフミは初対面から優しくしてくれて、ハナコは聡明で面倒見が良くて、コハルも突っ慳貪な態度を取るけど根は優しい奴なのは明らかで……得体の知れぬ自分相手にも良くしてくれています」
アズサから見て善き人間であるということはまごうことなき事実。故に、そんな彼女達が理不尽な目に遭い、不幸を強いられることなど在って良いはずがない。
「フッ……そうか。学友に恵まれたようで何よりだ」
ぽつぽつとどこかぎこちなく言葉を紡ぐアズサを見据え、ニトは笑みを浮かべる。
「以前、ミカが心配していた。転校生という立場上、仕方の無いことではあるが、トリニティで友を作ることが出来ていないということに」
「友……ですか?」
確かにアズサにトリニティで友人と言えるような関係の人物は居ない。席の近い一部のクラスメイトや以前にスカウトしてきた自警団の守月スズミ、色々あって交流を持った図書委員会の面々とは会えば少なからず話すが、その程度の関係性で止まっている。
別段友人が欲しいとも必要であるとも思わなかったのでアズサも特にそのような努力はしておらず、当然の結果だったと言えよう。
「そう考えれば今回の合宿は良い機会だ、寝食を共にして同じ目標に向けて一致団結するなどトリニティでは珍しいことだろうからな」
勉強会という共同作業、補習授業部という同じコミュニティへの帰属、そして時間経過で相手への理解を深めることにより団結力が生まれ、友情が芽生えるのは自然なことだろう。
「白洲よ、友を作るといい……それが多くを識ることに繋がる。トリニティで得た友人はきっと、アリウスの戦友ともまた違うものなのだから」
「そう……なのですか?」
「そうだ。本来であれば、最初に言っておくべきだったかもしれんな……だがまあ強制はしない。お前が望むままにやればいいさ」
強制はしないと言いつつ、それがニトの望みであることは明白。であればアズサが拒否する理由など無く、また識らぬことを識ることが出来るのだと言うのだから尚更だった。
それに──。
(──誰も彼もと友達になるつもりはないが、ヒフミ達となら……悪くない)
自然と、笑みが溢れる。
アズサはまだ気付いていない。もう既に彼女と補習授業部のメンバー達は言葉にせずとも友人に近い間柄となっていることに。
そして、それが彼女の迷いを決定的なものとし、また選択の時間が迫っているということにも。
「ああ、そうだ。もしかするとヒヨリに先を越されてしまうかもしれないぞ?」
「? それは……まさかあのヒヨリがトリニティで友人を、ということですか?」
「クク。そのまさかだ。実はこの前、公園でクレープを──」
当然ニトもそのようなことは露程にも思わず、当初の緊張感など初めから存在しなかったかのように二人は他愛の無い会話を続ける。
やがて時間が来たことで定例報告は終了し、解散するのであった。
『──ってな感じでさ! とりあえずシャーレの先生にそれとなく仄めかして、アズサちゃんを守るように伝えたよ!』
「……そうか。ご苦労だった」
アズサと接触してから数日後。補習授業部が宿泊している別館の様子を遠くから眺めながらニトはミカと通話していた。
第一次試験終了後、暫くしてから桐藤ナギサはシャーレの先生を呼び出し、真の目的が裏切り者の捜索であることを告げる。それを見計らって今度はミカがシャーレの先生と接触し、裏切り者がアズサであることを明かし、またアリウスについての情報も僅かに提供した。
アズサが炙り出されるのは時間の問題であるため、先に正体を明かすことで並々ならぬ事情が存在することを示し、更にミカは真実の中に少しばかり虚偽の情報を混ぜることで先生にナギサに対する不信感も植え付けさせた。
『エデン条約が実は武力同盟かもしれない……本当かどうかの根拠なんてゼロだけど、かといって嘘だっていう証拠もどこにも無い。口裏なんていくらでも合わせられるから……ふふん、なかなか名案でしょ? ニトちゃん』
「そうだな……少なくともシャーレの先生はその可能性を考慮して動くことを強いられる。白洲を素直に引き渡すようなこともせず、桐藤ナギサともいずれ対立することだろう」
シャーレの先生に取り入る。滞りなくクーデターを行う為の手段としてニトとミカの意見は合致し、それは行われることとなった。
そうしてミカは上述した内容を先生へと話した。仮に武力同盟云々が虚偽であると看破されたとて断定はしておらず、推測であるためいくらでもシラを切れるし、ミカの言ったように本当に虚偽であるかどうかなど条約締結まで確信することは出来ないだろう。
そして最後に、裏切り者であるアズサを守るように頼み込んだ。先生が本当に“生徒の味方”であるのであれば、ミカのその頼みも無下には出来ない。
いずれにせよ、ここから先生は裏切り者を突き止めるのではなく、皆で合格することを目指す。エデン条約への不信感が無くともナギサが疑心暗鬼に陥っていることも察すれば彼女を止めようとする可能性は非常に高い。
これに対してナギサが許すはずはなく強硬策を取ってくるはず。そうなればシャーレ、及び補習授業部とティーパーティーの対立は明確なものとなり、その横合いをアリウスが叩くのだ。
『そういえばニトちゃん。今、トリニティに居るんだって?』
「ん? ああ、何せあのシャーレの先生が相手だ、オレも直接動いて判断したいと思ってな」
『ふうん……相変わらず凄く警戒してるんだね。じゃあさじゃあさ! 今度一緒に食事しない? トリニティの美味しい店を紹介してあげる!』
「……魅力的な提案だが、このタイミングでオレと君が接触するのはリスクが高いかと」
『えー? そんなのちょっと変装すれば大丈夫だよ、多分。トリニティでニトちゃんと会うなんて初めてなんだし』
いつもはアリウスへとミカが赴くことで面会していたのでニトの方からトリニティに赴いているこの状況は珍しく、ミカとしては是非とも直接会って遊びた……交流を深めたかった。
一方、ニトとしてはミカに疑いが向くような行動は出来る限り避けたい。それに、何だかどうしようもなくトラブルの匂いがしてしまう。
(──しかし、友人関係については、上手く行っているようで何よりだ)
ミカの言葉を受け流しつつ、ニトは視線を別館の方へと移す。彼女の超人的な視力は何故か水着姿でプール掃除を行う補習授業部の面々、そしてアズサの姿をはっきりと捉えていた。
実に和気藹々としており、あの日、何やら思い悩んでいる様子だったので友を作るように提案してみたが、この様子だと効果的だったようだ。
(百合園セイアの件について、まだ引きずっているのだろうか……あれに関しては本当に申し訳無かった。本来であれば、彼女に関与させるべきではなかった)
スパイではなく、あくまでも和解の象徴。決して裏切り者でも何でもないのだ。
巻き込んだことをミカも後悔していたが、出来る限り荒事は控えさせ、トリニティの日常を謳歌してもらいたいとニト達は考えている。故に、今回のクーデターにも関わらせない予定であり、彼女の知らぬ内に全てを終わらせるつもりだった。
(それとも、或いは──)
脳裏に過る可能性。そして、一つの
(百合園セイアが
原因不明の爆発が起きるまでの僅かな刻。あの預言の大天使と何かしら会話し、吹き込まれた可能性は無きにしも非ず。
もし本当にそうだとして、そのことを黙っているアズサの真意は果たして──。
(──いや、妙なことを考えるのはやめよう)
そこでニトは思考を中断した。聖堂騎士団の時のようにアリウスの仲間を疑うのは好ましくなく、思い悩む彼女を前に問い詰めなかった時点で、元よりその気は無かったのだ。
どうせ、これからやることは決まっており、揺らぐことはないのだからこれ以上の疑念も考察も無意味だろう。
それに……。
「面白くなってきたな」
『? どした、ニトちゃん?』
ぼそりと呟かれた言葉はノイズ混じりで聴こえづらく、ミカが訝しげに呼びかける。
「何でもないさ。それより食事の件だが、空いてる日ならば──」
『お! 乗り気になってくれた? えっとね、こっちのスケジュールは今のところ……』
愉しげにミカが会話を続ける。対してニトはアズサから決して視線を外すことなく、けれども口角が僅かに吊り上がった。
我らが大切な同胞であり、今やアリウスとは違う日常を謳歌する無垢なる少女。
彼女は一体何を思い、何を考え、何に悩み、迷い、そして何を成そうとしているのか。
──今はまだ、見守るとしよう。
ファウスト「あはは…」
ハナコ「うふふっ……◼️◼️! ◼️◼️です! みんなで◼️◼️いたしましょう!」
コハル「死刑! 死刑!」
ニトちゃん(……友達の人選間違えたか?)