アリウスの王 作:大嶽丸
ラッパ吹きの天使……オリキャラの一人とまさかのモチーフ被り。まあ、どうにか料理します。
偶然だった。
いつにも増して人通りの多い道路。買い物袋を片手に今まで聞いた話から今後どうするべきかを考えながら歩いていた最中のこと。
ふと、
気が付けば後を追っていた。人混みを掻き分け、見失わないようにしながら。不思議なことにあれだけ目立つ紅い影はふと視界から外れると霞のようにその気配を消してしまうため必死だった
喧騒に紛れて聴こえていないのか声を張り上げて何度か呼び掛け、漸く彼ないし彼女は反応してくれた。
「“お久しぶりです……その、また会いましたね?”」
ゆっくりと振り返ったその異形の貌は相変わらず表情が窺えず、しかし何となく酷く驚いているような気がした。
対する
あの日、理想を語り合った“友人”と再会することが出来たのだから──。
地上には、楽園がある。
果たして、それを最初に言ったのは誰だったか。もはや知る由は無く、けれどもそんな眉唾にも等しき言葉は奪い合い、貧するだけの虚しい地獄では甘露のようであったのだろう。
愚直に信じた者、希望を抱いた者達は現状へと叛逆し、死力を尽くして戦った。
ただひたすらに、楽園を夢見て──。
ニトは今でも覚えている。
結論から言えば、彼女達は勝利した。あまりにも多くの犠牲を払いながら。
より良い明日を目指した彼女達の大半がその命を散らして礎となり、後を託し、そうして統一は成され、自由と未来を掴み取った。
──しかし、彼女達の本当の願いは叶わなかった。
陽の光の差し込まぬこの地獄の外に存在していたのは、決して楽園などではなかったが故に。
透き通った青空の下にあったそこは、一見するとずっと恵まれているように見え、しかし本質は同じように虚しく、誰かの幸福の裏で誰かが傷付き、争いと苦痛に満ち、誰しもが諦観の中で堕落してしまっていた。
結局のところ何も変わりはしないという、残酷なまでに厳しい現実。彼女達が夢見た楽園など初めから存在していなかったのだ。
ニトは知っていた。あの微睡みの中で百合園セイアに語ったように、この世に楽園などという都合の良い場所が在るはずがないことは分かりきっていたが故に。
ああ、それでも、実に腹立たしい。
こんなモノの為に彼女達は死んだのかと、純然たる怒りが沸々と煮え滾る。
理解はしている。決して醜悪なものばかりではないということを。そこには確かに美しく、輝かしいと思えるものが存在していた。
それらを否定するつもりはない。楽園などと呼ぶには烏滸がましくとも、呆れ果てるような面は数多とあれど、
けれど、だからこそ、度し難いのだ。
少なくとも、彼女達が命を懸ける程の価値があったとは到底思えないのだから。
「………………」
雑踏の中をニトは練り歩く。トリニティの街並みや行き交う人々、それらが織り成す風景を瞳に映しながら、部下からもたらされた情報について彼女は逡巡していた。
(
どうにも羽沼マコトは、こちらの想定よりもずっと熱心にアリウスについて調べているようだ。遥か昔に追放されて歴史から消えた学校の現存を突き止め、またブラックマーケットとの関係性にも気付いてコネクションを得ようと画策している。
そこにはアリウスの誘導が確かにあったが、それを加味しても個人が持つ情報網と捜査能力としては評価するに値するものであった。
(しかし、ゲヘナと組むとなるとミカは反発する可能性が高い。況してや連中はエデン条約など端から結ぶつもりなどなく、トリニティへ攻撃を仕掛けんと企てているのだから)
生まれついて教え込まれ、根付いた反ゲヘナの思想はそう簡単には消えない。羽沼マコトの方もアリウスがトリニティに対して憎悪を抱いているという前提で接触を図っていることが予想され、色々と話が拗れるであろうことは想像に難くないだろう。
かといってこれを伝えずに秘かに話を進めるのは同盟相手であるミカに対して不義理と言え、こればかりは説得するしかなかった。
元よりニトが羽沼マコト、及び万魔殿に見出だしたのは単なる
(……笑わせる。計画の全容を話していない時点で、不義理も糞も無かろうに)
その逡巡に対して自嘲気味に笑う。現在のミカの精神状態が不安定なこともあるが、クーデター後の計画である調印式襲撃や戒律の守護者といった情報に関しては
クーデターに関してもシャーレの先生という変数が介入したことにより何が起こるか分からない状況。ミカには申し訳無いが、成功したとしてもこうなっては大きな混乱が生じるため如何なる事態も想定して動かなければならない。
「“あ、あの……! ”」
(ううむ……とりあえず羽沼マコトと接触してから考えるか。幸いにも万魔殿は風紀委員と敵対しており、最高戦力である空崎ヒナは目の敵にされているらしい。交渉が決裂したとしてもやりようはある)
随分と前から聞いていたことであるが、改めて理解し難いと呆れる。そのような状況を看過しているゲヘナの体制にも、甘んじて受け入れている空崎ヒナにも。
アリウスからすれば、つけ入る隙が多いのに越したことはないが──。
「“ちょっと、すみません……!”」
「──ん?」
背後から声がする。雑踏の喧騒に紛れまいと大きめの声で発せられたそれにニトは漸く反応し、振り返った。
そして、目を見開く。
「“お久しぶりです……その、また会いましたね?”」
そこに居たのは、只今こちらの頭を悩ませている不確定要素──シャーレの先生だったのだから。
「“奇遇ですね。こんなところで”」
「……ああ。本当にな」
立ち話もなんだと、かつてヒヨリとクレープを食べたあの公園のベンチまで移動したニトはこちらに笑いかける先生に対して内心どうしたものかと肩を竦める。
ここで出会すのは完全に予想外だった。訊けば、どうやらあの雑踏の中からニトの姿を認識し、声をかけたとのこと。別段目立つような格好はしていなかったはずなのだが、その視力と記憶力の凄まじさに驚かされてしまう。
「“飲み物、一本どうぞ”」
「ん? いや、お構い無く……」
「“いえいえ。実は生徒達への差し入れで多めに買ってまして。どうぞ遠慮なさらずに”」
「……そうか。では、お言葉に甘えよう。すまないな」
生徒達、というのは恐らく補習授業部の面々のことだろう。先生が手に持つビニール袋に入った大量のペットボトル飲料からニトは適当に炭酸飲料を一つ受け取った。
それを確認した先生は自身もペットボトルを一つ取ってニトの隣へと座る。
「“もしかしてトリニティ自治区に住んでいるのですか? ”」
「……いや、近くではあるがな」
厳密には地下である。ニトが問いに答えれば、先生は意外そうにする。この辺りからアビドス自治区に通うにはかなり距離があるのではないかと。
「こう見えて散歩が趣味でな。それに、柴関ラーメンにはそれだけの価値があろう」
「“はは。違いありませんね、実は私も仕事終わりとかにちょくちょく通っているんですよ”」
前回とは打って変わり、フレンドリーな態度で話しかけてくる先生。あの時の語らいは有意義で充実したものであり、打ち解けたと考えれば特に不自然なことは無い。
やはりニトもまたヘイローを有する生徒だからだろうか。こちらに対する警戒心が削がれてくれたのは好都合だった。
「君の噂はよく耳に入る。アビドスでの一件以降も、随分と活躍しているようではないか」
「“いやぁ……そんなことないですよ。ただ自分のやれることを精一杯やっているだけですし、まだまだ若輩者で力不足なのを痛感します”」
「クク……謙遜も過ぎれば傲慢だぞ。君が着任する以前と以後ではあまりにも違う。少なくとも君はこれまで連邦生徒会の者達が成し遂げられなかったことを成し遂げているのだから」
連邦生徒会長が自ら選んだ人材なだけはあると、ニトはシャーレの先生を高く評価する。
アビドス、そしてミレニアムでの問題を解決してみせた実績を前に、その実力を疑う余地は無い。特に後者に関しては一歩間違えれば無名の王女が目覚め、キヴォトスそのものが崩壊するやもしれぬ危機的な事態であった。
尤も、表向きには公表されておらず、知るのは当事者達と観測していたゲマトリア、それから調月リオ経由で話を聞いたニトくらいだが。
「“……そう、ですかね”」
「そうだとも。君のような人間がシャーレの先生であることはキヴォトスにとっては僥倖だったと言う他あるまい」
対してアリウスからすれば、もう少し無能であってほしかったくらいにはシャーレの力は大きく、脅威的である。
「“……ありがとうございます。あなたに、そう言ってもらえると励みになります”」
自らを賛辞する言葉を面と向かって言われ、照れ臭そうに先生は頭を掻く。
「“そうだ。あの時、あなたと話したことについて、あれから色々と考えたんですよ”」
すると徐に語り始める。その顔は笑いながらも、真剣な眼差しだった。
「ん? あの時、話したこと……だと?」
「“はい。武器の取り締まり……それだけではなく、キヴォトスに蔓延る様々な問題の根本的な解決について”」
そういえば、そのようなことを質問されたなとニトは思い出す。連邦生徒会、延いてはキヴォトス全体の異常さに対する半ば愚痴のようなものであったが、自身の言葉に先生はかなり関心を示していたことは記憶している。
そして、察するに先生はその解決に本気で取り組もうとしているようだ。
「“リンちゃ……連邦生徒会の子達とも話したんですが、あなたの言う通り相当困難な問題らしくて。勿論、シャーレの力があっても到底……”」
先生は空を見上げる。問題の大きさ、或いは己の無力さを噛み締めているようだった。
「“ただ、最近になって漸く打開できそうな出来事がありまして……”」
「──ほう?」
「“ほら、言っていたじゃないですか。大きな学校に賛同してもらうって”」
「……エデン条約か」
先生が頷き、ニトは目を細める。
「“
「………………」
「“分かってます。自分がやろうとしている“改革”に賛同してくれるかは分かりませんが……ただそれでも一歩、やっと一歩踏み出せそうな気がするんです”」
「……そうか」
──改革。
彼もまた自分と
「確かに、それは大きな足掛かりとなるだろうな」
そう理解したが故に、ニトは肯定する。
トリニティとゲヘナ。長きに渡って存在してきた、確執にも近い敵対関係に終止符を打たんとするもの。互いが互いを信じられない故に、久遠に集積していくしかなかった憎悪を解消するため、それに代わって新たに信頼を築き始めようとするプロセス。
つまるところ平和条約であり、それはシャーレの先生にとって自らの理想の足掛かりとなる輝かしいものに見えたのだろう。
「“……あなたは、エデン条約についてどうお考えなのですか?”」
すると先生は、そんなニトの様子を見て何を思ったのかそう問いかけた。
(いや、無理でしょ……なんて回答は流石に出来んな)
唐突な、そして答えづらい質問にニトは言葉に詰まってしまう。ミカ相手にはわりと辛辣な評価を口にしていたが、流石にそれをそのまま言うことは憚られる。
何せ、目の前の彼はエデン条約に対して好印象を抱いているようであった。
「ふむ……君には悪いが、正直に言うとそこまで良い印象は抱いていない。かといって悪い印象も抱いていないがな」
顎に手を当てて逡巡し、正直な感想を述べることにした。その場で取り繕うような言葉を騙るのは自らの理想を語る先生に対して失礼だと思ったが故に。
「“………………”」
先生は、神妙な面持ちで話を聞く。
「話題性はある。長年敵対してきた両校が手を取り合ったという事実は世間に大きな反響を呼ぶことだろう」
戦争回避としても効果的だと思う。実際ニトは当初連邦生徒会長が発案したのはトリニティとゲヘナの全面戦争を防ぐ為ではと考えた程だ。
調べてみれば元々はかつてゲヘナを支配していた“雷帝”と呼ばれる者に対抗する為の奇策であったらしいが。
「条約の内容自体も悪いものではないと思う。不可侵条約として見ても平和条約として見ても及第点以上。理想的なものに仕上がっている」
そこは発案した連邦生徒会長の手腕であり、流石と言えよう。
「“それなら──”」
「しかし、この条約が完全に機能するには両陣営共に色々と問題がある。トリニティは元より分派の集まりであるが故に一枚岩ではなく、ゲヘナは混沌を謳うが故に自校の生徒を制御し切れていない……とはいえ推進派である風紀委員長がトップならばその場合でも何ら問題では無かったがな」
条約を締結する為に裏切り者排除に躍起になっている桐藤ナギサだが、そもそも条約締結はスタート地点に過ぎない。
そこからエデン条約を真なる平和条約へと昇華させるには、トリニティは意思統一がまだまだ中途半端であり、ゲヘナは言わずもながな。ニトからしてみれば、どちらの学園も
「その性質上、双方の治安維持組織の負担は確かに減る。あの風紀委員長が推進派なのも頷けるが、結局のところゲヘナが制御出来ぬならず者達が止まることはなく、となればトリニティ側のゲヘナへの悪感情の解消も望み薄……リスクの割に恩恵が少ないと言わざるを得んな」
軍事力、経済力、思想、士気……それらのいずれかが上回ることも下回ることも許されず、均衡している上で漸く成り立つ条約。
然れど、それに対して得られるメリットは全く以て釣り合っていない。
「“それは……”」
途中で口を噤む。反論が思い付かなかった。
ニトの言い分は理路整然としており、先生自身も正しくその通りだと思ってしまったのだから。
「ただまあ……先程言った通り足掛かりには、なると思う。戦争の火種を消せるのだけでも充分なメリットだと言え、たとえ形ばかりであろうとトリニティとゲヘナが不可侵条約を結んだというのはまごうことなき事実なのだから」
「“…………! ”」
しかし、表情を曇らせる先生に対してニトは先程までの批判とは打って変わりフォローするように言う。
頭ごなしに否定するつもりはない。少なくとも条約締結は後退ではなく、どんなに短くとも取るに足らぬものだとしても、間違いなく前へと進んでいるのだということを、ニトは理解している。
「──しかし、本当に可能だと思うのかね? あの
その陰謀の一つであるニトは、しかし素知らぬ顔で問う。
先程から疑問ではあった。どうにもエデン条約に対して希望を抱いている様子の先生であるが、彼は既に見ているはずだ、知っているはずだ。
トリニティの陰湿さ、条約への不信感、裏切り者の存在、疑心暗鬼に陥ったナギサ、それにミカから武力同盟だとも吹き込まれている。
「“可能にしてみせます”」
だが、それでも尚、彼はそう宣言した。
「“きっと、彼女達なら乗り越えられる。どの生徒にも無限の可能性があるのだから……私はそれを信じ、間違いがあったのなら正し、在るべき道へと教え導くことに全身全霊を尽くす”」
それが先生としての役目。口にするだけならば簡単なことだが、彼は本気でそれが可能だと確信している。
小鳥遊ホシノは、アビドスの為に自らを犠牲にしようとしていた。
調月リオは、ミレニアムの為に自らを悪人として罪を被ろうとしていた。
桐藤ナギサもまた、トリニティの為に間違いを犯さんとしているのだろう。
彼女達のやり方は間違っていたが、そこにあったのは疑うべくもない善性と献身、果てしない純粋な優しさ。もし先生が居なければ道を踏み外していたであろうが、しかし変わることが出来たのはひとえに彼女達の中にその可能性が存在していたからに他ならない。
だからこそ、この先生と呼ばれる目の前の存在は、どこまでも生徒達を信じており、キヴォトスを変えることが出来ると思っているのだ。
「………………」
自らの理想を語ってみせたその姿を、ニトは静かに見据える。
どこまでも綺麗事だったが、それを本気で実現せんとしている思いはよく伝わった。ニトとしても結局のところ綺麗事こそが誰もが望む事象であることを知っているのだから。
「……皮肉なものだな」
「“え?”」
ぽつりと呟かれた、か細い声は先生の耳には届かなかった。
彼が希望を抱き、成し遂げんとしているエデン条約機構を、ニト達アリウスは乗っ取り、無きものにせんとしている。元より万魔殿が裏切りを画策しているとはいえ隣で話を聞いていると複雑な心境になってしまう。
──然れど、止まりはしない。
「健闘を祈るよ、シャーレの先生」
にも拘わらずニトはそうエールを送った。
エデン条約はともかく、キヴォトスに蔓延る問題を解決せんとしている彼の“改革”という理想は、ニトが目指すものと似通っている。
厳密には違う。彼女が目指すは根底から変える解決法であり、だからこそ二人はいつかすれ違うのだろう。
この街には、“変革”が必要なのだ。
「君が歩くのは、茨の道だ。様々な苦難が立ち塞がり、懸命にやったことが無為に終わることもあるだろう。全ては虚しいが故に」
「“……全ては虚しい、ですか? ”」
柴関ラーメンでも聞いた言葉であり、そこで先生は思い出す。
そういえば、ここ最近自らの教え子の一人も時折似たようなことを口走っていたことを。
「ああ、オレ達の信条のようなものだ。けれど、だからこそオレは君に願おう」
ニトはそう言い、笑みを浮かべる。その彼女の笑顔を先生は認識することは出来ず、しかし視線を反らさずに見つめ、続く言葉を待つ。
「──この先、如何なることがあろうとも、どうか、その思いを忘れないでくれたまえ」
何故だろうか。
投げ掛けられた激励にも近いその言葉が、まるで忠告のようにも聴こえた。
先生は不思議に思い、しかしそれが正しいのだと気付く日は、そう遠くはなかった。
ニトちゃん「その考え良いね! エデン条約はオレらがぶっ潰すけど諦めずに頑張ってくれよな!」