アリウスの王 作:大嶽丸
“ねぇ、ナギちゃんはどう思う? アリウス分校との和解について”
いつだったか。
彼女がそんな話題を出した。如何にも彼女らしい夢見がちな突拍子も無い綺麗事。
これに自分は何と言った? ああ、そうだ、トリニティの利益やリスクを考える友人の意見に同調して首を横に振ってしまった。いつもの思い付きだと……そう、まともに相手すらしなかったではないか。
──今にして思えば、もっとちゃんと話を聞いてあげるべきだった。
あの時、彼女がどんな表情を浮かべていたか……それすらも思い出せない。何度、何度思い返しても……きっと、最初から見てなどいなかったのだろう。
それでも自分達は親友だと、そう思って疑いもしなかった。彼女が変わり始めた理由にも、自分達が知らぬ所で何をしていたのかも気付かず、知ろうともしていなかったというのに。
何と滑稽なことか。その結果が、これだ。
──裏切り者。
今更気付く。先に蔑ろにし、裏切ったのは己の方だ。
──裏切り者。
その挙げ句に周りを疑い、もう一つの友情をも踏みにじり、切り捨てようとしている。
──裏切り者。
だが、だからこそ、後戻りは出来ない。ここで諦めるなど、挫けてしまうなど、それこそ在ってはならぬことなのだから──。
「……ふぅ」
静かに椅子に腰掛け、桐藤ナギサは窓からこちらを照らす、夜空に浮かぶ月を眺める。
嵐のように荒れ狂う心の内とは裏腹に、その姿は驚く程に落ち着いて見えた。とはいえテーブルに置かれたティーカップの中身は一滴も減っていない辺りいつもの紅茶を嗜むルーティンを行う余裕すら無いようだが。
そうしていると、戸を叩く音が響く。
「どちら様です? もう紅茶はいりませんが」
ここのセーフルームに用意した配下からか。しかし、返事は無く、訝しむもすぐに察した。
──ああ。そうか、
「寝れないんですか? 可哀想に」
「おや……あなたですか。浦和ハナコさん」
現れたのは、かつてトリニティきっての才女だと言われていた少女。
「何故ここに……いえ、そもそもどうやってこの場所が──」
「……動くな」
意外な人物の登場にナギサが疑問を投げかけるよりも先に、首筋に冷たい鉄の塊が突き付けられる。
そのような真似をする狼藉者は──。
「白洲アズサさん。ということは、裏切り者は二人だった……ということでしょうか?」
ガスマスクを付けた少女。その姿を見て、これまでの己の推察が的中していることを確信する。
ハナコまでもが繋がっていたのは予想外ではあったが、然して驚くようなことでもない。元より全員が裏切り者であることを想定していたが故に。
「……この場所が判った理由ですね。それは勿論、全て把握しているからですよ。合計87個のセーフハウス。そしてそのローテーションまで」
「成程……流石ですね、やはりその頭脳は枯れてなどいなかったようで何より」
「……随分と落ち着いていらっしゃいますね。ここに配備されている護衛は皆、片付けた後ですよ?」
対して、ハナコの方は大して動じた様子を見せないナギサの反応が思っていたようなものではなかったのかそう問いかける。
「ええ。近い内、私を排除に動くであろうことは予想していましたから……ああ、あなたまでもがアリウスに与しているとは思いませんでしたのでそこは驚いています、こう見えて」
そこには失望ではなく、安堵があった。
彼女のような優秀な人間までもが傍に付いているのであれば、仮に乗っ取られた後でもトリニティは悪い方向には行かないだろう、と──。
一方、そんなナギサの心情など知る由も無いハナコは解せないばかりであり、眉をひそめる。
「……その話の前に、ナギサさん。ここまでする必要ありました?」
「…………」
気を取り直して、ハナコは問う。
「補習授業部のことです。ナギサ様の心労は、よく分かります。ですが、こうしてシャーレまで動員して、何もここまでやる必要はなかったのではありませんか?」
「それは……」
「最初から怪しかった私や、アズサちゃんは仕方ありません。ですが……ヒフミちゃんとコハルちゃんに対しては、あんまりだと思いませんか?」
「…………」
思わぬ質問に、ナギサは言葉を詰まらせる。
「特にヒフミちゃんは……ナギサさんと、仲が良かったじゃないですか」
彼女が傷付くとは考えなかったのか。もしも考えていたのならば、何故そうまでしてこのようなことをしたのかとハナコは淡々と、責めるように詰めていた。
「ふ、ふふ……」
が、これにナギサは笑みを溢す。
「……何がおかしいのですか?」
「いえ……失礼しました。ああ、そうなのですね。あなたは、あなた方は、怒ってくださっているのですね」
「!」
理解した。
彼女がここへ来た理由を。少し前のように疑心暗鬼に囚われていたナギサならば気付かなかっただろうが、覚悟を決めて自分でも驚く程に冷静な彼女の脳はその真意を察してしまった。
浦和ハナコは裏切り者ではない。きっと、白洲アズサもそうであるから彼女と共に居るのだろう。
──ああ、良かった。
「確かに、ヒフミさんには悪いことをしました。友情よりも大義を取り、踏みにじった。私は実にろくでもない人間なのでしょう……挙げ句、何もかもに裏切られてしまうのですから」
「ナギサさん。あなた は──」
「ですが、その判断が間違いだとは思いません。フィリウス分派首長として、ティーパーティーのホストとして、そこだけは絶対に譲るつもりはありません」
確固たる意志を以てナギサは言う。それが彼女のやり方であり、そこを否定してしまっては自分自身の根底が、致命的な何かが、ここまでやってきたこと全てが破綻し、崩壊してしまうような気がしてならない。
どうしようもない後悔と罪悪に苛まれようとも。もはやこれは意地に近かった。
何故ならば己は、まだティーパーティー・ホストなのだから──。
「……そうですか。ならばこの話は終わりです」
それはきっと、ハナコが欲しかった返答ではなかったのだろう。
彼女は静かに目を伏せ、そして笑顔を作る。
「……ふふっ♡ では、改めて私達の“指揮官”からナギサさんへ、メッセージをお伝えしますね」
『あはは……えっと、それなりに楽しかったですよ。ナギサ様とのお友達ごっこ』
ここまで頑な彼女相手には効果が薄いとは思いつつも、ハナコは予定通りそう告げる。
「…………! ふふ。ああ……狂言だと理解していても……心にきますね、それは……」
その言葉は、けれどもやはり深く突き刺さった。
胸が張り裂けそうな程に辛く、苦しい。仮に本当にそうだとしても、そのような仕打ちを受けるだけのことはやった自覚はあり、これが罰だと言うのならば甘んじて受け入れよう。
もはや彼女の友達である資格は無い。ナギサはとうの昔に理解した。
「どうした、コハル? ──何?」
その時、手筈通りナギサへと発砲しようとしていたアズサは引鉄に指をかけたところで動きを止める。
「……どうしました? アズサちゃん」
「大変だ、正義実現委員会が一斉にこちらへ向かっている……!」
「ッ……本当ですかっ!?」
ワーワーと外が騒がしくなる。
別の場所に配備されていたはずの正義実現委員会の部隊が警鐘を鳴らして活動を開始したのだ。
「……ああ、
「! ナギサさん、まさかこの事を読んで──」
「いえ。事前に別のことで命令していただけですよ……ですが、これで貴女方が裏切り者ではなく、真の黒幕が確定しました」
「真の黒幕……? ナギサさん、まさかあなたは既に気付いていて……」
ナギサはどこまでも落ち着いていた。
既に彼女は正義実現委員会を裏切り者候補から外しており、だからこそ、己に残された唯一の切り札として備えていたのだ。
それが功を奏した。
(やはり、あなたなのですね。──ミカさん)
が、同時にそれは絶望的な答え合わせでもあった。
真の裏切り者。出来ることならば話し合いたかったが、もはや手遅れなのだろう。
「──ハナコさん、アズサさん」
「…………!」
名を呼ばれ、ハナコとアズサは瞠目する。ナギサの声は消え入りそうで、その顔は先刻までの落ち着きぶりが嘘のように今にも泣き出しそうな、悲痛な面持ちだったのだから。
「ヒフミさんを……どうか、よろしくお願いいたします」
カチッ、と無機質な音が響く。
「ッ、ナギサさ──」
「伏せろッ! ハナコッ!」
そして、次の瞬間。
部屋中に仕掛けられていた爆弾が同時に一斉爆発し、セーフハウスが吹き飛んだ。
「──ああ。こうなってしまうのか」
爆炎に包まれる中、一連のやり取りを見ていた彼女──百合園セイアが呟く。
「ナギサ……君の覚悟は見事なものだった。疑心暗鬼の闇の中でも抗い、後悔に呑まれながらも大義を成す為に全力を尽くした。同志として、友人として、誇りに思うよ」
まるで時が止まったようだ。
その場に居る全員。アズサも、ハナコも、ナギサも、誰も彼もが静止する空間を練り歩きながら淡々と、どこか他人事のように独白する。
彼女からすれば目の前に広がっているのは夢を介した虚構であり、けれどもいつか、或いはかつての現実であった。
「けれど……結局、君は気付けなかった。そこまで君が追い込まれたのも、アリウスに辿り着くことが出来たのも、こうして奇策を立て成功させたことも、全て
未来は変わった。
しかし、その変化はセイアにとって悪い方向。そこには今回のクーデターを妨害せんとする“意思”が介在している。
本来の筋書きへ戻そうとする修正力……そんなものは後押ししている要素に過ぎず、見え隠れするのはやはり赤い影……それはセイアが襲撃を受ける以前から水面下で暗躍していた。
「……やはり本番は調印式か。そこで全てが決まる」
失楽ニトも。
ベアトリーチェも。
二人が目指す先は奇しくもそこであり、故にこそ決定的なターニングポイントとなるのだろう。
「だが、今回のベアトリーチェの行動。気になるな……危険ではあるが、少し調べてみるか」
些細な違和感。
こびり付くようなそれを感じ取ったセイアは、確かめる為にまた別の夢へと去っていく。
今回の行く末は、既に知っている。
「爆発……だと?」
場所は変わり、セーフハウスの外。
そこへ集まったアリウスの部隊の一つが、炎に包まれるその光景を前に呆気に取られる。
「我々とは別の勢力が桐藤ナギサを襲撃した……ということでしょうか? 一体誰が──」
「それに正義実現委員会の連中が動いている。どうなっている? 予定と違う」
「ちっ……まるで百合園セイアの時と同じではないか」
今宵、彼女達は幾つかある潜伏先の候補の一つであったこのセーフハウスを襲撃し、桐藤ナギサを拉致する予定だった。
しかし、どういう訳か先手を打たれ、セーフハウスは爆発。これでは中に目標が居るかどうか確かめることすら困難である。
意味不明な事態。“スパイ”からの連絡も無し。アリウス生達が困惑していると、突如銃声混じりの通信が入った。
『報告! スパイが裏切った! 現在目標である桐藤ナギサを連れて補習授業部の合宿場へと逃走! 繰り返す! スパイが裏切った!』
「……何?」
その通信に、全員が固まる。
「スパイが裏切ったって……アズサが? そんな馬鹿な、何かの間違いでしょう?」
「……いや、兆候有りの報告は事前にあった」
「なっ……本当ですか? あいつがまさか……」
信じられない。
受け入れ難いといった反応を見せる面々。その中で指揮官である彼女だけは事前に白洲アズサに叛意有りという情報を聞いていたこともあってこの事実を重く受け止める。
向こう側に染められたということだろうか。誇り高きアリウスの兵士ともあろう者が、トリニティに──。
「いずれにせよ、桐藤ナギサがここから逃走しているのは事実だ。我々の襲撃計画は実行前に頓挫した」
「……退却しますか? 正義実現委員会の連中が向かって来てます」
「そうだな。一先ず退いて本部の判断を──」
『──その必要は無い。正義実現委員会についてはこちらでどうにかする』
襲撃に失敗し、本来であれば
「! その声は……!」
『全部隊に告ぐ。目標・桐藤ナギサを追跡し、速やかに確保せよ。失敗は許されない、全身全霊で事にあたれ』
「──了解しました」
その命令を受け、アリウス生達はすぐに思考を切り替え、一斉に駆け出す。
彼女達だけではなく、各所から白い影が闇夜を俊敏に駆け、目標が向かう一つの場所へと集まっていく。
全ては、アリウスの為に。
「ナギサさん、あなたという人は……!」
入り組んだ雑木林の中を駆け抜けながら、ハナコは肩を貸すナギサに対して悪態を吐く。
まさかのセーフハウスごと自爆。どうにか脱出できたものの出鼻を挫かれ、当初計画していた作戦は台無しになってしまった。
結果的にアリウスを合宿場へと誘い出す、という本来の目的は達成できているが、かなりギリギリである。
「ふふ……申し訳ありません。元々事が起きたらこうするつもりでしたので……巻き込んだことは謝ります。本当に」
ほぼハナコに運ばれている形で移動しながら満身創痍のナギサはそう言って目を伏せる。
本来の予定では気絶させるつもりであったが、それどころではなく抵抗する様子も見せなかったのでこうして同行してもらっていた。
「何故、こんなことを……」
「正義実現委員会を本気にさせる為です。事前に伝えた際、彼女達はまだ半信半疑だったので……私が犠牲になったと知れば、真実であると理解せざるを得ない」
「ッ……そこまでして……」
ハナコは見誤っていた。ナギサの思いを、トリニティへ身を捧げる覚悟を。それはトリニティの権力争いに辟易し、逃げ去った自分には無いもの。
そのようなモノをあろうことか友情と天秤にかけるなど間違っているのだと思っていたが、自分のような人間がそう断ずることなど烏滸がましかったのでは、と思ってしまう。
「──それは違います。あなたの方が正しいのです。ハナコさん」
するとナギサがそう否定する。心情を見透かされるとは思いもしなかったハナコは目を見開く。
「私は、あなたが羨ましい……政治も、権力も、何の柵も無く友人と接することが出来る、今のあなたが……私にはそれが出来なかったから、大切なものを見失い、気付いた時には何もかもが手遅れになってしまいました……その結果が、もはや己の命を賭して意地を張ることしか出来ない、この有り様なのです」
「………………」
言葉が出ない。深い、深い深い絶望が、ナギサを支配していた。
このようになってしまった人間の心を溶かす方法を、ハナコは知らない。
「……合宿場でヒフミさん達も、先生も待っています。もう一度話してみましょう。そうすれば、きっと──」
「……ありがとうございます」
そこから、ナギサは喋らなくなった。
「──アズサちゃん、状況は?」
「上手く誘導出来ている。仕掛けた
「? アズサちゃん?」
背後で護衛してくれているアズサへと尋ねればそう返事が返ってくるも、いつものようなハキハキした受け答えでは無く、どこかぎこち無かった。
「……いや、何でもない」
アズサの手は、震えていた。
仲間を撃った、撃ってしまった。追手のアリウス生達の中には、顔見知りも、同期も何人か居た。ガスマスクで顔を隠そうとも、見間違えるはずがなかった。
表情は分からなかった。果たして自分が発砲した時、一体どのような顔をしていたのか。自分の裏切りを知った時、彼女達はどう思うのか。
ここにきて実感が湧く。白洲アズサは本当に故郷を、仲間を、アリウスを裏切ったのだと。
もう、後戻りは出来ないのだと──。
「──それでも、私は……!」
選択には、責任が伴う。
故に、アズサは震えを無理矢理抑え込み、今一度決意を胸に進み続ける。
己が選択を、ただ信じて──。
なんか覚悟ガンギマリなナギサ様。けどとりあえず脳破壊はくらってもらう。
どこかでミカとアリウスの繋がりに気付いてきちんと話さえすれば、今回の件は防げたのかもしれない。まあ、その場合アリウスの扱いを巡って胃に穴が空くけど。