アリウスの王   作:大嶽丸

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追憶が戻るはずもないのだけれど

 

 

 天から“輝く者”が失墜した。

 

 そう形容するに相応しき光景。唐突に、脈絡も無く、“ソレ”()()()()()

 

 忘れられた神々の魂が眠る土地、かつては静謐が支配し、今や迫害され、追われ、逃げ延びた憐れなる者達が寄り合い、そして奪い合う戦場と化した僻地。

 

 運命の悪戯か、かの地にて“ソレ”は目覚める。たった今、生まれ落ちたかのように。

 

 かつて、聖ヒエロニムスは金星を指す古い一文を読み解き、“明けの明星”としての輝きの喪失に悲観することになる、神から追放されし堕天使の名とした。

 

 であれば、“ソレ”がその神秘(テクスチャ)を宿したのは、ごく自然なことであったとも言えよう。その有り様は正しく“輝く星”であり、そして“失墜”であると表するに相応しかったのだから。

 

 とはいえ“ソレ”は()()()とは言い難く、かといって決して()()()()()()とも言い切れない存在だった。

 

 旅人、或いは漂流者。“ソレ”を言い表すならばそれが近しく、けれどもその在り方は“ソレ”が望んだことではない。

 

 故に、“ソレ”の産声は嘆きであった。またそれが到底抗えるようなものではないということも知っている。

 

 ──“ソレ”は歩く。

 

 硝煙が漂うこの閉ざされた世界を。旅人らしく、或いは浮浪者のように放浪する。

 

 その傷だらけな、満身創痍の肉体を引き摺るように。まるで何かと激しく争った後かのような出で立ち。実際もしかすると“ソレ”はここへ来る前に何かと()()、敗走したのかもしれない。

 

 けれど、真相は分からなかった。他ならぬ“ソレ”自身がよく覚えていないのだから。別に記憶喪失という訳ではなく、ただその程度の思い出でしかないのだろう。

 

 歩き、廻り、様々なものを見て、知り、識る。

 

 紛争があった。

 

 悲劇があった。

 

 地獄があった。

 

 その地には光は無く、悲観と憎悪と、諦念に渦巻いた過酷な陰鬱とした光景が広がっていた。年端も行かぬ少女達が奪い合い、憎しみ合うその様は実に痛々しく、見るに耐えなかった。

 

 ──怒りが湧く(怒り狂え)

 

 義憤に駆られるように。

 

 ──憎しみを抱く(憎悪せよ)

 

 この醜き世界を創った者へと。

 

 本能が訴え、衝動に駆り立てられる。血が煮え立ち、身を焼くような憤怒と憎悪が沸々と湧き出て止まらない。

 

 しかし、それらは決して“ソレ”が持ち合わせていたものではなかった。

 

 ──■となれ。

 

 ──■を支配せよ。

 

 ──■へ復讐を! 

 

 傲慢なる十二の黒翼が羽ばたき、憤怒する紅き竜がうねり、吠えるのを幻視する。

 

 内に宿る“ナニカ”が渇望し、その残滓にも等しき意思が膨れ上がるように増幅し、肉体(うつわ)へと染み渡らんと蠢く。

 

 ──どうでもいい。

 

 溢れ出ようとする“ナニカ”を、“ソレ”は握り潰してしまう。酷く煩わしかったが故に。

 

 それだけで先刻まで濁流の如く押し寄せていた思念の数々は忘却の彼方へと追いやられ、最初から存在しなかったかのように霧散する。

 

 得体の知れぬ渇望の、慟哭にも似た叫びに呑まれることはない。“ソレ”には知識があり、経験があり、そして揺るぎない意志があったのだから。

 

 けれども、その満身創痍の肉体と同じようにその精神は疲弊し、磨耗してしまっていた。それでも尚、呑まれなかったのは元来の屈強さと強靭性か、或いは空虚な人間性と化したが故に、復讐にも支配にも靡く程の情熱が存在していなかったせいか……いずれにせよ、“ソレ”は呑まれず、染まらず、ただ不退転を体現しながら此処に存在している。

 

 それは何と、残酷なことであろうか。

 

 怒りを忘れ、憎しみを忘れ、“ソレ”は見てくれ通りの幼童に等しく物心など感じられぬ無垢な瞳でこの“異国の空”を見上げ、ただ憂いた。

 

 ──Amen(エイメン)

 

 神など信じていなかったが、それでも掠れるような声で一言、祈りの言葉を囁く。この過酷なる世界に対して何をしてやれる訳でもないが故の、せめてもの慈悲だったのだろう。

 

 そうして、また歩き続ける。亡霊の如く、ただひたすらに。

 

 そこにあったのは諦念。奇しくもそれはここに住まう者達が抱くものと酷似しており、どうしようもない無気力さの中で彷徨い続ける。

 

 けれど、違いがあるとすればその眼。全てに無関心で、全てが無意味で無価値であると言わんばかりの虚ろな空洞が広がるそれは、けれども眼前の光景を前に決して叛けることはなかった。

 

 まるで見定めるように。何かに関心を寄せることもなく、何かを成さんと思うこともなく、にも拘わらず“ソレ”はそうして狭く、凄惨な世界を見聞する。

 

 ──そうしなければならないのだと。

 

 心が、魂がそう叫び続ける。奥底にこびり付く使命感にも似た何かが錆び付いた肉体を突き動かす。

 

 故に、いつか“ソレ”は立ち上がるだろう。奮起するように、再起するように。

 

 破壊と創造、支配と解放、闘争と安寧、etc……etc……相反し、また表裏一体の結末。かの異邦の者は、秩序を成さんとするか、混沌をもたらさんとするか、或いはその両方か。

 

 果たして、その瞳が映すものは……。

 

 ──腹が減った。

 

 その永劫に続くと思われた旅路は、意外にもそう時間が経たずして終わる。

 

 人に近しい肉体であるがため空腹には抗えず、“ソレ”はどうしようもなく飢えていた。かといってこの地に飢えを満たす物は限られ、他者から奪うしかなく、また分け与えられるような余裕も無い。

 

 飢えて死ぬのは珍しくなく、与えなければ相手が死に、与えれば自分が死ぬ。良くて共倒れ……故に、倒れる得体の知れぬ“ソレ”へと近付く者など居なかった。

 

 また“ソレ”も他者から奪ってまで生き延びる程の情熱は持ち合わせておらず、そもそも自らの生に対しても特段関心が無く、ここで野垂れ死ぬのならそれもまた良しと目を閉ざす。

 

 元より“ソレ”は、終わりを待つ者。いずれ来る()()()を目指していたのだから──。

 

「────♪」

 

 その時だった。

 

 薄れゆく意識の中、何か“歌声”のようなものが聴こえたような気がする。

 

 それから続いて後頭部に伝わる硬い床ではない軟らかな感触。

 

 重い瞼をゆっくりと開ければ、そこには()()の顔があった。

 

「あ、起きた。大丈夫……かな?」

 

 薄い桃色の頭髪が揺れる。酷く安堵した様子でその少女は優しく微笑んだ。“ソレ”は自分の頭が彼女の膝の上に乗せられていることに気付く。

 

 それは、この憎しみが支配する過酷溢れる箱庭にて“ソレ”に与えられた、初めての慈愛だった。

 

「……だれ?」

 

 掠れた声で、“ソレ”は──“彼女”は、問う。

 

「私? 私はね、聖園──」

 

 何かが頬を伝う。儚げで、慈しみに満ちた、その花が咲くようなその笑顔は今でも忘れていない。

 

 忘れられるはずがなかった。

 

 ──これが、出会い。彼女を彼女足らしめる、すべての始まりだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

「────」

 

 はっとした様子で目を開く。

 

 会長室の椅子へと座ったまま。眠りこけていた少女──失楽ニトは現実へと引き戻され、先刻まで視ていた光景が夢の中の出来事であることに気付いた。

 

「……■■」

 

 ぽつりと呟いた誰かの名前が、ただ虚しく木霊する。

 

 いつしかの追憶。懐かしき思い出であり、決して戻らぬ過去……相も変わらず最悪な寝覚めであり、無意識に険しい表情を浮かべてしまう。

 

 今になって何故──。

 

「失礼します、閣下。……何かあったのですか?」

 

「ん? ──いや、少し眠っていただけだ」

 

 暫く天井を見つめ、放心していると、副会長……月島ヒトミが入室してくる。いつもと違う僅かな機微に気付いて問いかけてくる彼女に対してニトは小さく背伸びをしながら言葉を取り繕う。

 

「? そうですか……休憩中に申し訳ありません。報告したいことが……」

 

「構わん。話せ」

 

「御意。エデン条約に際して……どうやらトリニティは聖園ミカによるクーデターを隠蔽し、調印式に関しても予定通り取り仕切る予定のようです」

 

「ほう……やはりそう来たか」

 

 だろうなと、想像していた通りの展開。少なくともパニックを出来る限り抑えるにはそうする他無いのだから。

 

 あのクーデターに際してアリウスの戦力を見せつけたのもあるだろう。親衛隊を動員したことや、トリニティ最強を相手取った甲斐があったというもの。

 

「万魔殿の方はどうなっている?」

 

「今のところ順調な模様です。調印式の会場を例の“古聖堂”に指定することにも成功したとのこと。主な交渉は錠前サオリに任せていますが……羽沼マコトは閣下と直接話したいと強く要望しているそうで」

 

「そうか……クク。相変わらずなようだな、あいつは」

 

 サオリに文句を言うマコトの姿を想像し、ニトは小さく笑う。

 

「にしても……あの万魔殿議長の心をああも掴み取るとは……流石でございます」

 

「え?」

 

「なかなかの食わせ者だと聞いていましたが、閣下の手に掛かればこの通り、ということでございますね。いやはや、そのカリスマと人心掌握能力にはいつも脱帽させられます」

 

「……あー、いや……別に大したことはしてない。いや本当に」

 

「ふふ。ご謙遜を」

 

 深く感服した様子で褒めちぎるヒトミに対してニトは何とも言えぬ表情を浮かべ、内心肩を竦める。

 

 交渉に関しては何故か向こうからの好感度がやけに高かったこともあり、最初に接触してから今日この時まで恐ろしくスムーズに進んだ。ニト自身、マコトとは波長が合い、彼女に対して惹かれるものが無かったとは言わない。

 

 逆にそれが酷く不可解でどうにも複雑な心境を抱いてしまっている側面もあるが。

 

「こほん……羽沼マコトとは“飛行船”の贈呈の際に会談する予定であるし、それまで我慢してもらうとしよう」

 

「……技研が開発したあの飛行船ですか。本当にゲヘナへ渡すおつもりで?」

 

 アリウス調査技研が開発した兵器の一つである大型飛行船。特殊合金の装甲をふんだんに用いた“空中要塞”とも言うべきソレをニトは“友好の証”としてゲヘナ仕様に塗り直し、万魔殿へと贈呈するつもりだった。

 

 これに対してヒトミはあまり乗り気ではない。現状実戦投入は見送られている試作品ではあるものの多額の予算をかけて造った兵器を無償で明け渡してしまうのはどうかと思ったからだ。

 

 果たして、そうまでする必要があるのだろうか。

 

「ああ。単に友好の証というだけではなく、こちらの戦力を見せ付ける意味合いもある。勿体無いという気持ちも分からんでもないが、金で誠意を示せるのならばこれ程楽なことはあるまい」

 

「成程……考えが及ばず申し訳ありません」

 

 因みに贈呈品には他にも候補があって幾つか纏めたカタログを見せた際にマコトがえらく気に入ったのが飛行船である。

 

 何故かと問えば、大きくて権威を示しやすいのが良いのだと。目を輝かせながら愉しげに語っていたのを思い出す。

 

「さて……調印式は恙無く行われるようで何より。クーデターも隠蔽してくれたのも助かった。お陰でミカの名誉を回復させる余地が生まれた」

 

「……聖園ミカは今も囚われている状態のようです。無理矢理にでも連れて来るべきでしたでしょうか」

 

「いや、他ならぬ彼女の選択だ。親衛隊長もそれを尊重したに過ぎず、彼女もあの場で最善の選択をしたまでだろう」

 

「ですが……聖園ミカや白洲アズサにより、このアリウス自治区の場所が明るみになる可能性が──」

 

「──問題無い。彼女らが把握している入口は限られているし、既に想定して自治区の防御は最大限固めている。調印式襲撃、及び“戒律”の複製……それが完了するその刻まで、我らアリウスは第一種警戒体制に入る」

 

 即ち、戦時下と同義。残存戦力全てがアリウス自治区、及びその周辺区域を警備し、如何なる侵攻をも阻み、撃滅せんと備えていた。

 

 虫一匹とて入り込む余地など無い鉄壁の布陣であり、そこまで警戒する相手はトリニティでもゲヘナでも連邦生徒会でもなく、ただ一人のみ。

 

「故に……頼んだぞ、ヒトミ」

 

「御意に。我ら“セプテム”はしかと拝命し、全身全霊でこのアリウスを守護します」

 

 ピシッ、と不動の姿勢のまま敬礼するヒトミ。約七年ぶりの戦乱の気配であり、またそれがかつてない規模になることを彼女は何となく予感していた。

 

 調印式を乗っ取り、“戒律”を手にする。それはあくまで目的の一つであり、恐らくニトの真の狙いは──。

 

(我らが王は、ここで終わらせるつもりだ。あの忌々しい化け物を今度こそ葬り去り、憂いを一つ断つ。そして、その眼は更に先を見据えている)

 

 ならばヒトミが果たすべきはただ一つ。あの日、その威光に目を焼かれた瞬間から彼女はニトが往く覇道に付き従い、阻むモノ全てを滅するのだと誓った。

 

 果てに待つものなど興味は無い。いつか至る、終着の刻まで──。

 

(だが、やはり……あの方はまだ“過去”に囚われて、否、元より到底割り切れるものではないのだ)

 

 脳裏に過るのは懐かしき記憶の一欠片と、今尚頭を悩ませるトリニティの女。

 

 ここまでの献身。姿形だけではなく、その内面や在り方までもが酷似していて……。

 

(聖園ミカ、遠い血縁にして過去の映し身、お前があの方の障壁と成り得るのであれば、私は──)

 

 言葉は続かない。その狂信が、ほんの僅かに揺らぐ。

 

 今までの触れ合いの中で彼女の底抜けの善性は、嫌という程理解させられたが故に。

 

 願わくは、彼女がアリウスを、失楽ニトを脅かす“魔女”でないことを祈る。

 

(……恙無くクーデターは失敗した。シナリオ通りで満足かね? 百合園セイア)

 

 一方、ニトはと言うと頬杖を突き、静かに思考に耽る。どこか不愉快そうに。

 

 思い浮かべているのは、未だに眠りこけ、目覚めぬ預言の大天使。あれから夢の中で会うようなことは一度も無かったが、予知夢を介してこちらを眺めているであろうことは容易に予想出来た。

 

 きっと、今も微睡みの中を彷徨い、運命とやらに囚われているのだろう。

 

(だが、どうにも不可解だ。特にベアトリーチェの動き……奴は間違いなくトリニティに潜み、干渉しながら暗躍している。それは果たして、お前の知る通りのものなのか?)

 

 少なくとも桐藤ナギサは干渉を受けていたとみて良いだろう。となると補習授業部も、シャーレの先生の訪問もクーデターを妨害する為に仕組まれたもの。アリウスにとって想定外だったことの大半が奴の干渉によるものと見るべきだ。

 

 推測に過ぎない。そもそもベアトリーチェが他者に干渉して思考を誘導させるような能力を有しているというのも初耳であり、けれども奴は元より理外の力を有するゲマトリアの一人……決して不思議なことでは無く、またトリニティでその忌々しい気配を感じ取った時点でニトは半ば確信していた。

 

 故に、疑問なのはただ動きそのものに他ならず、徹底的にその姿を隠した慎重で回りくどいそれはニトの知るベアトリーチェの人物像から解離している。

 

 ──何かがおかしい。

 

 もしかするとあの未来を知る少女にとって、想定外の事態が発生しているのではないか。

 

(一つ、疑問なのだが……)

 

 ここまでの推察の中でニトに別の疑念が湧く。それは本来ならば百合園セイアの能力を知った時点で、抱くべきものであったと言えよう。

 

(──そもそも未来を知り、運命を変えようとする者が百合園セイア以外に居ないと、何故言い切れる?)

 

 前提が変わる。

 

 その気付きは、正しく天啓であった。




???「おまえのミスでした」※まだ無関係

例の飛行船は原作よりも高性能。これなら墜落することはないな!(すっとぼけ
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