アリウスの王 作:大嶽丸
シャーレの先生が撃たれた。
その瞬間を目撃した空崎ヒナは顔を青ざめさせ、氷室セナも動揺しつつも、速やかに措置しなければならないと判断。そこで本来であればゲヘナ自治区まで逃走する手筈だったのを急遽変更し、トリニティ救護騎士団の拠点まで救急車を走らせた。
幸いにも命中箇所は急所から大きく外れており、命に別状は無かった。それどころか被弾した弾丸は比較的小型のもので恐らく用いられた銃自体も殺傷力の低いものだったこともあり内臓等も特に損傷していなかったので回復すれば後遺症の心配も無いと思われ、手術にあたった救護騎士団の面々はそれはもう安堵したことだろう。
そして、彼女達は更に驚かされる。そんな状態であったシャーレの先生が、一日もせずに目覚めたのだから。
「“アロナ、大丈夫?”」
意識を取り戻した後、その場に居た生徒達と言葉を交わした先生は“シッテムの箱”を起動し、展開された電脳空間の中で相棒の名を呼ぶ。
『せ゛ん゛せ゛い゛ぃ゛ぃ゛い゛い゛!!』
その相棒はいつもと違い、椅子に座らずに床の上で体育座りをしており、先生の姿を確認するなり目尻に涙を溜めて突撃してくる。
「“おっと……”」
『無事で、良かったですっ! ひぐっ……う、うぅ……せ、先生……アロナは……アロナは……先生を……守れ、なっ……なくて……っ!』
泣きじゃくるアロナを優しく抱き止める。そうしてしばらくその状態を維持し、啜り泣く声が小さくなり漸く落ち着き始めたところで先生は話を切り出す。
「“それでアロナ、教えてくれるかな? あの時に何があったのかを……”」
『ぐすっ……は、はい! あの時のことですよね? 実は
「“私はこの通り大丈夫だから。……それで、その
『もちろん! あの“失楽ニト”と名乗った、にっくきお姉さんのことです!』
また泣き出しそうになるところを止め、そう言葉を続ければアロナはそう言って頷く。
「“……お姉さん?”」
しかし、その思わぬ単語に先生は耳を疑う。
『はい……あ、あくまでアロナの印象ですよ。背も高くて他の生徒さん達よりも大人びて見えたので……先生からすればそりゃ子供なのかもしれませんが……』
「“……赤黒い、なんというかドラゴンっぽい異形だったりは?”」
『ド、ドラゴン……? いえ、角も尻尾も無かったように見えましたが……』
百鬼夜行連合学院ならばそのような容姿の生徒は居るかもしれないが……と、アロナは不可解な問いかけを前に首を傾げる。
一方、先生はここで漸く認識した。
自分とそれ以外で彼──或いは彼女に対して致命的な食い違いがあったことに。
(“柴大将達が自然に受け入れていたのは、そういうことだったんだ……”)
どういうことかと一瞬困惑するも、それは今まで抱いていた疑問への明確な答えにもなったのですぐに納得する。
思い返せば違和感は確かに存在し、気付ける要素はいくらでもあったが、容姿について言及するのは失礼だと考え、避けてしまっていた。
或いは、それを知ってしまうことすら無意識に拒絶してしまっていたのだろうか──。
(“姿を変えているのだとして、私だけそう
衝撃的で、不可解な事実。異形が擬態しているのか、或いはそう視えてしまっているだけなのか。果たして、どちらが真の姿なのだろうかと疑問が巡る。
出来れば、後者であってほしいが……。
「“……アロナ、その人に対してどんな印象を受けたか、思い付く限り教えてくれる?”」
現段階でいくら考察したところで無意味だと頭の片隅へ追いやり、少しでも情報を得る為に先生はアロナへ問う。
『え? は、はい……さっきも言った通り他の生徒さん達よりも大人びて見えました。背も高めで……あ、でも羽川ハスミさんよりは低くて……えっと、ミレニアムの一之瀬アスナさんよりも若干高い? あ、あのゲヘナ学園の万魔殿議長の方、確か羽沼マコトさんでしたっけ? あの人と同じか少し高いくらいでした。雰囲気は全く違いましたが』
アロナはぽつぽつと自分が抱いた印象を語る。先生もまた式典前に顔合わせした際の羽沼マコトは、確かに女性にしては高身長な方だったと思い返す。
『……って容姿については先生も知っていますよね。すみません、印象の方は──』
「“いや、むしろ容姿については詳しく教えて”」
『えっ?』
きょとん、とした顔でこちらを見返してくる。しかし、先生にとっては重要なことだった。
「“他にも髪の色とか顔立ちとか……とにかく外見やその特徴についても答えられる範囲で良いから答えてほしい”」
『はぁ……? わ、分かりました。ええっと、まず眼は紅くて、まるで吸血鬼みたいでした。髪の色は黒で肩口までばっさり切り揃えてて、手入れとかはしてなさそうなのにやけに艶がありましたね。肌は白くてまるで病人みたい、じゃなくて整った顔立ちなのもあってまるでお人形さんみたいでした……』
不思議に思いながらも先生の頼みなので記憶にある失楽ニトの外見的特徴を述べていく。電脳空間の存在にしては記憶力に難があるアロナであるが、あの時直接邂逅し、拳を叩き込んだという鮮烈な出来事があったせいかその姿はしっかりと記憶に焼き付いている。
『けど覇気? というかなんと言いますかとても厳かなオーラを放っていて可愛らしい顔なのにどことなく怖い、と思いました。中性的な喋り方なのもあってそのちぐはぐさが不気味……いえ、様にはなっていましたね、あのアリウス分校の生徒会長さんなだけはあります』
「“……成程”」
聞けば聞く程、自分が知っているニトの容姿とは乖離しており、妙な気分である。
あの赤黒く、ディティールだらけで、水晶体のような眼をした、辛うじて人型を保っている異形……けれども、アロナの言葉からイメージされるのは、どう転んでも美しい少女でしかない。
『外見に関する感想はこのくらい、ですかね……それから時折見せる自信ありげな笑みが憎たらし──』
と、そこでアロナの口が止まる。
「“……アロナ?”」
『あ、いえ、えっと……その……何と言いますか……』
何やら言い淀むアロナ。ばつが悪そうな、申し訳無さそうなその態度に首を傾げながらも先生が言葉の続きを促せば、しばらくして彼女は口を開く。
『自分でもよく分かりませんが……嫌悪感、と言うのでしょうか。あの人のことを考えると無性に腹が立ってくるんです……』
「“え……”」
『中から見ている分には何も思わなかったのですが、あの時ここで直接会った瞬間からこの人は危険だと、排除すべきだと直感的にそう考えてしまい……ああでも実際に危険な状況ではありました。あのまま中枢に干渉されてしまえば、“シッテムの箱”のシステムが破損、最悪の場合権限を乗っ取られていたかもしれませんでしたから』
先生は驚く。思えば、初めの方でアロナはニトのことを普段からは考えられない“あいつ”呼ばわりしており、今までの言葉の節々にも棘があるように感じられた。
対して、アロナはもじもじと指と指を合わせながら言葉を続ける。
『ですが……今にして思うと、あの時の私は感情のままにあの人の排除に躍起になっていて、どこかおかしくなってしまっていたように考えられます。何でなのかはさっぱりで……』
奇妙だった。
初めは驚き、次に嫌悪、怒り……と、出会った瞬間から感情が急激に膨れ上がっていくような感覚。 一刻も早く眼前の“敵”へ対処しなければならないという衝動に駆られ、気が付けば何故か
その後に先生が撃たれたことでパニックに陥ったが、現在落ち着いてから当時のことを思い返すと相手方は敵対的な行動はしておらず、侵入してきたことも予期せぬことであったかのように戸惑っているように見えた。そんな状況でろくにコンタクトも取らずに即座に動いたのは、あまりにも自分らしくない行動であったとアロナは認識する。
不気味で仕方が無く、気味が悪くすら思う。あの時、己は自身でも知らぬ別の“意思”によって突き動かされていたのではないかと──。
『先生……あの人は、何者なんですか?』
どこか怯えた様子でアロナは問う。
上述した奇妙な出来事もあるが、彼女からすれば先生以外に“シッテムの箱”に干渉して自分の居る場所まで侵入してくる存在など想像すらしておらず、実に理解し難い存在だった。
「“……分からない。私にも”」
先生は目を伏せる。これまでの邂逅でも、あの炎の中での再会においてもニトは全容とまでは言わないが、その人となりも、目的も、基本的に包み隠さず話してくれていた。
しかし、それでもきっと、己は未だに彼女のことを何一つとして知らないのだろう。
「“だからこそ、知る必要がある”」
ぽつりと呟かれたその言葉には、確固たる決意が込められていた。
「“アロナ、もうバリアを展開することは出来る? ”」
『へ? は、はい! 機能は全て修復しました、もうたとえミサイルが飛んで来ようと遅れを取るようなことはありませんが……?』
「“じゃあ、戻ろう。あの古聖堂へ”」
恐らくまだアリウスは、失楽ニトはそこに居る。
『ッ!? そ、それは危険では? まだ撃たれた怪我も……』
「“それでも、私は行かなくてはならない。──そして、彼女ともう一度、話をしないと”」
戸惑うアロナに対して、断固と譲らずに先生はそう言って微笑み返す。
如何に危険があろうとも、ここで足踏みしていれば一生後悔することになる、先へ進むことなど出来やしない……そう確かに、予感したのだ。
故に、己が体に鞭を打ち、彼は向かう。未だに答えは出せず、迷い、惑いながらも──。
どれくらい経ったか。
雨の中、古聖堂は未だに燃え続け、暴動と争乱により混沌を極めている。
これに対してゲヘナ風紀委員会とトリニティ正義実現委員会は壊滅的な被害を受けながらも残存戦力を以て鎮圧に奔走していた。そこには黒幕であるはずのアリウスの姿もあり、その甲斐もあってか暴動の勢いは徐々に弱まりつつあったが、それでも尚、完全な鎮圧にはまだ多大な時間を要することだろう。
「どこですか、アズサちゃん……!!」
そんな戦場にも等しき有り様のそこを目指して、雨に打たれながら阿慈谷ヒフミは走っていた。
目的はただ一つ。居なくなった友人……白洲アズサを探す為に。
当初は補修授業部の面々と捜索したが、何の成果も得られず、それから浦和ハナコはシスターフッドへ、下江コハルは正義実現委員会へと。それぞれの場所で出来ることを為すべく解散し、ヒフミは意を決して恐らく彼女が消えた要因であろう燃え盛る古聖堂へと向かうことにした。
軽率で危険な行動だと皆からは咎められそうであったが、それでも動かずにはいられない。
(嫌な予感がします。どうか、無事でいてください……!)
雨に濡れた道路を勢いよく踏み、水飛沫で足下がグショグショになることなど気にもせず、ただ友人の身を案じながらヒフミは走り続ける。
耳をつんざく銃声に爆発音、悲鳴と怒号。中継で観た華やかな式典など見る影も無く、ただただ地獄のような光景が広がっていた。
通りがかった者達へアズサのことを知らないかと訊こうにも、誰もが目の前の事態へ対応するだけで精一杯であり、会話にすらならないのが大半。返ってきた答えも知らない、分からない、というものばかり。
この地獄の中でたった一人の少女を、何の手掛かりも無しに見つけることなど不可能だとしか思えず、しかしヒフミは諦めることなど到底出来やしなかった。
「きゃあっ!?」
そんな時だった。
甲高い悲鳴がヒフミの耳を打つ。
反射的に足が止まる。視線を向けた先で、誰かが濡れた石畳の上に倒れ込んでいた。
「あれは……!」
倒れたのはトリニティの制服を着た生徒。足を挫いたのか、あるいは銃撃の衝撃で転んだのか。少女は必死に後ずさろうとしていたが、雨に濡れた地面では思うように動けない様子だった。
その前に立つのは、ゲヘナ生と思われる集団。その姿は明らかに正気ではなく、誰も彼もが興奮しきった様子で荒い息を吐いている。
「うう、やめ……」
「トリニティめ、テメェらのせいで……!」
「私達に罪を着せようたってそうは行かねぇぞ! やっちまえ!」
このままでは撃たれる。
考えるよりも先にヒフミの体は動いていた。
「ま、待ってください……!」
銃口の前へと飛び出す。
倒れたトリニティ生を庇うようにして、両手を広げる。
「やめてください……! これ以上、争っても何の意味もありません! きっと何か、誤解が──」
「うるせぇ!」
怒声に遮られ、ヒフミは肩を震わせる。
「テメェも
もはやこの場に居るトリニティの人間は一人残らず蜂の巣にしてやろうと怒り狂う彼女達にとって、同じトリニティ生であるヒフミもまた排除すべき敵でしかない。
銃を握る指に力が入るのを見て、ヒフミは息を呑んだ。
「──やめろ」
低く、静かな声がした。
銃声よりも小さく、けれど、不思議なほどよく通る声だった。
「え……?」
引鉄が、引かれることはなかった。
それよりも先にヒフミの視界の中で、最初のゲヘナ生が宙を舞う。
何が起きたのか、理解が追い付かない。
銃声は無かった。ただ、雨音に混じって鈍い打撃音が響き、次の瞬間には銃口を向けていた生徒が地面へ叩き付けられていた。
「は? なん──がっ」
「お、おい……ぐはっ!?」
一人、また一人。
まるで見えない何かに弾き飛ばされたかのように、ゲヘナ生達が次々と倒れていく。
だが、違う。そこには確かに、人影があった。
雨の帳を裂くように駆け、懐へ踏み込む白い影。その動きはあまりにも速く、ヒフミの目には残像のようにしか映らなかった。
気付けば、瞬く間に立っているゲヘナ生は誰一人として居なくなっており、代わりに白いコートを纏った少女が一人、何事も無かったかのようにその場に立っている。
所々破れ、煤け、焼け焦げたその姿は明らかに無傷ではない。けれど彼女自身はそんなことを気にした様子も無く、ぱんぱんと手を払う。
「やれやれ。危ないところだったな、大丈……ん?」
「……あ」
その顔に、ヒフミは見覚えがあった。
かつて、ペロロ様の限定グッズを求めてブラックマーケットへと足を踏み入れ、危うく誘拐されかけた際に颯爽と助けてくれた少女。
名前も聞けず、ただ一方的にモモフレンズの素晴らしさを語ってしまった恩人──。
「あ、あなたは……ッ!?」
「え?」
少女の方も、ヒフミの顔を見た瞬間に固まった。
紅い瞳が一度、二度と瞬く。それから、露骨に気まずそうに視線が横へ流れた。
「……マジか」
ぼそりと零れた言葉は、雨音に混じって消えかけるほど小さかった。
「また助けていただき、ありがとうございます……! こんなところで出会えるだなんて……!」
「……あ、ああ。奇遇だな。君は相変わらず、随分と危険な場所に縁があるようだ」
少女──失楽ニトは、ほんの一瞬だけ目を泳がせる。それはあまりにも予想外な出会いだったが故に。
ブラックマーケットで偶然助けたトリニティの少女。ペロロ様なる珍妙な鳥について、目を輝かせながら延々と語り続けた狂信者。
あの時はトリニティの生徒とは、皆こうなのかと本気で思ったものだ。
「あ、あはは……そ、そうでしょうか? って怪我をしているんですかッ!?」
誤魔化すように笑ったヒフミだったが、すぐにニトの姿に対して言及する。
ブラックマーケットで会った時は違い、その白いコートは所々が裂け、袖口は焦げ、肩の辺りは何かに焼かれたように黒ずんでいた。雨に濡れているせいで分かりにくいが、その下の衣服も決して無事ではない。
髪先にも煤が混じり、頬には細かな擦り傷のような跡がある。それでも立ち姿は揺らがず、呼吸も乱れていないのがかえって異様だった。
「ん? いや……別に大した怪我はしてないが」
「で、でも服がボロボロで……」
「ああ、これは……少々ビームをくらってな」
「え、ビーム……ですか?」
「……それよりも、ここで何をしている? 流石にここにはペロロ様のグッズは無いと思うが。多分」
困惑するヒフミに対してそれ以上説明する気は無いらしくこほん、と咳払いをしてニトは問う。
「いえ、違います! えっと、アズサちゃ……友達を探しているんです! もしかしたら、この場所の何処かに居るんじゃないかって……」
「……白洲が?」
その瞬間、ニトの表情が変わった。
先程までの呆れと気まずさが薄れ、煌めく紅眼が鋭さを帯びる。
彼女も来ているというのか、この戦場に──。