アリウスの王   作:大嶽丸

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選択は罪に非ず

 

 

 アズサは目を見開く。

 

 突然現れたペロロ。それがサオリの手によって破壊されると同時に噴き出した煙幕の中で手を引っ張られる。

 

 予期せぬ出来事であったが、一体誰が救援してくれたのかはすぐに察した。ペロロのデコイで敵を撹乱する戦術は、何度も見たが故に。

 

 だからこそ、信じられなかった。

 

「ハァ……ハァ……逃げ切れたのでしょうか……?」

 

「ヒフ、ミ……?」

 

「あ、大丈夫ですか? 良かった、間に合って……!」

 

 懸命に走ったせいか息を切らしながらこちらを見て、安堵の表情を浮かべる友人の姿。

 

 何故ここに? まさか、自分のことを追って──。

 

「もうっ! 一人で戦うだなんて水臭いですよアズサちゃん! 先程のはアリウスの方ですか? とにかく私達も協力しますから詳しく事情を教えてください!」

 

 そんなアズサの混乱など知ったことではないと言わんばかりに手を差し伸べるヒフミ。

 

 何が起きているのかは理解していなかったが、クーデターの件の時と同じように、彼女はアズサと共に戦うつもりだった。

 

「ッ…………」

 

 思わずその手を取りそうになる。しかし、寸前で動きを止め、苦しげな表情を浮かべる。

 

 事情を話せば、彼女は喜んで手を貸してくれるだろう。ハナコも、コハルもきっと──。

 

「……ヒフミ。ありがとう、助けてくれて」

 

「へ? ど、どういたしまして。それくらい当然のことで──」

 

「──けど、ここまでだ」

 

 だからこそ、もう甘える訳には行かない。

 

 アズサは背を向ける。

 

「え……?」

 

「私は、戦わなければならない」

 

「で、ですからっ! 私達も一緒に……っ」

 

「駄目だ。早く安全な場所へ避難してくれ」

 

「何故で──」

 

「──私は、とんだ半端者だ」

 

 絞り出すような声。懺悔するかのようにそう答えるアズサに対して、ヒフミは何を言っているのか分からず、ただただ戸惑いを隠せない。

 

「自分こそが正しいと信じて、愚かにも突き進んだ結果が、この有り様だった。今こうなってしまっているのは全部私のせいなんだ」

 

「何を……」

 

 構わず、アズサは言葉を続ける。

 

「悔いの無い選択だと思っていた。アリウスを裏切り、ヒフミ達を守ることを選んだことは何も間違ってなんかいないと……でも──」

 

 つい今しがたの記憶がフラッシュバックする。アズサにとってあまりにも絶望的な事実。

 

「先生が撃たれて、しかも手を汚したのはかつての仲間で……いや、ただの仲間じゃない。小さな頃に助けてくれた恩人で、姉のように思っていた存在だったんだ」

 

「! ……アズサちゃん」

 

 その暴露は、ヒフミにとっても衝撃的なものだった。

 

 先生が撃たれたというのは話には聞いていた。しかし、それを実行したのがアリウスだとは思わず、しかもアズサにとって大切な存在が引鉄を引いてしまったのだと言う。

 

 先程のマスクの人物だろうか。一体、何故こんなことになってしまったのか。これをアズサは己のせいだと語ったが、ヒフミはそうは思いたくなかった。

 

 他ならぬ自分達の為に、仲間と敵対したアズサの選択が間違いだったなんて──。

 

「挙げ句、アリウスを裏切ったことに対する怒りを、憎しみを向けられて……どうしようもなく後悔した。私はアイツの、サオリの期待と信頼を踏みにじった……それが正しいことだと信じて、アイツがどんな気持ちで私をトリニティへ送り出してくれたかも知らずに……!」

 

 その懺悔は、もはや慟哭に近かった。

 

 今でも胸が張り裂けそうになる。少しでも気持ちが揺らいでしまえば、またあの時のようにもう立ち上がれなくなってしまうのではないかと思う程に。

 

「全て承知の上だと、何もかも納得した上での選択だったはずなのに……おかしい話だろう? 怒りを向けられ、憎しみを向けられ、今になって己がもたらした罪と罰を思い知らされた」

 

「違います! アズサちゃんは決して間違ってなんか──」

 

「正しいかどうか、間違っているかどうかなんて、今はもうどうでもいい」

 

「…………!」

 

「ただ……私は、覚悟が出来ていなかった。選択には責任が伴うと、そう忠告されていたのに理解した気になって、それでも構わないと覚悟した気になって、致命的に足りていなかった」

 

 声が震える。それだけは確かに間違いであったと断言することが出来た。

 

「でも、たとえ間違いだとしても、覚悟出来ずに後悔に塗れていたとしても、私は……この選択から、責任から逃げないと決めた、それがきっと、私のやりたいことなんだ」

 

 アリウスの生徒として。

 

 そう語るアズサの表情は悲壮に満ち、しかしどこか達観しているようで、そんな彼女の姿にヒフミは何も言うことが出来なかった。

 

「要するに、この戦いは私の独り善がりな、言ってしまえば単なる意地の張り合いに過ぎない。……だから、こんな戦いにヒフミ達を巻き込む訳には行かないんだ」

 

「ッ、そんな……」

 

「それから、これでお別れになるかもしれない。──もう私は、トリニティには、補習授業部には戻らない」

 

「え……?」

 

 唐突にそう告げられ、ヒフミは茫然とする。何を言っているのか理解が及ばなかった。

 

「な、何で── 」

 

「故郷を裏切り、仲間も裏切り、家族を裏切った……そして今も身勝手な理由で無意味な戦いに身を投じようとしている。そんな人間が、ヒフミ達が居るような日溜まりに、あんな暖かい場所に居るべきではないだろう?」

 

「そ、そんなことありません! アズサちゃんは、アズサちゃんは……!」

 

「ヒフミが良くても、他ならぬ私自身が許せないんだ。これだけのことをしておきながら日常の中でのうのうと暮らすだなんて……私は、罪と罰も何もかもを背負って、最後まで戦い続ける。そうしなくちゃ、いけないんだ」

 

 唇を戦慄かせ、首を横に振るヒフミ。戸惑いを隠せないその顔に対してアズサは一瞬目を叛けるも、すぐに視線を戻して物悲しげな表情で見据える。

 

 明確な、拒絶の言葉を告げる為に。

 

「もう決めたことなんだ。だから、お別れだ、ここから先に来ちゃいけない。ここから先は、ヒフミみたいな優しい人はこれ以上来ちゃいけないんだ」

 

「ッ…………!」

 

 突き放され、それでも制止の言葉を紡ごうとして、しかし言葉が喉から出ること無く押し黙る。思い付くどんな言葉も、今のアズサを止めるには至らないことを理解してしまったが故に。

 

 故に、悲痛な表情を浮かべるばかり。一方、アズサはそんな表情をさせたくはなかったと思いながら最後の言葉を言い残そうと口を開き──。

 

「──本当にそれで良いのか? 白洲」

 

 思いもよらぬ声がする。

 

 視線を向ければ、その人物はヒフミの背後から現れ、彼女の隣に立つ。

 

「! 閣下……何故ここに?」

 

 ──失楽ニト。

 

 自らが敬愛し、これから戦うべき相手の登場にアズサは驚きを隠せない。

 

 それは、ヒフミも同様であり、信じられないといった表情で彼女へと顔を向けた。

 

「え? 閣下って……えっ!?」

 

 閣下と、アズサがそう呼ぶ相手は一人しか居ない。

 

 話にだけは聞いていた、アリウス分校の生徒会長。それがかつてブラックマーケットで自分を助けてくれた彼女なのかと絶句する。

 

 そこで思い至る。今はボロボロだが、あの時も彼女が身に纏っていた白いコートは、トリニティで戦ったアリウスの生徒達とよく似ているものであることに。何故こんな場所に居るのかも、アズサの話を聞いて捜索に協力してくれたことも全てが納得が行く。

 

「成り行きでな。安心しろ、争うつもりはない……そもそも理由が無かろう」

 

「ッ……そうですか。でも、私にはあります」

 

「…………」

 

「申し訳ありません、閣下。先程ヒフミに語ったように、私は選択により伴う責任を何一つ理解せず、覚悟すら出来ていませんでした……あなたは忠告してくれていたというのに、目先の正しさに縋ってしまった……」

 

「だから、戦うと?」

 

「はい。私は戦います。全てを背負って……きっと、閣下もそうしてきたのでしょう? あの時、仰いましたよね、自分が納得の行く選択でなければならないと」

 

 アズサは思い返す。自分がアリウスとトリニティの間で揺れ動く中で、背中を押してくれたその言葉を。

 

“たとえ迷い、疑った末の選択が間違いであったとしても、納得した結果なのであればオレは受け入れ、前へと進める……だが、納得出来ずに行う選択は、単なる妥協に過ぎん”

 

 納得が全てを優先する。決して妥協はしない……けれど、それはアズサがそうであったように後悔無き選択などではなく、多くの間違いがあったのだろう。

 

 ──きっと、ニトはそんな苦難と後悔の数々を乗り越えて来たからこそ、今ここに立っている。

 

「私も、そうします。私は閣下のように強くはありませんが……考え無しに選択したことによる罪と罰に向き合い、何もかもを背負って、私は私の信じる道を往きます」

 

「……たとえその先が無価値で無意味だとしてもか? もう少し待てば、何もかもが丸く収まるのだとしてもか?」

 

「ッ……そう、なのでしょうね。きっと、閣下はずっと先を見据えている。百合園セイアのように、私の考えなど到底及ばぬ程に、より良い未来を思い描いているのでしょう」

 

 小さく笑う。

 

 戒律の入手、ベアトリーチェの排除、どこまでもニトはアリウスの為に動き、彼女にとっての最善を尽くしている。

 

 それと比べればアズサがやろうとしていることなど取るに足らないこと。意味など無く、何の価値ももたらさない結果となることは目に見えていることなのだろう。

 

 しかし、構わない。元より全ては虚しいのだから……その中で優先すべきは──。

 

「──それでも、これが私のやりたいことなんです、閣下。そうしなければ、私は前を向いて歩くことなんて出来やしない」

 

「……戻って来れなくなるぞ」

 

 酷く危うげに見えた。

 

 その姿は、覚悟は気高く、しかし一歩間違えれば、硝子のように砕け散り、そのまま心折れるか、或いは立ち上がるか……いずれにせよそうなってしまえば、もう後戻りは出来ない。

 

 ニトは理解していた。故に、その覚悟を受け取り、警告と共に手を伸ばしかけ──。

 

「私は、それを望んでます」

 

「……そうか。なら、仕方無いな」

 

 手が止まる。真っ直ぐとした眼差しを向けられながらそう告げられ、ニトは静かに目を伏せた。

 

 ここまで頑なで覚悟を決めた人間を引き止める術を、彼女は知らない。

 

「お前の意志、しかと受け取った。だが、オレはここでお前と矛を交えるつもりはない」

 

「……なら、私は行きます。サオリと決着をつけなければならないので」

 

 そう言い、アズサは背を向ける。

 

 ニトは何も言わず、言えず、ただその姿から一瞬足りとも目を逸らさない。

 

「──そうだ、閣下」

 

「……何だ」

 

「百合園セイアが言っていました。あなたは、“幸せになるべき人間”だと」

 

「……は?」

 

 あまりにも唐突に、予想外の言葉を告げられてニトは呆気に取られる。

 

「それは、どういう……」

 

「詳しくは分かりません。でも、いまいち掴み所の無い彼女でしたが、そう語る時だけは真剣で本心だと思いました。きっと、その為にこのシナリオを描いて、私をここまで導いたのでしょう……」

 

 そして、今もその未来の為に戦っている。

 

 散々振り回されて、挙げ句このような結果になったのだからアズサは彼女のことがあまり好きにはなれなかったが──。

 

「せめて、伝えるべきだと思いました。あんなにも純粋な願いが本人に知られぬままだなんて哀れじゃありませんか」

 

「………………」

 

「私も、閣下はそう在るべきだと考えています。道を違え、宣戦布告している私が言うのはおかしな話ですが、結果的にその未来へ繋がることになっているのであれば、このまま百合園セイアの駒でも悪くないと思う程には」

 

 無論、アズサは己自身がやるべきだと思ったことをやるまで。けれども、遥か先の未来まで見通すセイアからすれば、それもまたシナリオ通りなのだろう。

 

 だからこそ、あの襲撃の夜にアズサを突き動かした。それが今に繋がっているのだ。

 

 一方、ニトは酷く困惑する。何せ夢の中で言葉を交わしただけの人間に幸福を願われているという事実を知ってしまったのだから。

 

「……ヒフミ」

 

 対してアズサはそんなニトを他所に、未だに戸惑っているヒフミへと声をかける。

 

「……私を友達だと思ってくれてありがとう。“アズサちゃん”って呼んでくれてありがとう。可愛いぬいぐるみをくれて、ありがとう」

 

 ぽつぽつと、言葉を紡ぎながらガスマスクを被る。あの日々は、本当に楽しかった。勉強会も、ピクニックも、海も……何もかもが。

 

 少しでも、補習授業部の生徒で居られて良かった。そう思い、それを守る為の選択だと思えば、この選択も良かったと少なからず思えた。

 

「アズサちゃん……ダメです、行かないで……待ってください、アズサちゃん……」

 

 背後から声がする。か細く、絶望に満ちた声。今一度その顔を焼き付けたくなり、しかしそれを見てしまえば立ち往生してしまうことを理解していたから、振り返ることはなかった。

 

 涙を堪えて、アズサは駆ける。

 

「待ってください! きっと他に方法が……せ、先生が、みんなが……だってまだ、一緒に遊びに行く約束も……!」

 

 必死にそう叫んでヒフミは追うも、あっという間に振り切られて、足を縺れさせる。

 

 アズサの姿は、既にそこには無かった。

 

「…………」

 

「……何故です」

 

 泣き腫らした眼で、ニトを睨む。

 

 その眼に気付かず、彼女はただ立ち尽くし、アズサが居た場所を見据えていた。

 

「何故止めなかったのですか!? アズサちゃんはあなたのことを尊敬していました、あなたが止めてくれたらきっと──」

 

「……白洲が己で考え、覚悟を決め、本気でやろうとしているのだ。ならば長としてオレはあの子の選択を尊重するべきだろう」

 

 縋り付かれ、問い詰められ、しかしニトは淡々とそう答える。

 

「ッ……なら、何故……何故そんなにも“辛そうな顔”をしているのですかっ!?」

 

「────」

 

 その言葉に、ニトは瞠目する。

 

 確かにここまでの出来事はニトにとって酷く衝撃的なことであった。

 

 アズサの覚悟は、正しくアリウスを体現していた。自らの意思で選択し、責任から逃げず、もたらされた罪と罰にも眼を叛けることなく、全てが虚しいことを理解しながらもそれでも前へと進み、最善を尽くさんとする。

 

 理想的とさえ思った。その結果がアリウスと道を違えることになろうとも、たとえ悲劇的な末路を辿ろうとも、尊ぶべきであり、祝福すべきであり、確かな成長だった。

 

 ──にも拘わらず。

 

 ニトはそ(・)う(・)在(・)る(・)べ(・)き(・)で(・)は(・)な(・)い(・)と、その在り方を尊びながら、アズサにはそう在ってほしくないと思ってしまっていた。

 

 彼女に悲しんでほしくないと、苦しんでほしくないと、心の底から思ってしまう。そう在れかしと教義を掲げておきながら拒み、だからこそ先刻引き止めようと思わず手が伸びかけた。

 

 それでも寸前で思い止まったのは、もしアズサを無理矢理にでも引き止めたのならば、それはニトが、彼女自身の理念を否定することになってしまうから──。

 

 ここで漸くニトは気付く。己が心の中に存在していた、どうしようもない矛盾を。

 

「あなたも辛いのでしょうっ!? アズサちゃんがあんな風になって……たった一人で戦おうとしていることが……!」

 

「………………」

 

「アリウスが何故こんなことをしたのか、どういった事情があるのかは知りませんが……それは、本当にあなたの“やりたかった”ことなのですかっ!?」

 

「……やりたかったこと、か。言ってくれるな」

 

「あなたが優しい人なのは、助けられた私がよく理解しています! 何より、そんな顔をする人が、こんなことを心からやりたかったとは思えません!」

 

 ヒフミが叫ぶ。

 

 彼女は何も知らない。アリウスの事情も、ニトがやろうとしていることも、セイアの予知夢も、何一つ知らないし、知りようが無かった。

 

 けれど、だからこそ、理屈も道理も知ったことではないと感情のままに必死で訴えかける。

 

「こんなこと、間違っています……! どんな事情があったとしても、アズサちゃんが、あんな優しくて、善い子が……! こんな目に遭うなんて在っていい訳がありません……!」

 

 その言葉は、ニトの胸に深く突き刺さった。

 

「……世の中、儘ならないものだ。どうしようもなく間違い、迷い、それでも選択し、最善を尽くさなければならない。たとえ、己が理想から外れようとも」

 

「…………!」

 

「オレはそうしてきたし、これからもそうするつもりだ。……だが、そうさな、あの子には、そうなってほしくないのかもしれない」

 

 ──青天の霹靂だった。

 

 あの時、ニトはアズサの離反を喜んでいた。アリウスの正しさと己の正しさで思い悩んだ上での選択。道を違える結果になろうとも、彼女こそが、ニトが築いた新たなアリウスの申し子であると、待ちわびた存在に心から歓喜した。

 

 如何なる障害があろうと、如何なる悲劇があろうと、心折れずに乗り越え、進み続けてほしいと切に願い、祝福したのだ。

 

 なのに──。

 

 いざアズサが悲壮の覚悟の下に地獄へ向かい、乗り越えようとしているのを目の当たりにした瞬間、心が揺れ動いた。

 

 今の今まで、気付けなかった自身の感情。理想としていた在り方でありながら、それで彼女が苦痛に苛まれることは望んでおらず、そんな自己矛盾を前に嫌悪感を抱くと共に理解する。

 

 アズサだけではない。自分はアリウスの子達にそのような思いをさせたくないのだと。

 

 全ては虚しいからこそ、虚しさを超克し、より良い明日を目指す……その過程は過酷で、多くの苦難や悲劇が待ち構えていることなど分かり切っていたにも拘わらず、アズサ達にそんな目に遭ってほしいとは決して望んでいなかったのだ。

 

 結局のところニトにとってアリウスの“子供達”は同じ理念の下に集う同志などではなく、どこまで行っても庇護すべき同胞だった。

 

 自分は幸せになるべきだと、アズサが言うにはセイアはそう語っていたらしいが、ニトからしてみればアズサ達こそが──。

 

「なら……!」

 

「けれど、それでもオレはあの子の行動を否定することは出来ない。あの子に選択を迫り、ここまで導いたのは他ならぬオレなのだから」

 

 そう思い至り、尚もニトは動かない。動きたくとも、動けなかった。

 

 今更その理念を捨て去ることなど出来るはずもなく、今のアリウスの教義を創設した己が感情に従ってアズサを止めてしまえば、それは彼女の覚悟も選択も否定し、これまで積み上げてきたものを崩壊させてしまうことになるだろう。

 

 こうなってしまっても未だに恐ろしく冷淡な理性が、荒れ狂う心を押さえ付け、アリウスの指導者として、そうすべきであると告げていた。

 

 ──度し難い。全く以て、度し難い。

 

「ッ……良いんですか? それで」

 

「…………」

 

「そんな訳、ないですよね? だって、顔を見れば分かります……あなたにとってアズサちゃんはきっと──」

 

 そんな心情など露知らず、しかし葛藤の中に揺れ動いているのは、自らの行動が望ましいことではないということはその悲痛な表情から嫌という程に察することが出来たヒフミは説得を続けようとする。

 

 が、途中で思い止まる。

 

 誰かに似て、彼女もまた頑なだ。或いは、まだ迷い、はっきりと答えが出ていないのかもしれない。

 

 これ以上、訴えかけても考えを変えることはないだろう。

 

「……分かりました。なら、もう私は行きます」

 

 ならば、己がやるべきことは、ただ一つ。

 

「あなたが何もしないと言うのなら、私がアズサちゃんを絶対に連れ戻してみせます! 連れ戻して、あなたともきちんと話をさせますから!」

 

 ここで余計な時間を食う訳には行かない。あれだけ拒絶されようとも知ったことではないとヒフミは改めて決意を固め、そう宣言する。

 

 そして、この場から立ち去ろうとし──。

 

「──阿慈谷ヒフミ」

 

 ニトが彼女の名を呼んだ。

 

「君にとって……あの子は、白洲はなんだ?」

 

 問いかける。

 

 答えは分かりきっていたが、それでも問わざるを得なかった。

 

「──そんなの、“友達”に決まってます!」

 

 そんな唐突な問いかけに対して、ヒフミは躊躇うことなく即答する。

 

「アズサちゃんは、これまでも、これからもずっと、一緒に笑い合える大切な友達です……!」

 

「……そうか」

 

 予想通りで、力強い返答にニトは小さく笑う。

 

 酷く安心したように──。

 

「? では、本当に行きますからね……!」

 

 その反応に困惑しながらも、ヒフミはくるりと背を向け、今度こそこの場を後にする。

 

 残されたニトは走り去るその後ろ姿が消えて無くなるのを見届けながら静寂に包まれるこの場にただ立ち尽す。

 

「フッ……善き友に恵まれたな」

 

 トリニティへ転入させたのは正解だった。今のアズサにはアリウスだけでなく、こんなにも想ってくれる友人が居る。

 

 ニトは安堵した。どうしようもなく安堵し、だからこそ、心置き無く任(・)せ(・)る(・)こ(・)と(・)に(・)し(・)た(・)。

 

 地獄へと突き進まんとするアズサを止めるのは、己ではない。親が子の道を阻むことが在ってはならぬように、それは彼女の未来を閉ざす結果に繋がってしまう恐れがある。

 

 故に、理屈も、道理も無く。

 

 あの子を止められる、救ってくれる存在が居るとすれば──。

 

「……どうか、頼んだぞ」

 

 そう呟き、ニトも歩き出す。

 

 今しがた気付かされた相反する心。自らのアリウスへの思いと、向き合う為に。





ニトちゃん「ヴァニタス最高! ヴァニタス最高! お前もヴァニタス最高と……おい……何で白洲が辛い目に遭ってる……?」

最近多忙過ぎるから今後ちょっと更新ペース落ちるかも。
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