アリウスの王 作:大嶽丸
──これで良かったんだ。
瓦礫で溢れた街道を駆け抜けながら、アズサは自らにそう言い聞かせる。
自分はとんだ半端者であるが、実に幸せ者だった。もう二度と会うつもりはなかった友と会えて、別れを告げることが出来たのだから。
(閣下……失望させてしまっただろうな、きっと)
あの時、アリウスと道を違える選択をした際は心から祝福してくれたが、今回は違った。選択を肯定しながらもその顔に陰りがあったことにアズサは気付いていた。
何故なのかは分からないが、少なくとも私がやろうとしていることは、あの人にとって望ましいことではないのだろう。
“戻って来れなくなるぞ”
(戻るつもりなんてありません。たとえその先が地獄であろうと……)
恩を仇で返す行為だ。
無意味で、無価値で、もっと他に良い方法なんて幾らでもある。
単なる自己満足。最善を尽くす、などとかつては言っていたのに、笑い話にもならない。
胸が痛い。息苦しい。
けれど、それでも──。
「!」
ぴたり、と足を止める。
視線の先には漸く鎮火し、しかし焼け焦げ骨組みと残骸のみとなった通功の古聖堂。
その周囲を、青白い亡霊が徘徊している。
(戒律の守護者……数は少ないが、古聖堂から離れる気配が無いな。やはり、サオリは彼処に居るのか)
古聖堂の地下にはカタコンベに続く隠し通路がある。恐らく次の作戦へと向けて、そこに部隊を集結させているのだろう。
サオリの言葉を信じるならば、それはトリニティ侵略を目的とするようなものではなく──。
(それでも、傷付く人が居る。きっと……)
アリウスが目指している最善とは、正義とは当然アリウスにとってのもの。
それはこの惨状を見れば明らか。実際に無関係な人々に被害が出てしまっている。
クーデターの時のように、結果として最も被害が出ない最善策だとしても、ヒフミ達に危害が及ぶ可能性が少しでもあるのなら、それはアズサにとって最適解ではなく、許容することが出来なかった。
(全ては虚しいものだ。この選択も信念も何もかも……だからこそ、私がやるべきことはただ一つ)
故に、彼女は意を決して、敵ばかりで埋め尽くされているであろう戦地へと足を踏み入れる。
最期まで、戦い抜く為に──。
同時刻。
悲壮の覚悟の下で向かっていったアズサへと追い付く為に、ヒフミもまた必死に走っていた。
彼女が何処へ行ったかは分からない。しかし、今回の騒動の発端である古聖堂。そこへ向かったのではないかという予感がしたが故に。
「ハァ……ハァ……早くしないと……!」
息を切らしながら、しかし走るスピードを緩める気配は無い。一旦コハルやハナコと合流し、助けを借りるべきかという考えも過ったが、もはや一刻の猶予も無く、そうこうしている内に手遅れになってしまうかもしれないと考えると出来なかった。
故に、アズサを連れ戻す為に古聖堂へと向かうとモモトークに一報入れるだけに留まり、こうして走っている。
(私一人がただ行ったところで、何の役に立つことも出来ないかもしれません……でも……それでも、私達は“友達”なんですから……!)
己のことを平凡な生徒に過ぎぬと心の底から思っているヒフミだったが、それは彼女を足踏みさせる理由には到底足り得ない。
一人の友として、つい先刻ニトへ啖呵を切ったように本気で彼女はアズサを連れ戻すつもりだった。
──自分が納得の行く選択でなければならない。
あの時、アズサがニトと話している際に言った言葉。当時は戸惑っているだけだったヒフミであるが、ふとした拍子にそれを思い出し、正しくその通りだと思う。
自分もまた、こうして懸命に走っているのは、そうしなくては、そうでなくては、納得することが出来ないから……ここで足を止めたら、諦めてしまっては、これから前を向くことも、笑って生きることが出来るなど到底思えなかった。
「──誰?」
その時だった。
街道の突き当たりで誰かと鉢合わせる。ぶつかりそうになる所をヒフミは寸前で足を止め、また暴徒かと身構えながら前方を見据え──。
「──先生っ!?」
目を見開く。
そこに居たのはシャーレの先生。その傍らには白髪の小柄な少女──美食研究会を引き渡す際に顔を会わせたことのある、ゲヘナ風紀委員長、空崎ヒナが居た。
銃撃を受けてトリニティ救護騎士団の処へと運び込まれたはず。もう治療を終えて、復帰したというのか──。
「“ヒフミ……何でここに──”」
「先生!! アズサちゃんが、アズサちゃんが……!!」
驚き、戸惑い、しかしもう頼ることが出来ないと思っていた希望が存在しているという事実にヒフミは涙を溜めながら、同じく驚いている先生へと縋り付かんとする。
その行動に対してヒナが慌てて間に割り込む。
「待って、先生は怪我をしているから刺激しないで……!」
「あっ……す、すみません……」
「“それで、アズサがどうかしたの? ”」
「は、はい! 実は──」
ヒフミが事情を説明する。
これを聞いた先生は険しい表情を浮かべた。
「“成程……それで古聖堂に……”」
「はい。きっとアズサちゃんはそこに向かっているはずです。先生、早くアズサちゃんの元へと行かないと──」
「“勿論、私も協力する。それに、私達も古聖堂へと向かっているところだったんだ”」
即答する先生。生徒が罪悪感に苛まれ、ただ一人向かわんとするのを見過ごせるはずがなかった。
それに、奇しくも向かう先は同じである。
「古聖堂に一人で……先生といい、あなたといい、そのアズサって子といい、無謀過ぎる」
一方、ヒナは唖然とした様子で呟く。アリウスがあの場所に拠点を構えているのだとすれば、一体どれだけの戦力が集まっていることか。
先生は戦うつもりではないと言っていたが、恐らくその余地は無く、間違いなく戦闘に発展する。当初は一人で行くなどと宣っていた先生もそれは当然理解しているはずだが──。
(恐らく、私に発破を掛ける為に)
先生を守れず、みすみす撃たれてしまったという事実に打ちのめされ、心折れかけていたヒナだったが、そんな彼女を先生は励まし、奮起させた。
あの失楽ニトと改めて話がしたい、という目的には眉をひそめたが、彼女と以前から知り合いだったらしいことからして何か思うことがあるのだろう。
ヒナからすれば、自分が使者として奔走した条約締結の式典を無茶苦茶にしたテロリスト、先生を傷付けた忌むべき敵。
だからこそ、二度目が在ってはならぬと彼女は同行している。
「あはは……先生と、ヒナさんもお二人だけで?」
「“ううん。風紀委員会や正義実現委員会の子達も控えさせているよ。当然コハルも、それにハナコも”」
「ほ、本当ですか!? それはとても頼もしく──」
「とはいえ正義実現委員会は指揮官を失い、統制が取れなくなっている……風紀委員会の方も暴徒鎮圧やパテル派との衝突でこちらに回せる戦力には限りがあるのが現在の状況。敵の主力が集まっているであろう古聖堂へ乗り込むには心許ない」
先生の言葉に顔を明るくするヒフミに対して、補足するようにヒナが厳しい事実を告げる。
状況は未だに混迷を極めていた。
正義実現委員会は、ハスミはまだ意識が回復せず、ツルギの方も行方知れず。ゲヘナ風紀委員会は、アコやイオリを含めて幹部は健在であるものの事態の収束に悪戦苦闘しているのが現状である。
どうにか人員をかき集めたが、それでも精強なアリウスの兵隊に無尽蔵に出現するユスティナ聖徒、何よりも失楽ニトという強者を相手に勝てる見込みはゼロに等しい。
「正直に言うわ。このまま攻め込まれたらゲヘナもトリニティも一貫の終わりよ」
「そ、そんな……」
「“……ヒナ”」
「分かっている。にも拘わらずこうして私達が無事なのは、アリウスにそのつもりがないから……」
一度戦地から離れ、冷静になった思考で改めてヒナは今ある情報を咀嚼しながら話す。
ここまで来ればアリウスに侵略の意志が無いことは誰の目から見ても明らかだった。
「なら、奴らの目的はなに?」
だからこそ、疑問が湯水のように湧いてくる。
「あいつ……失楽ニトは“戒律”とやらを手に入れることだと言った。でも、それなら目的はとうに達成しているのに未だにここに留まる理由は? 最初はテロ鎮圧を名目に名乗り出て、私達へ罪を着せるつもりかと思ったけど……だったらとっくに表明していてもおかしくない。空の上で飛び回っているクロノス報道部を筆頭に大勢集まっているマスコミにね……つまり、それすらもカモフラージュのように思える」
あまりにも不自然な動き。
何か別の目的がある。そこまでは理解し、けれども推理はそこで止まってしまう。
「“……
「脅威……?」
そういえばそのようなことを言っていたと思い出す。てっきりゲヘナやトリニティのことだと思っていたが……。
一方、先生には心当たりがある。かつてアリウスを侵略せんとした“ベアトリーチェ”という大人……しかし、果たして本当にそうだろうか。
「“そして、時間が無いとも。でなければ彼女はこんなことをしなかった……と、思う”」
そこには仄かに願望が込められていたが、これまでのニトと関わり、抱いた印象や会話の内容から判断した上でのものだった。
──“オレは君ほど潔癖ではない。それが必要だと言うならば躊躇わず実行するとも”
己にショックを与えたあの言葉を思い出す。それは逆説的に言えば、必要無ければしないということ。つまりそうせざるを得なかった理由があるのだろう。
もしかすると、自分達の知らぬ未知なる脅威が存在するのではないか、そんな疑念が過る。
「“それについて詳しく聞くことも出来ずに前回はああなってしまったけど……”」
先生は目を伏せる。
きっと、自分が尋ねればニトは躊躇うこと無く説明してくれただろう。しかし、あの時の自分は大きく戸惑い、動揺し、それからアロナの存在に気付かれ、そして半ば事故的に銃撃を受けることになってしまった。
「“だからこそ、今度こそしっかりと話をしないといけない。私達は、彼女のことも、アリウスのこともまだ何も知らないのだから”」
「………………」
ヒナは複雑そうに先生の言葉を聞く。あんな目に遭ったのに頑なにアリウスへ歩み寄ろうとしているその姿勢は実に
「……そうね。でも、何も知らないからこそ、果たして相手が対話に応じてくれるか、もし仮に応じてくれたとして、その結果戦わずに済むとは限らないでしょう?」
「“そう、だね”」
ヒナが思い描く最悪な展開。それは、先生にとっても恐れていることだ。
今回の騒動を引き起こした動機が納得出来ぬものだったら、自分と彼女との決定的な認識、価値観の齟齬が、より明確に深刻なものだったとしたら──。
想像するだけでゾッとする。こればかりは出来ることならばそう在ってほしくないと願うしかない。
「そうなった場合──」
「“大丈夫、秘策はあるから。通じるかは分からないけど……それに、最後の切り札も……ここにあるよ”」
そう言い、自分の胸元に手を当てる。
反則には反則を。ヒナが憂うアリウスとの戦力差を覆し得る力を秘めた
いざとなったら、己が身を削ってでも、道を切り開く──。
(……失楽ニトさん、ですか)
一方、二人の話を聞いていたヒフミは神妙な面持ちになる。
自身が彼女と面識があり、つい先刻会って言葉を交わしたことを言うべきか迷うも、今このタイミングで言っても二人が気にしているニトの目的に繋がる訳でもなく、余計な混乱を招くだけだろう。
そう判断し、口を閉ざす。
(どうにか、争わないようには出来ないのでしょうか……)
ヒフミは知っている。
彼女が本当は心優しい人物であることを。ブラックマーケットの時と同じように、如何なる状況においても打算無く人を助けられる人間なのだ。
何よりもアズサと接する彼女の顔は……。
そこまで考えたところで、ヒフミは目を伏せた。そんな人間が、心からこのようなことを望んでいるはずがない
何かしらの切実な事情があるのは明白であり、その結果として先生達と対立してしまっているという事実が、何よりも辛かった。
「──それ、おじさん達も同行して良いかな?」
「!」
その時、背後から声がする。
聞き覚えのあるその声に瞠目しながらヒナが真っ先に振り返り──。
「──小鳥遊ホシノ?」
「やぁ、久しぶりだね。風紀委員長ちゃん」
桃色の長髪にオッドアイ。
いつものように軽い調子で笑みを浮かべる少女が、そこに立ち、こちらへ手を振っていた。
アビドス廃校対策委員会、兼生徒会“副会長”──小鳥遊ホシノ。
否、彼女だけではない。
「ん、ニュースで観た」
「先生! 対策委員会一同、助けに来たわよ!」
「以前の恩返しです、ヒフミちゃん! 覆面水着団、ここに再結成と行きましょう!」
「何やら大変なことになっているみたいですね。役に立てるかは分かりませんが、私達にも手伝わせてください」
砂狼シロコ。
黒見セリカ。
十六夜ノノミ。
奥空アヤネ。
──アビドス対策委員会の面々が、揃い踏みしていた。そのあまりにも頼れる助っ人の登場に、ヒフミも、先生も驚きを隠せない。
「……良いの? 小鳥遊ホシノ、あなたは──」
対して、ヒナは険しい顔をする。
確かにアビドスが、特に無類の強さを誇るホシノが戦力として加わればこの厳しい戦況も打開できるかもしれないが……。
あの時のことを思い出す。恐らくアビドス、正確にはホシノ自身とアリウスには何かしらの繋がりがあるのではないか。
「──分かってる。でも、大丈夫だよ」
その問いかけにホシノは即座にそう答える。
けれど、その笑顔の奥では、どうにか平静を装うことに必死だった。
“いつになるかは分からぬが、我々アリウスは必ずや表舞台に返り咲く”
あの時の会話が思い出される。
“ただ、その……場合によっては君達と敵対することになるかもしれん”
妙なところで真面目と言うべきか。どこか申し訳無さげで、馬鹿正直にそう言った彼女に呆れながら、自分はそのようなことにならぬよう願った。
──しかし、残念なことにそれは今、現実となろうとしている。
「……そっか」
皆に聴こえぬよう、ホシノは小さな声で呟く。
まさかと思った。
ニュース映像を観た時から、嫌な予感はしていた。
エデン条約、ゲヘナ、トリニティ……思えば、それが大々的に報じられるようになってからアビドスの方に駐留するアリウスの動きも少し騒がしかった。
普段ならば気にも留めなかった些細な変化。それが、今になって一つ一つ繋がっていく。
けれど、何かの間違いだと思いたかった。“彼女達”が関わっていると決まった訳ではない。
そう思おうとした。
それでも居ても立っても居られず、真っ先に自治区を飛び出してここまで来た。
そして、見つけた先生とヒナ、ヒフミの三人の会話を、偶然にも耳にしてしまった。
アリウスが、失楽ニトが、今回の騒動を引き起こしたのだと──。
(ニトちゃん……一体どうして……)
胸の奥が、ズキリと痛む。
鈍器で思い切り頭を殴られたかのような衝撃。未だに信じられず、ただ思考が巡る。
ヒナにはああ言ったが、実のところその心は、大きく揺れ動いており、外面を保つことですら限界に近かった。
アビドスの皆は、先生とヒフミ達に協力して戦うつもりだった。
当然だ、彼女達はアリウスがアビドスの同盟相手で今も支援してくれているということを知らないのだから。
(私、は──)
しかし、ホシノは違う。
先生は恩人。
ヒフミは友人。
そして、ニトもまた、自分を救ってくれた恩人にしてかけがえのない友人だった。
どちらも大切な存在で、そのどちらかを選び、どちらかと敵対する。
そんなことを、そう容易く割り切り、選択することなど出来やしない。
(ッ……直接会えば、どちらが正しいのか分かる)
そう自分に言い聞かせる。
(それに、ニトちゃんなら私の話も聞いてくれるはず)
会えばいい。
顔を合わせ、言葉を交わせばいい。
そうすれば、ニトの考えを、アリウスの目的を知ることが出来れば、きっと決断を下すことが出来る。
──果たして、本当にそうだろうか。
胸の奥から湧き上がる疑念を、ホシノは無理矢理押し込め、ニトが居るであろう古聖堂へと向かう皆の後を歩く。
結局そうするしかないのだ。いくら迷おうとも立ち止まる訳には行かないのだから。
来た時とは違い、その足取りは酷く重たかった。
先生「脅威って?」
ニトちゃん「なんか近い内に色彩っていうやべーやつと無名の司祭ってやべーやつらが世界を滅ぼそうとしてくるらしいよ。あとベアおばころしてぇ」
先生「」
それはそれで混乱させる模様。