「よいしょっ、と」
私は“CLOSED“の文字が書かれたプレートを裏返し、“OPEN”とする。
“月下のヒツジ亭”、営業開始だ。
「おっ、メリリアちゃん!ちょうどやってる?」
「おっ、ロッズさん。今日の首尾はどうかね?」
「上々! 見てくれ、このボアの肉! 調理してくれよ!」
「おぉ〜! ありがたし〜」
開店早々、“いける”と評判の猪型の魔物。“プライマリー・ボア”の肉を持ってきてくれたロッズさんから、お肉を受け取る。
お肉はいいね。基本的に薄味で、現代料理でブクブクに肥えた私の舌にはどーも淡白に感じられるこの世界の料理の中でも、お肉だけは素直に美味しい。
冒険者を相手にした酒場を開いていると、こういうおこぼれがあるのは嬉しいところだ。私も常日頃“最近お肉が足りなくてさ〜”とぼやくように意識してる。
騙してなんかないよ。向こうがくれるだけだもん。
「それじゃ、今日はロッズさんが一番目かな〜」
「うおぉっ、マジか。やりぃ!」
それに、ちゃんと見返りも用意してるしね。
◆
「早く投げなよ!ロッズ!」
「う、うるせぇ!集中切らせんな!」
日も暮れて、人が集まってきて、少しずつ賑やかになっていく酒場。
その中心でロッズさんは、その手に小さな“投げ矢”を持っていた。
投げ矢とは、すなわちダーツだ。
「ほっ! うおおおお! きたー!! ど真ん中だぞオイ!」
「おっ、おめでと〜。でも真ん中って最高得点じゃないわよ」
「えっ」
手で投げるサイズに短く切られたダーツは設計が私担当。デザインがアズ先輩担当。制作がマシロちゃん担当の3人がかり。
弓矢で瓶や果物を狙い、その命中率で競うような遊びは全世界に広まっている。地域ごとにローカルルールなどはあれど、誰でも思いつくようなものだしね。
だけどその矢を手投げサイズまで切り詰めたダーツという発想は、この酒場以外では見たことがない。ちなみに的も一回で壊れるものじゃなく、大木を輪切りにしたものを立てかける。すると年輪の形がちょうどダーツボードのようになり、投げ矢が刺さった箇所により点数を付けることができるわけだ。
面白いのはこの的、使い続けて乾燥していくことで表面に放射状の亀裂が入るのだが、それがまた都合よく点数を決めるエリアを区切るのにちょうどいい。的は複数あるので、劣化具合や年輪の形などにより難易度が異なるのだ。
矢が刺さりやすいように最初に水につける都合上、腐ってきた的は捨てちゃうけどね。臭いし。
このダーツは、的一枚につき10回投げるチャンスがある。希望者全員でくじ引きして一人一回まで。
10回投げたら違う的に変えて、また10回。的一枚ごとに最高得点を獲得した人にはボアのロースを振る舞う。最高得点を獲得しなくても参加賞としてエール一本無料。
わかるだろうか。
そう、このルールはお店に早く来た人の方が有利だ。くじ引きにしてもダーツにしても、挑戦回数が増えるわけだからね。
その分タダで飲み食いできてお客さんは嬉しい。店側はダーツのある日はお客さんたくさんで嬉しい。
「さぁ、じゃんっじゃん稼ぐわよ!」
「人、多いなぁ……」
アズ先輩とマシロちゃんもいて私も嬉しい。
WIN-WIN-WINの全員勝利ルート。誰も不幸にならないって素晴らしいね。
「わー!リニエルさん最高得点〜!!」
「当然」
「くっそぉ〜!!」
あ、不幸人間が一人増えちゃった。
しかして勝負の世界は残酷なのだ。これはあくまで遊びだが、野生の価値観だったら即生命に直結するような世界観。参加料も取らないんだから恨みっこなしだ。
「はーい! 3枚目いくよー!! 投げたい人〜!!」
「投げさせてくれぇ!!」
「俺も!!」
「リベンジだ! もっかい行くぞぉ!!」
「金はない……けど、肉が欲しいんだよぉ……!」
「よしよし、じゃあくじ引き引いてね〜!!」
……酒場は、ただ飲んで食ってをするだけの場所ではない。
危険が隣り合わせのこの世界では、今日生きたという証を立て、そしてまた明日同じように頑張るための英気を養う憩いの場。それが酒場なのだ。
「メリリア先輩、メリリア先輩」
「うん?」
「吐いてますよ、あの人」
「おろろろろろろ」
「はぁ〜!?」
「うわきったねぇ!!」
「ぎゃははははは!!」
私は淫魔で、みんなとは違う。
多分正体がバレてしまったら、こんな風に過ごすことはできなくなる綱渡りを毎日してるんだけど。
「メリリア! イベントの司会ばっかやってないで厨房手伝ってちょうだい! マスターだけじゃ手が足りないわ!」
「アズ先輩が行ってくださいよ」
「私が料理できるわけないでしょう」
「んも〜」
そういうちょっとした刺激も、日々の生活を彩るスパイスとしてきっと毎日を香り豊かに彩ってくれる。
「メリリア先輩」
私はTS淫魔の酒場娘。
「メリリア!」
ここは“月下のヒツジ亭”。
「(こくこくと)」
日々に疲れた者達が、一夜の癒しを求めてこの場に集う。
話を聞いて、笑って、泣いて、共感して。また笑って。
そうやって私は、今ここで暮らしている日々を大切に過ごしている。
だからこれは、ただの酒場娘の活動記録。
この記録が、いつか遠い未来まで、残っていますように。
……
………。
【記録】
魔界歴 3456年 ”第二次人魔大戦“ 終結。
人界領は魔界の直轄地となり、経済、軍事、政治……あらゆる面において、人間が魔族に統治される時代が到来した。
人の歴史はここで途切れ、これより始まるのは奴隷の歴史だ──と人間の有識者の間ではまことしやかに噂された。
しかし、魔界による統治は人界の予想を裏切り、温和かつ丁寧に舵取りがされた。
理由は多々あるが、人界の持つ長い歴史を魔界最高指導者、”魔王“バゼルカイトスが考慮し、彼らの元々持っていた統治期間をそのまま流用する形を取ったこと。
内政に深く干渉せず、戦争からの復興を人界の既存資源のみでやり遂げたこと。
人界に住んでいた、とある”魔族“の献身等が挙げられる。
その後の顛末については──(中略)。
【人物録】
バゼルカイトス夫人。
魔界の最高指導者バゼルカイトスの妻とされる女性。
彼女の素顔は公開されておらず、式典等に出席する際には常にフェイスヴェールを着用していた。
その理由は、魔王が妻の容姿を衆目に晒した結果妻を他の魔族に籠絡されることを危惧してのことだ。とまことしやかに噂された。
しかしその後、”事故“によりバゼルカイトス夫人の素顔を一目見てしまった雑誌記者は、三日後に自殺。遺書にはこう遺している。
「世界で最も美しいものを見たので、ほかのものを目に入れたくない。故に全て終わりにする」と。
──一説によると。
バゼルカイトス夫人は“淫魔”であり、それも最上位種族の“
淫魔どころか、女性魔族が神位に至った例はない。
実例がないためその力の程は定かでないが、創世録には“高位の神々ですら其の誘惑に敵わず。腰を上げた厳格な最高神ですら骨抜きとされるだろう。”というような旨の記述。
……これらが全て事実だとすれば、むしろこの女を一人で満足させているバゼルカイトスの凄まじさが窺える。
魔界中の雄がこの一匹の雌に食い散らかされていないのは一種の奇跡だ。
ともかく、バゼルカイトス夫人に触れてはならない。
正気を失い、ただ彼女を信奉する信者と化したくなければ─一─。
(記録はここで終わり、以降のページは全て白紙だった。僅かに握りめられようなページが最後に残り、そこに何かしらの液体が飛び散っている)
──詮索はほどほどに〜
破られた最後のページには、未知の言語でそう書かれていた。