一人の打者と一人の投手が闘い、投手が勝った。眼前の光景はただそれだけのことだった。
――野球とは勝負である。
団体競技と一括りにされようとも、バッターとピッチャーは常にサシの勝負を繰り返す。打つか取るか。黒か白か。
それが野球。 彼女の父は、生前そう言っていた。
「………あたし、何やってんだろ」
いつもの覇気も、力すらもない同級生の顔を見る。勝負に負けた者の顔を客席から眺め見る。
するりと出た言葉は馬鹿馬鹿しい類の感情の吐露ではなく、純然とした現実の認識。
―――そう。正しくないやり方で手に入れたものからは、満足は得られない。誰かがそう言っていたように。そして誰かがそう言った後、密かに同意したあの時と。
「何………やってんだろ」
男の背中が遠のく。その姿を見て、彼女はもう一度呟いた。
◆
「ふん!ふん!」
俺に足りないもの、その答えは。
夜の神社で素振りとピッチングの練習をしていると、やはりというか今の自分が見えてくる感覚がする。それは練習以前に、何もかも足りないという自己認識だ。
「ただいま」
「おかえり。・・・・調子はどうだ?」
「え?調子?」
帰宅すると、珍しく父親が訊ねてきた。もう疲れて眠いのに。
「・・・熱がこもっていると思ってな。・・・傍から見ても、こもりすぎなくらいに」
「今年で3年生だからね。最後の年だから、自主練に熱くらい入るよ」
「・・・そうか」
「風呂入ってくるね」
会話を打ち切り、風呂場の鏡を見ながら先程の練習を反芻する。フォームはこうだから、次の動きはこう。
すると気付く。鏡の中の自分は、いつの間にかガタイが良くなってきていた。
「・・・もう3年生か」
極亜久高校野球部最後の年。勝負の年。俺は甲子園に―――行けるだろうか。
「・・・・」
鏡の中の自分は何も答えてなどくれなかった。
―――次の日。
「ちょ! いったいんだけどー?!」
「・・・あ、ごめん」
目の前をよく見ていなかった。俺はガングロの女の人にぶつかった。
「ふざけんなってかんじ~!」
「ごめん。獨田さん」
「?なんで名前知ってるわけ?チョーサイアクなんだけどぉー!!」
「失礼するよ」
「そんなシけた顔で話しかけてくんなってのー!」
「・・・・ごめん」
・・・まずい。ちょっと気分が乗ってこない。何故かはわからないが。
「さて今年3年生になる皆さん。数学の復習ですが、この因数分解というのは何事も変化し自然のままになどしておかないぞということであり、それすなわち法則というものでありまして―――」
「すいません先生」
「はい何ですかパワポケくん」
「気分が悪いので保健室に行ってきます」
「はいお大事に」
・・・・・。
「あら?どうしたのパワポケくん」
足元がおぼつかないまま扉を開けると、白衣の先生が少々目を見開いていた。
「すいません、保健室の先生。・・・ちょっと頭がふらふらしてきて」
「あらそうなの。ベッドは空いてるからしばらく寝ていなさい」
「はい」
いってえ何だこれ。今までこんなことなかったのに急に頭が痛くなるなんて。・・・・練習のし過ぎか?いやまさか。
「そういえば野球部、がんばってるわね。えらいえらい。この学校に吹奏楽部があったら先生応援しに行ったわよ。楽器を吹いてね」
「?・・・そういえばこの学校には吹奏楽部ないんでしたっけ」
「そうなのよー。実は先生、これでも学生時代は吹奏楽部でクラリネットやっててね。だからかな、学校に吹部がないと活気が足りないって思っちゃうの。悪い癖よね」
「クラリネット・・・・?」
「木管の良い楽器なのよ。それが私の人生で、私の全部。今までもこれからも。…なんてね」
…ちょっとカッコつけちゃった。
保健室の先生の顔は見えないが、とても笑顔である事は想像に難くない。そんな声だった。
「いえ凄いですね、それだけの覚悟だなんて。・・・・でもなんでそれほどまで?」
どこの学校にだって保健室はあり、そこには先生がいる。ゲーム(パワポケ1)では出てこなかったが、こんな風に生徒に接していた誰かはいるのだろう。未知のイベントに、俺は少し興味が湧いていた。
「特別になりたいって思ったのよ。証明する為に」
「・・・・証明する為?」
抽象的な言葉だ。でも保健室の先生は笑っている。
「恥ずかしい話なんだけど、先生昔はろくでなしでね。それが嫌でいっぱい考えて、そして決めたの。特別になろうって。それがクラリネットだった。――パワポケくんだってあるんでしょう?貴方だけの特別が。今の貴方にも、きっと」
「・・・・」
野球。 なぜかその言葉は出てこなかった。
「あ、ごめんなさいね。疲れてる時にいっぱい話しかけちゃって。ゆっくり休みなさい」
「・・・・はい」
微睡みの中で考える。俺にとっての特別、それは野球でありパワポケだ。それは変わらない筈なんだ。
・・・・・でも、今は。
「―――パワポケくん?―――大丈夫?」
「・・・・ぅえ?ようこ先生?なんでここに?」
「もうこんな時間だからよ」
聞き馴染んだ声を合図に薄目を開くと、そこには心配そうに俺を見ているようこ先生がいた。保健室の先生の姿はない。
布団をとると外は真っ暗で、冷たい冬の冷気が窓越しから伝わっていた。・・・ってもうこんな時間!?
「す、すみません!今日の練習さぼってしまって!!」
「大丈夫よ。野球部の皆には貴方が今日は休みって伝えてあるわ」
保健室の先生が伝えてくれたの。ようこ先生はそう言った。
「ありがとうございます・・・」
「……。もしかして何か悩みがあるのかしら?よかったら聞かせてくれない?」
「・・・・・」
・・・・・。
「―――、先生。俺、できるかな」
「……え?」
「俺達ってさ、ぶっちゃけシロウトばっかりだしさ。俺だって前回の試合で思い知ったけど、人と比べて特別、優秀なワケじゃないしさ。
このまま練習して試合しても、勝てないんじゃないかなって。そう思うと、何もかもムダなのかなぁって、思っちゃって」
「………」
ようこ先生はきょとんとした顔をした。
「なあんだ。そんなことで悩んでいたの?」
「――――は?」
・・・・そんなこと?
「そんなこと?・・・・・そんな、こと!?!!」
俺は勢いよくベッドから立ち上がった。
そして睨む。ようこ先生だろうと関係ない。眼前の女めがけて。
テメエに俺の何が分かる。
「聞こえなかったの? じゃあ、もう一度言うわね。なあんだ。そんなことで悩んでいたの?」
パワポケなんていう、無間の地獄がぬるま湯みてえな世界に転生しちまったこの俺の何が。
「なんだじゃないですよ!!俺は、真剣なんです!!!」
――ボカッ。
しかし次の瞬間、俺の身体に痛みが走った。
殴られたのだ。俺は思った。
「い、いたい・・・?」
「そんなくだらないことで悩んでいるヒマがあるなら、どうして練習しないの!」
「練習はしてるよ・・・!今日は休んじゃったけど、今までずっと俺は練習を、」
「貴方は極亜久高校野球部のキャプテンでしょう!!」
「!?」
「キャプテン!貴方がそんなんじゃ、甲子園なんて100万年経ってもムリよ!!」
「・・・・・ッ」
息を吸い、反論する為に口を開く。が、俺の喉からは何もでない。
何故だ。何故だ。その言葉とようこ先生の言葉が俺の脳内で反芻する。
この世界に来て、ここはパワポケ(ゲーム)なんだからって頑張ってきた。そしてこの前の試合、負けてもいいと思ったけど、負けたら悔しかった。
本当に悔しかった。それは何故だ? 現実だからだ。ゲームじゃない。
だって俺は自分と他人の力量差、自分の足りない点、どこがダメだったんだろうどこを直せばいいんだろうってそればかり考えてる。
―――つまりここは現実なんだ。じゃあ俺は誰だ? なにもんだ、パワポケか?
「・・・・・先生」
俺は極亜久高校野球部のキャプテンだ。
「ようこ先生!俺、間違っていたよ。これから、もっともっと、いっぱいいっぱい練習するよ!!」
「そうそう、頑張るのよ」
それが今の俺なんだ。他の誰でもない。だから練習しなくちゃいけない。動かなきゃいけない。考えるのではなく。今はそう、その時なのだ。
◇
―――次の日。
「昨日は休んですまなかった皆!なので今日は河原に行こうぜ!チーム全体の力量を上げたい!!」
「えー?今日は雪降ってるぜキャプテン。毎日毎日練習練習、だから今日はちょっと・・・」
「野球人にシーズンオフなんてないだろ!先に走って行ってるからな!!」
「プロ野球にだってシーズンオフはあるよ・・・って行っちまった。どうする?鈴木」
「行かないわけにはいかないよね。 寒いからちゃんと暖かくして行こうか」
「ガチかよ。最近のキャプテンおっかねえからさ~」
「? いつもの野球バカのキャプテンじゃないか」
「そりゃそうなんだけどさあ」
「む~~~ん。キャプテン燃えてるんだな~~」
「む~~~ん。最近は変に焦ってる感じだったけど今日はヒーボーボーなんだな~~」
「む~~~ん。野球詰まんなくなったのかと思ってたけど今は楽しそうなんだな~~」
「だから僕ら行くんだなあ~~~~」
「おいおい。・・・どうするよ、亀田」
「行くっきゃないでやんす。あんな変なヤツを一人にしてたらもっと変なことをするでやんすからね」
「あ~~、それもそっかあ。しゃあねえなあ行くか!」
「僕らも行こうか佐藤くん」
「・・・・ああ。田中くん」
訪れた河原でバットを振る。振り続けていると、チームメイトがやってきた。やる気のない顔ある顔。しかし熱心に野球の練習を始めだす。
そして練習終わりにこんなことがあった。
「あれ?佐藤くん、どうしたんだい何だか元気がないようだけど」
「・・・・パワポケくん。僕って、野球部に必要な人なのかい?」
「はあ?」
はあ?
「いきなり何を言い出すんだ」
「この前の試合で気付いたんだよ。僕は一人前の男なんていう特別にはなれない。そう、僕には・・・・僕には野球の才能なんてないんじゃないかって――」
「ふん!!!」
ガスッ!
「ふあん!」
「やりもしないうちにあきらめるな!!!才能なんてものは、人生が全部終わったあとで、初めてわかるものなんだ!!」
――どの口が言うのだろう。ぼそりと、俺が俺に告げる。だからこそ佐藤くんに伝えなくちゃいけない。
俺はキャプテンだから。
「いたた・・・。パワポケくん、僕が間違っていたよぉ!」
「よーし、これから二人で夕焼けに向かって走ろう!!それでこそ一人前の男になれるってもんだぜ!」
頼むぜ佐藤くん。君は俺と違って本当に一人前の男になるんだからさ。ユキちゃんが見てるぜ。
「・・・さっきから何を見せられてるんだ?僕達」
「いいじゃないか。たまにはこういうのも」
水原くんがそう言うと、三鷹くんの呆れ顔が何故か笑顔に変わった。
◇
――明くる日。
「あの、すいません」
「は?なにキミアタシにナンパ?おとといきなってかんじー」
「これ。あげる」
「へ?…これって激ムズキャッチャーの景品じゃん!」
「あなたのこと、忘れてないからさ。獨田マリコさん」
「超嬉しいんだけど~!」
そして夜。神社で俺は彼を待っていた。
「! ついに来てくれたか、野球マスク」
「・・・・ほう?僕の名も上がったもんだな。鋼毅に手も足も出ずに負けた野球部のキャプテンでも知っているとはね」
「まあね」
・・・多分来るだろうと思っていた。だからここでずっと自主練していたんだよ。宣言する為にね、進くん。
「キミをしらない野球人(パワポケファン)なんざモグリだよ。猪狩進くん」
「? 誰の事だ?今君の目の前にいるのは、野球に魂を売った男だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「そうかい。じゃ、勝負だ野球マスク。甲子園で逢おう。首を洗って待っていろ、聖皇学園」
「ああ、その言葉が聞きたかった。だからこそ、こんな所に来た甲斐があったってもんだ。本当のトルネードを見せてやるよ、極亜久高校」
腕を磨いておくんだな。野球マスクはそう言って去っていった。