時刻は深夜、トリニティ総合学園、旧校舎の片隅で。
ごうんごうんと唸り声を上げる洗濯乾燥機の前に彼女達は並んで腰掛けていた。
水没してすっかり身体を冷やしてしまった二人はシャワー室で身体を温めている。
この場に居るのは、いかにもトリニティらしい白の翼を携えた少女たち。
「心的ストレスからくるトラウマへの対処などというのは、医療従事者でもなければそう経験するものではありません」
フリーサイズの下着とジャージを用意してきた上級生は、なんでもないかのようにそう告げる。
「トリニティでもその手の嫌がらせがないわけではありません。ですが方向性が違います。こちらのやり方はもっと陰湿で、徹底的で……躊躇い傷が残るほどに追い詰められているのなら、あれほど落ち着いて振舞うことなど出来なくなっていることでしょう」
併設された自動販売機で暖かい紅茶を用意しながら。
アズサと視線を合わせることなく、淡々とお嬢様学校の闇が語られる。
「磨り潰して打ち捨てるのと圧し折って従わせるのはやり方が異なるのです。彼女たちは後者ですね」
まるで見てきたように、幾度となく関わってきたとでも言うように。
無感情に講義を行うその姿は、いっそ異様なまでに様になっていた。
「アズサさんの能力はむしろ正実のような戦闘員のはず。にも拘らず、あまりにも慣れたように対応してくださいました」
あのときはありがとうございましたと改めて感謝を述べながら、違和感を確かめ、矛盾を解きほぐすように言葉が紡がれる。
「辻褄を合わせるのなら、アズサさんが以前通っていた学園では、トラウマを抱える生徒を当たり前のように介抱する必要がある程に……虐待に近いような何かが日常的に行われていた、ということになってしまいます」
それは青春を送る少女にとって、到底学園を冠するとは思えないような環境だ。
むしろ、監獄と呼んだほうが適切ではないのかと思えるほどに。
「アズサさん、貴女は……あの二人は、アリウス分派の生徒ですわね?」
そこまでの確信を持って投げかけられた問いに、アズサは否を返すことが出来なかった。
「……うん。だけど、アリウスの名前はどこで?」
「
その名前を聞いたアズサは思わず目を見開き、そして納得と共にその言葉を受け止める。
「じゃあ、貴女がセイアの言っていた
「駄目ですわアズサさん。折角確認のための合言葉があるのですから」
くすりと笑みを浮かべながらそこまで言ってしまえばもう肯定しているのも同然なのだが。
「「セクシーセイアですまない...」」
あの日、百合園セイアのセーフハウスに襲撃を仕掛けた際に、重苦しい空気の中で唐突にお出しされた台詞まで重なったのならもう疑いようもない。
「どこまで聞いているんだ?」
「具体的なことは何も。ただ……肯定をしていただきました。わたくしの趣味も、望みも。心のままに動くのならば、それは皆を良い方向に導くだろうと」
それが彼女にとってどういう意味合いを持つのか、アズサには分からない。
ただ、具体的なことは何も言わず意味深に相手を導くところは、あのキツネさんらしいかもしれないと、そう思ってしまう。
現状は既に予定とは乖離している。
ナギサを襲撃から護る為にアリウスから離反するのが当初の計画だった。
だが、トリニティの防護網のおかげでそれを実行に移す段階にまでは到らなかった。
言い換えるのなら、今の自分がアリウス分派の一員として合流しても怪しまれることはない。
ずぶぬれの二人が疑うことなくこちらを頼ってきたのが何よりの証拠だ。
サオリの様子からしてまだ何かあるのは予想が付いている。
彼女は自分を遠ざけようとしていた様子だが、ヒヨリたちにくっ付いて戻れば無理に追い返そうとまではしないだろう。
Vanitas vanitatum et omnia vanitas.
全ては虚しい。どこまで行こうとも全ては虚しいものだ。
それはアリウス生の、アズサ自身にも刻まれている警句。
――だが、それでも、今日を懸命に生きることを諦める理由にはならない。
「……アリウスに戻るおつもりですか?」
「今の状況を考えるとそれがベストだと思う。アリウスの戦術思考は、裏切り者が出ることを想定していない」
どこまで出来るのかは分からない。
次の作戦にはナギサの殺害という分かりやすい戦術目標すらないのかもしれない。
だが、それでも、白洲アズサという武器を最も効率的に使うのなら、そうすべきはずだ。
「疑わしい者が自ら正体を明かして退場するのであれば、ナギサ様も他の子たちには便宜を図ってくださるでしょう。戻りたいと仰るのなら、送り出すのはやぶさかではありません。ですが、戻らねばならないとお考えであれば、わたくしの告げる言葉はこうです」
彼女の姿は寝起きの乱れたままで、普段は丁寧にセットされている髪も翼も、乱雑に跳ねてしまっている。
けれどそのせいか、自然と視線が合った。
いつも長い前髪に隠れているその目が、蛇のように瞳孔が縦に割れた赤い瞳が、アズサのことをはっきりと捉えていた。
「頼ってください。これでもあなたの先輩なのですから」
諭すように、縋るように。
優しくそう訴える姿が、補習授業部のみんなと重なった。
「……ハナコの怯えようは本物だった。私はまだ貴女を信用出来ていない」
彼女への第一印象は最悪の一言だ。
顔を合わせただけでハナコが意識を飛ばしてしまうような……以前助けた誰かを甚振っていたような、あちら側に属する輩なのだとばかり考えていた。
講師役という立ち位置もあいまって、無意識的に、彼女は別なのだと思っていたのだろう。
補習授業部の仲間ではなく、少し外れたところに居る誰かなのだと。
「だから聞かせて欲しい。ハナコはどうしてあんなに怯えていたんだ?」
けれど、そうであるのならコハルはきっと懐かない。
ハナコの様子もあのお茶会以降は随分と軟化した。
それでも苦手意識は残っているようだったけれど。
ヒフミにはなにやら頼みごとをしていたようだった。
彼女も嫌々従っている様子はなく、むしろ使命感に駆られて走り回っていたように見えた。
「……………………滅茶苦茶答えにくいところを突いてきますわね」
……いや、そこは真っ直ぐに答えてくれないと、こちらも反応に困るのだけど。
頼ってと言うからには頼りたくなるような信頼感を発揮して欲しい、是非に。
そのタイミングで、彼女の端末が着信を告げる。
キヴォトス女子なら誰もが耳に馴染んでいるだろう、モモトークの通知音だ。
軽く断りを入れてから端末を取り出して画面を確認した彼女は、ふむと小さく声を漏らす。
「アズサさん、一応お聞きしたいのですが……この子、お知り合いですか?」
端末に表示されているのは、服を切り裂かれ白い肌を真っ赤に染めながら必死に両手で素肌を隠している、紫の髪の少女の写真。
「アツコ……!?」
それはこの場には居ないアリウススクワッドのメンバーの姿だった。
「人攫いの容疑者として連邦生徒会の矯正局に連行されたそうです。おそらくあの二人を連れ去ろうとしていた、という冤罪が発生しているのかと」
「だからってどうしてそんな格好に……!?」
「いえその、ガスマスクの子達はトリニティの不良生徒かと思っておりましたので、弱みを握る為にちょっと剥いて欲しいと頼んでまして……」
まだ数分も経っていないのに知れば知るほど信頼できない腹黒さが顕になってくる。
いやこんな相手なら巻き込んでも罪悪感はなくなるかもしれないけど、今まで周りに居なかったタイプなので反応に困る。
そして、ハッと気付く。
「まさか、ハナコにも同じことを……!?」
「流石にそれは誤解……あぁもうこの流れだと誤魔化せませんわね。むしろ逆ですわ」
こいつならやりかねないと怒気を込めて睨みつければ、否定はしつつも観念したかのようにため息を漏らされた。
「わたくしが露出徘徊しているところをハナコさんに見られてしまったようでして……本物の変質者に逃げられない状況で遭遇したとなれば、恐怖で失神してしまうのも、ありえない話ではないかと」
「なあ本当に頼ってもいいのか!? 明らかに人選を間違えてないか!?」
自分の想像する信頼出来る人物像とは完全にかけ離れている告白に、思わず怒鳴り返してしまったのを責められる謂れはないだろう。
「アズサちゃん……どうしたんですか?」
「アズサ、何があったの?」
彼女の悲鳴のような大声を聞きつけたシャワー室の二人がひょっこりと顔を出す。
しっとりと水分を含んだ髪が肢体に張り付き、バスタオル一枚分を除いて晒されたままの素肌からはホカホカと湯気が漂っている。
「あぁ、失礼しました。貴女達のお連れの方が補導されたと連絡を受けたのですが、どうにも冤罪らしいとアズサさんが憤慨なさってしまいまして……」
にこりと笑った典型的なトリニティの口からはいけいけしゃあしゃあと嘘ではないが真実でもない言葉が滑らかに零れ落ちる。
確かにこんなやり方、自分には足りていない技能だというのは間違いない。
「わたくしもお二人が被害者であると聞いて急行してきましたので、その口で証言していただければ冤罪も晴れるでしょう。先方にはこちらから連絡を入れておきます。業務の受付時間もありますし、今日のところは身体を温めてゆっくりなさってください」
表面上では相手のことを気遣っているようにしか聞こえない。
だがしかし、その言葉にもきっと何か裏があるのだろう。
アリウスの生徒たちは、良くも悪くも従うことに慣れている。
物心着いた頃から命令に従うように教育されているからだ。
言い換えるのなら、言葉を額面どおりに受け取ってしまう素直な気質の生徒が多いのだ。
裏の裏にまで意味が用意されたトリニティ語を操る相手は、もしかしたら天敵に近いのかもしれない。
元々アリウスから離反するつもりだった。
だけど武力による反抗ではなく、こんな形で騙し討ちにするというのはどうしても忌避感が残る。
若干
というかひとりで悩んでいたら無かったはずの頭痛の種が湧いて出たのだけれど。
露出徘徊してたって本当になんなんだ。
こんなのヒフミにも絶対に話せない。
ハナコが言えるわけがないと嘆いていたのに、今更ながら深い共感を得る破目になるのであった。