「始まったか」
ほの暗い地下空間。
トリニティの地下に広がる広大なカタコンベの一角。
地上からこの場所にまで響いて来た震動が、風化した通路の残滓をぱらぱらと積もらせる。
地理的にはエデン条約の調印式が行われる古の聖堂の直下。
そこにゲマトリアの大人たちが訪れて居た。
護衛のアリウス生は僅かに数名。
巡航ミサイルの着弾を合図に、他の者たちは地上で襲撃を開始したことだろう。
アリウススクワッドのメンバーは既に残ってはいない。
桐藤ナギサの暗殺は失敗に終わり、それに携わった生徒たちの大半は未帰還と化していた。
スクワッドのメンバーも錠前サオリを残してその中に名を連ね、無事に帰った彼女も現在は拘束されている。
怯えた様子で帰還した作戦に参加していた生徒は、全裸の変質者に連れ去られたと報告を上げていた。
嘘を付くのならもう少しマシな内容を考えろと、ベアトリーチェは叱責していたが。
口裏を合わせているのか、肌を晒した写真まで用意して幾人の生徒から同様の報告が挙がっていたが、そのような世迷い事を信じる大人はそうはいない。
サオリがアリウスまで戻ったのは発覚を遅らせ、他の者たちが行方を眩ませる時間を稼ぐためだったのだろう。
そして証拠隠滅のために端末を破壊し、なりふり構わぬ形相で自治区からの脱走を企てた。
ベアトリーチェの目の届く場所において、それが成功に繋がることはなかったのだが。
錠前サオリは現在、儀式の贄となるべくアリウス自治区の至聖場に掲げられている。
真偽はどうあれ、出撃していた戦闘部隊が壊滅したのは目を逸らしようもない事実である。
特に秤アツコが未帰還となってしまったのは大きな痛手だ。
エデン条約の調印に割り込み、
所在を掴むことは出来た。
彼女はキヴォトスの中心、D.U.に存在している矯正局に収監されていた。
しかしながら、アリウス分派にとって無視できない問題が横たわっていた。
アリウスの自治区は他とは隔絶された陸の孤島であり、地下に広がるカタコンベを通らずにはまともに移動することなど出来ない。
それがベアトリーチェが目を付けた理由のひとつでもあり、同時にゲマトリアの支配下にあることが露見しなかった要因でもある。
逆に言ってしまえば、そこに住まう彼女たちが他の地域に遠征を行うことも極めて困難であると言える。
隣接しているトリニティへの襲撃こそ可能ではあるだろう。
だが、不整地を通り越して文字通りの迷宮と化しているカタコンベを乗り物で移動することなど不可能に等しい。
流石に自治区内に車も戦車もないというわけではない。
外部に隠されている機動兵器もあるだろう。
だからと言って、キヴォトスにおいて最高峰の守りを誇る矯正局を落とせるほどの大部隊を派遣できる輸送能力など持ち合わせていないのだ。
加えて物理的な距離、移動時間という問題も重なった。
彼女たちが行方を眩ませたのは僅か一週間前のこと。
情報の精査や、ゲリラ戦の達人であるサオリを鎮圧するのに余計な時間を費やした。
追っ手を出せるほどに状況が落ち着いた頃には、矯正局へと往復するだけの時間も残されてはいなかったのだ。
だが、それでも代案は存在していた。
この場に居るのはアリウスの生徒を除いて
双頭の木人形の姿をしているマエストロと、もうひとり。
「全く、お遣いもこなせないほどの愚図だったとは思いもよりませんでした」
血に塗れた白いドレスを赤い肌に纏い、数多の瞳を湛えた女性、ベアトリーチェ。
崇高の探求を第一とするゲマトリアの中で、最も深くキヴォトスに根を張り、自身の拠点を築き上げた者。
「貴様の采配ミスだ、ベアトリーチェ。少なくとも、ロイヤルブラッドだけは自治区の外に出すべきではなかったはずだ」
「……ふん、言いたいことはそれだけですか。おかげで使いたくもない代案を披露する羽目になりました」
彼女の肩書きは、
当時の生徒会長の血を引く生徒とは別の意味で、古の契約を履行するのに最適な属性を持つ人物。
秤アツコが居なくとも、
錠前サオリが残っていれば、ベアトリーチェの儀式に代用は効く。
もし両方が失われていれば、彼女はこの場にはおらず、姿を眩ませていただろう。
秤アツコだけが残っていたとしたら、この場に居るのはただの生徒だっただろう。
「すみませーん、貴女がベアトリーチェさんでよろしかったでしょうかー?」
そこに第三者の声が響く。
言葉もなく護衛の生徒達が引き金を引き、しかし髪留めから引き抜かれたナイフで軽やかに叩き落される。
マガジンが空になるまでの掃射が行われても、闖入者には傷ひとつ付けることは出来なかった。
白い印象の生徒だった。
目元までを覆うほどの白の長髪に、連邦生徒会の白の制服。
三つ編みにされていた一房は、止め具を失ったことではらはらと解け始めている。
その上に真っ白なコートを羽織り、白い長銃を腰に吊り、足元だけは惜しげもなく健康的な生足を晒している。
この場で唯一表情を変えることの出来るベアトリーチェが顔を顰める。
参戦してきそうな生徒の情報はあらかた握っていた。
トリニティ、ゲヘナはもちろん、連邦生徒会に関しても。
だが彼女は情報にない生徒だった。
――まるで
「こほんっ……いくつか確認させていただきたく、参上いたしました! 三つほど質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「こちらには話すことなどありません」
ぴしゃりと言い放ち、少女を無視して作業に取り掛かる。
「一つ目の質問です! 貴女が授業に出席をしていないというのは本当ですか?」
「……はあ? 何を言うかと思えば。それがなんだと言うのですか」
だが、投げかけられたあまりにも間の抜けた問いに、思わず顔を上げてしまった。
「二つ目の質問です! 貴女がテストをボイコットしているというのは本当ですか?」
「だから、それがなんだと言うのですか!」
護衛の生徒のひとりが思わず失笑を漏らし、ベアトリーチェはそちらに鋭い視線を向けた。
「最後の質問です! 貴女は生徒会長を10年勤めているそうですが、それだけ留年し続けているという認識で間違っていないでしょうか?」
「いい加減になさい! だからどうしたと言うのですか!」
「――!? いかん! 奴の口を塞げ! それ以上言葉を吐かせるな!」
マエストロはようやくその意図に気付くも、既に遅い。
馬鹿馬鹿しいやり取りに意識を逸らしてしまった護衛たちから銃撃が届くよりも早く、少女の口撃は完了する。
「――自供も取れました。生徒達からの
慣れは盲点を生む。
支配することが当然であったが故に。
長年に渡り搾取され続けた奴隷のような生徒たちしか認識していなかったが故に。
「連邦生徒会
「……………………は?」
崩れ落ちる瞬間までソレを予想できなかった。
中立である連邦生徒会が持つ数少ない学園への直接的な干渉権限。
マエストロの御業である
それは純度の高い蓄積された感情と、複製の名の示す通りの過去の再演。
しっちゃかめっちゃかにかき回された地上では、彼が求めていた純化された恐怖の感情など、微塵も感じられないだろう。
生徒会長という属性を奪われたベアトリーチェには、もはや契約の守護者を降臨させるだけの正当性は残されていない。
しかしながら、それは明らかな異常だ。
何故ならマエストロが
確かにミレニアムの廃遊園地で歓喜の感情から
だが、たったそれだけで、これほどまでに適切で致命的な対応策を用意しておくことなど、現実的に不可能なはずなのだ。
ベアトリーチェの目論んでいる儀式も、儀式場と生贄が共に必要となる。
どちらもこの場には存在しておらず、彼女が拠点とするアリウス自治区の至聖場でなければ実行できない。
何よりも、自身の領域であるアリウス自治区の外に出ること自体が極めて稀なことだった。
彼女が直接出向くことでしか解消できないイレギュラーな事態が発生したのでもなければ、監視と管理の行き届いた空間から外れることなど無かったはずだろう。
「……連邦生徒会長の采配か」
「理由までは聞いてないけど、頼まれちゃったからね! 校舎のほうも今頃SRTが押さえてるだろうし、ご愁傷様でした!」
事前準備も含め、それを達成するには理論上不可能ではないという程度のか細い道筋しかなかったはずだ。
最適解を選び続ける超人と呼ばれるほどの人物でもなければ採択しないような異形の計略。
それはこの場所、この場面において、詰みに等しい一手だった。
「えっと、それじゃベアトリーチェ元アリウス生徒会長、調書の作成があるので矯正局までご同行願いまーす」
「……認めません」
だが、たかが正当性がある程度では、たかが計画を台無しにされた程度では。
【悪い大人】が大人しく諦めるなどという都合のいいことは起こらない。
「連邦生徒会の権限? そんなもの、知ったことではありません。アリウス自治区は
誰の目からしても、あまりにも醜い癇癪だった。
協力者であるはずのマエストロもその様には一歩引き、結末を見届ける態勢に入っている。
「――殺しなさい! 貴女の死体を晒せば、連邦生徒会も誰の機嫌を損ねたのかを理解することでしょう!」
それは酷く都合のいい妄想であり、無垢な少女たちを力と恐怖で支配してきた女の妄執だった。
「……白いの。ひとつだけ聞かせて」
だから、何の変哲もない路傍の石ころが、彼女を護る為に用意された道具が、想定外の挙動をするとは考えなかった。
「トリニティには翼穴の開いた服の専門店があるって本当なの?」
その問いの意味を、大人たちは理解できない。
他のアリウスの生徒達も、何を言っているんだと困惑を深めている。
「本当だよ! ゲヘナまで行ってみれば、尻尾穴の服の専門店とかもあるんじゃないかな?」
「そっか」
そのやり取りの意味が分かるのは、この場ではきっと、彼女たちだけ。
「――尻尾穴とか翼穴の服ってなんか背徳感があるよね」
自身を護るはずの道具から、避けられるはずもない至近距離で。
キヴォトスにおいて、
どこにでも居る普通の少女の、確かな意思が示された。