ラブコメに女装は必要ですか?   作:その日見た空は赤かった

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#1 失恋と女装のアドバイス

 

 

「好きです、付き合ってください」

 

 薄暗い校舎裏の一角。

 俺は想い人を呼び出して、頭を下げて、どうにかこの想いが通じないかと苦悩しながら、三度目になる告白をしていた。

 

 期待をしていたかと言えば否だった。

 既に二度、俺は告白を断られていた。三度目の正直という言葉は教科書の中だけ存在する。それでも鈍重な感情に焼き切れそうな脳神経に手足を震わせつつ、三度目の告白を実行することを選んでいた。

 

 目の前の人物、桂川碧音(けいせんあおね)は小さく嘆息すると、柔らかさと呆れを両立させたような複雑な声音で、渋面を作り上げた。

 

「あのさ、嬉しいよ? でもね、そう何度も告白されても私の気持ち、変わらないから」

「そっか……。来てくれてありがとうな桂川」

 

 断られた。三度目の失恋。いや、これを失恋と呼ぶのはもはや無理があるが。

 分かっていたことだが、落胆はある。でも感情の落差は一度目よりは小さい。二度目とはあまり変わらない。三度目って言うのはそういうことなんだろう。嫌でも理解してしまう。良くも悪くも、きっと俺は告白という行為に慣れを感じていた。そして桂川も同じだ。俺から告白されるのに飽きすらあるだろう。

 

 俺は肩を落としながらこの場から去ろうとする。惨敗兵は去るのみ。心残りももう無い。無いつもりだ。不思議と俺は穏やかな気分になった。

 四度目は考えていない。俺がもう桂川に想いを伝えることはないだろう。なんなら三度でもやりすぎたと思うし、迷惑だったと自省すべきレベルだ。

 

 足早に帰路へ就こうとすると、背中越しに声を投げ掛けられる。間欠泉から吹き出たような、決意を露にするような。そんな一声。

 

「この際だから言っとく! 私、好きな人がいるの!」

「ああ、そうだったのか。なら早く言ってくれれば良かったのに」

 

 今までは忙しいからと濁されてきた部分だった。でもいたんだ、好きな人。普通に心臓にぐさりと刺さった。

 しかし何で隠していたんだろう。好きな人がいるっていうなら、言ってくれれば俺だって何度も告白しなかったのに。

 

「それは……他人に対してこんなこと言う必要ないし、言いづらいじゃん」

 

 あ。更にぐさっと来た。他人はキツイ。それはそうだけどもキツイ。心臓が欠けたかも。気のせいか血行も怪しい。逆流してる気がする。多分桂川のこと直視してたら目から血を流して死んでたぞ俺。死亡保険は入っていたっけ。

 

 ポケットのイヤホンコードみたいに絡まった混乱した脳内をなんとか解きほぐして、心臓に手を当てて静かに大きく深呼吸を二回繰り返す。スーハーと。心臓は辛うじて動いている。

 

「そっか。聞いちゃってごめんな」

 

 これ以上の驚愕の事実は要らない。というか何かあっても聞きたくない。

 そう思い俺は早足で行こうとした。そのまま去れば俺は傷心を抱えつつもまだマシな方法で再起を図れたのだろう。

 

 しかし、残念なことに、俺は桂川が二の句を告ごうとしている気配を感じて立ち止まってしまう。それが俺の致命傷となるとも知らずに。

 

「あとさ、私の好きな子……女の子だから。分かるでしょ。もう告白してこないで」

 

 おんなのこ。

 女のコ。

 女の子……!?

 

 その日、俺がどのようにして家まで帰ったのか覚えていないのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

 俺の名前、宗谷穂立(そうやほだち)の由来は漢字そのまま、稲穂から来ている。成った稲穂の如く天に向かって屹立と成長して、荒い風をしななやかに身を曲げることで躱す。そんな柔軟で一本筋の通った人間になって欲しいという両親の願いが込められている。この名前を付けてくれた両親には感謝している。例え第二候補が母方の祖父母の出身でちょっと面白いだろとかいう、非常に勘弁願いたい理由で宗谷常陸(そうやひたち)とギャグみたいな名前を付けられかけたとしても、第一候補がそれを塗りつぶして勝るので問題ない。最終的にも俺は茨城の擬人化キャラの如く地方に媚びた名前にはならなかったわけだし、そこに蟠りは無かった。

 

 ともかくとして、俺は名前負けしないような人生を歩んできたつもりだ。だがそれも今日までかもしれない。

 

「なんか穂立が萎れてる……全然反応しないし……」

 

 姉のがソファーでうつ伏せに倒れる俺をリモコンでつんつんと突く。擽ったい。もう大学生なんだから木の棒で野糞を突く小学生みたいな行動はやめろよと、普段ならツッコミを入れるとこだが今日はそんな気力も湧かなかった。

 

「お母さ~ん、何か穂立が死んでるんだけど知ってる~?」

 

 物も言わない骸に見切りを付けた朱里はお袋に聞くことにしたようだ。勿論お袋は俺の事情を知らない。こんな恐ろ恥ずかしいことを母親に言えるはずが無い。

 

「知らないわよ~! そんなどうでもいいことよりお皿並べてくれる~?」

「うん~!」

 

 おい。どうでもいいって酷いだろ。常日頃から地に足二本付けて立派に生きてきた自分の息子の一大事だぞ。

 朱里は「早く元気になんなよ」と俺の後頭部を一回叩くと夕飯の準備に回った。別に手厚く構って欲しかった訳じゃないが、ここまでぞんざいに扱われるとそれはそれで微妙な気持ちになる。もっと心配されて良い立場だぞ俺って。絶対に自分で言うことではないけど。

 

 死体として横たわっていると夕飯で呼ばれた。余り食欲がないので、普段はお代わりする白飯も今日は一杯だけ。程良く済ませると食器を下げて風呂に入って、自室の勉強机で放心状態で俯せになった。

 

 脳裏でリピートされるは桂川の言葉。女の子が好き。女の子が好きか~そっか~。俺全くのノーチャンスだったじゃん。畜生。何だか悔しいというか虚しいというか悲しいというか。俺の心中は数多の絵具をぶちまけたキャンパスみたくカオスそのものである。複雑怪奇すぎて心の処理が追い付かない。

 女の子が好きならそうと、最初から言ってくれよと思ってしまうのは傲慢なのだろうか。でも絶対本人には言えないけどな。惚れてしまった弱みってのはこういうことなのかもしれない。

 

 ただ只管と感傷に浸っていると、自室のドアが開く。ノックが無いから朱里だ。

 

「あれ、まだ凹んでんじゃん」

「ノックくらいしろよ朱里」

「何があったの本当。ここまで尾を引くの珍しいじゃん」

「無視すんなし」

 

 言っても聞かなそうな姉に俺は溜息を吐いた。今日はちょっと放っておいて欲しい。

 朱里は物珍しさに目を僅かに見開いて、ベッドの上に腰を掛けた。足をパダパタさせている。

 

 若干ギャルっぽい朱里は一応俺の2つ上で大学1年生……のはずなのだが仕草が未だに垢抜けていない。まあこの若干頭が悪そうなギャルっぽい朱里が突然品行方正に方向転換したら戸惑うことこの上ないから、らしいと言えばらしい。

 

 丁度両肩に髪先が付くや否やといった茶髪───余談だけどこの髪型のことを肩ラインボブというらしい───を指で擦るような仕草をすると「あのさ」と珍しく真剣味のある眼で俺を捉えた。

 

「だって気になるじゃん、そう明らかに落ち込まれてたらさ。そこであたしは思った。ここは久しぶりに姉貴として一肌脱いでやろうと」

「必要無いって」

「まあまあ、大船に乗ったつもりで言ってみ?」

「もしかして面白がってないかお前」

「そうとも言う」

 

 顔を顰めそうになる。面白そうなこと見つけたという朱里の表情が普通に嫌だ。

 でも朱里は興味深そうに俺の次の句を待っている。それを聞かない限りは梃子でも動かないと言いたげに。そんな地蔵と化した様相に、俺は仕方なく正直に失恋話を零すことにする

 

「実は告白に失敗して凹んでる」

「ウケる」

「いやウケねえから。三回も告るくらいガチだったんだぞ俺」

「もっとウケる。てかそこまで行ったら軽くストーカーじゃない? よく嫌がられなかったね」

「ストーカーじゃねえやい」

 

 琴線に触れて思わず口調が曲がる。朱里は悪かった悪かったと謝罪だか良く分からない言葉を口にして、俺は仕方なく矛を収める。

 

「それで告白を断られたから落ち込んでるの? 三回目なんでしょ? なら断られるのは予想できてたでしょ」

「いや……それだけじゃなく」

 

 言い淀む。桂川のプライベートな話だから伝えるかどうか迷った。でも匿名として名前を言わなければ、まあ、いいか。終わった話だしな。そう思って結局俺は口にすることにした。

 

「好きな相手がいて、それが女の子だって」

「え、マジ? 女に負けてやんの」

「いや本当にうるせえよ…」

 

 ケラケラと人の気持ちも考えず笑い出す朱里に今度こそ部屋から叩き出してやろうかと俺は軽く睨みつけた。圧を意図的に出しただけあって甲斐あってその気配を感じたのだろう。謝りながら目を擦る。

 

「あ~笑った笑った。いやごめん。まさかあたしの弟がそんな愉快な失恋してるなんて」

「本当に何なんだよ……ほっといてくれよもう」

「ごめんって。でもさ穂立、それ本当だと思う?」

「どういうことだよ」

 

 朱里の言ってることが分からず俺は首を傾げる。

 

「いや好きな人がいるとか、女が好きとか、普通に考えて方便じゃない?」

「でも三度目になって初めて言われたんだぞ。方便なら一回目で言わないか普通」

「それは穂立が鬱陶しくなったからでしょ」

「そう言われると何も言えないけど」

「可能性、全くないわけじゃないと思うよ私は」

 

 朱里は真剣な顔して俺を見て、なんだろうと思った。俺にもう一度玉砕しろと言いたいのかこの姉は。相変わらず適当なことを言う。

 

「言っとくが俺はもう告白する気はないぞ」

「あたしも告白しろとは言わないよ、告って進展するならこうなってないだろうし。でも諦められないんだよね?」

「……んなことねえって」

「いや分かるよあたしには。何年穂立を見てると思ってるの」

 

 目が合う。考えをすべて見透かされてるような気がして、つい俺は目を逸らした。何故か首里は優しく笑みを零す。

 

「重要なのは相手の好みに合わせること」

「突然なんだよ」

「一般論。押し付けるだけが恋愛じゃないでしょ」

「押して駄目なら引いてみろってやつか?」

「いや、じゃなくて」

 

 朱里は心底こいつ理解していないなという表情で大きく首を振った。良く分からない。

 

「その相手の好みに合わせることすらしてないのに、いじいじと悩むのはらしくないって言いたいの。やれることあるんじゃないの」

 

 発破をかけるみたいに朱里は言う。言いたいことは何となく分かった。でも普通に無理だろ。

 

「好み……いや女の子になれって言ってる? 無理だからな?」

「え? それこそ簡単に行けるでしょ」

「どういう計算で言ってるんだよ」

「顔立ちとかそうじゃん。女顔だし。幼稚園の頃なんてノーメイクであたしのお下がり似合ってたし、穂立なら今でも女になれるって」

「いやちょっと待てって。その理論は色々と狂ってる。俺に女装しろと?」

 

 やけに据わった目をして、真剣な面持ちで冗談を口にするのは辞めて欲しい。本当におかしいだろ。相手に合わせるという意味合いは分かる。だが女装は意味不明だ。女装すれば気を引けると思っている姉貴にも意味不明だ。

 

「うん。あたしには見えるよ。化粧は軽くする必要はあるけど、結構見てくれは映えると思う」

「そんなガチでコメントしないで欲しいんだが」

「詰め物が無いからそこだけあんまりだけど、まあ穂立の顔立ち的に無い方が似合うか」

「真面目に考察しないで欲しいんだが!」

 

 ぶつぶつと呟いて俺の身体の節々を観察しながら、何が楽しいのか朱里は目を輝かせ始める。

 

「でもまだ諦めきれないんでしょ」

「……そうだけどさ」

「じゃあ女装くらい試しなよ。化粧とか貸してあげるからさ」

 

 もしかしてこの姉、俺が女装する姿を見たいだけなのでは?

 疑いを持ち始めた俺に対して朱里は綺麗な笑顔を浮かべた。何年も家族として過ごした俺から言わせてもらうと、この上なく胡散臭い笑顔だった。

 

「……はあ。分かったよ。一度くらいならやる」

「よしきた。明日あたし直々にやってしんぜよう」

「何か納得いかないけど……頼むわ」

 

 姉に弟は勝てない。俺は姉に弱みを握られすぎている。例えば性癖とか、黒歴史とか、その他諸々ハッピーセットで親に提出されたらその瞬間に頓死確定のやつ。

 弱点の差で姉に勝てない俺は朱里の翳す屁理屈に負けて、結局女装する流れのまま朱里は自室へ引き返して行った。朱里のお蔭で悲壮感だけは薄れたが、代わりに芽生えたのは危機感だった。女装、本当にやらされないよな?

 

 そんな危惧を覚えつつも寝て、翌朝は土曜日だった。

 

 土曜日という曜日は、今日に限っては俺にとって都合が良くない。仮に平日なら女装なんてする時間もなかっただろうからである。そうして2日か3日、日数が経てば朱里もその事を忘れていたはずだ。だが土曜日は何も無い休日。ついでに前日の記憶をすっからかんと無くすほど姉の頭は悪くない。朝飯後に朱里に手招きされて俺は敗北を悟った。

 

 招かれた朱里の自室にて、早速とばかりに化粧机に座らさせられるとそのまま化粧を施される。

 と、その前に朱里の手が止まった。

 

「穂立ってあたしに似て可愛い顔面だからメイク要らないかもね」

「いま凄い背筋が凍った。それはないだろ」

「良い加減に現実見な?」

 

 呆れたような瞳に俺は睨み返す。化粧するのは嫌だが、それ以上にノーメイクで女装するヤバい人種になる忌避感の方が強かった。朱里はため息を漏らしてしょうがないかという表情で手を動かした。

 

 30分ほどで化粧が終わり、鏡を見た俺は目ん玉を落としかけた。自分で美少女と称するのは奇妙な気分だ。でも事実そうだからそう現すしかない、そうだ、俺は美少女の皮をすっぽりと被っていた。

 直後脳裏に走る男としての敗北感。

 

「ここからイケメンになる方法を知りたい」

「諦めな?」

「優しく撫でるな」

 

 思わず呟くと言って聞かない子供をあやすみたいに頭に手を置かれて、反射的に俺はその手を払った。ただでさえ見た目女の子の出で立ちなのに、輪にかけて尊厳が霧散霧消と化す気がする。

 

「これでウィッグ付けて、あたしの着なくなった服を着せればOKかな」

 

 手際よく俺の装いを新たにする朱里に俺は戦々恐々する他ない。

 女子ならこれくらい基礎教養と想いがちだが、長年間近で見てきた俺はそうじゃないことをとことん知っている。ここまで女装技術に手慣れているのは、実のところ、朱里の趣味に依るところが大きい。朱里はコスプレイヤーだ。だからこそ沢山のウィッグに、服も同学年の女子より多めに所持している。更に遺憾ながら言及すると、俺の現在の身長は大体5年前の朱里の身長と等しい。つまり着るのも憚れるような朱里の女子中学生時代のトップスやスカートが俺の今のサイズと合わさり、ピッタリ身体が収まってしまう訳だ。死にたい。

 

「流石あたしの弟、昔と変わらず可愛いじゃん」

「うっせえやい」

 

 施術が終わると、朱里は一仕事終えたサラリーマンのように額を拭って自慢げに言った。

 いや、朱里が自慢げになるもの、俺がこの場に第三者として見ていたならば理解できる。目の前にいるのは到底男子とは思えない美少女の出で立ちで、優しげにウェーブを描いた眉やぱちりと円らに開いた瞳、ぷくりと膨らむ唇。肌の表面も普段より綺麗に加工され、正しく今どきの女子という雰囲気を醸し出している。

 服こそ自分で着たがそれ以外は全て朱里の手によるものだ。全て朱里のカスタマイズだ。

 

 いやはや、男をここまで美少女に仕立て上げる朱里のメイク技術は凄い!

 とか、そうこう持ち上げて無責任にSNSでバズらせてはひと稼ぎさせたいところではあるが、大変残念なことに俺の素の顔立ちが際立って女性寄りであることがクオリティーを上げてしまった大部分の要因である。現実逃避できるほど自分の容姿に自覚がないわけじゃないのだ。無論、俺の心情が非常に複雑なのは言うまでもない。口にもしたくない。

 

「声も変えなよ。地声でも聞くに堪えないことはないけど、やっぱりキしょいから変えて」

 

 俺の内心など一切知らんやと朱里は更に要望を重ねてきた。ピキリと来るものがある。だが落ち着け俺。相手は姉だ。下手に口を出せば何が返ってくるか分からないぞ。

 

「はあ……わかったよ」

「おお良い感じ」

 

 熱くなりかけた感情を胸の奥底へ抑えつけつつ、確かに朱里の言うことも少しは理解できる。鏡に映るこの少女から男声が出たらしっくりこない。だがこうも粗野な物言いをされると俺だってキレるんだからなと声を大にして言えない。絶対に言えないけど。

 仕方なく要望通り、一段声を上げて話すと朱里は感嘆するように頷いた。

 

「にしても幼い頃を思い出すよねその髪」

「マジでなんでこれなんだよ……」

「だって懐かしいじゃん穂立のロングヘア」

 

 朱里はサラリと俺の髪を、正確には俺の頭に乗ったウィッグを指で弾く。

 小学生低学年までは俺はロングヘアだった。ただしそれは俺の意志によるものではない。お袋の悪ふざけだ。ロングヘアの方が似合うからと言って態々美容院に通わせて、毛先やらキューティクルなど整えさせられていたのだ。小学三年生当時の友達から「でもそれっておかしいよ。女の子みたいな恰好は普通しないって」という金言をもらわなかったら今でもロングヘアだったかもしれない。そう思うと寒気が走る。良かった本当に真っ当な友達がいて。

 

「それで、これからどうするんだよ。まさかこのカッコで高校に行けとか言わないよな」

「言う訳ないでしょ……それにあたし大学生よ? 母校でもない高校に行ったら不法侵入者になるじゃない」

「ちょっと待て。一緒に来る気なのか?」

「そりゃそうっしょ。安心しなよ。女装した弟を放逐するほど鬼畜じゃないって」

 

 そうかな? 俺は朱里なら平気でやると思うけど。

 そんな率直な感想は胸に秘めたまま訳知り顔でだよねと俺は頷く。

 

「まあこれで満足しただろ。俺、もうこれ脱いでいいか?」

「そう結論を急かすなって」

 

 独りでに納得をしてウィッグを取ろうとすると、その手首を握られる。

 

「取りあえず散歩してみない?」

「なんで?」

「今後穂立の好きな子にその姿を見せる予行練習として」

「いやどんな罰ゲームだよ。絶対にしないからな」

「まあまあ、良いじゃんその辺歩くくらいは。幼い頃はその恰好で良く公園の砂場で城作ってたじゃん。今更でしょ」

「あのな。幼稚園児と高校二年生を同じに扱うのは間違ってるということだけは言っておく」

「大丈夫だって、違和感が無いのはあたしが保証する」

 

 でも違和感が無いのが違和感だよねー、だとか好き勝手に朱里は俺の容姿を詰りながら外出準備を進める。俺はため息を吐いて、窓の外を眺めた。曇天とまでは行かずとも、雲が大部分を占める本日の天気はお出かけ日和とは言えない。この格好で外出とか普通に嫌だけど、姉に逆らうと後が怖い。色々と怖い。

 俺は諦めてされるがまま、気分はリカちゃん人形にだった。

 

 10分で支度を整えた朱里は意気揚々と意気消沈した俺を外へ連れ出した。目的地は多分無いのだろう。ただ駅前に向かっているのは分かる。

 

「まずはステップ1。人目に慣れましょう」

「帰っていいかな?」

「姉の言うことが聞けないんだ。へえー。あたしはいいけど、さてさてどうしよっかな」

「ごめんなさい」

「よろしい」

 

 初手謝罪をすると満足そうに頷く。卑怯だ。朱里のこういうところは好きじゃないなとか思う。弟的に。

 

「安心しなって。あたしから見て、喋っても全然女子中学生に見える」

「俺、高校生なんだけど……なんなら高二……」

「じゃあ自分の身長言ってみなよ?」

「……152cm」

「同い年の男子平均より19cmは低いことを自覚した方が良いよ?」

 

 なんで男子の平均身長知ってるんだよ。もしかしなくても俺を弄るために調べただろ、こんちくしょう。

 身長差を意識させるように見下ろされて、グッと堪える。ここで何か言ったら数倍にして返されるのは明白だった。遺伝子的に低身長だったならどれだけよかったか。しかし俺と違い朱里の身長は170㎝、女子の中でもちゃっかり高身長というステータスを持っているせいで、俺は唇をかみしめるしかない。

 

 何度目か分からない身長コンプレックスを再発しつつ、少し歩いて人通りの多い大通りへ出る。土曜日のショッピングストリートは人々の賑わいが普段の数倍ほど、俺への視線もそれに伴って倍増している。朱里も容姿が良いから視線が分散されるのだけ救いだ。

 

「あたしたち、今姉妹に見えるだろうね」

「そうだね」

「あーあ。あたしもこんなちんちくりんな弟じゃなくて妹が欲しかった」

「勝手に言っててくれ」

「冷たっ。別に本気で言ってるわけじゃないじゃん」

 

 拗ねるように口先を尖らせる。この姉、今日は一段と取り扱いが面倒くさい。

 

「まあいっか。今日はその姿で我慢してあげる」

「はいはい」

 

 偉そうに言い放つ朱里の言葉を俺は受け流した。やっぱり俺の告白云々はどうでもよくて、自分の突飛な思いつきで俺を女装させただろこの姉。時間が経つにつれて疑う余地ばかり増えてくる。あと少しで純度100%の疑念に変わりそうだ。だからといって何も手出し出来ないのが弟の辛いところでもあったりする。

 

「ねえもしかして姉妹? よければお茶しない?」

 

 そうして普通に朱里と会話していれば声を掛けられた。如何にもといった現代風の若い服装の2人組だ。大学生か、その少し上くらいの年齢に見える。

 街頭を歩いていればまあ、こう言うこともあるだろう。ただし誠に残念なことに俺は妹として見られているようで、安堵よりも男としての尊厳が薄れる喪失感の方が強かった。本当に勘弁してほしい。

 

「それってあたし達のこと?」

 

 あ、馬鹿。話に乗るなこの朱里。

 

「決まってるじゃん。お二人とも可愛いからさ。で、どうよ。暇なら行こうぜ」

 

 ほら強めに来た。こういう輩は街中でチラシ配るカルト勧誘員と同じようにスルーが安定だというのに。

 

「あの、そういうの結構なので」

「あーそっか。なら仕方ないかあ残念だ。でも連絡先だけでも交換しない? 暇になったとき連絡くれればいいからさ」

 

 やんわりと断ると、ヤケに素直に言葉を引いた後に二人組の片方がそんなことを抜かす。もしかしてそっちが本命か?

 

「ここから交番近いんですよねー。そんなしつこいようなら一緒に行きます?」

「まあまあそんなこと言わずにさ!」

「なるほど、来てもらう方が良い感じみたいですね、空気を読めずすみません」

「あ~忙しいところ悪かった。じゃあまた機会あったら!」

 

 緊急通報直前のスマホを片手に脅せば、「可愛いけどめんどくせえ女だったな」「絶対オタクだろあの口調」と負け台詞を残して二人組は雑踏へと消えた。国家権力と戦ってまでナンパを続ける気概は無かったらしい。賢明な判断が出来るナンパ師で良かった。

 ほっと胸を撫で下ろしていると朱里が不思議そうな目で見る。

 

「結構こういう場面は強いよねあんたって」

「男だからね」

「その見た目で?」

 

 一応俺のおかげで助かったというのにこの姉は平常運転のようだ。はあ。俺はもっと優しくて男気がある兄貴が欲しかったよ。

 

 それから更に人気が多い場所を歩みを進める。

 駅に併設された商業ビルの三階。そこは男子禁制の場所だ。女性物の服や下着がディスプレイされていて、普段なら直視することなくエスカレーターでその上のフロアへ向かうところなのだが、朱里は意地が悪いから俺の女装耐性を付ける場所として最適と考えたみたいだ。

 気後れしながら歩く俺を面白そうに朱里は見た。

 

「ほーちゃんはどれ見たい?」

 

 俺の居心地が悪いことを分かってて言ってるなおい。だから見た目良くても彼氏出来ないんだ〜、とか今考えたことを口にしたら間違いなく殺されるので目を瞑って忘れることにする。弟に言論の自由などないのだ。

 

 というかだな、

 

「ほーちゃん言うな」

「あんたに男の名前出したら変でしょ」

 

 反射的に言葉を返せば、様相が仏頂面に傾きつつもマトモな意見。

 朱里の言葉も一理ある。

 でも受け入れるかどうかは別物だ。ほーちゃんとはまだ女児のような容姿をしていた小学生の頃の俺の渾名で、俺の名前である穂立を文字った単純なものだ。この呼び名を口にするのは姉の朱里と当時の学校の友人、それから当時公園で仲良くなったけーちゃんくらいである。何れにしても既に高校進学までに縁が浅薄になって、最近では全く連絡を取ってない。あと俺自身も男としての自我を取り戻して以降は女の子っぽいこの渾名に対してNGを出したので、朱里もこの名で呼ぶことは基本なかった。

 

 ただ今回に限っては確かに穂立と呼ばれて俺が困るのも事実だった。男の名前で呼ばれていたら絶対に変な目で見られる。

 プライドと世間からの目を天秤にかけて、仕方なく頷くことにした。姉と話すと一日一度はプライドが折れる。一日一善的な感覚で弟の尊厳を手折らないでほしい本当に。言っても無駄だが、思わずにはいられない。

 

「はー、仕方ないか。いいよそれで」

「ほーちゃん話わかんじゃん~」

「俺のこの顔、しょうがなく受け入れてるように見えない?」

「弟とは思えないほど可愛いほーちゃんの顔に見えるけど」

 

 意地の悪い朱里の発言に俺のこめかみがピクリと動いた。絶対にわざとだ。

 

「その、ほーちゃん連呼は辞めてほしいんだけど。別に前向きに呼んで欲しいわけじゃないからな」

「えーほーちゃんいいじゃん。しっくりくるし可愛いし。ねぇほーちゃん?」

「なんか揶揄ってないか?」

「はあ? 全然? ほーちゃん、被害妄想が豊かなんじゃない?」

 

 とか言いつつ目の焦点が虚空へ飛んで行ったのを見て確信。俺の昔の渾名を弄りにきているのは明らかだ。言っても幾らでも耐えると思って好き勝手しやがって……、そうボルテージが上がりそうになる自分自身を何とか宥める。この姉と生きていれば自然と身に付くアンガーマネジメントである。

 

 このまま目的もなくエリアをぶらつくかと思われたが、朱里は唐突に女性服の一角に足を踏み入れた。敵地で置いてかれたら堪らないぞと思って慌てて付いていく。

 

「あ、ほーちゃんはあたしの買い物に付き合って」

「なんでだよ?」

「ついで。折角駅前来たんだし何もせず帰るのは嫌じゃない?」

 

 女装をさせられている身としてはもう十分スリルは味わったし帰宅したいし、どうにか伝われこの想い! とばかりに朱里にチラチラ目配せしてみるものの、楽しそうに服を見始めた姉は歯牙にもかけない様子でスルーした。言葉にしてもいいが、ここで文句言って不機嫌になられて八つ当たりされた経験幾知れず。こういう時は大人しく待つのが正解だと17年の人生で流石に学んでいる。

 

 呆然と朱里の横に立って付き添いの人と化したり、時折朱里から「これほーちゃんに似合うんじゃない?」とワンピースやら何やら押し付けられて必死に着せ替え人形を拒否したりと、心が削られる思いをしながら一時間くらい浪費して、頃合いを見て尿意を理由に一言断ってトイレに駆け込んだ。別に緊急だったわけじゃないけど、とにかく今すぐこの場を離れないとコラテラルダメージが受容限界を迎える気がしたのだ。

 普段ならばトイレに行くと一言で済ませられるが本日限定でこの格好である。凄くとっても男子トイレには入りづらい。勿論女子トイレは論外だ。必然的に多目的トイレを探して駆け込むこととなった───ちょっぴり吹き出ててきた罪悪感は捨て置いて。

 

 帰ってくると朱里の姿がいない。先程いた店にも、近場の店を探してもだ。

 脊髄反射でスマホを確認してみる。こんなメッセージが飛んできていた。

 

『ごめん、バ先からヘルプ呼ばれたから行くわ。適当に帰ってて』

 

 この姉め……!

 人を振り回すだけ振り回してこの体たらく。俺が弟じゃなかったらこの姉弟仲は存在しなかったと力弁したいまである。まああの姉に感謝を要求しても斯々然々と脅迫を受けるので止めておくけども。横暴魔人に挑む勇気は俺にはない。それは親父に任せた。

 

 そんなことを考えながら即座に帰宅へと方針変更すると、エスカレーターを降りるのとにした。家族連れとすれ違いながら、偶に飛んでくる視線に身を縮めながら人垣を縫ってビルを出る。

 俺に女装趣味はない。当然この姿をひけらかしたいとかいう歪んだ欲望も無い。なのでもう帰ろう。そろそろ視線が怖い。帰って服を脱いでウィッグを取って、化粧もクレンジングで洗って男に戻って昼寝でもしよう。

 そう決意を固めた瞬間のことだった。

 

「ほーちゃん?」

 

 渾名で呼ばれた気がした。何故か聞き覚えのある声音に最初は朱里かと思った。しかし朱里はアレで弟に愉楽を見出して弄ぶ邪悪な悪癖はあれど、つまらない嘘を吐く性格じゃない。つまりバイトに行ったという話は本当のはずだ。朱里のバイト先は大学の最寄り、ここから四駅は隣だ。

 

 うん、人違いか。ほーちゃんなんて渾名は珍しくも無いからな。

 俺は勝手に納得して特に反応することもなくそのままスルーしようとした。しかし再度呼び止められる。

 

「ほーちゃんだよね? 私、覚えてる?」

 

 回り込まれた。ふわりと女性らしいフローラルな香りが舞って、アレ待てよ、そんな疑懼が思考の間隙を刳り貫いた。

 服装こそ私服だから一瞬分からなかったが、この子、桂川じゃん。桂川碧音。俺が振られたその相手。

 

「久しぶりだね、ほーちゃん」

 

 でもなんで俺のことを知った顔でほーちゃんとか呼ぶんだ?

 






二番煎じだけど良ければ読んでいってください。
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