ラブコメに女装は必要ですか? 作:その日見た空は赤かった
桂川碧音は俺が思うこの学校で最も可愛いと思う人物だ。いや、可愛いと称すると誤解を招きそうだから訂正。横顔はモデルのような綺麗系で、それでいて正面から見るとウサギ小屋に住んでそうな可愛さが同居しており、悩む姿は天使のそれだ。
長い黒髪にはインナーカラーで水色のアクセントが入っている。多分名前から意識してエクステを付けたのだろう。身体は小柄で、とは言っても俺より一回り身長が高い。少々細目気味で、それがドライな印象を与えるが、またそこが俺のドストライクであって、あまり中身も知らないまま告白を何回もしてしまったのだけども。
「ねえ。本当に久しぶりだね」
「あ、うん……本当だね」
「今までどうしてたの?」
純粋無垢な眼差しを向けながら当然のように肩を並べられたら、俺も戸惑いつつ答えるしかない。
何で桂川は俺のこの姿に対してそんなに友好的なんだ? もしかして俺が宗谷穂立だとバレてる?
でも、それならこんな、まるで友達みたいに話しかけたりしないか。久しぶりでもないし。分からん。分からなすぎるぞ。
「えっと……別に普通に過ごしてたよ」
「そっか」
どこか寂しそうに相槌を打った。ここまでのやりとりで俺が宗谷だとバレてない確信は持てているから、自分でもわかる程度に声に覇気が戻る。流石に告ってきた相手が女装していたらこんな自然体な感じでいられるとはとても思えない。今思ったがいつもより声音を高くしているのもバレていない要素の一つなのだろう。
それにしても桂川が俺を誰かと勘違いしていて、だからこそこんなにも親しげに話しかけてくるのかとも思ったが、でも人違いというにはほーちゃんという渾名を知っているのが謎だ。本当に訳が分からない。
「今は何処の高校通ってるの?」
どう対処すべきか考えあぐねていると、早速関門がやってきた。
正直に同じ高校ですとか答えてしまえば変な疑念を持たれる気がする。かと言って明らかに架空の高校を言うのも良くない。
「今は今橋第一高校かな」
「へー。地区で一番の学校じゃん」
悩んでパッと出てきたのは俺が第一志望で落ちた高校の名前だった。名前を出すだけで少しブルーになる。未だに受験失敗の傷は癒えていないらしいとか他人事みたいに考える。
桂川は信じたみたいだ。まあ、嘘を言われるとも思わないか。
それにしても、本当にどうして話しかけてきたんだ?
取り敢えずカフェに入ろうという話になって、駅近くのスイーツで有名な喫茶店に入ることになった。店まで歩く道中で目立たないようにスマホを操作しておく。何となく嫌な予感がしたからその予防だ。連絡先から身元がバレたら洒落にならない。絶対に気まずいに決まっている。
入店後、木造りのブロック席に対面で座ると俺はコーヒーだけ頼む。一方で桂川は抹茶ミルクラテにチーズケーキと、しっかり間食するらしい。甘いものが好きなんだな。
黙っていても話の主導権が桂川に渡って嫌な質問がくるかもしれない。そんな危惧をした俺は恐る恐る鎌を掛けてみることにする。
「最後に会ってからかなり時間空いた気がするけど……いつぶりだっけ?」
内心ビクビクものだったが、特に違和感を見せずに桂川はぱちりと大きく瞬きを一回。
「覚えてないの? 小学三年生の頃だったよね」
「小学三年生……ああそんなに経ったんだ」
口では納得しつつ、急いで脳内の検索エンジンを動かす。小学三年生と言えば、まだ俺が朱里はお袋から女の子みたいな恰好をさせられていた頃だ。こんな感じに髪が長くて、服もあまり男っぽくなかった時代をの俺を桂川はもしかして知ってるのか? でもどこで?
コーヒーをゆっくり啜ると、桂川は懐かしむように言った。
「いつもの公園でさ、突然来なくなったよねほーちゃん」
「いつもの公園……!」
語尾が震えそうになって慌てて抑える。
あ、それだ。分かった。完全に思い出したぞ!
桂川碧音、もしかして通称けーちゃんとは彼女のことだったかもしれない。
けーちゃんとは幼稚園から小学低学年の頃までの友達だった。仲の良さを度合いで表せば親友とも言える。ほぼ毎日のように決まって公園で遊んだ仲だ。
俺がけーちゃんについて覚えていることは多くはない。少ない記憶によれば、けーちゃんとは家が近くて、幼稚園の頃から本当に仲が良い友達だった。幼稚園も小学校も違ったから学校内ですれ違うことはなく、幼さゆえに本名も互いに話さなかった。だからフルネームを少なくとも俺は知らなかったし、名乗ってないからケーちゃんも知らなかったと思う。ただ会った時からほーちゃん、けーちゃんと互いに呼び合っていたのは覚えている。子供が仲良くなるのに氏名も性別も関係ないのだ。
しかし思春期が混じり始める小学三年生になった時、賃貸アパートから親父が大枚叩いて35年ローンで購入した一軒家へと引っ越すことになった。同じ市内ではあったが、それでも当時けーちゃんと一緒に遊んでいた児童公園からは歩いて30分程度と遠くなって、ついでとばかりに異性と遊ぶことに抵抗感が芽生えた俺は何も言わずにそのまま公園へ行くことを止めたのだ。
それにしてもまさか未だにけーちゃんが俺を覚えているなんて思わなかったし、というか桂川碧音がけーちゃんってどんな因果なんだよ! 全然分からなかったわ!
当時のけーちゃんは今よりも地味で、ボーイッシュな感じだった。髪は短かったし、もっとぶっきらぼうな口調だったし、服装も今の女子女子している面影は欠片も無かった。なんというか、一癖ある影の多い子供って感じ。それがこんな天使に進化してるなんて。全然気づかなかった。確かに目鼻立ちとか何かを憂いている表情に面影はあるけど。
ああもう混乱してくる!
理解はしても納得が出来ないって!
「ほーちゃん? どうかした?」
「いや、いや、大丈夫だ。問題ないよけーちゃん」
保津川の激流に身を流されているような錯覚を覚えつつ、意識を保とうと心の中で顔を激しく叩いているとと、桂川はほっと息をついて顔を綻ばせた。
「やっと私の名前言ったね。私のことなんて忘れて、適当に話合わせてるんじゃないかと思ってた」
「そ、そんな訳無いだろ」
そんな訳がある。
いや~さっき思い出したばっかだよマジで───なんて口が裂けても言えない。
流した冷や汗を補充するようにお冷で喉を潤す。コーヒーを頼んだのは間違いだったかもしれない。カフェインと相俟って胃が痛い。キリキリする。
桂川は俺の否定を軽く肯定してみせた。
「だよね。ほーちゃんが忘れるわけないよね」
「ええと、そんな信頼されるとムズ痒いな……」
「そうかな。当然だと思うけど」
桂川の頷きっぷりは迫力すらある。やけに据わった目がちょっと怖い。
「自分で言うのも酷い話だけど……何も言わずに消えた友達を信頼できる人間は少ないと思うな」
本心で話せば。
俺は桂川、いや、けーちゃんから忘れられたと思っていた。想像を働かせれば分かることだ。桂川視点だと幼い頃に突然消えた俺は、精々が『昔仲良かったけど顔も名前も覚えていない太古の友人』ってくらいの枠組みにしか収まらないはず。数年が経った今となっては、そんなやつもいたなとふと思い出して軽く懐かしむ、その程度の影の薄い存在だろうと。
「ホント……良く覚えてたね。顔を見て一発で分かるなんて」
俺は更に重ねて言う。
正確には女装をしてる俺をほーちゃんと認識したわけで、告白した俺は全く無関係の知らないモブとしか思ってないのだろうが、それでも驚愕は驚愕だ。だって、俺とけーちゃんが一緒に遊んでいたのは10年は前の話で───。
昔のけーちゃんとの思い出を掘り出してはノスタルジーに浸ろうとした時、思考の隙間を縫うように凛々しい桂川の声が響いた。
「そりゃほーちゃんのことを忘れるわけない」
「え……?」
桂川は呆れ───というよりは自身満々に瞳を俺へ向けつつ、抹茶ミルクラテに口を付ける。よく見れば頬が赤い。でも流石に変な勘違いはしない。自分の気持ちを表に出すのが気恥ずかしいとか、多分そんな理由だと思う。桂川は自分の心情を赤裸々に語るイメージがあまりないからきっとそうだ。
手に持った抹茶ミルクラテを少しだけ口に含むと唇を戦慄かせた。
「確かに私もその時は哀しかったけど、ほーちゃんはずっと私のこと助けてくれたじゃん」
「うん?」
「公園で虐められてた私を助けてくれたのは覚えてる。それに先に公園に来てた上級生に絡まれた時も助けてくれた。変な大人に付き纏われた時も解決してくれた。学校で浮いてるって相談したら的確なアドバイスもくれた」
頭に文字が躍る。ヤバいな。羅列されても全然覚えていない、昔過ぎて。
俺にだって言い分はある。幼い頃から女子と見間違いされがちな俺は常に奇異の視線と戦ってきた。誇張すれば俺の学校生活とは戦いの連続である。高校でこそそんなこともないが、中学まではどれだけ実害を伴う揶揄が飛んで、その度に反撃してきたことか。髪が長かった小学校低学年時代は同級生から幼さゆえの純粋な暴言を浴びせられることも多く、なんてことを言うんだお前ぶっ飛ばしてやる! と言い返したりもした。まだ朱里とお袋のセンスを全面的に信頼していた時代の話だ。
だから多少やり合いをしたとか、そんなのは日常茶飯事だったわけで。非常に気まずいながら全然記憶に残っていない。でも否定するのも角が立つ。俺は苦笑を堪えて、意図的に笑みを散らした。
「そうだね。そんなこともあったかも」
「そう。だから私がほーちゃんからの信頼を疑う理由なんてないよ?」
コクリと首を傾げた。可愛らしいその素振りにときめきそうになるが、それ以上に罪悪感を覚える。意図せずとも俺は桂川を騙しているからだ。今はその信頼が痛い。
続けて桂川は言う。
「でも来なくなった理由を知る権利はあると思う。聞いてもいい?」
「あーとても真っ当な意見だ」
冷静を装った口調で誤魔化しつつ、あヤベ、そう思った。先程までの友好的で温和な表情は引っ込めて、探るように桂川は視線を送ってきている。内心では愉快な気分じゃないのは確からしい。
俺が公園に行かなくなった理由は一重に性差によるものだ。そんなことを馬鹿正直に言えば違和感があるし、男だとバレてしまう。
「あの時は突然両親の都合で引っ越しがあって……挨拶も出来なくてホントにごめん」
「そうだったんだ、なら仕方ないね」
流れるように突いて出てしまった嘘だが、桂川はすんなり信じたようだった。桂川は恐らく俺が引っ越しで県外に出たのだと自己補完して納得したんだと思う。罪悪感が溜まる一方だ。引っ越したのは本当だから完全な嘘ではないが、それでも本当の理由は欠片も話していない。
うーんどうしようかこの状況、とか考えていれば桂川はスマホを取り出した。
「ならさ、連絡先交換しようよ。これからはこの市にいるんでしょ」
「うん。勿論いいよ」
良くなかった。
チャットアプリは実名で登録してる。つまりバレる。俺の性別とか名前とか全部。そうなれば超気まずい上に、騙された桂川の反応を考えると、いやマジで予想したくないから考えるの止めた。
「とりあえず電話番号でいいかな」
「はあ。RINEでよくない?」
「えっと、RINEはやってないんだ」
ジローっと、お前それはありえないだろと言いたげな目に背筋が震える。
RINEをやってない中高生なんて今時いない。今の世代、友人同士の連絡は勿論、バイト上での連絡先としてや、果ては仕事のやりとりでもRINEを使う世の中らしい。使わずともアカウントくらいは誰しも所持する時代だ。
疑われるのも真っ当だよなあ。特に女子高生なんて興味ない相手には「いや私RINEはやってないんですよ~」とかきゃぴきゃぴと答えがちだし、俺もそう答えられた経験はある。きっと桂川もその点は敏感だ。噓を疑われて当然と言える。
それでもRINEの連絡先だけは交換できないので、俺は事前に考えていた嘘を吐く。
「うちは厳しくてさ。RINEだけじゃなくてSNS全般、成人するまで禁止なんだ」
「えー、凄い昭和的じゃん」
「だからほら」
そう言って画面を見せてあげた。画面にはSNSなんて一つも入っていないはずだ。
言うまでもないが、俺がSNSに対して攘夷思想を抱いているとか、そんな事実は1ミリたりとも存在しない。普通に使ってるし、アカウントだって持っている。ただ喫茶店までの道中で念のためアプリを消しておいた、カラクリはそれだけである。こうやって交換を持ちかけられたらバレるなって、そう考えたのだ。少し警戒しすぎだったかなと思ったけど、結果としてまさかこの仕込みが役立つとは……。
「ふーんホントだ。今時珍しい。因みにそのアクキーなに?」
スマホの画面を見て納得すると同時に、桂川の視線はスマホカバーについたアクリルキーホルダーに向かう。可愛い顔が仏頂面に歪んだ。
あ、失敗した。これも外しておけばよかった。マズったな……。
そう思ったのはそのアクリルキーホルダーが美少女アニメのキャラをデフォルメしたものだったからだ。
星霜のアクアロンドというアニメがある。毎週深夜2時くらいにやっているアイドル物のアニメで、主人公の
「これは星霜のアクアロンドってアニメのキーホルダーだけど……知ってる?」
「いや……。でもこのキャラ新宿の地下通路で見たことある気がする」
「そういえば大型電子公告打ってたかも」
思い出すように桂川はキーホルダーを注視した。因みに俺はその電子公告を見たことはない。新宿自体はここからそう遠くもないが、用事もないのにわざわざ足を運んでまでアクアロンドの広告を見るほど俺は熱狂的なファンではなかった。
ともかくオタク趣味を垣間見られた気がして恥ずかしい。しかも好きな子に。上手く誤魔化せないかなこれ。
思考がドラム型洗濯機の如くぐるんぐるん回し始めた俺のことなど露ほども知らない桂川は、養豚場の豚を見るような冷たい目をした。
「意外とほーちゃんってオタクなんだ、ふーん」
「な、なにその目!? いやアニメは見てるのこれだけだって! これだって姉から勧められただけで!」
「いや別に私はいいけどさ。久々に会った親友がオタク趣味でも。けーちゃんのことなら全て受け止められる度量はあるつもりだし」
「何の話!?」
なんだか重い発言をされた気がする。桂川にその気が無いのは分かってるけど心臓は正直なものでドキッと鼓動が疼いた。落ち着け俺。俺の事じゃない。こういう時は浄土宗だ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……。
「取り敢えず電話番号でいいから交換しよ」
「……あ、そうだったね」
今日のところは極楽浄土は諦めることとして、代わりに桂川の番号を電話帳に登録する。お互いの番号を見せ合った時にチラリと見えたのだが、桂川は電話帳は使わない現代っ子らしい。要するに電話帳の連絡先に現在俺だけということで、俺専用の連絡ツールへと変貌を遂げたことになる。なんというか、桂川の生活を一つ塗りつぶした気がして逸る気持ちを抑え付けるのに精一杯だ。自覚がないだけでもう俺は極楽浄土にいるとか、ないよな?
桂川はスマホを持ちながら神妙な面持ちで小さく呟く。
「これでいつでも会える……か」
「なにか言った?」
「ううん、なんでも。それよりもまた会おうよ。暇な日とかないの?」
「あるとしたら土日かなぁ。平日は忙しいから」
「だよね。私もそうだし、ほーちゃんは進学校だもんね」
「あ、ああ。そうそう」
ぎこちない返事が口から出た。
いや、違うんだ。もしまた会うとしたら女装しなきゃならないし、その手間を鑑みたら絶対に土日だなと算盤を弾いた末の結論であって、自身に吹っ掛けた設定なんて完全に忘れかけていた。危ない危ない。俺は今橋第一高校に通っている設定だった。
特に気にした様子もなく桂川は自身のスマホを見て、
「じゃあ次の土曜日、空いてる?」
「空いてる、かな」
脳内でスケジュール表を浮かべる。今月は何も予定は入ってない。
桂川は俺の返答に自然と零れたみたいな微笑みを湛える。
「そっか。じゃあどこか行こうよ」
「いいね。どこにする?」
「…………公園がいい」
たっぷり二拍ほど溜めて、桂川は蚊の鳴くような小さな声を出した。
公園、きっとけーちゃんと遊んだあの公園のことだろう。俺達の思い出の場所だ。
「懐かしいね……了解、そうしよっか」
「うん……そうだほーちゃん」
「ん?」
紅潮した頬を隠さず桂川は俺の目を直視した。
「私……こうしてほーちゃんと会えて本当に嬉しかった。だから絶対にもう勝手に居なくならないで」
「わ、分かったよ」
真に迫った表情で言うもんだから反射的に俺は首を縦に振った。俺だって桂川を悲しませるのは本意じゃない。
しかし頷いた後に気付いたが、それは即ち、桂川を騙し続けなくてはならないということも意味している。桂川にとっての『ほーちゃん』は『宗谷穂立』では成り得ない。この女装姿の俺が『ほーちゃん』であると、桂川は強く認識している。もし桂川を悲しませないようにするならば、俺が『宗谷穂立』であるという現実から未来永劫遠ざけなければならないのだ。
「私この後予定あるから……名残惜しいけど。今日はもう行くね」
「そっか。じゃあまた来週」
「うん、来週」
桂川はそう言って、名残惜しそうに俺に視線を送りながら席を立った。自分の食べた分のお金を席に置くと流麗な歩き方で店外へ歩いていく。
後ろ姿を見詰めながら真剣に悩んでみたが、どう足掻いてもこのジレンマは解消される未来像が思い浮かばない。
俺は一旦匙を未来に投げることに決めた。未来の俺よ、どうにかこの重大な問題を見事解決してくれ。
余韻に浸ること数秒の後、目線が自分のスマホへ行く。
少し悩んで、取り敢えずアクアロンドのアクキーはスマホから外すことに決めた。偶然ばったり学校で会って疑われたら一巻の終わりだ。でもこのアクキー、イベント限定物販で手に入れたやつだから結構貴重なんだよな……引き出しに放置するのは勿体ない。
よし、帰ったらスクールバッグに付け直そう。そうすれば桂川から疑われる理由もないはずだ。
俺はアクキーをポケットに仕舞うと、喫茶店の会計をした後に帰路へついた。
書き溜め中なのですみませんが時間を下さい。