ラブコメに女装は必要ですか?   作:その日見た空は赤かった

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#5 ブランコと思い出の公園

 

「朱里、頼む。明日も女装の手伝いをお願いしてほしいんだけど!」

 

 4月20日の金曜日、夜。

 俺は朱里の部屋を訪ねると、恥も外聞もなく頭を下げては、恥も外聞もない言葉を惜しげもなく並べて朱里に懇願していた。

 経緯はシンプルだ。

 土曜日、つまり明日、朝から俺は桂川と遊びに行くことになっている。ただし、『宗谷穂立』ではなく『ほーちゃん』として。

 

 しかしあの時身に付けた服もウィッグも俺の物でなければ化粧の技術も俺にはない。最早ここまで来ると俺が朱里に頼み込むのは運命付けられていた。Wで不本意だ。女装もホントは嫌だし朱里に頭を下げるのも嫌だ。しかし、もしその2つを天秤にかけるならば余裕で女装の方がより嫌だった。俺は男だし、過去にこの中性的な容姿で苦労した記憶は億千万。好ましい思い出がない上に黒歴史でもある。

 

 それでも幼馴染たる『けーちゃん』の前に出るには女装をする他ない。約束を破るのも出来ないのであれば、もう選択肢なんてないのだ。

 

 朱里はそんな悲壮感と屈辱と虚無感が混じりあって複雑な心境を携えつつも徹頭徹尾ていとうな俺を、あちゃー、と言いたげな困った表情で後頭部を掻いた。

 

「まさか冗談のつもりだったのに女装に目覚めるとは……流石コスプレイヤーのあたしの弟。因果な定めって感じ?」

「冗談って……慰めとかアドバイスとかじゃなかったのかアレ!?」

「それもあった。2割くらい」

 

 なら8割は娯楽として消化してるじゃないか! 8割って相当な割合だからな、受験なら大抵の学校を狙えるくらいの!

 理不尽の権化を目前に俺が愕然としている中、朱里は目を一度瞬かせる。

 

「進んで女装を請うようになるとは姉貴としてびっくりだわ。あんたそういうの嫌いだったっしょ。でもその容姿だしいつか好むようになるかもとも正直思ってた、ついに芽が出たかーって感じ」

「いや違う……違うんだけど……でも今は否定しづらいな……!」

「ん? 女装に味を占めたんじゃないん?」

「俺はそんな変態じゃない!」

「信頼性ゼロで草」

 

 うぐっ……!?

 確かに傍目から見れば姉に女装を手伝わせる弟とか業が深いなと思うけど!

 

「一先ず、どうしてそうなったか聞いて判断するわ」

 

 依然と半目のままの朱里は腕を組みながら俺を見下して言った。それもそうか。朱里にはこの前俺が桂川と会って、桂川が昔の幼馴染であると判明したことを話してないもんな。

 

 俺は土曜日の出来事を掻い摘んで話す。朱里は途中までは興味なさげに話を聞いていたが、話題のスポットライトが告白相手の桂川が幼馴染で、俺を『ほーちゃん』という女子高生として認識してる話になった瞬間、水が突沸するかのように爆笑した。

 

「あはっは! なにそれ! どうしたらそうなるん!? 面白すぎるでしょ!」

「当事者的には笑いごとじゃないというか……」

「あたし当事者じゃないもん!」

 

 喉が枯れる勢いで笑いまくって、俺はその間何も言えない。冷静に顧みても本当にどうしてそうなるのかと悩んでしまうからだ。

 

「まぁー理解した。あたしとしてはそんな千載一遇のコメディーを逃したくないし、いいよ、手伝ったげる」

「ああ、助かるよ」

「じゃあ千円」

「え?」

「コスメと服レンタル代。千円徴収するから」

 

 金取るのかよ。

 でもここで渋ることも出来ない……足元を見られている気がしてあまり良い気分じゃないが。

 予想外の出費に項垂れつつも支払うことに決めると、朱里は笑顔で頷く。

 

「分かったよ……」

「毎度あり。おけ、明日は何時に行くつもりなの?」

「午前8時に待ち合わせだから、出るのは7時半くらいだと思う」

「早くない? 部活の朝練じゃん。店どこも開いてないっしょ」

「それはそうなんだけど」

 

 桂川の可愛いチャットに無思考でYesと返してしまったけど、そうだよな。ファミレスも何もやってない時間だし、公園でまさか店が開くまで何時間も過ごすなんてことにもならないだろう。流石にもうちょっと遅い時間を指定すればよかったかもしれない。

 

 俺の考えが浅いと思ったのか朱里はやれやれとばかりに首を振って、呆れてみせた。

 

「全くうちの弟はそんな様子で大丈夫なんだか……」

「別にいいだろ……ともかく本当にありがとうな」

「それと老婆心から一つ言っとくけど」

 

 最低限の目的を達したと思って自室に戻って明日の準備を整えとこうと思ったのだが、俺が動く前に朱里が言葉を挟んだ。

 

「あんたがどうするつもりかは知らないけど、ずっと歪な関係を続けるわけじゃないでしょ。その子を騙しているわけだし。何であろうと頃合いを見て真実を伝えるべきだと思う。───信じてた相手から騙されるってキツいんだよ? これ姉からの助言ね」

 

 それだけだからと言い、朱里は俺を部屋から追い出した。

 それから暫く、朱里の言葉が楔となってジクジクとした嫌な情感を覚えた。

 ……真実を言うべき、か。

 俺だって分かってる。薄氷の上で歩いている現状が望ましくないことくらい。況してや桂川の心情を鑑みれば早々に暴露したほうが良いことも。

 

 少し考えて、俺は意図的に考えないことにした。その『いつか』はきっと今じゃない。然るべき時期というものがあるはずだ。朱里の忠告を忘れるわけじゃないが、今はまだ───。

 

 思考を先延ばしにすると、俺はベッドに寝転がって電気を消した。

 

 

 

 

 翌日。

 6時になっても起きて来なかった朱里を叩き起こす。まあ時間が早いし、今回に限っては俺の事情に依るものだ。少し申し訳なさはある。でも叩き起こす。こうでもしないと首里は目を醒まさないだろうから。

 

 口数少なく起きた朱里に野口さんを渡して、のそのそとした動きで化粧や服一式をコーディネートしてもらうと、準備万全、家を出た。朱里は二度寝した。

 

 玄関扉を開くと春の空気が雪崩れ込んだ。朗らかでのんびりした空気。何かが始まりそうな予兆があっていいな。春が好きな理由の一つだ。

 

 家から公園まで30分ほど。本当はバスを使ってショートカットしようと思っていたのだが、こんなに天気が良いならのんびり散歩とするのもいいかもしれない。それで俺はバス停を通り過ぎた。元より早めに出ようと思っていたから時間はある。

 

 正直なところ、緊張はしている。

 『けーちゃん』と会うのもそうだし、『ほーちゃん』として会うのもそうだ。諸々の事情を隠してこれから『けーちゃん』と遊ぶと考えたら、気が気でない。些細な仕草からバレないか心配だ。

 事情を明かすこともだって考えた。でも、それをしてどうなるって言うんだ。真実が全て良いとは限らないはずだ。今そうしたところで、きっと『けーちゃん』はガッカリして、その後憤慨して、酷い別れ方をするだろう。お互いのためにならないと思う。永久に隠し切ろうとは思ってないけど、少なくとも今じゃない。

 

 考え始めると不安に押しつぶされて気分が沈みそうになって、一回深呼吸。

 こんな直前でナイーブになったら終わりだぞ俺。こんな気分で行っても楽しめないし、ボロを出すかもしれない。そうだ、デートとでも思えばいいじゃないか俺。ほら好きな子とのデートだぞ俺。

 

 架空の人参をぶら下げることに成功したので、気分転換ついでに公園までの道程を思い出す。今歩いている二車線道路をもう少し進んで三つ目の信号で右折、県道に入ってすぐ細道へ左折。住宅街が織りなす複雑な裏道ををくねくねと歩けば目的地の公園が現れる。

 

 そういえば公園の名前を俺は知らないな。多分忘れた訳じゃない。当時も興味が無くて覚えようとすらしていなかった気がする。何という名前なんだろう。地域の名前なのか、それとも第一公園とかつまらない名前なのか。公園自体が大きくないから運動公園みたいな、如何にも大規模な敷地を誇りそうな名前は無いだろう。

 

 考えながら早朝の春風とすれ違っていれば、程無くして公園が目に入った。公園内が見えて、人影が一つ、格子状にデザインされた屋根の下にあるベンチで座っている。桂川だろうか。

 近づくと輪郭がはっきりして、桂川だった。詰まらなそうな顔をしてスマホを弄る横顔が見える。屋根の隙間から漏れだす朝日によって、ステージ上のように照らされた桂川がとても幻想的だった。

 

 更に桂川の爽やかな服装もその容姿を際立たせている。淡い水色のトップに、ミルクみたいな純白のロングスカート。似合い過ぎていて、見ている内に直前まで何を考えていたか忘れてしまった。

 

 気配で分かったのか、桂川は顔を上げて俺の姿を認めると自然な笑みを作った。

 

「あ、来たんだ。おはよう」

「おはよう……早くない?」

「普通でしょ」

 

 公園にある時計台は7時45分を示していた。まだ約束まで時間があるが、桂川も俺と会うことを楽しみにしていたということだろうか。何だか嬉しいな。勘違いは流石に今更しないけども。

 

「そっか」

「そっちこそ今日何時に家出たの?」

「7時過ぎくらいかな。起きたのは6時前」

「私より早いじゃん」

「けーちゃんと同じ気持ちだったからさ」

 

 そう言うと頬を紅潮させて俺を睨んだ。普段なら動揺するところだけど今の桂川は怖くない。猫みたいだ。

 

「はあ……ほーちゃんは何時からそんなやり手になったんだか」

 

 溜息を一度吐くと、桂川は公園に視線を移した。釣られて俺も顔を動かす。

 ベンチからは小さな公園の全貌が見える。改めて全体を視界に入れると何だか思っていたよりも公園が小さい気がした。子供の頃は全てがもっと大きく見えた。高校生になって身体が大きくなって、申し訳程度の数しかない遊具が敷地の大半を占めていて、何だか密度が高く混々とした印象を受ける。

 しかし、遊具に変わりはないみたいだ。各地で危険だからとブランコやシーソーが撤去されるトレンドもあったけど、この公園は時が止まったようにそのままの姿を残している。

 去来した暖かなノスタルジーに穏やかな時間を感じていれば、桂川が言った。

 

「本当に懐かしい」

「けーちゃんもこの公園に来なかったの?」

「一人で来ても面白くないでしょ。それにここは特別な場所だから。けーちゃんと一緒じゃないと意味ない」

「確かに一人じゃ来ないか。同じ立場ならそうするかも」

「うん」

 

 桂川は頷いて、スカートを払って立ち上がった。

 

「ブランコ乗ろうよ」

「え?」

「懐かしいでしょ?」

 

 ふっと笑った。何か言う前に歩き出してしまう。

 ブランコに乗るなんて何年ぶりだろう……それこそ桂川とここで遊んでいたぶりになるかもしれない。

 

 桂川の隣に座ると、軽く漕いでみる。

 

「私達、こんな感じで放課後色々話したよね」

「うん。その日あったこととか、先生の悪口とか」

「あったあった。学校違うのにそんな話ばっかしてた」

「ホントに懐かしいよね」

 

 ぎこぎこと、ブランコが軋む音が響く。気を付けて聞いてみると、昔より音が大きくなってるかもしれない。

 錆びが進行したんだろうなとか予想して、過ぎ去った時間をまた懐かしみかけたその時だった。

 桂川が言いづらそうに口火を切った。

 

「ほーちゃんってさ、恋人とかいるの?」

「こい……びと?」

 

 斜め上へ話が飛んで、つい言い慣れない単語を繰り返すみたいに発音してしまった。

 いやでも恋人? まあ女子って恋バナ好きだしな。小学校からそれは変わらない……そう言えば似たことを昔も桂川から聞かれた気がする。その時は「いやいや、いるわけないじゃん!」とか大声で言い返して呆れさせた記憶があるけど。

 少しばかりどう返すか悩むと、

 

「全然いないよ」

「そう。そっか。そうなんだ」

「……なんで3段活用したの?」

「ほーちゃんが気にしなくていいことだよ」

「そっか。でもそれならけーちゃんなんて恋人いそうだけど?」

「居ない。告白も全部断ってるから」

 

 キッパリと言われて呻きそうになった。耐えた俺はこの世界で一番偉い。

 言ってから気付いたけど何で俺はそんなことを聞いたんだろう。過去の傷を抉るだけなのに……。

 よし、忘れよう。今の俺はほーちゃんだ。穂立じゃない。告白ってなんのことですかね。

 

「そうなんだ。なんか勿体無いね」

「別にそうでもないよ。どうでも良い男ばっかだったし」

 

 好きな子からどうでもいいって言われた。ごめん無理だ。俺今からブランコで自殺試みてもいいかな?

 衝動的に破滅へ向かおうとする俺を諫めるように桂川は俺のブランコの鎖を掴んだ。

 

「……でもさ。安心した。ほーちゃんは昔から何も変わってないんだね」

「そ、それは失礼じゃないか? 学力上がったし精神年齢も上がったからね」

「身長は変わらずちっちゃいまま」

「身長のことは言うな」

 

 なんか可笑しくて笑みが込みあがってきた。普段ならキレかけているところだけど桂川から言われるのはあまり琴線に来ないな。これが惚れた弱みってやつか。失恋してまだ心の折り合いが付いていないみたいで、少し複雑な気分になる。

 

「大学はどこに行くつもりなの?」

「大学……?」

「進学するつもりでしょ」

 

 話題を大きく変えてきた桂川に、まあそうだけど、と中途半端な返事をしてしまう。

 突然言われてもなあと思う。大学なんてさっぱり考えていない。取り合えずそこそこの学校に入っておけばいいかな、そうすれば就活でも苦労しないかな、程度の考えはあるけど、頑張って粉骨砕身の思いで難関大学を目指すのも違う気がする。学力も高いわけじゃない、正直こだわりはないかな。

 

「まだ二年生じゃん。分からないよ。あんまり考えてもないし」

「ふーん」

「何だよその生返事」

「別に。教えてくれないんだって思っただけ」

「だから志望校すら決めてないんだから教えようがないだろ?」

「じゃあ偏差値。今の偏差値教えてよ」

「恥ずかしいからヤダ」

「……ケチ。昔のほーちゃんならもっと堂々としてた。この十年で随分と女々しくなったね」

「女々しくはなってないと思うけどなあ」

 

 桂川は拗ねた口調で悪態をつく。

 男に磨きがかかったとは自分でも思わないけど、初対面で女児扱いされることは少なくともなくなった。真反対だ。絶対に真反対だ。口には出せないけど。

 

「そういうけーちゃんこそ志望校でもあるの?」

「教える必要ある? ほーちゃんは教えてくれなかったのに」

「そう言わずに」

「どれだけ言っても無理だよ。けーちゃんが話さなかった時点でこの話は終わってるの」

 

 桂川が気難しい。いやいつもだけど。女心と秋の空とはよく言ったものだ。

 

「でも志望校決まったら教えて。絶対。今年は良いけど三年の春には一回聞くから私」

「いやなんでさ」

「なんでも」

 

 未だに俺の志望校に固執する桂川に脊髄反射で素の返答をしてしまう。桂川が過去一頑なだ。まあ、過去を語るほど俺は桂川のことを知ってるわけでもない。空いた期間は10年だ。しかも人生で最も繊細な思春期の10年だ。そう考えて、俺は『けーちゃん』と『高校以降の桂川』しか知らないんだなと改めて身に染みる。

 

 またもや感傷に浸ると、子供達の甲高い喋り声が聞こえてきた。公園に向けて歩いてくるようで、次第に話し声は大きくなる。

 不意に時計台を見てみた。午前8時30分。もうそんなに経ったんだ。

 

「そろそろ公園出ようか」

「うん」

 

 移動を提案すると桂川も須臾の間を置かず二つ返事で頷いた。

 別に言葉が嫌いなわけじゃない。或いは、この狭い公園に俺達がいても子供達が思い思いに遊べないだろう───とか殊勝な年上としての配慮でも勿論無く、ただ俺と桂川の2人だけの空間が崩されるのが嫌だっただけだった。なんて心が狭いんだろう俺は。

 

 一度地面を蹴っ飛ばして、勢い良く俺はブランコから立ち上がる。

 桂川も続いて地に足を付けて、すると唐突に俺の臀部を手で払った。

 

「土が付いてる」

「あ、ありがと……」

 

 ええっと、その、ボディータッチされた……?

 理解が現実へ追い付いた頃には桂川は俺を追い越していた。振り返って俺を見る。

 

「どうしたの?」

「いや、なんでもないけど!」

「……変なの」

 

 桂川は奇怪なものを見る目で俺を見た。

 こちらの気持ちも知らない癖に……いや知ってるのか。はい。

 

「それでどこ行く?」

 

 変な顔になってる気がしたので顔と話を逸らして、これからの予定があるか聞いてみる。無ければまた適当に駅前で散策というパターン通りの動きとなる。俺に女子同士でどんな風にお出かけをするのかなんて知識はない。あったら純粋に気持ち悪い。

 桂川はスマホをちょちょいと操作して画面をこちらへ見せる。

 

「映画とかどう? 今ならこの映画やってるけど」

「映画かあ」

「不満?」

「そういうわけじゃないけど」

 

 画面には今話題の恋愛映画のあらすじが表示されている。

 意外だった。桂川って恋愛映画とかメロドラマとか、そういうポップなコンテンツに興味ないですみたいな澄ました顔をしてるから。『けーちゃん』もテレビよりも本な子だった。余談だが図書委員に入ったのもそういうことだと思っている。

 だから、ついつい指摘した。

 

「その映画、見たいの?」

「……まあ、多分?」

 

 何故か疑問形だった。苦虫を嚙み潰したように歯切れが悪い。

 ……もしかして俺を慮っているとか?

 

「一応言っとくけどこっちに合わせる必要とはないからね。けーちゃんがしたいことで良いよ」

「そう言う訳じゃないんだけど……折角の忠告だし。分かった。そうする」

 

 桂川は溜息を吐いて頷いた。

 

「なら、本屋がいい」

「おっけー」

 

 その言葉で駅を移動した。数駅移動して、県内でも5本の指に入る敷地面積を誇る書店へと足を運ぶことにする。

 土曜日の朝の電車は混んでいた。殆どの人がこれから何処か遊びに行くんだろう気軽な装いをしている中、2割程度の学生服やスーツ姿の乗客に哀愁の念を覚える。視界に入れては刹那の仄かな申し訳なさを感じつつ、桂川と他愛もない話(といっても何処からバレるか分からないから気が気でない)を交わしながら、20分で最寄り駅に到着。

 

 目的の書店はショッピングモールの3階だ。モールまでは駅から直通しており、2階通路を渡って店内へと入店が可能である。この周辺は3年前に竣工した駅周辺の大規模再開発でアップデートとされて、利便性が上がったのだった。おかげで俺も買い物をするときは良くこの周辺に来たりする。

 

 本屋に入る。学校の図書棟とまではいかなくとも、売り場面積は優にその辺の平屋のスーパーを超えるくらいに広い。微かに香る本の匂いに桂川の顔も緩んで、ふらふら新刊コーナーへと吸い寄せられていった。

 

 書店に入ると桂川は徐に肩に掛けていた小ぶりなバッグを漁ると眼鏡を取り出した。すっと装着する。

 

「けーちゃんって視力良くなかったっけ?」

「下がったの。本の読みすぎで。日常生活は眼鏡がなくても何とかなるけど、細かい文字を読むときはどうもね」

 

 何でもないように言う。

 まるでおばあちゃんの発言だ。言ったら睨まれそうだから黙しておく。

 

 知性がプラスされた桂川と30分くらいは一緒に本を見て漁った。しかし桂川は乱読家らしく、小説のみならず経済書、実用書、果てはITの資格本まで手にとってはペラペラ捲り始める。これには俺も参った。読書が嫌いなわけじゃないけど、進んでするほど傾倒している訳でもない。良く読むのは漫画くらいだし、小説を読むのは年に一回か二回程度。最初こそ物珍しさから付き合えたけど、徐々に飽きがやってくるのはどうしようもない。

 そろそろ無理かなあ……一旦気分を変えよう。

 

「ちょっと漫画コーナー行ってくる」

「うん」

 

 一言断ると、返って来たのは譫言みたいな返事。桂川は夢中だった。本の妖精のようだった。

 今もなお書籍に魅入られて離れられない桂川はそこに置いたまま、漫画コーナーへと旅立つ。売り場が広いからコーナーを一つ見つけるのも大変だ。

 10分少々かけて探して、新刊漫画を確認。知ってはいたけど追ってる漫画の続巻はまだ出てない。でもアクアロンドのアンソロジーがまた出てるのは見つけた。よし、これは買おう。買いの一択だ。

 

 それで俺はこっそり漫画を買った。隠れる必要なんてないとは思うけど、桂川にこれ以上オタクだと思われるのは嫌だった。

 

 さて、気になっていた漫画も全部チェックし終えたらいよいよやることがないぞ。手持ち無沙汰だ。どうしようか。

 桂川の元へ戻って物色姿でも見物しようかと思ったが、それも趣味が悪い気がして、あと元の木阿弥でしかないのもあって、結局適当にモール内を彷徨うことにした。

 

 SMSで一報、見終わったら連絡をくれとだけは送っておく。既読はつかない。いつもは気怠そうにほんのり細く絞られた目を今日ばかりは大きく見開き、今もなお本の山に埋もれていることが容易に想像つく。桂川が満足するまでは待機するかあ。

 

 モール内をぶらぶら歩く。目新しいものはない。このモール自体、俺もそこそこの頻度で通っているのもあって、どの店が何階のどのエリアにあるかくらいまで何となく把握できるレベルまで達している。

 見るものも無いのでウインドショッピングは諦めて二階のバルコニーに出た。雲一つない春に迎えられて、大勢のショッピング客で食傷気味だった気分が一気に搔っ攫われる。普段は休日あんまり外に出ないからこそ、こういった季節の外気を新鮮に感じる。

 

 そんなことを考えていると春風に乗って知ってる声が聞こえてきた。

 

 

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