「……これは……一体……!?」
空に撃ち上がった赤い信煙弾を見て慌てて飛んできたアルミンは、目の前に広がる光景に愕然としていた。
エレンの───と思われる───巨人が、何故かその首から上を欠いた状態で大岩の横に倒れ込んでいる。更に周囲からは、街の隅に集め切れなかった巨人達がまるでエレンに引き寄せられるように急速に近付いて来ており、それらを相手取って今まさに精鋭班が熾烈な戦いを繰り広げている最中であった。
(作戦は……?エレンは今、どうなっている……?)
その
通常の巨人であれば、この程度の損傷は数分も待てば完全に修復されてしまう筈である。しかし、今のエレンの身体にはその機能が働いておらず、失った頭部が再生されるような兆しは一向に見られなかった。
だが一方で、死んだ巨人のようにその身体が蒸発していく訳でもなく、依然としてこの場に存在し続けている。先程砲弾を防いだ際も、エレン自身の身体が離れた直後から巨人体の蒸発は始まっていた。故に、エレンはまだこの巨人体の中にいると考えて間違いないだろう。
……今の彼は、果たして
(生と死の、『狭間』のような状態……なのか?)
少なくともアルミンが見た限りでは、状況判断的にそう結論付ける他なかった。
───すると。
「……オイ、お前!?そこで何をしている!?」
焦りと驚きを綯い交ぜにしたような怒号が頭上から降りかかる。
直後、一人の女の兵士がアルミンの前へと降り立った。
「!お前は……確かさっき、アッカーマンと一緒に居た……」
「は、はい……アルレルトです!すみません、今は一体どういう状況に……!?」
「……そうか、お前が……!」
アルミンの質問に、女は答えなかった。
代わりに彼の肩を力任せに引き寄せ、必死の形相で口を開く。
「───頼む、アルレルト!!
「……え?」
「アッカーマンが言っていた……
「ま、待って下さい……!一体どうして……!?」
「今、この意識のないデカブツを守って仲間が死んでいってる……!作戦はとっくに破綻したが、ウチの班長はイェーガーを置いてこの場を離れることを良しとしなかった!コイツが自我を取り戻すか、自分の意思でこの肉塊から出て来るまでずっと、私達は戦場を離れられないんだ───!」
「───リコ!まずいぞ、小せえのが何匹かこっちに抜けて来やがった!!」
急いでアルミンに捲し立てる
振り向いて見れば、五〜六メートル級の巨人が数体、街路の奥から此方に急接近して来ているのが目に入った。
リコと呼ばれた兵士は舌打ちし、刃を抜き払って即座に戦闘の姿勢に入る。
「……アッカーマンから、私達の誰かがお前に会ったら伝えてくれと言われたんだ。『貴方の声になら、エレンは必ず応じてくれる』って……それだけ言って、奴は巨人共に向かって行った……!」
「……!!」
「どうしてなのかは知らん……アッカーマンの声にも、誰の呼び掛けにも応じなかったコイツがそれで本当に目を覚ますとも思えんが……もう、
そう吐き捨てて、彼女は巨人の群れへと飛びかかって行った。
……残されたアルミンは、ただ只管に困惑していた。
(ミカサ……君は一体……)
疑問が、山のように積み重なっていく。
何故、自分がここに来ると思ったのか。
何故、自分ならエレンを目覚めさせる事が出来ると踏んだのか。
───何故、
……考え過ぎだろうと、己の中の理性が待ったをかける。
自分が此処に来る事も、幼馴染として互いの性格を良く理解していたから、というだけの事かもしれない。
エレンと親しい自分だからこそ、その声に強く反応するだろうと考えただけかもしれない。
エレンの事を家族同然に思っている彼女だからこそ、彼の意思の強さを信じている、というだけの話かもしれない。
常識的に考えればそれぐらいの、些細な偶然が齎した産物でしかない筈だ。
だが。
……人が一度感じた違和感というのは案外、中々拭い去る事が出来ないモノである。
たった今、アルミンの頭の中に。
かけがえのない、大切な友に対して。
小さく、しかし確かな
(…………何を考えてるんだ、僕は)
───今はそんな事に気を回している余裕など無いのだ。
仲間が戦っている。仲間が死んで行ってる。
この極限状態の最中に、自分の下らない考え事を優先する愚か者が何処にいると言うのか。
そうだ。
自分達は兵士だ。
兵士なら、己の
自分の頰を張って、アルミンは全力で思考を巡らせる。
やがて彼は、エレンが最初の巨人化でうなじから現れた事を思い出し、そこに巨人の弱点との関連性があるとの考えに至った。
大きさに拘わらず頭より下、うなじにかけての縦1メートル、幅10センチ。
それさえ避ければ、
───そのすぐ横に、ブレードを勢い良く突き立てた。
××××××××××××××××××××××××
……ふと気付けば。
俺は、家の机の上に突っ伏して寝ていた。
そこには父さんが居て、母さんが居て、ミカサが居て。
いつの間にか、身体にかけられていた毛布がとても暖かくて。
窓から差し込む陽の光が、酷く心地良くて。
けれど、何だろう。
どうしてか、寝覚めが悪い。
妙に息苦しくて、気分が良くない。
……あぁ、そうだ。
思い出した。
凄く長い、『悪夢』を見ていた気がする。
明晰夢だったのか、断片的に覚えている所もある。
母さんが巨人に喰われたり、だとか。
兵士になって巨人と戦って、今度は自分が喰われたり、だとか。
挙げ句の果てには俺自身が巨人になって、仲間を傷付けたり、殺したり……だとか。
───全く、嫌な夢だった。
こんな夢を見るなんてどうかしてる。疲れてるのかな。
でも、まあ。
……夢で良かった。
「……エレン……!聞こえるか……!ここから出るんだ、早く……!」
不意に、アルミンの声が聞こえた。
ふと後ろを振り向くと、家の外から親友が窓を叩いて此方を呼んでいる。
何故か、その顔は酷く必死で、焦っているようにも見えた。別に今日は、何も予定なんかない筈なのに。
「悪りぃ、アルミン……ちょっと今眠いからさ……また、後で……」
何とかそれだけ言って、また机に身体を預け顔を伏せた。
枕にした腕が何とも丁度良くて、すぐに瞼が降りてくる。
───あぁ。
あったかい。
もう、目ぇ開けてらんねぇ……。
× × × × × × × × × × × × ×
「……エレン……頼む、起きてくれ!!」
何度もうなじを叩きながら、アルミンは必死に呼び掛ける。
間違いなく手応えはあった。ブレードを突き刺した瞬間に巨人の肉体が僅かに動いたし、今もその切っ先から巨人の血に混じって微かな鼓動のようなものが伝わってくる。
諦めない。
諦めてなるものか。
「ここで、君を終わらせやしない……!約束しただろ……一緒に、強くなろうって!!」
───あの日。
落ち込んでいた彼と交わした言葉、掴んだ手。
どちらもかけがえのない、大切な思い出だ。
「この巨人の力が、どんなものなのかはまだ分からない……けど!君はそんなのに飲まれるようなタマじゃないだろ!君はいつだって負けず嫌いで、反発精神が強くて、どんな事があっても立ち上がる……それが僕の親友の、エレン・イェーガーって男だ!!」
知らず、頰を熱い雫が伝った。
溢れ出る想いが喉を震わせ、声を上擦らせる。
「どんな地獄でも、君となら怖くない……!だから、お願いだ!!目を覚ませ───!!」
擦れて血が滲み、痛む拳を、それでも。
アルミンは力の限り振り下ろす。
自分の心を。魂を。
全部を、そこに打ち付けるように。
「───エェェェレェェェン!!!!」
咆える。
吼える。
喉が裂けるまで。
喉が裂けようとも。
必死に、懸命に。
我を忘れて、アルミンは友の名を呼んだ。
……だから。
否、
肉の山を刺し貫いた、一本の刃。
そこから迸った、ほんの数滴の『液体』が。
「───ッ!!??」
……唐突に。
酷い
あまりの痛みにアルミンは思わず目を瞑り、その場に蹲ってしまう。
だが。
そして、僅かに遅れて気付く。
(……何、だ……これは……!?)
訳も分からず、アルミンの頭はただ只管に混乱と激痛で掻き乱され続ける。
しかし、そんな彼の状態とは裏腹に、彼の目に映る景色はひとりでに移ろい始め、流れるように動いて行く。
───そこで漸く、アルミンは気付いた。
不意に、『場面』が切り替わる。
アルミンの行く手に現れたのは、至る所に打ち捨てられた夥しい数の兵士の骸。
ショックを受ける間もなく、アルミンは素早い手付きでその亡骸達から立体機動装置の部品を少しずつ取り外し、
……また、『場面』が切り替わる。
アルミンは街の上を飛んでいた。
しかしそんな事などお構いなしに、アルミンは凄まじい速さで空を飛び続け、何度かすれ違い様に襲ってきた巨人達を瞬く間に沈めながら、ただ只管に先を急いで装置を加速させる。
飛んで、飛んで。
アルミンは遂に、
その横に倒れ込む
───そこには。
頭を押さえ込んで蹲っている。
『自分自身』の、姿があった───。
「─────────よう、アルミン」
その声が、
それまでの苦しみが嘘だったかのように、頭痛が消え去った。
『場面』は消え、目には己の瞼の裏の暗闇のみが映る。
「また遅くなっちまったな……スマン。こっちも、ちょっと色々とあったもんでよ」
……驚きのあまり、アルミンは目を見開いて固まってしまった。
振り返る事が出来なかった。
自分の耳を信じられなかった。
だって。
『彼』は、自分達の目の前で……。
「状況はあらかた分かってる。お前はそのまま、エレンに呼び掛け続けてくれ……俺が、
そう言って、『彼』は静かにその手を伸ばし。
アルミンの手と共に、ブレードの柄を握り締める。
その手は熱く。
とても力強く。
確かに、『生きて』いた。
「……じゃ……ん……」
「おい、『死に急ぎ野郎』……!悪りぃな、ちょっと
『彼』のもう一方の掌が。
強烈に、エレンのうなじへと叩き付けられる。
……アルミンはとうとう堪えられなくなり。
振り向いて、『彼』の姿を見た。
顔に浮かんだ筋のような謎の痣が、皮膚を歪に歪めていて。
そして、爛々と輝くその瞳は、何故か。
───
× × × × × × × × × × × × ×
「……起き……エレ……」
……誰かに、肩を揺さぶられる。
微睡みの中で聞こえた、不思議と耳に馴染む低い声。
「……おい。起きろよ、エレン。寝過ぎだぜ」
背中をペシペシと軽く叩かれて、少しだけ眠気が晴れる。
ぼんやりと霞む目を擦りながら顔を上げると、そこには。
「……
───見知らぬ、『大人の男』が立っていた。
切れ長の目に、少し面長な顔付き。
そして何より、
……歳は父さんと同じくらい、だろうか。
何にせよ、俺にこの
なのに何故、向こうは此方に対して親しげに話し掛けて来るのだろうか。
「……ふっ、ははは!おっさん……まぁ、そうか。俺ももう良い歳だしな。早えなぁ、時の流れってのは……」
何処か寂しそうに苦笑しながら、おっさんは俺の隣の椅子に腰掛ける。
そして背もたれにどっかりと寄り掛かり、天井を見上げて深々と溜め息をつくと、彼は静かにその口を開いた。
「俺は……そうだな……
「はぁ?何だそりゃ……」
「生憎だが、『今』はそうとしか言えねぇもんでよ。ま、細かい事は気にすんな。でっかくなれねぇぞ」
そう言って、おっさんは俺の頭をワシワシと撫でて来る。
見知らぬ男に触られているというのに、どうしてか嫌な気分にはならなかった。
その大きな手に、不思議と安心してしまう。
「……なぁ、エレン」
「ん?」
「さっきから、外でアルミンがお前の事を呼んでるぜ。いい加減出てってやれよ」
おっさんが親指を立てて指した方向には、窓の向こうから此方を心配そうに見つめる親友の姿があった。
俺が居眠りする前にも、同じ光景を見ていたような気がする。
……ずっとあそこで、ああして俺を待ってたんだろうか。だとしたら悪い事をした。
とにかく窓を開けてやらなければと、急いで椅子から立ち上がる。
が。
「……ぅ……っ?」
───途端に、足に根が生えたようにその場から動けなくなってしまった。身体全体がやけに重くて、硬い。
それに、段々と
怖い。
悲しい。
不安。
自己嫌悪。
そんな
「……おっさん、俺……なんか、ここを
「……」
「自分でも、よく分かんねぇんだけど……俺がここを出たら、何ていうか……『
「……あぁ……なるほどな」
妙に納得したようにポリポリと頰を掻きながら、おっさんは徐ろに席を立った。
そのまま、家の中をゆったりと歩き始める。
ふと気付けば父さんも母さんも、ミカサも姿を消していて。
今この家には、俺とおっさんの二人しかいない。
「───エレン。何も考えずに、そこでそのまま聞いとけ。今のお前にはきっと、これが一番
部屋の真ん中に立ち、おっさんは大きく息を吸い込んだ。
その瞳は、目に見えない誰かを睨み付けるように鋭く、上へと向けられていて───。
「……おい、
「っ!?」
「ったく、らしくねぇなぁ!今のてめぇはそんなに色々とウジウジ悩むような頭、持ってなかったと思うが!?一にも二にも突撃しか出来ねぇ猪野郎が、いつまでもナヨナヨと引き篭もってんじゃねぇよ!!」
唐突に、おっさんが叫ぶ。
さっきまでの冷静そうな表情から一変して随分と喧嘩腰に感じるその態度に、俺は酷く動揺した。
……けれど。
同時に、何故か。
頭の中に蔓延っていた得体の知れない嫌な感情が、徐々に消えていくような気がしていた。
「今だから言うがな……俺ぁ、てめぇのそんな『強さ』に憧れてた!!羨んで、妬んで、ずっと突っかかった!!カッコよかったから……!!死ぬ程ムカつく話だが、てめぇの馬鹿さ加減に俺は魅せられてたんだ!!」
身体が次第に、軽くなっていくのが分かる。
腹の奥が、熱い。
頭のてっぺんから爪先まで熱が伝播して、漲る。
「自分は特別じゃない、普通の人間だって抜かしてた事もあったっけな……!ふざけんな!!俺にとっちゃてめぇは、特別以外の何物でもなかった!!……だからこそ……てめぇがここで折れてやがるのは俺が許さねぇ!!意地張ってねぇで、さっさと起きやがれ……この『
……家全体がガタガタと震えるくらいに。
おっさんの声は、轟音となって響き渡った。
何の話をしているのか、俺には分からない。
分からない、筈なのに。
何でか、俺は。
酷く、晴れやかな気分だった。
穏やかで、温かくて。
泣きたくなるくらいに、
───足が、動く。
何かに突き動かされるように、アルミンの居る窓に向かって走る。
「……うぅぅぅぉぉぉぉああぁああ!!!」
その勢いを、緩める事なく。
俺は窓を
そうしてアルミンへと手を伸ばした、その時。
「……行け……エレン……!」
最後に、ちらりと見えたおっさんの顔は。
……とても満足そうに、笑っていた。