───トロスト区奪還作戦。
850年、突如として現れた超大型巨人によってトロスト区の前門が破壊され、壁内人類はシガンシナ区に次いで二度目の巨人の侵入を許した。
調査兵団の壁外調査時ということもあり、主に駐屯兵団と訓練兵団によって区の防衛作戦が行われたが、その戦闘は苛烈を極め、多くの死傷者を出すこととなった。
しかしその
その後、駐屯兵団最高司令官兼南方領土最高責任者、ドット・ピクシスの指揮の下に、イェーガーの力を利用する形でトロスト区の奪還作戦を敢行。
数多の犠牲を払いながらも、イェーガーは区内にあった大岩にて前門の穴を封鎖、区の奪還の成功に至る。
……以上が、事件の概要である。
(ざっくり言やぁ、この一件で必要な要素は三つだ)
一つ、エレンを瀕死にさせ、巨人の力を発動させる。
二つ、巨人化したエレンに壁に穴を塞がせる。
三つ、エレンの存在をライナー達に見せ、一度侵攻を中断させる。
これらの内、どれか一つが欠けた段階で壁内人類は詰みだ。
全てはエレンが巨人化出来るかどうかに懸かっている。
つまり、これらの事象に手を加える事はあってはならない。
自分達が可能なのはそれ以外───主に無垢の巨人に喰われ、殺されたであろう仲間達の救出だ。
(ミカサは駐屯兵団の精鋭部隊に加わることになる……その間は俺が、単騎で何とかするっきゃねぇ)
自分の手で、どこまでの命を拾えるか。
久方振りに味わう緊張と重圧を紛らわすかのように、ジャンはジョッキを呷って水をガブリと飲み下した。
「───おおおおい、何シケた面してんだよジャン!!折角卒業祝いの晩餐だってのに、全然盛り上がってねぇじゃねぇか!!」
「ぶっ!?」
「あーあー、ミカサがいない所だと三割増しで仏頂面なんですねぇ。はぁー、女々しかっ!」
「げほっ、げほっ……お、お前らなぁ……」
突然後頭部をシバかれ、涙目になって咳き込むジャンをからかうコニーとサシャだったが、更にその後ろからスルリと忍び寄ってきた男にガシリと肩を掴まれ、二人揃ってブワリと冷や汗を流し始める。
「……二人とも、はしゃぎ過ぎ。兵士たるもの、どんなに楽しくても節度は弁えてね」
「うぉっ!マ……マルコ!お前、音もなく俺達の背後に……!?」
「い、いや違うんですよマルコ!ジャンが暗い顔してたので、元気にしてあげようかと……いや、あの……はい……すみませんでした」
圧の強いマルコの笑顔に負けて、二人ともビクビクと震えながらその場を離れていった。
溜め息を一つついて、マルコは自分のハンカチをジャンに差し出しながら、「失礼するよ」と彼の隣に座る。
「あの二人にも困ったな。なかなか深刻な空気で居させてくれない。勿論、それに救われる時もあるんだけど」
「ごほ……悪りぃな、マルコ。てか俺、んな酷い顔だったか?」
「少なくとも、卒業したての人間がする表情じゃなかったかもね。凄く思い詰めてる感じだった。何かこの後に辛いことが待ち受けてるような……それこそ、
「……」
咄嗟に否定する言葉が見つからず、ジャンは押し黙るしか無かった。
───察しが良いと言うか、勘が鋭いと言うか。
つくづく優秀な隣の男に、今この瞬間だけは途轍もない居心地の悪さを感じていた。
「そう言えば、ミカサは?」
「……エレンとアルミンの所に行ってる。二人に誘われたんだと」
「え、良いのかい?君は……」
「良いも何も、あいつらは幼馴染だ。一緒に過ごすのだって普通だろ。それに……やっぱあいつらは、ああでなくちゃな」
「?」
不思議そうに首を傾げるマルコを横目に、ジャンは遠くにいる妻の方をちらりと見る。
そこには懐かしい、あの頃の三人組の姿があった。
最初は緊張のあまり、エレンと目さえ合わせられなかったミカサだが、少しずつこの環境に馴染んで来たということもあって、彼女自身の中である程度折り合いを付けることが出来たのだろう。今ではごく自然にエレンと会話をし、冗談を交え、笑い合う事が出来ている。
───良かったなぁ、ミカサ。
彼女の辛く、悲しい境遇をこの目で間近に見てきたのだ。
そんな彼女が浮かべる穏やかな表情に、ジャンの目頭はじわりと熱くなった。
「よく分からないけど……君達がそれでいいなら、僕は何も言わないさ。多分、二人にしか分からないことなんだろうし、ね」
「相変わらず、話が早えなお前は……別に、納得いかねぇんだったら素直に言ってくれて良いんだぜ。説明出来るかどうかは保証しねぇが」
「前にも言ったろう?伊達に君の親友してないって。
「……そっか。あんがとよ」
「どういたしまして」
目配せしながら微笑むマルコに、ジャンもぎこちなく笑い返す。
果たして自分は今、きちんと笑えていただろうか。
───もうすぐ、地獄が始まる。
あの日に失われた多くのもの。
その中に、目の前の少年もいた。
今でも昨日の事のように思い出す。
半身が消えた、彼の亡骸を。
その遺灰とも分からない何かを握り締めて立ち上がった、あの夜を。
……忘れない。忘れるものか。
彼に誇れる生き様を目指して、自分は戦い続けたのだから。
「なぁ……マルコ」
「うん?」
「俺が、調査兵団になるっつったら……お前はどう思う?」
「え……ジャン、それって……」
「……いや、やっぱなんでもねぇ。すまん……忘れてくれ」
先に休むと言い残して、ジャンはゆらりと席を立った。
そのまま逃げるように、一人喧騒から遠ざかる。
───馬鹿か、俺は。
何を思ってあんな質問をした。
肯定して欲しかったのか?褒めて欲しかったのか?
何も知らないアイツに、
自己嫌悪に駆られながら只管に歩き続け、気付けば建物の屋上にいた。
近くの
「……だらしねぇ、ホント……」
分かっている。
彼はもう、とっくに死んだのだと。
マルコだけじゃない。エレンやサシャもそうだ。
今、自分の目の前に存在している彼らは、
どれだけ自分達が頑張った所で、失われた命は戻ってこない。
この先、『元』の世界で彼らが帰ってくる事など、決して有りはしないのだ。
……それでも。
「やっぱ、助けてぇよ……」
絞り出すように呟いたその言葉は、夜の闇に溶けて消えていく。
それは義理でも、義務でも、正義感でも罪悪感でもない。
もっと幼稚で、純粋で───。
「……お前達が死ぬトコは、もう、見たくねぇんだ……」
───悲痛な、願いだった。
蹲って、ひっそりと涙を流す。
ここに来てから、すっかり泣き虫になってしまった。
頼りない親父だと、子供達に笑われてしまう。
……煙草でも持っておけば良かった。
思い切りふかせば、煙が目に染みたと自分に言い訳が出来ただろうから。
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「───超大型巨人出現時の作戦が現時刻を以て発動された!貴様ら訓練兵も駐屯兵団の指揮下に入り、演習通りに補給支援や情報伝達、及び巨人の掃討を行うように!尚、承知の上だとは思うが敵前逃亡は当然死罪に値する!各自、存分に心臓を捧げよ!」
……始まった。
額に汗を滲ませた上官の駐屯兵の指示を聞きながら、ジャンは後ろに組んだ手を固く握り締める。
予定通り、
これから自分達は主に前後衛を務める駐屯兵団の間の中衛部隊として、それぞれ任務を遂行することとなる。
そして記憶が正しければ、ここで───。
「……アッカーマン、お前は特別に後衛部隊だ。ついてこい」
精鋭班の班長と思しき人物から、ミカサに声がかかる。
同期達の間にざわめきが広がる中、既に予期していたであろうミカサは特に反論することなく、「……分かりました」と冷静に応じた。
ここからは別行動だ。ミカサの方で住民の避難を完了させ次第、此方に合流してもらう手筈となっている。
それまでは自分の方で、ある程度訓練兵達の指揮を執りつつ上手く被害を抑えるつもりだ。
(……頑張って)
(そっちもな)
互いに目線だけで言葉を交わし、それぞれの仕事に取り掛かろうと動き出す。
───だが。
「待て、キルシュタイン」
突然背後から、精鋭班長に呼び止められる。
「……
「…………は?」
ざわめきの声が更に大きくなるが、ジャンの耳にはその音が半分も入って来なかった。
───今、何って言った?
俺が、後衛?
そんな馬鹿な……。
「聞こえなかったか。後衛に来いと言ったのだ、さっさと動け」
「……ま、待って下さい!ミカサはともかく、自分では足手まといになってしまいます!」
「お前の主観など今は求めていない。元々、お前達二人の話は訓練兵団の教官方から耳にしていた。住民の避難が遅れている以上、その周りにはより多くの精鋭を置く必要がある」
「しかし、それでは中衛が……!」
……まずい。
想定外にも程がある。
戦力を分散して対処する筈が、まさかこんな事になるとは。
ジャンは小さく歯軋りする。
戦闘経験のない訓練兵をまともな統率無しに正面からぶつけるなんて、自殺行為と何ら変わらない。
このままでは、また同じ結果に───。
「……おい、ジャン」
名を呼ばれたと同時、ジャンの胸ぐらが乱暴に掴まれる。
驚く彼を睨み付けながら、その男は激昂したように声を荒げて叫んだ。
「てめぇ、いい加減にしろ!人類滅亡の危機だぞ!!何てめぇの勝手な意見で作戦を遅らせてんだ!」
「……エレン……」
「
そう言って、エレンは突き飛ばすようにジャンのシャツから手を離した。
意思の強さをそのまま表しているかのような鋭い目は、戸惑いを見せる男の目を捉えて
「……お前の家族も、トロスト区に居るんだろ。ちゃんと、守ってやれよ」
「……!」
───そうだ。
こいつの家族は、もう……。
「……分かった。そっちは頼んだぞ、エレン」
「お前に言われるまでもねぇよ。ここで巨人共をぶっ倒して、調査兵団に入った時にスピード昇格の足掛かりにしてやんだ」
「はっ。威勢だけは一丁前だな」
「んだと!?」
言い返そうと向き直ったエレンの肩を、ジャンは軽く小突く。
「……せいぜい、気ぃつけろよ」
「……てめぇこそ」
そうして二人は共に立体機動装置の柄を抜き払い、別々の方向へと駆け出していく。
一人は、巨人を屠るために。そしてもう一人は、人を守るために。
目的は違えど、互いのその瞳には一点の曇りも無かった。
「申し訳ありません、お時間を取らせました!ジャン・キルシュタイン、出撃出来ます!」
「……よし。ではアッカーマンとキルシュタインは私の指揮下で動いてもらう。配置や戦闘方針は移動しながら説明する。それから、自己紹介がまだだったな……私の名はイアン・ディートリッヒだ。イアンでいい」
二人の返事を待たず、イアンは即座に立体機動へと移り、真っ直ぐトロスト区後門を目指す。
その背中を追いながら、ミカサは不安そうにジャンに話しかけた。
「まさか、こんなことになるなんて……」
「あぁ、流石に読めなかった。おかげで身動きが取れねぇ……」
「……皆、大丈夫だろうか」
「正直、祈るしかない。後は……民間人の避難をいち早く完了させて、すぐ前線に戻れれば良いんだが……」
トロスト区は城壁都市ということもあって、住人の数も桁違いに多い。
更には避難口となる通用門がたった一つしかない事を考えると、当然かなりの時間を要することになるだろう。
「どれだけ頑張っても、二時間……下手するとそれ以上か」
戦況は刻一刻と変わっていく。
そんな中で、それだけの長い間を彼らは戦い続けなければならないのだ。
戻った時には既に、当時と大差ない惨状が待ち受けているかもしれない。そう思うだけで、二人の心は激しく痛んだ。
「でも、やるしかない……そうでしょ、ジャン?」
「……その通りだ。俺達はやるしかねぇ」
自分達に今出来るのは、滞りなく迅速に避難を終わらせる事。
一分一秒でも早く皆の元に駆け付けるために、一人でも多くの仲間を救うために。
自分達に与えられた任務に集中し、全力で当たる事だ。
「行くぞ!」
「うん!」
決意を固めて、二人は空を駆け抜ける。
何年ぶりかの戦場に、身体を武者震いさせながら。
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