……この世界は。
既に大きく、歪んでしまった。
無い筈のものが存在している。
このまま行けば、待つのは違う地獄だ。
けれど、アイツなら。
もしかしたら。
この因果を、この呪いを。
断ち切ってくれるかもしれない。
だから、自分は待ち続ける。
アイツがそれに、気付くまで。
××××××××××××××××××××××××××
「───ふっ!」
班員に襲い掛かる十メートル級のうなじを横から掻っ捌き、返り血を浴びながらジャンは屋根に降り立つ。
巨人の討伐自体は極めて順調だ。精鋭班の被害も数人の負傷者程度で抑えられており、あの奇行種以降は巨人の通過も許していない。
ミカサと自分でかなりの数を討てたのが大きかった。やはりと言うべきか、無垢の巨人達の動きは通常種であれ奇行種であれ、
これまでの経験値が自分の動きを底上げしてくれているのだと、強く実感していた。
(んっとに、今更ながらよく生きてたモンだよな……俺)
ここに来て改めて潜ってきた修羅場の数々を振り返り、己の悪運の強さに苦笑いを浮かべる。
しかしながら、無垢の巨人の本当の恐ろしさはその「数」なのだ。
囲まれても、ガスや刃が尽きても終わり。
どれだけ優勢だろうが油断などしてはならない事もまた、己の経験として深く身体に刻み込まれている。
……あれから、何分経った?
住人の避難の完了を知らせる撤退の鐘は依然として鳴らない。
この一分、一秒が惜しい。
向こうで戦っている同期達は、どれだけ無事でいてくれているだろうか。助けに行ってやれないこの時間は、気がかりが膨らむばかりだ。
頼む、早く……早く……。
───カン、カン、カンと。
区内全域に、鐘の音が響き渡った。
「……撤退だ!壁を登るぞ!!」
イアンの指示と共に、精鋭班の兵士達が続々と退き始める。
無事に任務を達成出来たことに一安心しつつ、ジャンは急いで己の装備を確認する。
ガスも刃もまだ余裕がある。このまま彼らの元まで直行すべきだ。
「キルシュタイン、アッカーマン!お前達も早く行け、殿は私がやる!」
「いえ、自分は前中衛の撤退の支援に向かいます!班長方は先にこの場を離れていて下さい!」
「何……!?おい待て、キルシュタイン!!」
「私も行きます。班長、どうかご無事で」
「アッカーマン、お前まで……!」
イアンの静止を振り切って二人は飛び出す。
立体機動を最小限に抑えつつ先を急ぐその道すがら、彼らは遠目に、兵団本部に群がり始める大量の巨人達の姿を見た。
「あの時」と同じ光景に、焦燥感が募る。
「やっぱ、
「……お願い。生きていて、みんな……」
柄を握り締める手に力が入る。
とにかく今は、同期達と合流することが先決だ。
逸る気持ちに蓋をして慎重に、しかし確実に進んで行く。
区の一角に集まって動けなくなっている彼らを発見したのは、それから間もなくの事であった。
××××××××××××××××××××××××××
「……ジャン……!?ミカサ……!?君達、後衛配置だった筈じゃ……!」
「だから今やっとこっち来れたんだよ……マルコ、今どんな状況だ……?どれくらい生き残ってる……」
「……見ての通りだ。最悪だよ……向こうの本部が……」
遠くで、そんな会話をしているのが耳に入る。
どうやら後衛から、ジャンとミカサがわざわざ此方に駆け付けてくれたらしい。
……自分達を助けるために。
その事実にしかし、アルミンは二人の方を見ることが出来なかった。
勇敢な彼らに、合わせる顔など無い。ミカサにも、何と言えば……。
「……分かった。サンキューな、マルコ……ちょっと考えるわ……」
「え……あ、あぁ……」
「……マルコ。ごめんなさい、アルミンを見なかった……?」
「……アルミン?彼ならあそこに……」
アルミンの肩が跳ねる。
二人の足音が此方に近付いてくるのが分かった。
……ダメだ。
もう、何も考えられない……。
「───ようアルミン。無事だったか」
「アルミン……他の皆は」
ジャンとミカサの声が、頭上から響く。
そして、思い出した。
こんな情けない自分にも、まだやらなきゃいけない事が残っているのだと。
「……僕達、訓練兵……三十四班……」
涙を流し、嗚咽と共に声を振り絞りながら、アルミンは懸命に目の前の少年と少女に「報告」をする。
「トーマス・ワグナー……ナック・ティアス……ミリウス・ゼムルスキー……ミーナ・カロライナ……エレン・イェーガー……!」
一人一人の名前を告げる度、アルミンの心は罪悪感で押し潰されそうになっていた。
何も出来なかった、何の役にも立てなかった自分が酷く憎くて、腹立たしくて、気持ちが悪くて。
───いっそ自分も死ねば良かったのだと、後悔に苛まれながら。
「以上五名は自分の使命を全うし……壮絶な戦死を遂げました……!!」
何が自由だ。
何が海だ。
親友を身代わりに死なせるような男が、何を成し遂げられると思い込んでいたんだ。
自分の生存に、一体何の意味が───。
「……おい、アルミン」
そう呼ばれた直後、アルミンの頬に鈍い痛みが走った。
……
「……ジャ、ジャン!?」
「お、おい!?ジャンお前、アルミンに何してんだよ!!」
「何でアルミンを殴ったんですか!今そんな仲間割れをしてる時じゃ……!」
慌てるマルコやコニー、サシャを尻目に、ジャンは静かに言い放つ。
「……
「は、はぁ!?」
「この手の自罰的になっちまってる奴はこうした方が良い。生憎と、
そうして、ジャンはアルミンの胸倉を掴んで強引に助け起こす。
咄嗟の事で頭が追いついていない様子の彼の目を、ジャンの鋭い瞳が覗き込んで離さなかった。
「ちったぁ気が晴れたか、アルミン」
「え……?」
「お前、『死にたい』って思ってたろ。目ぇ見りゃ分かんだよ。ずっと昔、お前みたいなヤツを同じように殴ったからな。もっとも、そん時ゃ俺も我慢の限界だったってだけの話だが」
ジャンの言葉には何処か、有無を言わせない重みがある。
アルミンは少し怯えながらも、どうしてか顔を背ける気にはなれなかった。
彼の眼差しが、幼い頃に見た真剣な表情の祖父と重なる。
子供を叱り諭す、「本気」の大人の顔……。
「お前は今、『生きてる』んじゃない、『生かされてる』んだ。班員達の死の上に、お前の命は今ここに存在してる」
胸倉を掴んでいた手を離し、その手でアルミンの胸をとんと叩く。
彼の拳を打つ、微かな拍動が聞こえる。
───あれから初めて、アルミンは自分の心臓がまだ動いているのだと実感した。
「お前だけじゃない。俺も、ミカサも、この場にいる全員がそうだ。前衛で戦った駐屯兵団の先輩方、中衛で戦った同期達……その死が無ければ、ここにいる誰かが死んでいた。もう皆が、屍の上に立ってんだよ」
「……ジャン……」
「それは無駄にしちゃならねぇ。辛い立場だろうが、その死を活かすも殺すも、今こうして息してる俺ら次第なんだ。そして俺らには、活かす
……気付けば、皆がジャンの言葉に耳を傾けていた。
マルコも、コニーも、サシャも。
ライナーも、ベルトルトも、更にはあのアニでさえ。
数十人の訓練兵達の視線が今、一斉に彼へと注がれている。
「その上でお前に問うぞ。俺らは
そう尋ねるジャンの声は、どこまでも優しかった。
じっと此方の答えを待ってくれているその姿が、まるで子を見守る親のようだと、アルミンは場違いな事と自覚しつつも思ってしまう。
───そうだ。
まだ終わっていない。
皆の、エレンの死に、報いるためには……。
「……ここを生き抜いて、駐屯兵団と合流する。そして、必ずトロスト区を取り戻す……!!」
「ん。じゃあ、そのためには?」
「壁を越えるために、ガスを補給しなくちゃならない!皆で、本部に向かうんだ!!」
「……よし。よく言ったな」
ワシワシと、ジャンはアルミンの頭をやや強めに撫でる。
……人に撫でられたのなんて、いつぶりだろうか。
少し呆けるアルミンを余所に、ジャンはその場にいる全員に向かって指示を出し始める。
「聞こえたなお前ら!アルミンが言った通り、今すべきことはガスの補給だ。そのために本部を奪還する!無作為な突撃はさせねぇ、俺がある程度陣形と作戦を伝える!ここから先は、いかにガスを節約して
『……お、おおおおおおお!!!!』
天に突き上げた彼の拳に、数十人の雄叫びが続く。
訓練兵達は今、正しく一つになった。
絶望の中でも鈍く光る、確かな輝きによって。
「……ジャン、君は……」
「アルミン。とにかくあなたが無事で良かった……」
「わぷっ、ミ……ミカサ」
アルミンの頭を、ミカサがしっかりと抱き締める。
その温かい抱擁に、止まった筈の涙が再び溢れ出してしまった。
「すまない……ミカサ……エレンは、僕を庇って……」
「……分かってる。アルミン……
彼女の手が、優しくアルミンの背をさする。
その昔、亡くなった母に慰めて貰った時の事を思い出した。
───「104期の最強夫婦」。
同期達の間でひっそりと流行ったという、彼らの
……本当に、お父さんとお母さんみたいだ。
滲む視界の中で、アルミンはぼんやりとそう感じていた。
××××××××××××××××××××××××××
───少人数による小規模且つ極短距離の「索敵陣形」。
ジャンが彼らに伝えた作戦は、次のような内容だった。
一つ。五、六人の班を作り、指揮役を囲むようにその他の人間が近距離で前方半円状に広がる。
二つ。半円状に広がった班員は前方下方と左右の警戒を分担し、巨人を発見し次第、ブレードを打ち合わせて音を鳴らす。
三つ。指揮役の者は時刻方向で簡潔に進路を決定し、陣形全体がそれに従って回避行動を取る。
言ってしまえば調査兵団が使用する「長距離索敵陣形」を簡略化した物だ。
短順な模倣だが、これによって集団の生存率が跳ね上がる事は本家本元である「長距離」版によって証明されている。
また集団をいくつかに分割しているため、巨人の標的を散らせる事も利点だ。建物等の立体物も豊富なため、屋根を使った足での移動や巨人の手を遮る障害としての利用も期待出来る。
しかしながら、索敵陣形にも限界はある。
俊敏性のある奇行種の突発的な襲来等、瞬間毎の対応を迫られる事象には当然弱い。
故に、そこは───。
「……はっ!!」
───
襲い掛かって来た大型の奇行種のうなじを斬り飛ばしながら、ミカサは作戦の手応えを感じて北叟笑む。
「……凄いぞ!あれからまだ誰も欠けていない!!」
「行ける!本部まであと少しだ!」
近くを抜けた班が歓喜の色を滲ませてそう叫ぶのが聞こえた。
気付けば遠く離れていた兵団本部も、あと僅かという所まで来ている。
───ジャン。やっぱり、あなたは凄い人だ。
あの時の自分は、皆の命を背負う覚悟も持たないままただ先導し、結果多くの犠牲を出してしまった。あまつさえ、冷静さを欠いてその責任を放棄しかけたのだ。兵士として、失格どころの騒ぎではない。
あれから自分も大人になって、そのような失態を犯さない程度には成長できたと思う。
けれど、同じように大人になった彼のようにやれと言われても、きっと到底無理だ。
人を動かす意志と言葉、人を束ねる頭脳と行動。
彼が生まれ持った才であり、彼が磨き上げ続けた力。
その全てが今、皆を守っている。
(強くない、だなんて……)
そんな筈はない。例えあなた自身が否定しても、私がそれを否定する。
あなたの思いは、あなたの魂は、きっと誰よりも───。
「……ミカサ!!ダメだ、
そんな狼狽を含んだ声が突然、ミカサの思考を遮る。
振り向くと、班員達を引き連れて此方に向かって来るマルコの顔に、焦りと困惑が浮かんでいるのが見えた。
「ジャンの
「えっ!?じゃあどうすんだよ、本部に集まってる巨人は……!」
同じように飛んできたライナーとコニーもまた、戸惑いを隠せない様子でミカサの顔を覗き込む。
───そう。
彼は、「巨人化したエレン」を探しに行ったのだ。
『精鋭班からの
周囲にそう言い残し、彼は去って行った。
彼の
……本部の奪還作戦時に巨人を侵入させないようにするのと、ライナー達マーレ側の侵攻を一度中断させる。
この二つを成し遂げるためには、嘗てと同じようにエレンを本部まで誘導し、巨人と戦わせる「囮」にしなくてはならないのだ。
当初のプランとしては、ミカサ達が本部付近に到着する前に任務を終えたジャンが合流、二人で大型の巨人を討伐し皆を窓から突撃させる……これを「表」の計画として動き、実際にはジャンが
しかし───。
(予定よりもかなり遅れている……だけどこのまま皆を突撃させても、結局人が集まり過ぎて本部ごと巨人に狙われるだけ……)
エレンという必要なピースが揃っていない以上、奪還作戦に踏み切ることは出来ない。
ジャンがまだエレンを見つけられていないのか、それとも
……最悪、彼の身に何か……。
(……いいえ、大丈夫。絶対に)
彼は必ずやり遂げる。そういう人だ。
自分はただ信じて、計画の達成に全てを尽くす。
それが今の、私のすべき事。
そう判断し、前方に進んだ班に安全な場所での一時待機を促そうと飛び上がった、その時だった。
「うぁぁああぁああぁぁあああ!!??助けてくれえぇぇ!!」
「ま、まずい!!退避、退避いぃぃい!!」
空を切り裂くような悲鳴が、ミカサの鼓膜を貫いた。
慌ててそちらの方を見遣ると、本部に
───ダメ!
ミカサは立体機動を加速させ、猛スピードでその巨人へと突っ込み、身体を回転させるようにしてそのうなじを削ぎ落とす。
既の所で何とかその仲間が喰われることは阻止出来たものの、状況はあまり良くない方向へと進んでいるようだった。
その一体を皮切りに、他の巨人達もまた此方の存在に気付いてしまったのだろう。本部近くの個体が一斉に、その付近に到着した仲間達を襲い始めたのだ。
「ミカサ、まずいぞ!!僕らも皆の援護を……!!」
「……いいえ、マルコ。貴方も、他の皆も、もうガスに余裕がない筈。無理をすれば共倒れになってしまう……」
「けどよ!放っておけねぇだろ!助けられるかもしれねぇのに……!!」
「分かってる、コニー。だから……」
ミカサは考えた。
自分一人で、何とかする方法を。
そして、
『賭け』に出ることを。
大きく息を吸って、ミカサは覚悟を決める。
自分のガスと刃も、もうあまり残っていない。
それでも、やるしかない……。
「……マルコ。全班に伝えて」
私はジャンに託されたのだ。
だから、必ず。
「総員、突入。巨人は、私が引き受ける……!」
皆を、守り抜いてみせる。
××××××××××××××××××××××××××
「───くっ!!」
「うぉおおおぉお!!」
「っだあぁあ!!」
本部の窓を蹴破り、何人もの訓練兵達が一斉に突っ込んで来たのを見て、建物の中で絶望しながら震えていた補給担当の同期達は、驚きのあまり恐怖も忘れて目を丸くしていた。
「……お、お前ら。こんな大人数で、どうやってここまで……」
その言葉に真っ先に反応したのは、コニーだった。
「あぁ!?どうやってじゃねぇよ!お前ら、俺達を見捨てやがって……!!」
「よせ、コニー!その話はまた後だ!!」
額に青筋を浮かべるコニーを抑えるようにマルコが間に入る。
酷く焦っている様子の彼はほんの少しでも時間が惜しいとでも言うように、普段の彼らしからぬ早口で言葉を捲し立てた。
「君ら、補給班だろう!?今、ガスの補給室はどうなってるんだ、使えないのか!それとももう巨人が入ってきてるのか!?」
「え……あ、あぁ……三〜四メートル級が複数体……」
「ならすぐに武器を片っ端から掻き集めてくれ!!ナイフでも銃でも、なまくらになったブレードだろうがなんでも良い!!とにかくありったけだ!!」
「い、いやちょっと待ってくれ。そんな急に……」
バシッと、乾いた音が響く。
突然の事態に困惑し固まった補給班の一人が、横からいきなり張り手を浴びせられた。
目を白黒させるその同期の胸倉を、殴った張本人───サシャが必死の形相で掴んで揺さぶる。
「つべこべ言わんと用意せんかい!!はよせんとミカサが……!!」
その言葉は、外から届いた轟音と巨人の咆哮によって掻き消されてしまった。
補給班の訓練兵達はそこで初めて、今の状況を知ることとなる。
───ミカサが一人で、戦っている。
巨人を引き付け、此方に被害が及ばないようにしながら、懸命に。
よく見れば、刃がもう殆ど残っていない。普段のような力強い飛び方も出来ていない事から、ガスももう残り少ないのだと分かる。
いくら強くても、武器を失えば人は無力だ。
どれだけ無謀な事をしているのか、彼女が分かっていない筈もないというのに。
だが、それでも。
ミカサは戦いを止めない。
少しでも時間を稼ぐために、力の限り飛び続ける。
……彼女もまた、「託した」のだ。
突入させた仲間達を信じて。
「……僕らが行って助けないと、彼女が死ぬ!!そのためには一刻も早くガスと刃を補充する必要があるんだ!!迷っている暇なんかない!!」
凄まじい剣幕で叩き付けるように説明をするマルコの姿に漸く理解が追いついたのか、補給班達は震える身体を抑え付けてゆっくりと立ち上がる。
「わ、分かった……!確か、憲兵団管轄の散弾銃とかが、奥の倉庫に……!」
「俺達も手伝う!行くぞ、ベルトルト!」
「う、うん!分かった!」
「サシャ、俺達もだ!」
「勿論です!」
ライナーとベルトルトが補給班の後に続き、コニーとサシャも飛び出して行った。
他の訓練兵達も弾かれるように本部内へと駆け込んでいき、全員が少しでも作戦を成功させようと血眼になって武器を探し出す。
マルコも彼らに続こうと駆け出した所で、不意に横から現れたアルミンが彼を呼び止めた。
「マルコ!この後の作戦で僕に考えがある!聞いてくれ!!」
目を血走らせてそう叫ぶアルミンの顔は、焦燥と悲痛に歪んでいる。
……もう、幼馴染を目の前で失いたくない。
その一心で彼は今動いていた。
マルコは静かに頷き、アルミンと共に皆の後を追いながら二人で策を練り始める。
───ジャン。ミカサ。
君たちのお陰で、皆の命がここまで繋がったんだ。
あの状況から一人も欠けずに本部まで辿り着いたなんて、奇跡以外の何物でもない。
……その奇跡を、無駄にするな。
全員で生きて、この窮地を脱するんだ。
あの時の彼の言葉がずっと、マルコの頭から離れないでいた。
××××××××××××××××××××××××××
───限界だ。
なまくらに成りかけている最後の一振りのブレードに目を落としながら、ミカサは歯噛みする。
ある程度の数を討つことは出来たが、それでも焼け石に水だ。次から次へと巨人達はやってくる。もう暫くもすれば、すぐに辺り一帯を囲まれてしまうだろう。
虎の子のガスを振り絞って、何とか巨人の手が届かない高所まで避難する。あと一、二回もワイヤーを巻き取れば、もう完全に空っぽだ。ギリギリ本部に突入出来るかどうか……。
「……カサ!おーい、ミカサ!!」
そう自分を呼ぶ声に目をやれば、本部の窓から身を乗り出して此方に大きく手を振るアルミンが見えた。
「こっちはある程度武器を集めた!!急拵えだけど、ガスの補給室を奪還する作戦もある!!もう少しだけ粘れそうか!?」
「……ごめんなさい!もう、ガスが尽きかけている……!そっちに行けるのかすらも怪しい……!」
「なんだって……!?」
「私のことは、良い!
「何言ってるんだ!!それじゃ君は……!!」
ミカサに迫る死の影に、アルミンはどうにか彼女を救おうと急いで窓枠を乗り越え、立体機動に移ろうとする。
しかし。
「……よしな、アルミン」
誰かの手が、アルミンの肩を掴んで引き留める。
振り向くとそこには、眉間にシワを寄せて苦い顔を浮かべるアニがいた。
「アンタが行った所で同じだよ。それに、アンタのガスだってもう残り少ないんでしょ。あのデカくて臭い口の中に飛び込みたいってんなら話は別だけど」
「けど、このままじゃミカサが……!!」
「だから、
アニの言うことは正論だ。
だがマルコとアルミンが練った策では、補給室の奪還にどう少なく見積もっても10分はかかる。
それまでミカサが無事でいられるかどうかは、賭けでしかない。
「……くっ……!」
歯軋りして、アルミンは俯いた。
ミカサの下には既に多くの巨人が群がり始めている。
巨人達の手による建物自体の損壊も激しく、長くは保たないだろうとすぐに見て取れる程だ。
あんな所に、彼女を置いて───。
「アルミン!!」
凛とした声が、彼の名を呼ぶ。
ハッとして顔を上げると、遠くでミカサがコクリと頷いていた。
───行って。
そう、強く背を押されたような。
「……分かった!!ミカサ、すぐに───」
戻る、と。
そうアルミンが続けようとした。
その時。
……
唐突に響き渡る轟音。
立ち上る粉塵。
撒き散らされる、巨人達の血飛沫。
「……え……?」
驚きのあまり言葉を失ったアルミンは、ミカサがいた建物が跡形もなく崩落して行くのを、ただ呆然と眺める事しか出来なかった。
×××××××××××××××××××××××××
エレンの、巨人。
足場を失い落下していく最中、ミカサはその姿をはっきりと見た。
……そうか。
ジャンが、間に合ったんだ。
途端に、全身から力が抜けていくのを感じる。
───あなた、お疲れ様。
今どこにいるの?
私、頑張った。
あなたに託されたから、凄く、がんばった。
でも、何でだろう。
ちょっと、からだがフワフワする。力が、入らない。
それに、あたまのうしろがずきずきして───。
「───遅くなってすまねぇ。よく頑張ったな……ミカサ」
落ちているはずのからだが、空中でとまった。
……あぁ。
あなたの声が聞こえる。
あなたの手に、私の手がにぎられているのがわかる。
私のしってる手よりもちょっとちいさいけど。
でも、あったかくてやさしいのは、そのまま。
「そんで、ごめんな……俺も、
声のする方をちらりとみれば。
あなたの顔がみえる。
やっぱり、わかい。髪もみじかいし、ヒゲもない。
にあってたから、またのばしてほしいな。
ねぇ、あなた。
どうして。
そんなに、
「……さようなら、ミカサ。また、いつかな」
うでをつよく引かれ、からだからふと重さがきえる。
そしてジャンの手がはなれて、わたしは大きくそらへと投げだされた。
さようなら?
どうして?
その声は、遂に喉から出ないまま。
ジャンのすがたは、ふってきたガレキで見えなくなってしまった。