ベレス視点
聖廟の件の翌日。
翠雨の節に入った大修道院は、西方教会の不祥事の後処理のために浮き足立っているが、前節ほど物々しい雰囲気ではない。
私は今節の黒鷲の学級の課題を聞くために大司教の謁見の間を訪れていた。
いつも通りレアとセテスしかその場には居ない。
護衛の騎士が入り口に控えているのみだ。
…まあ、私たちだけでしかできない秘密の会話もあるので、配慮しているのだろう。
レアは私を見ると、どこかいつもより真剣な雰囲気で話し始めた。
「よく来てくれました、ベレス。貴女に依頼したい課題があります。」
「生徒達と共に、王国領のとある賊を征討してもらいたいのです。」
私は首を傾げる。…黒鷲の学級は最初の課題から実戦ばかりだ。盗賊討伐に、ロナート卿の征討、そして西方教会の叛徒の撃退。予定外の事態が度重なったとはいえ、これ以上の実戦経験は他の学級に譲った方が良い気もする。
「私の学級はもう実戦続きだよ。王国の騒動なら青獅子の学級に任せるべき課題なのでは?」
そう私が疑問を呈すると、セテスが代わりにその疑問に答えた。
「それがそうもいかない事情があるのだ。その賊、マイクランは、辺境伯であるゴーティエ家の廃嫡された子息なのだが、…実家であるゴーティエ家から、英雄の遺産、“破裂の槍”を盗み出した。」
…正気か?思わず私は頭を抱えそうになる。それは確かにただの生徒には荷が重すぎるが‥
「ならそれこそ聖騎士カトリーヌのような騎士達に…そうか。確か騎士の大多数が今は…」
その私の言葉に、レアはため息をついて頷く。
「ええ。西方教会の叛徒達を粛清するために修道院を離れています。…さらに悪い知らせもあります。」
そのレアの言葉に、私は嫌な予感を感じながら続きを促す。
「…そのマイクランは、紋章を持っていないのだ。それゆえに、廃嫡されたのだがな。」
セテスの言葉に、私は昨日のレア達との会話を思い出す。確かジェラルトはこう言っていた。
『英雄の遺産はな、それはそれは特別だが、厄介なもんなんだ。俺も一度見たことあるんだが、紋章が無かったり適合しない紋章持ちが英雄の遺産を使うと…』
「魔獣になっている恐れがある、ということ?」
私がそう懸念を示すと、セテスは首を横に振った。
「…いや。恐らくまだ人間のままだろう。魔獣が出たという話は聞いていないし、つい最近までゴーティエ家からの追手を、破裂の槍で返り討ちにしたという報告もある。」
レアは少し焦っている様子で告げた。
「…ですが、それも時間の問題です。今は刺客も送られていませんし、槍を使う機会もないはずですが…次の戦闘で、魔獣と化す可能性も否定できません。」
私はことの重大さを実感する。人気のない場所ならともかく、もし仮に大勢の目の前で英雄の遺産を使った人間が魔獣になったら…
「…最悪の場合、フォドラの貴族階級の根本が、崩れ落ちるかもしれないのか。」
英雄の遺産とは、強力な武器であり、十傑と呼ばれるフォドラの主な貴族達の象徴のようなものだ。
…それが化け物を生み出した、となれば流石にただでは済まないだろう。
レアは頷き、端的に私に成すべきことを伝えた。
「英雄の遺産は魔獣化を抜きにしても強力な武器です。…ですが、天帝の剣を扱える貴女なら、討伐もできるでしょう。いいですか。できるならば魔獣化する前にマイクランを討伐してください。」
「…もしそれが叶わなかった場合は、それを目撃した盗賊を全て始末する必要があります。生徒達にも無闇矢鱈と周囲に話を広めないようにと言っておいてください。幸い、彼らは根城の塔に籠っているようです。…一般市民は巻き込まずに済みます。」
……今回の課題は、どうも一筋縄ではいかないな。
ゴーティエ家といえばシルヴァンの実家でもある。身内を手にかけるのは辛いだろう。
それを抜きにしても、難易度が今までの課題とは比較にならない。
そんな緊張した様子の私を安心させたかったようで、レアは微笑んで私にゆっくりと語った。
「生徒達にも危険が及ばぬよう、大修道院きっての手練れの騎士も同行させます。…シャミアと貴女、そして彼の三人でなら、無事に課題を終えられるでしょう。」
そうして課題を聞き終わった私は、レアと午後にお茶会の約束をして、その騎士と会うことにした。
騎士の間で待っているとのことなので、一回へと降りて騎士の間へと向かう。
…何やら私が通ると周りが少しざわついているような気がする。
「まあ、天帝の剣を扱い、西方教会を撃退したやり手の教師となれば、それなりに噂になるのではないか?」
そうソティスがふわふわと私の周りを飛んで揶揄ってくる。
私は彼女の言葉に笑顔で言葉を返す。
「だとしたら好都合だな。大司教になるまでに、できるだけ実績は作っておきたいからね。」
「…そこで物おじしないのが、おぬしよな。…愛いやつよ。」
そんな風にソティスと雑談しながら騎士の間に入ると、何やら大人の騎士達が集まって雑談しているようだった。
カトリーヌにシャミア、そしてジェラルトまで居る。あとの二人は見慣れない顔だが。
一人は橙色の…少し生え際が後退している髪の、厳格そうな厳つい壮年の騎士だ。体つきからして、重装騎士だろうか。表情が心なしか暗い。
もう一人は、鋭い切れ目と、吊り気味の眉毛が凛々しい、黒髪の癖っ毛のついている騎士だ。
鋭利な印象も感じる見た目が、表情から気さくな雰囲気を感じさせる。
…なんだろう。どこかフェリクスに似ているような。
私の姿を見ると、ジェラルトがこちらに手招きした。誘われるまま近づくと、見知らぬ騎士が私に話しかけてきた。
その橙色の壮年の騎士は丁寧に頭を下げると、これまた丁寧な口調で話し始めた。
「初めまして、先生。私は、今節の課題に同行させて頂くギルベルトと申します。どれほど力になれるかは分かりませんが、精一杯、協力させてもらいます。」
「あ、ああ…こちらこそよろしく。」
私が少し面食らいながら答えると、カトリーヌは苦笑いしながらギルベルトの肩に手を置き、揶揄いはじめた。
「おいおい、ギルベルトさん。いくら何でも硬すぎるだろ。それに、そこは私に任せておけ、ぐらい言っておくべきじゃないか?頼りなさすぎるだろ。」
そのカトリーヌに、ギルベルトは少し呆れた様子で答えた。
「…そういう貴女は、もう少し丁寧さを覚えた方がいいと思いますが?カトリーヌ殿。それに、私程度で貴女のように自信を持つことはできませんよ。」
ギルベルトの反論に、シャミアも同意するように言った。
「全くだな。私も、初対面のお前の声のうるささにはため息をついたよ。これは腕は期待できないな、とも思った。」
そんなシャミアに、カトリーヌは笑いながら言葉を返す。
「ひでえなあ。そんな風に思ってたのかよ。で、今はどうなんだ?」
「そうだな…まあ、背中を任せてもいい程度には思っているよ。」
シャミアはそう言ってカトリーヌに微笑む。どうやら気心の知れた仲らしい。そんなやり取りを見て、ジェラルトともう一人の見知らぬ騎士は笑った。
「全く。ここは随分と賑やかになったな。アロイスの野郎が来たら余計か?」
「…ですが、良い賑やかさですよ。王国にも、これぐらいの活気は欲しいところですなあ。」
そうして、もう一人の見知らぬ騎士は私にお辞儀をし、気さくな調子で自己紹介をし始めた。
「どうも先生。ジェラルト殿からお話はよく聞いていますよ。私はロドリグ・アシル・フラルダリウス。ファーガスで領主を務めておりましてね。」
「多忙のゴーティエ辺境伯の代わりに、遺産の奪還を依頼しに来たのですが…なんでも生徒が駆り出されるとか。何事もなければよいのですが…」
そう心から心配そうにロドリグは呟いた。…いい意味で貴族らしくない人だ。
驕り高ぶりがまるでなく、気さくで、人格者。
それはそうと、フラルダリウスといえば…
「もしかして、フェリクスの父親?」
そう私が問いかけると、ロドリグは嬉しそうに反応した。
「倅をご存知でしたか。何かご迷惑はかけていませんか?…どうも、あれは気難しいところがありますからなあ。」
「いや、迷惑にはなってないよ。よく剣の試合形式の稽古をやるけど。…彼は筋がいい。まあまだ負けたことはないけどね。」
そう私が答えると、ロドリグは愉快そうに笑った。
「いや、それは何より!是非とも、これからも負かしてやってください!…そうやって、ファーガスの男は一人前の騎士になるのです。」
そう豪快にロドリグは笑う。そんな彼に、ジェラルトが思い出したかのように言った。
「そういえば、ランベールのやつも俺によく挑んできたっけな。」
その一言に、ギルベルトが反応する。彼は、暗い表情を明るくして言った。
「!前王陛下が、ですか。…ふふ。彼らしいですね。」
「そういえばそうでしたなあ!マティアスの奴が、よく呆れて話してましたよ。ジェラルト殿は、あの頃からお変わりないようで。」
そうロドリグも親しげに返す。…そうか。ジェラルトは20年前まではセイロス騎士だった。まだ学生だった頃のロドリグと既知の中でもおかしくはない。
そんな風に雑談に花を咲かせ、しばらく話していたが、それぞれ用事があるとのことで、お開きになった。
私はジェラルトと共に、母の墓参りに行くことになった。
「…でも遺体は確か墓には。」
そう私が言うと、ジェラルトは淡々と答えた。
「……ああ。アビスの地下に保管されてる、だろ?…全く。レア様も無粋な真似をする。だが、思いは届くはずだ。遺体にはまた別の日に挨拶に行こう。」
墓にまで一緒に行くと、墓標がそこにあった。
シトリー・アイスナー ここに眠る
ジェラルトは、袋から花を取り出した。
お供えのようだ。
二人して無言でしばらく墓の前で祈る。
祈り終わると、私は長年の疑問をジェラルトに聞いた。
「母は、どんな人だったの?」
その疑問に、ジェラルトは遠くを見るような顔になり、懐かしむような優しい声で答えた。
「そういうやあ、お前にはあいつのことをあんまり話してなかったな。」
「穏やかで、賢くて。料理も美味くてなあ…誰に対しても優しい人だったよ。それに‥花が好きだった。俺が珍しい花を大修道院の外から摘んでくると、そりゃあ喜んだもんだ。」
そうか。確か母は病弱で、あまり遠出できるわけでもなかったのだった。大修道院の外の花は、魅力的だったのだろう。
「冒険の話とかもしたの?」
「ん?ああ。そうだな。あいつは外の話を聞くのが好きだったよ。思えば、あいつも俺たちのように旅に出たかったのかもしれねえなあ。」
…自分の知らなかった母の姿が、ぼんやりと浮かんでくるような不思議な感覚。だが、妙に心が安らぐのは何故だろうか。
ジェラルトはそういえばと袋に手を突っ込み、綺麗な白色の、装飾の凝った指輪を手に取り、私に差し出した。
「………この指輪は、あいつの唯一の形見だ。お前に大切な人ができたら、それを渡してやればいい。…まあ、お前の場合一つで足りるかは怪しいけどな!!」
そう言うと、ジェラルトはがははと大声で笑った。そして、心底優しい声で私に伝えた。
「……なあ。あいつが一番喜んだのは、お前が自分の腹に居るって分かった時だった。…お前は、母親に愛されていた。それだけは忘れないでくれ。」
その笑顔は、どこか寂しげで。私は無言でジェラルトに抱きついた。
「……おいおい。ったく。しょうがねえな。」
ジェラルトもそっと私を抱きしめる。懐かしい、香りがした。
陰で私たちを見つめる人影に、気づかぬまま。
アルファルド視点
私は、いつものようにシトリーの墓に向かう途中だった。…そこに彼女が居ないのは分かっている。遺体は、何故かアビスの地下で眠っている。
腐ることもなく、死んだ時のまま。
…忌まわしいレアめ。何を企んでいるのか。彼女に何をしたのか。
それでも、彼女のことを思い返す時には、私は墓に行っていた。
彼女の墓に誰も行かなかったら、あまりにも可哀想じゃないか。
だが、今日は珍しく先客が居たらしい。
…ジェラルトさんと、彼女だ。
シトリーの生き写しのような彼女。緑の髪を風でたなびかせる彼女とジェラルトさんは、どこか悲しげだ。
思わず隠れて話を聞いてしまう。
…ジェラルトさんは、彼女にシトリーのことを話しているようだった。
やがて、二人は抱き合い、ジェラルトさんは微かに目に涙を溜めている。
その光景を見て、私は、心底腑が煮え繰り返った。
…なぜ、彼女たちがこんな目に遭わなければいけないのか!
心優しい人たちだ。シトリーが選んだ、彼女の家族だ!
…シトリーは、愛しの我が子ともっと話せるはずだったのに!
私は心に固く誓った。
必ず、もう一度彼女を…
「待っていてくださいね、ベレス。君の母親は、私が必ず…」
私の計画もいよいよ実行段階だ。
これを実現させれば、私はレアに異端として処刑されるかもしれない。だがそんなこと構わない。彼女がまた、彼らの前で笑えるのなら…。