ベレス視点
講義も終わった夕暮れ時、教室から出て、シャミアと話していると、レアに声をかけられる。
…心なしか顔が赤い。先日の夜伽を思い返しているのだろう。私もだよ。…可愛いなあ。
だが、さすが大司教だ。すぐにいつも通りの顔に戻り、淡々と話してくる。
「ベレス、今から少し私と話せませんか。…アビスの件で、事前に話しておきたいことがありまして。」
私は笑顔で頷く。
「それは勿論構わないよ。…夜も空けておいてくれると、私としては嬉しいな。」
そうレアの耳元で甘く囁く。
レアはまた顔を赤くして小声で頷くと、私を連れて歩き始めた。
シャミアも呆れたようにため息をつくと、私たちについてきた。
例の会議とは、枢機卿会談のことだ。枢機卿会談は、常に場所を変えながら行われる。
前節は大司教の謁見の間だったが、そこだけで常に行なっていては周りに露見してしまう。
幸い、この大修道院には無数の隠し部屋や、隠し通路がある。
そのいくつかをレアは把握しており、枢機卿達を集めるのもそのような部屋が主だったりする。
私とレアは二人で今日の枢機卿会談が行われる、隠し部屋の中に入った。私はシャミアを一応の監視のために外で待機させた。
…人は居ないな。
「少し夜の前に君を堪能させてくれないか。…いいかな。」
私がそうレアに頼むと、レアは微笑んだ後、照れた顔で言った。
「…少しだけですよ、もう。」
私はそれを聞いた途端、レアを背後から抱き寄せ、美しいレアの髪の匂いを堪能しながら、レアの胸に手を当てる。
…私の胸がレアの背中に当たっている。
「…ッ…はぁ…ベレスは胸が好きですね…」
そう少し呆れたように言いながらも、レアは嬉しそうに身を預けたままだ。
しばらくレアの見事な胸を堪能すると、私は身を引いた。
レアと私は少し時間をおいて息を落ち着ける。
私がレアの大司教の服を整え終わると、二人は微笑みあって椅子に座った。
ソティスは宙に浮かんで面白そうにそんな二人を眺めている。
レアは咳払いをすると、話し始めた。
「私が貴女だけを先に呼んだのは、宝杯の儀について、もっと詳しく話しておくべきかと思ったからです。まあ、杯自体はお母様が作ったものですが…」
そのレアの説明に、ソティスが私の背後に移動して話し始めた。
「…ああ。杯とは、やはりわしの作ったあれのことか。」
そのソティスに、私が話の続きを促すと、ソティスは淡々と話し始めた。
「なに。わしが眠りにつく前に、わしを呼び起こすために、眷属達にわしの血と魔法で作り上げた杯を託したのよ。…まあ、5体満足のわしを呼び起こすためのものじゃ。ネメシスの奴と闇に蠢く者どもがわしの遺体を弄んだ以上、儀式は…」
そんなソティスの悲しそうな声に、私は苛立ちが込み上げてくる。私の愛しいソティスを傷つけるとは。闇に蠢く者どもを絶対に潰そうと私は心を新たにした。
「今、ソティスから聞いたよ。ネメシスと闇に蠢く者どもが、ソティスの遺体を加工したせいで、儀式は…」
その私の声に、レアも忌々しそうに顔を歪めると、頷いた。
「…ええ。失敗しました。今思えば、そうなのでしょう。…ネメシスと闇に蠢く者どもめ。」
レアはさらに言葉を続ける。
「失敗しただけならまだ良かったのですが。…あの儀式を取り仕切っていた司教が、赤き獣の姿となったのです。」
赤き獣…?私はどうにも嫌な予感を覚えながら、レアに尋ねる。
「赤き獣?」
「ええ。赤き獣とは、私たち女神の眷属に限りなく近しい力を持った、魔獣のことです。」
レアの言葉に私が驚いていると、ソティスがしたり顔で頷いた。
「まあ、そうなるであろう。あの杯はわしの強い血の力が籠っている。…暴走するのも、無理からんことじゃ。」
…なら、私の血にもそれ相応の力はあるのだろうか。
そう考えていると、ソティスは私の考えに答えた。
「おぬしの血も、近しい力は持っているであろう。…ただ、おぬしは生きておる。そして、極めて完成度の高いわしの依代じゃ。」
「おぬしが意図的に多くの血を分け与えれば、恐らく、赤き獣に近い力を持ち、理性的な眷属が出来上がると思うぞ。」
なにそれ、怖い。
そんな風に若干私が引いていると、レアがまた話し始めた。
「…その司教は討伐せざるを得ませんでした。その結果、儀式に血を捧げた四使徒は心を痛め、自分たちの責任を取ると大修道院を去りました。」
…この話を聞いてると、封印したのも納得ではある。あまりにも強力な遺産すぎる。闇に蠢く者どもの手に渡ったらと考えると、ぞっとする。
私はため息をついて言葉を紡ぐ。
「そこまで扱いが難しいのなら、予想されている、アルファルドの私の母を蘇らせようという考えも、失敗する確率が高そうだね。」
その言葉に、レアは強く頷き、答えた。
「…確率が高い、どころではなく、まず間違いなく失敗します。あくまで意識が眠ったままのお母様を起こすためのもの。…死んだ人間を生き返らせる力などありませんから。」
そうして私とレアで会話を終えると、だんだんと枢機卿達が部屋に入ってくる。その中には、アルファルドも居た。私ににこやかに手を振ってくる。
私も笑顔で手を振りかえした。
枢機卿の会談は、つつがなく進行するかと思われた。私も以前よりは話についていけている。
アビスの話になるまでは。
神経質そうな文官の女性が私に話しかけてくる。
「それで、ベレス殿はアビスを直接見てきたというわけですが。…やはり、アビスは危険というのを実感できたのでは?」
彼女は以前の会談から、アビスを掃討すべきであると声高に主張していた人物の一人だ。
その彼女の問いに、アルファルドはしたり顔で言葉を差し込んだ。
「むしろ、その逆でしょう。ベレス殿。是非、アビスでの体験を話してあげてください。」
…アルファルドは、儀式のためにアビスを利用したいのだろうか。でも、アビスの人達は彼に真剣に感謝していた。
真意はどうあれ、アルファルドは彼らにとって救い主なのだ。
そんな彼らを見捨てることは、私にはできない。
「まあ確かに治安は地上に比べれば良くはないが、許容できる範囲ではあると思ったよ。…それに、皆がアルファルドに感謝していた。…私としては、掃討には反対、かな。」
その声に、枢機卿達がざわめきの声をあげる。アルファルドは笑顔で言葉を続けた。
「ベレス殿の言うとおりです。…私なんぞに感謝してもらっているのは、ありがたい話ですが。掃討などすべきではありません。みな、救いを求めている民なのですから。」
神経質そうな女の文官は、忌々しそうに顔を歪めると、皆に語りかけた。
「……ですが、アビスが地上に齎すものは何もないではないですか!私たちの負担になりながら、益とはならない。害以外のなんだと言うのですか。」
そんな彼女に、私は即座に答えた。
「行き場のない者達の街というだけで、一定の益ではあると思うが。…それに、明確に一つの利益はあるよ。」
その言葉に、枢機卿達の注目が私に集まる。私はそれを確認して、言葉を紡いだ。
「裏社会の情報を、大修道院付近から直接得られる、という点だ。…実際、聖教会の暗部から見れば、これほど都合のいい情報取集場所はないよ。」
その言葉に、騎士の枢機卿の一人が興味深そうにしている。が、文官の女性はそれでは納得できないらしい。
「…その程度のことであれば、市街地でも問題なくできます。治安を悪化させる程の価値は…」
アルファルドはその言葉に反論した。
「ただの市街地では得られない情報も、アビスには集まります。実際、先生の受け持っている灰狼の学級のユーリスは、裏社会に精通しており、後々大きな大修道院の力となるでしょう。…そのような若者を育成できるのも、アビスならではと思いますが?」
その後も議論は続いたが、枢機卿達の中でアビスへの印象はだんだんと変わってきたらしい。
結局今日も結論は出ず、枢機卿会談は何事もなくお開きになるかと思われた。…しかし、扉の外から突然シャミアと、二人の男の大声が聞こえてきた。揉めるような音も聞こえる。
「…そこで何をしている!」
「やべっ!逃げ…」
「逃すと思うか。」
私たちが大慌てで外に出ると、シャミアがクロードを地面に押さえ込んでいた。そして、それとは別に浮浪者らしき男が走って逃げようとしている。
レアが状況を見て、即座に叫んだ。
「ベレス!あの男を追いなさい!」
私はその指示通り、即座に走って浮浪者を追いかける。…浮浪者もなかなか逃げ足が速い。次々と階段を降りて、下へと潜っていく。
そして、やがてアビスの地下への通路に走り込んでいった。
「これ、どうするべきかな‥」
私はその場で追跡をやめる。地下通路は複雑で視界が悪い。あの速さの浮浪者を捉えるのは無理だ。
…アルファルドの計画絡みの話だったら面倒だよな。
一旦、レアに報告して、ジェラルト辺りを呼んでくるか。
****************
遠ざかっていくその男を見て、他の枢機卿達と共に居る、アルファルドは周りに聞こえないように、小さな声で呟いた。
「あの男は確かユーリスの部下の…全く…何を…!」
そしてアルファルドも足早にアビスの入り口へと向かった。
****************
灰狼の学級では、ユーリス達が雑談を交わしながら密偵の帰りを待っていた。
ユーリスの情報網により、枢機卿会談でアビスの掃討が議題に上がっていると知った彼らは、もしそうなった場合に備えて枢機卿会談を含めた地上の動きを探ろうとしていたのだ。
ユーリス達は地上との出入りが許されているが、それでも騎士団の監視の目はある。
故に密偵を使ったのである。
「……なあ、ユーリス。俺たちがここで欠伸を噛み殺して待機してる必要はあんのかね?」
そう欠伸を堂々としながらバルタザールがユーリスに尋ねる。
ユーリスは呆れた様子で答える。
「噛み殺せてねえぞ。…ったく。仕方ねえだろ。密偵の帰りはまだ先だが、万が一ってこともある。そんなに暇ならコンスタンツェみたいに自習でもしとけよ。」
そう言ってユーリスは机に齧り付いているコンスタンツェの方を指差す。
ハピはそんなコンスタンツェの横に暇そうに座っている。
「コンスタンツェもあの教師とエーデルガルトに認められようと必死だよなあ。俺にはとても真似できないねえ。」
そんな風に呟くバルタザールに、呆れたようにコンスタンツェは言った。
「エーデルガルト"様"ですわよ!バルタザール!貴方のような貴族の心を忘れた怠惰な方と一緒にしてほしくはありませんわね!」
そうやって賑やかに雑談している灰狼の学級に、ベレスが目撃した浮浪者が走って駆け込んできた。彼がユーリスの送り込んだ密偵だったのだ。
ユーリスが怪訝そうに声をかける。
「どうした、随分早く戻ってきたな。何か地上で動きでもあったか。」
「ああ…お頭の指示通り、枢機卿の会談を探ってきたんだが‥済まねえ!見つかっちまった!あの教師にも、アルファルドさんにも姿を見られちまった!」
ユーリスが先ほどとは違い、低い声で尋ねる。
「大司教にもか?」
浮浪者はぎこちなく頷く。それに、ユーリスは長いため息をついた。
バルタザールが深刻そうに言う。
「おい。これやばいんじゃねえか?」
「…やばいどころじゃねえよ。ったく。事態が悪化しちまった。」
「地下に潜るのは見られてねえだろうな?」
そんなユーリスの問いかけに、浮浪者は土下座して無言で震えている。それを見て、四人は状況を悟った。
コンスタンツェが焦った声で問いかける。
「ど、どうするのです?流石に不味いでしょう。もしかしたらこれで掃討が決定してしまうのでは…」
ユーリスは無言で考えに耽った。少しすると、真顔で淡々と答えた。
「まあ、俺がなんとかする。とにかく、こいつを追って誰かしら地下に来るだろう。それの対処から始めねえとな。」
こうして、アビスでの物語が、本格的に始まろうとしていた。