ベレス視点
いよいよ飛竜の節も終盤に差し掛かり、大修道院の空気は熱気を帯び始める。
生徒の親などは激励のためにわざわざ大修道院まで足を運んだり、手紙を大量に送りつけてきたりするのだ。それは黒鷲の学級でも例外ではない。フェルディナントなども父である宰相からの激励の手紙を貰ったようだ。手紙を手に、誇らしげにしていた。
まあ無理もない。貴族の子息にとっても、将来騎士となる生徒たちにとっても、グロンダーズ鷲獅子戦は特別なのだ。
ローレンツなどもフェルディナントと同じく、嬉しそうに手紙を握りしめて言っていた。
「父もかつて、ここの士官学校に在籍していてね。…鷲獅子全では見事、勝利したそうだ。未だにそれが自慢らしくてね。」
ガルグ=マク大修道院は、クロードがかつて言ったように、フォドラの縮図だ。
アドラステア帝国、ファーガス神聖王国、レスター諸侯同盟の有力な貴族や騎士となる者達が集まっている。
故に、他国のそういった者達を打ち負かす、というのは特別な意味があるのだ。
血の流れない戦争の縮図と言っていい。
もちろん、終わった後は平和的に談笑するらしいが…
私は将来的に戦争に加担するかもという悩みを抱えている。
エーデルガルトはその機会が来れば躊躇いなく王国を侵略するだろう。
そう思うと少々気が重いが…ここは勝たねばならない。
少しでも血が流れずに、私と…エーデルガルトの夢を叶えるために。
黒鷲の学級では、二人の生徒がついに上級職への道を開いた。
エーデルガルトが誇らしげに胸を張っている。
私は笑顔で彼女の肩を叩いた。
「流石だね、エーデルガルト。セイロス騎士でも手練れのみが成る上級職のフォートレスに、こうも早くなるとは…」
それに当然とばかりにエーデルガルトは微笑を浮かべるが、それでも嬉しさが隠し切れないらしい。可愛らしくて抱きたくなるが、ここは我慢だ。…まだ生徒であるうちはそう簡単に手を出すべきではない。
「…まあ、私ならば当然よ、師。これもまだ過程。私の目指す先は、まだまだ高みにある…貴女の指導のおかげで、早く来れたのは確かだけれど。」
そのエーデルガルトの、華奢な姿とは裏腹にかなり重装の鎧を着込んだ姿に、皆が拍手を送る。
特に、モニカとヒューベルトはかなり気合を入れて手を叩いている。
それと対照的に、リンハルトは至極どうでもよさそうだ。
フェルディナントが悔しそうにうめいた。
「くっ…私がエーデルガルトに遅れを取るとは…一刻も早くドラゴンナイトにならなくては…!」
まあフェルディナントも優秀だが、竜騎兵はなるのが難しいのだ。
初めて空を飛んで戦闘するという事、そして飛竜の気性の荒さ。
ヒューベルトは得意げにそんなフェルディナントに語りかけた。
「…まあ、貴殿も努力はしているようですが、我が主ならばこの程度当然です。…いい加減張り合うのはやめたらどうですかな?」
「それを言うなら…君だってまだ中級職のダークメイジのままだろう。向上心を持ちたまえよ。」
そこからいつものように言い合いが始まった。
それをエーデルガルトがため息混じりに止めに行くのもいつもの光景だ。
もう一人の上級職達成者は、何とベルナデッタだ。スナイパーの職を得て、今や弓の扱いではシャミアに迫る勢いだ。
ドロテアがため息混じりに言った。
「ベルちゃんったら、部屋に篭って出てこないんですよ。父親が来ないかと怯えてるみたいで…まったく。もし来たらベルちゃんをこんなに怯えさせる父親なんて私が…」
そんな不穏な言葉を呟くドロテアに、私は微妙な気持ちになる。
私も本人から聞いたが、彼女の父親、教務卿ヴァーリ伯は、平民をごみだと蔑み、ベルナデッタに監禁同然の方法で虐待じみた教育をし、かつてのベルナデッタの友人だった平民のユーリスを半殺しにしたらしい。
まあ、ユーリス当人は自業自得だと笑っていたが…何でも、ベルナデッタを暗殺しようとしていたらしい。そりゃそうなる。まあ、ユーリスは躊躇って実行には移さなかったし、もうその気もないとのことだが。
ベルナデッタが父親に怯えるのも無理はない。
まあ、期待に応えられないベルナデッタには、もう興味もなくなったらしいが…
やはり、ヒューベルトの話通りの俗物なのだろう。
「ま、そんな酷い父親が居るのですか?…私には想像もできませんわね。」
ドロテアとフレンがそんな風に話している。
まあ、彼女の父親とは色んな意味で対照的だ。
箱入り娘、という意味では共通点も多い気がするが。
私は取り敢えず午前の講義を終えると、未だ引きこもっているベルナデッタの部屋に、講義を纏めた羊皮紙の束を用意して向かった。
エーデルガルトも動機が動機だけに強引に引き摺り出せなかったらしい。
私が部屋の前に来ると、気配を察したのかベルナデッタは恐る恐る扉越しに話しかけてきた。
「先生…ですか?あの、すみません。その…父が来るかもと思ったら、その、出られなくなっちゃって…」
そんな風に上擦った声で話すベルナデッタに、私は努めて穏やかに語りかける。
「大丈夫だよ、ベルナデッタ。…君の父は来てないし、もし来たとしても私とドロテア…それにエーデルガルトが君を守るよ。君には私と、もう大勢の友人が居るんだ、一人じゃない。だから、その…安心してくれないか?」
その声に安心したのか、少しした後、ベルナデッタはおずおずと扉を開け始めた。ぽつりぽつりと呟き始める。
「…先生…分かりました。そうだよね。もう、ドロテアさんとは友達だし、他の皆とも…随分打ち解けた…と私は思ってますし!その…全部先生のおかげです。先生が居なかったら、私…うわああんんん!!」
ベルナデッタはそこから興奮して勢いよく扉を開けると、私に抱きついてきた。
私はゆっくりと彼女を抱きしめ返す。
ベルナデッタの小ぶりな胸が私の腹に密着して、彼女の顔が私の胸の中に埋まっている。…いかんいかん。彼女は生徒だ。そういうのは大人になってからだ。
私は笑顔でベルナデッタに語りかける。
「今日は君を祝いたくて来たんだ。上級職の合格、おめでとう。教師として、君のような生徒を持てて誇りに思うよ。」
その言葉に、ベルナデッタはきょとんとした顔をした後、破顔して応えた。
「せ、せんせえ…そんなに優しくされるとベルは…ベルは…うわあああん!!」
そう大声を上げて、ベルナデッタは私にさらに強く抱きついてくる。
私は笑顔で彼女の柔らかな紫の髪の頭を撫でる。
しばらくそうやっていると、背後からどこか安心したような、同時に少し呆れたような声が聞こえて来た。
「師…ベルナデッタ…昼間からこんな寮の前の真ん中で抱き合っていると変な噂が立つわよ?」
エーデルガルトの声だ。だが、なぜかそちらを見たベルナデッタは固まり、大声で奇声を上げて部屋の中へと戻って行った。
「ぴ、ぴええええ!?な、何であの二人が!?もしかして…お父様も!?」
私が振り返ると、エーデルガルトの背後には二人の壮年の男性が立っていた。
一人はカスパルと同じ薄青色の髪色をしており、長髪を伸ばすがままにしている。髭の生やした、厳つい顔つきの男性だ。左肩に熊の顔を模した肩当てをしており、見事な帝国風の鎧を着込んでいる。
…強いな、それもかなり。
もう一人はリンハルトと同じ濃い緑色の髪色をしており、短髪を上品に纏めている。
眼鏡をかけているのもあり、几帳面な印象を受ける。こちらは緑の落ち着いた布でしたためた、高級そうな文官風の格好をしている。
色々と対照的な二人だ。
二人はベルナデッタの挙動の速さと奇声に戸惑った様子だったが、薄い青髪の男性が豪胆に大声で笑った。
「はっはっは!!!ヴァーリ伯の娘とは思えんほど機敏な動きだ!あの動きの弓兵とあらば、将来は優秀な武人となりそうだな!」
その言葉に、もう一人の男性がため息混じりに答えた。
「…それ以前に、あの奇声はやめて欲しいがね。彼女の母親は優秀な文官だが…殿下の話が本当なら、確かに君の軍人畑の方が向いていそうだね、レオポルド。」
そんな二人を、エーデルガルトが淡々と紹介してくれた。
「彼らは帝国の屋台骨…軍務卿ベルグリース伯と、内務卿へヴリング伯よ。二人とも、こちらが例の私たちの師よ。」
ベルグリーズ伯は豪快に握手を求め、私がそれに応えると腕をぶんぶんと振った。
「貴殿のことは殿下から聞いておる。かなり腕の立つ傭兵…いや、次期大司教猊下と呼ぶべきか。とにかく会ってみたかったぞ!どれ、是非手合わせを…」
それを、へヴリング伯が制した。
「…あまり目立つことをするものじゃない、レオポルド。初めまして、先生。…聞いた通り、かなり若いね君は。だが、優秀だと聞いている。早速本題に入っては?殿下。」
そのへヴリング伯の提案に、エーデルガルトは無言で頷くと、私に語りかけてきた。
「師、今から例の件で大事な話があるの。場所を変えましょう。」
私達が移動しようとすると、部屋の中から恐る恐るといった感じの声が聞こえて来た。
「あ、あの…それで、私の父は来てるんですか?」
それに、へヴリング伯が笑って答えた。
「いや、君の父上は金勘定で忙しいようだ。少なくとも、今節は来ないだろうさ。」
それを聞いて、ベルナデッタの歓喜の声が聞こえてくる。それを背に、私たちはエーデルガルトに連れられて大修道院の隠し部屋の一つへと入った。すると、そこにはヒューベルトが待っていた。エーデルガルトに丁寧に礼をする。
「エーデルガルト様、既に人払いは済ませてあります。」
「ありがとう、ヒューベルト。それじゃあ早速話し合いましょうか。…来るべき宮城の害悪…闇に蠢くものどもの排除について。」
…やはりその議題か。帝都での協力者と呼ばれる二人が来た以上、そうだとは思っていたが。
鷲獅子戦の子息の応援にかこつけて集まったのだろう。ゲルズ公が居ないのは、彼は士官学校に特に関係者が居ないからか。
「…この手の話は手紙ではできないので、大変助かりますよ殿下。ただ…その話に移るということは、闇に蠢く者どもは切り捨てるという判断で?」
そう問いかけるへヴリング伯に、エーデルガルトは無言で頷いた。それにヒューベルトが淡々と答える。
「我々は既に闇に蠢く者どもと同等、もしくはそれ以上の戦力を得られる算段がついたのです。…ならば、彼らに既に用はない。」
ベルグリーズ伯が身を乗り出す。
「ほう。して、その戦力とは?」
エーデルガルトは、クロードとの誓約書を取り出して二人に見せた。それを見た二人は、感嘆の声を上げた。
へヴリング伯はにやりと笑うと弾む声で言った。
「これはこれは…!なるほど。かのリーガンがこちらに降るのであれば、同盟はもはや戦わずに帝国領となったも同然。流石です、殿下。…しかし対価は何なのです?」
「…フォドラ全土を統一した暁には、国交を各国に開くことが条件よ。」
その言葉に、ベルグリーズ伯は笑って言った。
「それはまた大胆な…!ゲルズの奴が聞いたら頭を抱えそうだな!」
へヴリング伯は考え込んでぶつぶつと呟いている。
「…読めないな。リーガンには特に何の旨味ない話に聞こえるが…ならばクロード当人の望みか?…まあいい。その程度ならば大した危険はないだろう。」
やがて納得したようで、へヴリング伯は私に声をかけて来た。
「して、頼みの綱である先生は、いつ頃大司教になられるので?」
私は淡々とその質問に答えた。
「今節の鷲獅子戦で勝てば、その名声を利用し、大司教だと公布することができる予定だよ。正式になるのは、恐らく卒業と同時期の時期だが。」
それに、ヘヴング伯は頷いて、少し困った顔で言った。
「…私の想定していたよりは早い。だが、卒業と同時か…微妙な時期だな。当初の予定では、教団に対してその時点で開戦のはずだった。闇に蠢く者ども…アランデルの奴も、当然そう考えているだろう。それ以上引き伸ばせば、アランデルはこちらが奴らを切り捨てにかかったと勘付く。…戴冠の儀も控えている。」
その推測に、エーデルガルトも真剣に頷いた。
「ええ、そうね。だからそれまでに、師の次期大司教としての影響力を使って、出来うる限りの諸侯を味方につけ、闇に蠢く者どもについての情報を探る。」
ベルグリーズ伯はそんなエーデルガルトの考えにはっきりと賛同し、獣のような笑みで言った。
「心得た。ならば、アランデルの奴らと、ルートヴィヒめを倒すのは卒業間近の殿下の戴冠直前の日…となるな。いや、いっそのこと戴冠を即座に済ませて…ううむ。こちらも準備を手筈通り整えておこう。腕がなるわ。」
エーデルガルトは頷くと、少し不安そうな顔で言った。
「…それで、どう?お父様の避難経路は確保できた?」
それにへヴリング伯が安心させるように穏やかに答える。
「ええ、ご安心ください。決行当日には、我々の転移魔法で即座に保護する算段がついています。問題は、エーギルの兵どもですが…」
私は気になって尋ねる。
「宮城にエーギル家の兵達が居るのか?そんなに多く?」
ヒューベルトは忌々しそうにその問いに答えた。
「ええ、忌々しいですが。奴は実質的に宮城を我が物顔で牛耳っています。…まあ、更に厄介なのは潜んでいる闇に蠢く者どもですが。エーギルの兵に関しては、私に少し考えがあります。」
ベルグリーズ伯は面白そうに続きを促した。ヒューベルトは淡々と話し始める。
「…フェルディナント殿を頼りましょう。彼が呼びかけながら我々と宮城を制圧する動きを見せれば、エーギル家の兵はまず混乱します。…未来の当主に刃を向けることなど、容易くできることではありません。」
その説明に、思わず私が声を上げる。それは私が提案してヒューベルトに却下された案ではないか。
「以前、私もそう言ったが、君に否定されたと思うが。」
それにヒューベルトは指を鳴らすと、暗い笑みで答えた。
「違いますな。貴殿は事前にフェルディナント殿に話を通すべき、と言った。ですが、私はその意見に反対したまで。…彼にはぎりぎりまで話を伏せ、土壇場で話を打ち明けるのが良いでしょう。」
…ああ、なるほど。つまり、彼に父親と連絡を取らせず、取ることのできない状況下で協力を要請するということか。確かにその方が危険性は少ない。
「…意外ね。貴方達は仲が悪いと思ってた。」
そのエーデルガルトの言葉に、ヒューベルトは淡々と答えた。
「ええ、良くはありませんな。ただ私はエーデルガルト様に利があるのならば、嫌いな相手とも喜んで手を組む。それだけですよ。」
その場はそれでお開きとなった。
ベルグリーズ伯とへヴリング伯は、リンハルトとカスパルに顔を見せに行くと言って去っていった。
エーデルガルトは少し疲れたようにため息を吐く。
私がそっと手袋越しにエーデルガルトの手を握って、隣で微笑みかける。
「大丈夫?少し疲れたんじゃないか?…どうだろう。蒸し風呂にでも入っていかないか?」
エーデルガルトはそれに顔を赤くすると、照れたような様子で答えた。
「そう眩しい笑顔を向けられると…疲れが飛んでいく気がするわね。ええ、そうしましょう?師。」
そうして私とエーデルガルトは二人で蒸し風呂に入ったのだった。
私はエーデルガルトの露出多めの蒸し風呂用の服に軽く見入っていたが、エーデルガルトも同じらしい。私の胸や腰に視線が向いているのが分かる。
いや、分かりにくくちらちらとしたものだが。
彼女と肌を重ねる日が楽しみだ。
そう思いながら私たちは疲れを癒したのだった。
そうして日々が過ぎ、ついにグロンダーズ鷲獅子戦前日。
ガルグ=マク大修道院の空が白んできた早朝、一人の男が高級馬に乗って門を潜る。門番はその男の見事な白い布に赤い刺繍が入った貴族風の服を見て、慌てて頭を下げた。
黒い長髪が風に吹かれてそよいでいる。
その男…アランデル公は忌々しそうに大修道院を一瞬睨みつけると、ぽつりと呟いた。
「さて、この目で見定めるとするか。…忌々しき女神の現し身よ。」
ベレスとエーデルガルトは失念していた。
姪っ子を持っているアランデル公が、エーデルガルトの応援という名目で大修道院を訪れても何らおかしくないということを。