兎にも角にも時間がなかったのでマルフォイは真っ先にダンブルドアに報告し、先に体縮薬と解毒剤を依頼した。幸いにしてというべきか、最初から分かっていやがったダンブルドアは使用法をメモした薬を寄越し、魔法省にもホグワーツの魔法生物飼育の授業で取り扱うためとして根回しまでしていやがった。
こんなことで実家を動かさずに済んだことを喜ぶべきか、万事全てがあの老人の掌の上であったことに腹を立てるか悩んだ末に、腹を立てることにした。
あの野郎の髭はいつか全部剃ってやると心に誓う。どうせ剃ってもすぐ伸ばすだろうが、それはさておき。
“本当に猶予がない……!”
幸いにしてまだクィレルは仕掛けていない。仕掛けていないが既に秒読みに入っている。
フラッフィーのことはハグリッドがダンブルドアに自供して、眠ったらダンブルドアに伝わるようにしているが、そもそもダンブルドア自身が手ぐすね引いてクィレルが手を出すのを待っている状態だ。前兆ぐらいは教えてくれても、解決には自分の足で動く必要がある。
「ロナルド、ハリーの為に動く時だ」
「覚悟なら出来てる」
足を震わせて言われても説得力に欠けるが、それでも味方としては十分だ。
「クラッブとゴイルにはクィレル教授を見張って貰う。何かあれば彼らのフクロウが知らせてくれるだろう。後は、ハリーだ」
「巻き込むの?」
逆だ。既に運命がマルフォイにあるのなら、ハリーを巻き込むべきではない。
「ミス・グリーングラスとパンジーに、ハリーを遠ざけるよう伝えるさ。それから、君にもこれを」
手渡したのは封がなされた試験管だが、中身は睡眠薬や麻痺薬といった毒物と各種治療薬だ。色分けされているため、取り扱いに注意するよう念を押す。
……とはいえ、常時
「今の僕が準備できるのは、それが精一杯でね。あとは杖と魔法で凌ぐしかない」
これだけで勝てるかと問われれば難しいが、無いよりはましだろう。いつかの日に備え、肌身離さず持つよう伝え、一先ずは別れることとした。
◇
新年が明けてハリーらがホグワーツに戻り、期末試験を終えてもクィレルは廊下に踏み入らなかったし、その兆候もなかった。だが、事態というものは気を抜いた時にこそ進展するもので、ダンブルドアは急用でロンドンに発つことをマルフォイに知らせてきた。
“いよいよか”
この日の為にマルフォイは自分の運命も、準備のことも、ダンブルドアのことすらハリー
だから、本当に誤算があったとするならば一つだけ。
遠ざけようと努力していた女の子──ハリエット・ポッターが気付いてしまったということだけだ。
「ドラコ……何処行くの?」
ダンブルドア不在の夜。クィレルの動きを察知すると同時に寮を抜けようと動いたマルフォイを、どうしてかハリーが談話室で待っていた。
“何故、君が?”
パンジーとダフネはどうした? どうして運命から外れた君がここにいるのだと叫びたくなったが、その感情もハリーの顔を見て失せた。
「君が……分かっている場所へだ」
だから、マルフォイも隠さず喋った。通してくれと、退いてくれと言う為に。けれど。
「ねぇ、ドラコ。別に、君が行かなくたって良い筈だよ? 先生に言おう? スネイプ先生もマクゴナガル先生も、皆ならきっと何とかしてくれる。頼ろうよ」
嗚呼、ああ、そうしたかったし、そうするつもりだった。僕らは子供で、大人に頼った方が賢くて正しいと、そんなことは百も承知だったとも。
「……そうだね。きっと、君が正しいんだろう」
だけど、マルフォイはもう自分で選んだ。誰に強制されるでもなく、自分自身の足でハリエット・ポッターの運命に踏み込んでしまったから。
「だから君は、本来在るべき日常を送ってくれていい。それこそが君の望みだった筈で、だからこそ君は──」
──ずっと、気付かない振りをしていたんだから。
初めてハグリッドに、自分が魔女だと言われた時。両親が魔法使いに殺されたと知った時。皆が英雄だと持て囃した時……その全ての裏に、大人の期待があると分かっていたから。
「そうだよ……僕は、臆病だった。ずっと、ずっと逃げたくて仕方なかった……」
両親のように、殺されるかもしれないという過去から迫る恐怖。
そして、賢者の石やクィレルという、気味が悪いほど立て続けに事件が起きてしまう今に、ハリーはずっと震えていた。
「分かってたんだ……大きな何かが、自分を押してるって! それが、それが怖くて、何もかも投げ出したかったけど、だけど……」
それでも、ハリーにとってホグワーツでの日々は楽しかった。友達ができて、勉強やスポーツに取り組んで、皆と笑いながら過ごす毎日は、彼女が欲して止まなかったセカイだったからこそ、ハリーは自分に迫る闇と大人たちの思惑を避けてきた。
──日向の日々よ、永遠にと。
それが仮初の、一歩踏み外せば魔の手が迫るような薄氷の幸福であったとしても、ハリーは「それ以外見たくない」と、自分さえ欺き続けてきた。
「痛いのも、辛いのも、全部笑顔で吹き飛ばせば乗り切れるって、そう思ったから」
だからこそ、ハリーは日向のような笑顔を振り撒いてきた。誰にでも愛される、明るい少女で在り続けてきたのは、全てが恐怖の裏返しだった。
「だけど……それももう、おしまいなんだね」
見て見ぬ振りはもうできない。それをしてしまえば、自分の代わりに友達が行ってしまうから。自分の代わりに、傷ついてしまうから。それを知っていながら耳を塞いで目を閉じるなんていうのは、本当の友達のすることではないから。
「だから、だから良いよ……ドラコ。僕が行く。行くべきなのは、僕だったんだ」
それが在るべき運命だった。それが大人たちの望んだことだったんだから。だけど、それは違うとマルフォイは頭を振った。
「誰かに振り回されるような運命なんて、運命じゃない。そんなものは、唯の悪意だ」
たとえそれが、世のため人のために必要なことなのだとしても。
それが未来を背負う者の責務なのだと、誰かが訴えたとしても。
「たった一人の女の子に押し付けて、押し潰す──そんなものが、運命だなんて認められるか」
だからこそ、それが許せないからこそマルフォイは今日という日を迎える覚悟をした。
この覚悟は、決してマルフォイ一人では決められなかったことだろう。だけど、それでも。
「僕は君から、勇気を貰った。英雄だとか、特別だとかそんなんじゃない。普通の女の子の君が怖がっていたから、僕は前に進む覚悟を持てた」
か弱いからこそ、臆病だからこそ、グリフィンドール生のような勇敢な誓いを立てることができた。そして、その誓いを。心に決めたことを、今この場で口にする。
「ハリエット──君の運命を、僕が奪おう」
友として、男として、君を守るため、待ち受ける試練の運命を今日拐おう。そして。
「明日、君の元へ必ず戻るよ」
◇
「ねぇ? マルフォイ様? ひょっとしていつも、二人きりの時はそんな睦言のような言葉を耳元で囁いていたの?」
ぎぎぎ……と、錆びた甲冑かブリキ人形のようにマルフォイの首が音源に向けて回った。
背後に立つは、影も形もなかった筈のパンジーで、優雅な笑顔の裏に般若めいた怒気を一切隠していなかった。
「ええ、どうぞ存分に続けてください。頬に手を触れて、唇を重ねるまで行きますか? 行く気でしたよね? そういう雰囲気を作っていましたよね? さぁどうぞ?」
「あ、いや、待ってくれ、僕は友達として──」
「〈普通の女の子の君が怖がっていたから、僕は前に進む覚悟を持てた〉」
「!?」
いつの間にか現れたダフネが、先程のやり取りをジェスチャーまで交えながら低めのボイスで声真似しながらリピートしていた。無駄に迫真の演技だが、自分が何を言っていたのか改めて客観視させられているマルフォイには羞恥プレイもいいところだ。
「やめろ!? 頼むから止めてくれ!」
それ以上続けたらもうダメだろ!? ベッドに入って身悶えするしかなくなるだろ!?
覚悟とか固めるためだったんだ! そういうノリだっただけなんだよと叫びたかったが、無情にも演技は続く。
「〈ハリエット──君の運命を、僕が奪おう〉〈明日、君の元へ必ず戻るよ〉」
「あぁぁぁぁぁあああああっぁぁぁあぁあぁっ、ああああああ……………………!?」
やりきった、やりきりやがりましたよこの女!? 人前じゃ絶対できない恥ずかしい奴を最後まで堂々とやってくれやがった!?
ご丁寧にハリーの顎に手を添える、マルフォイがそこまでしなかったプレイをおまけで添えて!?
「殺せ! いっそ殺せぇ!!」
貴族だとか
スリザリンの淑女が見たら幻滅ものの光景だが、本人はそれどころじゃなかった。
そしてそれ以上に顔を真っ赤にしているのはハリーだ。マルフォイは自業自得だが、ハリーも蒸気が出るほど真っ赤になって蹲っている。
「さて、ミスター・マルフォイへのお仕置きはこれぐらいにして、真面目な話をしましょうか。ごめんなさいねハリー、予定にないことしてしまいましたわ」
実のところ、ハリーの本心はマルフォイに打ち明ける前にダフネとパンジーに告白していた。それでもマルフォイに一人で告げたのは、一人で無茶をしそうなマルフォイに踏みとどまって欲しかったのと、どうしても意志が固いようなら、発言如何によっては止めるか協力するか決めるためだ。
「……本当でしたら、しっかりと作戦を立てて行動するつもりだったかを聞き出して判断したかったのですが」
ちら、とダフネがパンジーに視線を向けた。二人の世界を作っちゃったマルフォイにパンジーがキれ、早めの登場となってしまった訳だ。……まぁ、あれ以上続けられたら本気で行くところまで行ってしまいそうだったし、そこは英断だろう。
パンジーもあのまま続けさせていたら、ハリーも流されそうな雰囲気だと察知したからだ。何が言いたいかというと……。
「ミスター・マルフォイはもう少し、〈友達〉という言葉が適切な距離感を保ってくださいましね?」
そうでないのなら男らしく告白して責任取れ。秘密の愛人なんぞ言語道断だと釘を刺す。
ドラコ・マルフォイ一一歳、若さ故の過ちを深々と謝罪した。
◇
「それで……一体何処に身を潜めていたんだい?」
隠れるような場所なんてなかったはずだと談話室を見渡せば、悪戯が成功したような笑みでダフネは銀の布を開帳し、マルフォイは絶叫した。
「透明マント……死の秘宝を何故!? グリーングラス家はペベレルの末裔じゃない筈だぞ!?」
げぇ!? とマルフォイは信じ難いものを見るように、そしてそのマントに傅きたくなるような衝動に駆られ、ダフネもパンジーも「これが普通の反応なのよ?」とハリーに透明マントが如何に魔法界で重い代物かを改めて確認させた。
が、ハリーは全く堪えていない。
「へぇ……このマントが……確かにスベスベで気持ちいいし、綺麗だから高価なのは分かるんだけど」
「知らないということは……、知らないということはぁ……!?」
「マルフォイ様、それは私たちも通った道です」
加え、ポッター家がペベレルの末裔であることも暴露すれば、マルフォイは泡を吹いて目を回しかけた。家の財政や現在の影響力を度外視した純粋な家格を基準に据えれば、この反応も当然である。
「……明るみになれば、間違いなく次の日には縁談の申し出が津波のように来るな」
「え? ヤダよ。何で好きでもなければ知りもしない人と付き合わなきゃ行けないのさ」
「ああ、うん……ハリーはそのままで居てくれ」
普通の女の子らしいハリーの回答に、マルフォイは何処かホッとした。次の瞬間、パンジーに足を踏まれたが。踵で。
「……づっ、そ、それはともかく、こんな物があるなら、大幅に作戦を見直せるな。最悪、僕とロンだけで挑むつもりだったんだが……」
「えっ? ロンも来てくれるの? てっきりクラッブとゴイルと一緒か、マルフォイ一人だと思ってたんだけど」
マルフォイは涙を禁じ得なかった。知らないということは、気づかないということは斯くも残酷である。どうやらハリーの中でロンが普通の学友から動くことはないらしい。
「悲惨ね」
「哀れな」
これにはパンジーとダフネも目元にハンケチを当てた。ロンにはいつか報われる日が来て欲しいものである。相手がハリーでなくとも。