烏瑠さま、黒帽子さま、ご報告ありがとうございます!
「ほぉ……よくもまぁ、子供が辿り着けたものだ」
流石だ。心より敬意を表するとクィレルは血濡れの姿で深く笑う。返り血ではない。クィレルの左腕と右足は半ばから削れ、それらが魔法で創られた義手義足に置換されていたし、服は失った手足の部分が半ばから絶たれて消失している。
「教えてくれないか? 雑兵に過ぎぬ手駒だったとはいえ、招集した
ダンブルドアがここまで連れてきたのか? 教師が一丸となって解除したのか? 或いは友の命を糧にしてきたのか?」
寄生虫のように全身の穴という穴へと押し入り、内臓を引き摺り出す地獄のような無数の茨。
姿を捉えるや否や飛来し、吸血鬼を屠った重機関銃の如き銀鍵の群れ。
こちらの指示には耳も貸さず、反旗を翻してトロールやゴブリンを鏖殺した駒共。
「そして、正答でありながら私の臓腑どころか手足まで溶かしてくれた、忌々しいあの薬物……嗚呼、思い出すだけで腸が煮えくり返る」
嗚呼、成程とマルフォイは得心した。ここに至るまでに乗り越えた試練は、決して自分やハリーの為のものではなかった。あれは、挑む者によって性質を変えるものだったのだ。
正しき者に道を開け、悪意を抱いて挑む者に牙を剥く、そんな分かり易い仕掛けだったからこそ、幼く未熟な自分たちは乗り越えることができたのだと。
「だが、その甲斐はあった」
授業で見てきた、おどおどとした甲高い吃音はそこにない。深く冷淡で、同時に短剣で心臓を抉るような、鋭く自信に満ちた声音でクィレルが告げる。
「これが見えるか? マルフォイ、ポッター。このみぞの鏡こそ、〈石〉を見つける鍵なのだ」
中央に安置されたみぞの鏡。クィレルの瞳にはどのような願望が映し出されているのかはマルフォイらの知る由もない。だが、マルフォイがかつて見たような、温かなものでないことだけは確信を持てた。
「しかし、私には私の望みしか見えぬ……鏡の私は〈石〉を掴みながら、しかし私の手には何もない。君らはどうだ? 何が見える? 正直に答えたならば……我らにとっての栄光の時代が訪れたとしても、ご主人様の慈悲に縋れるよう取り計らってやらんこともないぞ?」
「そうか、それは素晴らしいが──お断りだね」
だろうなとクィレルはくつくつと哂う。愉快で楽しくて、そして何処までも愚かな餓鬼だとマルフォイを嘲笑った。
「今日は素晴らしい日だ。マルフォイ卿の一粒種と……あのハリエット・ポッターを殺せるのだからなぁ……!!」
翼はためく怪鳥のように、杖持つ右腕が跳ね上がる。殺意に濡れる瞳は爛々と激しく輝き、三日月のような口元が憎悪に裂ける。
「〈
「〈
だが、マルフォイの武装解除呪文は悪しき魔法に先んじた。クィレルの杖は弾き飛び、丸腰となれば後は──
「愚かなり! 〈
「がぁぁぁっ……ぁ!?」
杖は飛ばない。
「素晴らしい! 素晴らしいぞ幼きマルフォイ! 一年生でこれほどのものとは思わなかった! 闇の魔術に対する防衛術の教師として、スリザリンに一〇〇点上げたい気分だよ!」
心からの賞賛はしかし、彼我の実力を何処までも皮肉る余裕と嘲笑に他ならず、クィレルは殊更大きく足跡を立てて歩を進めた。
「嗚呼、だが惜しかった。並の
きっと君はこう思ったのだろう、マルフォイ? ポッターの箒に呪いをかけるのに杖を必要としたのなら、今ので通用する実力に違いないと……或いは禁じられた森で出会った私の
愉快極まる。手札というものは、敢えて晒すものもあるというのに!
「これでも相応の使い手なのだよ、私は。
尤も、そこを前提にしたところで、一介の学生が太刀打ちできる筈もないが。
「さて、許されざる呪文は効くだろう? もう声も上がるまい? だが、ご主人様は更なる──〈
「……ぁ!?」
意識が完全にマルフォイに移動した瞬間を狙って杖を抜いたハリーだが、視線一つ寄越さぬままクィレルはハリーの杖を弾き飛ばした。マルフォイと同種の呪文を敢えて用いたのは皮肉にして諧謔……そして両者の実力差を見せ付けるためだろう。
まるで弾丸に弾かれたように杖が舞い、乾いた音を立てて床を転がる。
そして、にんまりと笑みを浮かべて、続きの言葉を口にした。
「更なる苦痛をお望みだ。〈
「ひっ、ぎ、あぁ!?」
骨が焼ける。全身の神経を剥き出しにして酸を浴びせたような激痛。気絶するか、或いは死んでしまいと思うほどの苦痛でありながら、実際には傷一つ負っておらず、死ぬことさえ許されない。
「さぁ、ポッター。いつまで震えて立ち尽くしている? お友達を助けたいなら、私の元へ来るがいい」
「行、くな……さがれ、ハり」
「〈
「やめてぇ……!!」
歯の根を震わせつつも、涙ながらにハリーは縋る。もうやめてと。お願いですからやめてくださいと、白目を剥くマルフォイを案じて、ただ只管に情けなく慈悲を乞えば「良いだろう」と不気味なぐらいに優しく微笑んでハリーを手招いた。
「来るんだ、ポッター」
節くれだった白い指が肩に置かれる。まるで毒グモか毛虫が肩を這い摺っているような不快感がハリーを襲ったが、そのようなことを気にしている余裕はない。
傷つき、地に伏せたままのマルフォイを少しでも回復させるには、致命的であってもクィレルに従うしかないのだから。
「何が見える?」
大の大人でもすっぽりと全身を覆って尚余る姿見の中央に立たされれば、そこには学生服を着た自分が見える。しかし、それだけではなかった。自分の背後に立つ、逞しくも精悍な男性と、自分と同じ瞳をした、貞淑な女性が映り込み、ハリーはクィレルのことすら忘れて背後を振り返った。
「成程、君は初めてこれを見たのだな……これは見た者の望みを映し出す。さぁ、正直に答えてくれ。何が見えた?」
「知らないけど……僕の……多分、パパとママが僕の肩に手を置いてる」
「他には?」
「……それだけです。微笑んでいます」
「…………」
クィレルはハリーを凝視した。嘘偽りを口にしたところで分かる。視線一つ、心臓の鼓動一つ、そして首筋に指を触れて脈を取る。しかし、不審な点は何一つとして存在しなかった。
「……そこを動くな」
ハリーに杖を突きつけながら、クィレルはゆっくりとマルフォイへと近づき、静かに告げた。
「杖を捨てて、ゆっくりと立ち上がりたまえ」
銀蛇の杖が床に転がる。それが本当にマルフォイ自身の意思だったのか。それとも最早握る力さえ失われているのかは定かではないが、マルフォイはゆっくりと、息も絶え絶えに猫背になりながら鏡の方へ歩を進めた。
「……彼女で、なく、僕に杖を向けてくれ……」
ふん、とクィレルは鼻で笑って目標を変えてやった。どの道、どちらも杖なしだ。ならば餓鬼であっても、女より男を警戒すべきかと算盤を弾いた上で、杖先でマルフォイの後頭部を小突き、みぞの鏡の前に立たせる。
「……離れるんだ、ハリー……なるべく、僕らから離れて……」
「健気だが、真実を口にしろ。どれだけ離れたところで無駄な足掻きなのは賢い君には分かっているだろう?」
「…………」
敗者そのものといっていい無気力な沈黙。震える足取りと虚ろな視線でマルフォイも鏡を覗くが、やはり映し出すものは変わらない。
「父上と、母上がいる……いま、父上が僕の肩に触れた……」
「……それだけか?」
またしてもクィレルは見つめ、そしてハリーと同じ手段で確認したが、白だ……真実薬や開心術を使うまでもなく、嘘偽りはないと知れた。
「成程……お前達もまた、何かしらの〈欲〉を抱く人間ということらしい」
地の獄から響くような、掠れた声音が耳を弄する。クィレルでは決してない。
自信と悪意に満ち満ちていながら、クィレル以上の暗黒の意思を隠しもしないその声の主は、衰えていると分かりながら、しかしマルフォイとポッターでは太刀打ちできないと本能が警鐘を鳴らすには十分な重みがあった。
「クィレルよ……俺様が直に話そう……」
「しかしご主人様……貴方様はまだ……」
「構わん……大望の為だ。何より、此奴らを餌にダンブルドアを呼ばねばならん。お前では奴に勝てぬ。人質を置いてもな」
「承知致しました。跪け、ポッター! 跪け、マルフォイ! さぁ、早く!」
杖が振られると同時に重力がかかる。不可視の岩が背中にのしかかったように膝をつく中、クィレルはターバンを解いて後ろを向く。
「ひっ……」
ハリーの声が悲鳴のように上ずった。クィレルの後頭部には、本来有り得ないものがあった。人の、老人の顔があったのだ。
蝋のように白い肌、蛇を思わせる裂け目の鼻孔、欲に血走った目は赤く、憎悪を燃やしながらハリーらを睥睨していた。
「見えるか、ポッター……見えるか、若きマルフォイ……誰かの体を借りて初めて形になることができる、この無様な有様を。
……しかし、忠実なクィレルが俺様の為に尽くした。
そうまでして、現世にしがみつく理由は何か? 大義か、野望か、憎悪か? ああ、そうだ。その全てこそヴォルデモートの源泉。闇の帝王が帝王たる、唯一無二の精神である。
「だが、まだ足りぬ。かの〈石〉がなくば、俺様は完全とは行かぬ。だが、ポッターよ。俺様は知っている、気付いているぞ? アルバス・ダンブルドアは俺様とは違う。
奴は最早先へは進めぬ。俺様は魔法使いとして更なる高みへ到れるが、奴は老いて弱り続ける──それ故、奴はお前を育てようとしているのだ」
いつか闇の帝王を倒すため。己の代わりとなり、不死鳥の騎士団を率いて貰う為に。
「故に、ここでお前を殺すことが最善なのだろう。だが俺様は慈悲深い……いいや、それが嘘だと気づいているな、ポッター。スリザリンらしい狡猾な女め。
そうだ、お前はダンブルドアの枷となる。かつて散々俺様を手こずらせた、ルシウス・マルフォイの息子もな。お前達が大人となれば、さぞ優秀な魔法使いになっているだろう。
たとえダンブルドアが死んでも、後を託すに足る魔法使いに──故に取引だ。
俺様はお前達を見逃してやる。お前達という希望を堕落した魔法界に残してやろう。〈石〉と、そしてダンブルドアの命と引き換えに」
これは決して嘘ではない。闇の帝王は勝利する。たとえどれだけ希望の未来が挑むとしても、ここでダンブルドアの命を奪い、自分が復活すれば絶頂に立ち続けると確信しているからこそ、このような余裕を抱けるのだ。
「聞こえているのだろう!? 抜け目のない狡猾な老人、偉大なる魔法使い、アルバス・ダンブルドア! さぁ〈石〉を寄越すがいい! それとも時間を稼ぐか!? ホグワーツの全教師と
良いだろう、かかって来い! だが出来るか? ポッターとマルフォイ、この二人を巻き込まず俺様と渡り合えるとでも!?
ああ、存分に悩み考え抜け! その優れた頭脳で奇策を捻ってみせるが良い!
どのような手段を講じようとも、最強の杖を持っていても、もうお前では俺様を止められんぞ!」
「──負け犬が、よく吠える」
「何と──」
言ったと、そう告げようとしたヴォルデモートは、次の瞬間初めて驚愕を歪めた。跪き、地に伏せていたマルフォイの懐から緑の炎が吹き荒れ、ヴォルデモートを呑み込んだのだ。
「……ふ、はは! はははははははははははははははははは…………!! どうした闇の帝王! 随分と余裕がないじゃないか!?」
マルフォイの懐から顔を覗かせたのは、ノルウェー・リッジバック種の幼体だ。猫のように縦に瞳孔の開いたその目には、明らかに外敵としてクィレルとヴォルデモートを認識している。
「ご主人様!? これは……!?」
「竜の毒炎だ! もっと魔力を寄越せ! お前の魂も諸共溶かされるぞ!」
「そうだよなぁ! どんなに強くてもこいつは格別辛い筈だ! 亡者であってもこいつの炎は届くんだからね! だが、それだけじゃあ無いぞ!!」
これほどまでの窮地に陥るまで、何故マルフォイは手札を伏せ続けたか。何故この幼竜を隠し守りながら、守勢に回り続けたか?
今まさに、ミチミチと音を立てて巨大化する、ノルウェー・リッジバック種こそその答えだ。
体縮薬も解毒剤も、ドラゴンは効き辛い。一日に五回、一本でも打ち損ねればご破産で、打ち損ねたらもう終わり。後は重ねた時間に従って、一気に成長してしまう。
「そいつは
魔法界においても、竜殺しは英雄譚として錦を飾る。それは竜の火炎が魂をも溶かし、その爪牙が魔法金属や魔法の防御さえ引き裂くからこそ、多くの英雄が脚光を浴びる為に挑み、数多の者が散っていく。
生体の研究が進み、対策が講じられて危険度の低下した現代魔法界にあっても、ドラゴンが脅威だという現実は全く動かない。
事実、クィレルが己の身を守るためだけに、本来は城塞に施す
たとえ幼体だとしても、今のノルウェー・リッジバック種は全長七メートル。炎のみならず爪牙にさえ致死毒を宿した、正真正銘の邪竜そのものだ。
「皮肉だな帝王! どうせ僕らを事故で殺せたらと用意したんだろう!? その危険種が、結果として自分達の首を絞めた訳だ!」
「吠えたな! 竜の威を借る虫風情が……!」
もう良い、交渉の材料として生かしてやるつもりだったが、そのような気は既に失せた。
「俺様を嘲弄した罪を悔い、そして死ね!」
緑の閃光が杖先へと集束する。それは何びとであれ、如何なる英雄であろうと死に至らしめる許されざる呪文。あらゆる防御を貫通し、ひとたび受ければ魂を現世から切り離す悪夢の呪文にして、最も恐るべき呪文。
「〈
「「〈
だが、死の閃光はマルフォイに届かない。ヴォルデモートの呪文は、クィレルの杖は天高く打ち上げられ、信じ難いものを見るようにクィレルとヴォルデモートは顔を歪めた。
全てがスローモーションになった世界。杖を手放したことで防御は薄れ、緑色の炎が二人を呑み込み焼き焦がせば、銀のベールが剥がされた。
「マルフォイ様!」
「ご無事で!?」
決して、絶対確実に勝てると判断するまで姿を晒すなと。そう厳命され続けたクラッブとゴイルは道中でも、そしてマルフォイが拷問されても耐え忍んでその時を待ってくれた。
姿を晦ます透明マントは、今や数多の贋作が世に蔓延り、その構造を熟知されたために対抗策も多く生み出された。魔法による隠蔽を探知する義眼。或いは専用の魔法を用いる一流の魔法使い相手では見抜かれるが、それらは目視していることが前提だ。
何故なら透明マントは〈死〉そのものすら欺く神器。贋作ならばいざ知らず、生きとし生けるもの全ての気配さえ晦ませる真作ならば、常に死角に潜めば出し抜けて当然だ。
そして、〈
全盛期のヴォルデモートはこれを他の魔法と併用したり、連続使用できるほどの使い手だったが、流石にクィレルの体を借りているほど弱体化していてはまず無理だ。
「二人共、よくやってくれた!」
彼らと透明マントがなければ、決して闇の帝王に届く一手を放てはしなかった。たとえドラゴンであっても、その炎と爪牙が届くことはなかったことだろう。だが──
「──よ、くも」
それでなお耐えてこそ、凌いでこそ闇の帝王。邪竜の炎はクィレルを滅ぼせど、ヴォルデモートの魂までは奪えていない。幼竜は瀕死のヴォルデモートに爪を振るうが、それを掻い潜って飛翔した。
「死ねぇぇぇぇ───────────────…………っ!!」
伸びる魔手。クラッブとゴイルが麻痺や吹き飛ばしの呪文を用いるが、そんなものは全く通用しなかった。滅びかけ、体が崩れたとしても、やはり帝王は帝王なのだ。
「……っ!」
魔手が迫るはマルフォイの首。赤黒く染まった右手が意味するのは毒手であり、掴んだ瞬間血肉は溶けて首と胴は泣き別れる。その事実、その現実を想像し、マルフォイは思わず目を閉じかけ──
「──ドラコっ!」
そこに割り込むように、ハリーは手を広げてマルフォイを庇った。
ヴォルデモートは確信した。ハリーが死ぬことを。
ハリーは覚悟した。死んでも友達を守ると。
だが、ハリーにその時は訪れず、ヴォルデモートは絶叫した。
「あ、あぁ……こんな、馬鹿な……馬鹿なぁぁぁぁぁああああぁあぁ!?」
愛の魔法、リリー・ポッターの加護は今もハリーを守りきっていた。
首筋を掴んだ腕が崩れ、体が罅割れ、全てが無と化すのにさして時間はかからない。
我が身に降りかかる絶望を否定する叫びも、自身が灰となることで消えていった。
◇
「これで、本当に終わり……?」
「……そう、願いたいね」
腰が抜けたのだろう。へなへなと崩れるハリーを支えながら、マルフォイは微笑んだ。
「ありがとう、ハリー……君に救われた。ああ、勿論君にもだよ、ノーベルタ」
キーキーと鳴く雌の幼竜を呼んで労うと、ちろりとザラザラとした舌がマルフォイの頬を撫でた。幸いにして爪や牙と違い、そこには殺すほどの毒はなかったが、それでもマルフォイの全身は痺れた。
「ああ、参ったなぁ……」
勝ったというのに締まらない。緊張が解かれたこともあってか、マルフォイの意識は闇の中に沈んでいった。
罠の難易度ルナティックで、集団リンチ&強化ドラゴンとか、お辞儀様がハード過ぎる件
(なお今後も容赦しない模様)