シン7さま、神祖さま、ご報告ありがとうございます!
ハリーを連れて寝室に向かったパンジーは、そこでこれは予期してなかったという表情をした。先程話題にしていたグリーングラス家の長女、ダフネ・グリーングラスと同室だったからだ。
「初めまして、ミス・ポッター。ダフネ・グリーングラスと申します。以後、お見知りおきを」
……。典雅な一礼でこそあったが、パンジーには分かる。
これは不味い。男同士の間柄なら、杖を手にした状態でお辞儀をする──魔法界での決闘の作法を意味する──前に、「シ、シッ!」とステップを踏みながらジャブのシャドーをしているに等しい動作だと嫌でも伝わる。
ダフネとはマルフォイ家を経由して何度か茶会やパーティで何度も顔を合わせており、ダフネが妹思いの良い子なのはパンジーも知っているし、実姉妹のように仲も良い。
だからこそ、パンジーには分かる。
ダフネからすれば、いきなり妹が座るべき第一夫人のポジションに踏み込んできたハリーは、魔法界の英雄にして大恩人であっても妹から婚約者を奪う泥棒猫であり、相容れぬ敵という形になってしまうのだと。
だからハリーには普通の、
今はまだ杖を抜いていないが、ダフネは腰に手が伸びている。
やめろ、お辞儀の構えを取るな! お辞儀を止めるのだダフネ……!
「初めまして! ハリエット・ポッターです! ハリーって呼んでくれると嬉しいです!」
ヨシ! とパンジーははしたないが心中でガッツポーズを豪快に決めた。
異性同士でのファーストネームは恋愛のそれだが、同性間では姉妹のように仲睦まじい間柄でこそ成立する。図らずともそこを口にしてくれたおかげで、ハリーが貴族の常識については無知の
当然そこから間髪入れず「そういう事情で、悪気はなかったのよ」とパンジーはダフネにアイコンタクトを取れば、先程までの強気な態度は何処へやら、ダフネは恥ずかしそうにもじもじし出した。
「そ、その……早とちりでしたわ。ごめんなさいハリー。そうよね、幾らなんでも、急にそんな
「ぼ、僕の方こそごめんね? その、知ってるかもしれないけど僕、魔法界のこと、全然詳しくないから」
それは分かる。立ち居振る舞いといい態度といい、誰がどう見ても年相応の
ダフネだって、マルフォイの件で頭に血が昇っていなければ立ち居振る舞いでハリーが特別な関係を求めての発言でないことぐらい、すぐに理解できた筈だ。
「それで、その。僕も、ダフネって呼ばせてくれる……?」
「まぁ! まぁまぁまぁ!? 聞きましてパンジー! ハリエット・ポッターと名前を呼び合う関係になれましてよ!」
「私もよ、ダフネ。先程も語った通り、ハリーは深い意味までは理解できていないけれど、それでも〈私たちの意味〉で、そういう関係にもすぐなれるから、あまり変わらないのかしらね?」
「あら、残念。私が初めてだと思っていましたのに」
この軽口は冗談の類だろうとはパンジーにも分かる。何はともあれ、誤解が解けてようで何よりだ。入学初日からストレスを抱えるような学校生活は、パンジーとしても御免被りたい。
◇
淑女たらんとするならば、起床もまた優雅に……などと言えればどれだけ良かったか。
一一歳の小娘だからとて、女の朝が戦場だという事実は揺るがない。一秒でも早く起床し、肌シミができないよう丁寧に顔を洗ってから念には念を入れて髪を梳き、枝毛のチェックも怠らない。
年齢が年齢なので化粧品の類は一切使用していないものの、その分この若さを維持する為の努力を怠る訳には決して行かない。行かないからこそ同室の、特にお嬢様という身分にある少女たちは、ハリーの行動には我慢できなかった。
「そんな風に強引にこすっちゃダメよ!? ああ、髪もそんな乱雑に!?」
パンジーやダフネからすれば、ハリーの洗顔は顔をヤスリがけして、髪の手入れは千歯扱きで脱穀でもしているのかというぐらい無残なものだった。
「年頃の女の子がそんな風に体を傷つけちゃいけないわ! どんな生活をしてきたのよ!?」
「……えっと、その。魔法使いだって知らされるまでは、ずっと押し入れに押し込められてて、髪も伸ばしたら引っ張られちゃうから、自分で切ってて……」
瞬間、同室の女生徒たちは一丸となってハリーの身だしなみを整えさせてから、淑女らしからぬ足取りでスリザリン生全員に召集をかけた。
それこそ上から下まで全スリザリン生をかき集めて、ハリーがどんな生活をしていたかを、辛くともハリーの口から説明させたのである。
そして、ハリーの口から語られたダーズリー家の虐待に皆絶句した。
家では狭く暗い押し入れに押し込められ、穴の空いた一人息子のボロのお下がりを着て、下着や体が見える格好で家事をさせられ、残飯しか口にできず、ゴミ捨て場で割れた手鏡などを拾って涙ぐましくも髪を伸ばしておさげを作れば、「痩せこけた骨が生意気だ」と髪を掴んで振り回され、挙句にハサミで切られたので今まで短くしていたのだという。
僕という一人称やハリーという男性名の愛称すら、下手に女の子の仕草をしてしまうと、酷い悪戯をされるから男の子のように振舞った結果なのだと……そこまで語って、とうとうハリーは泣き出してしまった。
当然、スリザリン生は激怒した。そしてスリザリン史上、過去に類を見ない団結を見せた。新学期の授業初日に全スリザリン生が授業をボイコットして校長室に詰め寄るという大事件が発生し、特にパンジーとダフネ、マルフォイの怒りは怒髪天を衝かんばかりであった。
「全スリザリン生徒の署名です。魔法省に正式に抗議します」
物腰や発語こそ丁寧であったが、そこがマルフォイの限界だった。今はまだスリザリン生の分しかサインできていないが、他寮にも大至急協力して貰う。魔法界を救ってくれた大恩人が、かくも無残な仕打ちを受けていたなどと、一体誰が許せよう?
勿論、この事実に対して激怒したのは生徒ばかりでない。スリザリンの寮監を勤める魔法薬教諭、スネイプ教授などはこの事実に憤死しかねない程の形相でダンブルドアに詰め寄ったし、厳しくも温厚なマクゴナガルも「このような事態は見過ごせません!」と大声を上げた。
そして当然、一体誰がそんな家に預けたのだと声を上げれば、手を挙げたのは詰め寄られたダンブルドアであり、これには皆が愕然とした。
あの、魔法界の英雄にして不死鳥の騎士団団長たるダンブルドアが、このような不始末をしでかしたばかりか、ハリーへの虐待を放置していたというのは衝撃以外の何物でもなく、当然糾弾と同時に説明を求められた。
「確かに……あの家が酷い事は理解しておった。じゃが、それでもハリエット・ポッターを他に預ける訳には行かなかったのじゃ」
どういうことか、という視線にダンブルドアは悲しげに頭を振る。
「もっと後になってから伝える予定じゃったが、これはハリエットをヴォルデモートから護る為の措置じゃ」
そこでダンブルドアは、赤児であった筈のハリーが何故ヴォルデモートを倒せたのかを語る。
ヴォルデモートは予言によって〈自分を殺し得る男の子〉が生まれてしまったことを知った。だからハリーの両親は、赤児であったハリーをヴォルデモートの目から逸らすため、生まれたてのハリーの性別を特別な魔法薬で反転させ、名前もハリーからハリエットに改名した。
しかし、それでも執念深いヴォルデモートはハリーを探し出し、ハリーの両親とハリー自身を手にかけようと自ら動いた。
「ハリエットの母、リリーは自らが命を落とす直前、愛による〈護りの魔法〉をハリエットに授けた。これがヴォルデモートの死の呪いを跳ね返し、撃退することに成功したのじゃ」
だが、それでめでたしめでたしとは行かなかったのが現実だ。
「儂はリリーの愛の魔法に細工を加えた。リリーと同じ血が流れる者の元を家とすれば、この保護が継続するように」
そうしなければ、魔法の効力は途切れてしまう。だからこそダンブルドアはどんなに問題のある家だったとしてもダーズリー家に送るしかなく、引き離すこともできなかった。
ハリーが唯一血の通った親族である、叔母の家を家と認識し続けなければ、加護はたちまち霧散してしまうからだ。
「この加護が続く限り、ヴォルデモートが復活しようと、奴がどれだけ強大であろうと、一七になるまでは決してハリエットには手出しできぬ」
このような真実を告げられれば、生徒も教師もダンブルドアをこれ以上糾弾できなかった。死の呪いという特大の爆弾を起爆させない為、ハリーの命の為だと言われては、それも当然だろう。だが。
「校長閣下、完全に家から離しさえしなければ良いのですね?」
そう問うたマルフォイはパンジーに視線を投げ、パンジーもそこから先を理解した。
「なら、ハリーが家に帰らなくちゃいけなくなっても私達の家に招待するわ。勿論、魔法の効果が続く範囲で、ですけれど」
「それから、虐待の事実があった以上は放っておけません。幸い当家は
勿論許可など求めていない。たとえ反対されたとしても、スリザリンは一丸となってハリーを保護すると心に決めていた。
「皆……、ありがとう、僕なんかの為に」
ハリエット・ポッターは英雄ではなかった。真の英雄は身を呈して守ったハリーの両親であり、彼らこそ英雄として讃えられるべきで、ハリー自身は親の七光りに過ぎなかった。それでも。
「そんな風に自分を卑下しなくていい。君自身が偉大でなかったのだとしても、もう君はスリザリンの寮生で、ホグワーツの生徒で、そして僕にとっての友達だ」
友達を助けるのに、理由なんて要らない。それに、真の英雄である両親に恩を返すという意味でもスリザリン生には、ハリーを見捨てるだなんて論外だった。
嬉しくて、気恥ずかしくて、そして、安堵からハリーは泣いた。自分はもう、あの一家に脅かされなくて良いのだと知ったから。英雄だと。特別だという重荷から解放されたから。
何よりも──助けてくれた友達に、心から感謝できたから。
◇
ようやくハリーが泣き止んでから、スリザリンは授業をボイコットしたことで一〇〇点も減点された。しかし、友のために一丸となって行動したことを讃えられ、一五〇点もの特典をダンブルドアから与えられた。
寮杯制度ができて以来、これほどまでの減点加点は前代未聞だったが、皆点数のことなど関係なかった。たとえ減点されたままであったとしても、スリザリンはそれを誇りとして胸を張ったことだろう。
「午後はスネイプ先生の魔法薬の授業だから、遅れないようにしなきゃね」
各々の学年が授業に戻る中、ハリーもまたパンジーに手を引かれて教室を行く。既にハリーのことやスリザリン生の行動は知れ渡っていたが、パンジーも他のスリザリン生もどこ吹く風とばかりに着席した。
「やっぱり皆、僕に幻滅したかな……?」
「そんな人、私とマルフォイ様が黙っていないわ。貴女のお手柄じゃなかったのだとしても、〈例のあの人〉が居なくなったって事実は変わらないもの」
死んだと口にしないのは、多くの魔法界の人間がそうであるように、未だに〈例のあの人〉は何処かで息を潜めているのではないか? という疑念からだ。世間ではヴォルデモートの死が公表され、多くの
偉大なる魔法使い、アルバス・ダンブルドアでさえハリーの加護を継続させたのだという事実からしても、その恐ろしさとしぶとさが筋金入りだと分かろうものだ。
「諸君、授業を始める」
ねっとりとした黒髪と鈎鼻に土気色の肌と、何処か陰鬱な空気を纏うスネイプだが、彼がハリーの為に怒りを顕にしてくれたこと。
出席を取るために名前を呼ばれた際、ハリーの瞳を一瞬だが愛おしげに見つめたのをハリーは見逃さなかったので、厳格だけど優しい先生なのだろうと思った。ただ……。
「さっきのスネイプ先生、ちょっと視線がいやらしかった様な……」
「失礼だよ、パンジー」
そんな訳ないじゃないかと純朴なハリーは、小さく漏らしたパンジーに苦言を呈する。尤も、口にしなかっただけでマルフォイも似たような感想を抱いてしまったのは胸に仕舞った。
「では、ポッター。アスフォデルの球根の粉末に、ニガヨモギを煎じたものを加えると何になるかね?」
「えっと……確か、睡眠薬になります」
まさか授業開始早々、抜き打ちで予習確認をされるとは思わなかっただけに慌てふためいたが、前もってパンジー達から予習はしっかりしておいた方がいいと言われて寝る前にその日の授業の予習をしていたので、何とか捻り出すことができた。
「左様。非常に強力であるからして、〈生ける屍の水薬〉と称される。ではウィーズリー、ベゾアール石を見つけて来いと言われたら何処を探すかね?」
次の標的はロンだが、こちらは「分かりません……」と小さく項垂れた。「予習ぐらいしておいたら?」と隣のグリフィンドールの女生徒に一層身を縮こませていたので、ハリーには気の毒に思えた。
「ハリエット・ポッターは名に驕らず、勉学に励んでいるようだ。スリザリンに一点与えよう。ロナルド・ウィーズリー、親や父祖が高名だからとて、それに胡座をかくようでは感心できんな。グリフィンドールは一点減点とする」
ちょっと厳し過ぎないかな? とハリーは感じたが、もしも答えられなければ彼女とロンの立場は逆転していただろう。
質問したのはスリザリンとグリフィンドールの生徒一人ずつで、ハリーとは別の意味で、ロンも歴史の古い家という意味では有名だから、そういう意味でも指名は公平だったと言える。文句など付けようもない。
その後の授業でも、スネイプはグリフィンドールとスリザリンの生徒に合同で基礎的な薬学の実技として擂り鉢や釜の取扱いを丁寧に指導したし、薬草の匂いを遠くから嗅がせて、視覚以外の情報も重要視するよう説明した。
杖を振ったり呪文を唱えたりはしなかったが、ハリーには理科の実験のようで楽しかったし、スネイプの説明も上手かったので皆からも好評だった。
ただ、この話を上級生に対して夕食時にしたところ、彼らは大層驚いていたが。
「あのスネイプ先生の授業が!? どの学年でも凄く厳しいと評判だよ!?」
「〈闇の魔術に対する防衛術〉の先生になりたかったのに、魔法薬学の先生にされて不本意だったというのは公然の秘密なんだけどな……抜き打ちで予習確認はされなかったのかい?」
「されましたけど、僕とロン……ああ、グリフィンドール生の一人ずつで、質問は一度きりでした」
「そりゃ珍しい。普通は複数回聞くし、念入りにいびられて引き締めさせられるのが初日の定番なんだ。スリザリン生には親身に進路相談を聞いてくれたり、頼りにされる先生なんだけどね」
要するに怖くて厳しい先生で通っているそうで、ハリーはきっと自分が泣いたから、優しくしてくれたんだなと思った。ただ、パンジーらはそうではなかったが。
「ダフネ、マルフォイ様、ハリーを一緒に守っていきましょう」
「そうね……失礼ですけれど、万が一ということもありますもの」
「スネイプ先生に浮ついた話もないそうだからな……考えたくはないが」
「真面目なだけの良い先生だと思うんだけどなぁ……」
かぼちゃスープを含みながら、考えすぎだよとハリーは溢した。
もしロンとハリーの立場が逆転してたら?
注意だけで加点も減点もしなかったよ(露骨なエコ贔屓)