スネイプ先生の劇的ビフォーアフター&初お披露目に、これ以上ないほど満足気な表情であったハリーは、そのまま皆と次の授業である〈呪文学〉の教室に足を運んだ。
この日の授業は初の飛行訓練でマルフォイが見事ネビルを救出してみせた浮遊呪文を、実際にやってみることになっているというので、ハリーもあんな風に格好良く呪文を成功させたいと意気込んでいた。
「では皆さん、杖を手に正しく軌道を描くこと。そして、発音をしっかり意識して下さい。ちょっとでも間違えたら成功しません。たとえそれが、吹けば飛ぶような机の上の羽一つでもです」
皆初めのうちは大袈裟だとか、マルフォイは人一人と箒を無言で浮かせて操ってたんだから、自分だって出来ると信じ込んでいた。
しかし、グリフィンドールもスリザリンの生徒も、やってみてこれが如何に難しいかが身に沁みて分かった。呪文研究会で既に幾つかの呪文を習得し、他の生徒に先んじて何個かの呪文をマスターした生徒でもゆらゆらと揺れる羽をコントロールすることに苦心していた。
「どうです皆さん? 一見簡単なようでも、魔法というものは実に奥が深いのです。発音と杖の振りは双方とも正確に。そしてどちらかのタイミングがずれていても駄目なのです。成功しない生徒は、まず杖を動かしてから発音することを意識して。
杖を振り切る前に声に出している方が何名かいますよ?」
このようにアドバイスを受けて、ようやく全体の半数以上が成功した。ハリーはスネイプの服にこびりついた各種薬品の臭い消しやら清掃やらで杖を振る機会が多くなっていたので成功するのは早かったが、それでも五分はかかってしまった。
ただ浮かせるだけなら良いが、浮かせた後で気を抜くと羽が落ちるので、それを維持する方が難しかったのだ。
ロンなどは未だに何度も失敗しており、見るに見かねたハーマイオニーが横から口を挟んだ。
「言い方が間違ってるわ。〈
じゃあやってみろと癇癪混じりにロンが言えば、ハーマイオニーは「こうよ」と見事に羽を浮かせ、次は羽ペンとインク壺を、その次は提げてきた鞄を、なんと最後には自分まで軽く浮かせてみせた。
「羽ぐらいだったら、浮かすだけじゃなくてこんなこともできるわ。この呪文、凄く使い勝手がいいんだから」
そう告げて杖を操作すれば、まるでラジコンのように羽が教室を舞い、ひらりとロンの頭の上に乗っかるとグリフィンドールだけでなくスリザリンからも感嘆の声が漏れ聞こえたし、フリットウィック教授は目を丸くして手を叩いた。
「素晴らしい! 実に素晴らしい! 一年生で家庭教師もつけずにここまで出来た生徒を私は殆ど知りません! グリフィンドールに七点! 皆さん、ミス・グレンジャーの発音をお手本にしてください!」
◇
呪文学の授業を終えると、ダフネはあらん限りの賛辞でハーマイオニーを褒めちぎった。モノを浮かすだけでなく、維持と操作まで行うにはかなりのコツと時間を要する。ダフネだって呪文を学んでから二週間はかかった。
魔法学校を卒業し、主婦になった多くはこの呪文で食卓に食器を並べたりと、実に生活観溢れる使用法を駆使するものの、そこは車の操縦がそうであるように、それだけこの呪文を常日頃使い続け、生活の一部にまで昇華させたから成せる業というだけだ。
それを短い予習期間だけであそこまでされたのだから喝采するなという方が無理な話で、他のスリザリン生もハーマイオニーを持て囃したものだから、ハーマイオニーは今までで一番上機嫌になって、そのままハロウィンを楽しむ気満々だった。だが……。
「あの鼻持ちならない顔、見た? あんなだから自分から友達ができないんだ」
そう他の男子に言ったロンには、大した考えはなかったのかもしれない。
しかし、人が人を傷つけるのは常にその鈍感さなのだということをロンは知らなかった。
「……っ」
歯を噛み、目尻に雫を浮かべながらハーマイオニーは足早に去った。
ロンは微かにその姿を捉えていたものの、結局無視した。後ろめたい気持ちはあったが、それでもどうしても謝る気になれなかったのだ。
◇
“なによ、何よ好き勝手に……!!”
自分から友達が作れない? あんなだから? 何を偉そうに! 他の人より努力もしてない癖にと、そんな風に苛立ちながらも、何よりハーマイオニーは言い返すことができなかったという事実に女子トイレに篭って涙した。
……そうだ。本当は、分かっているのだ。自分は誰かに頼られたかった。だから一生懸命に勉強して、誰かに褒めて貰って、誰かの力になって、それで受け入れて欲しかった。
けれど、結局ハーマイオニーにはその機会がなかった。勉強を教えたり、小さなことで相談に乗ることだってできる。
けれど、それはその時だけの関係で、その後に続くものがない。
ダフネのようにお淑やかだったり、ハリーのように天真爛漫振る舞いながら、皆に愛されるような生き方を出来た試しがなかった。
ダフネの時は、彼女の方から友達になりたいと言ってくれたからこそ結べた絆で、他に特別親しい相手なんて、自分の寮にだって一人もいない。
“ううん、違う、違うわ……私にだって、友達はいる。自分から作った、友達がいるじゃない”
鞄から日記帳を、懐から万年筆を取り出す。通常の羽ペンではインク壺の置き場のない場所では不自由するので、ハーマイオニーは無理言って
《トム、ありがとう。今日の授業、貴方のおかげで先生から褒められたわ。皆や、ダフネからも淒いって言われたの》
《……筆が震えているよ。嫌なことがあったのなら、我慢しなくて良いんだ。友達だろう? 僕達は》
文章は喜ばしくて、自慢げなものの筈だ。しかし、滲み出たインクはハーマイオニーの内側をすんなりと見通していた。
《……私、グリフィンドールに入ったのに、勇気を出せないの。友達が欲しいのに、ちゃんと口にできないの》
ぽたぽたと日記帳に雫が落ちたが、それを拭き取るように染みはすぐに消えていった。
《いじめられたんだね、ハーマイオニー。だけど、大丈夫。ゆっくり呼吸をして気持ちを落ち着かせるんだ。そして、少し目を閉じてご覧? ほんの少しの時間でも、君は楽になる筈だよ》
言われるがまま、深呼吸をして目を閉じた。時間にすれば本当に一瞬だったが、何故かハーマイオニーは一度寝てすっきりしたような感覚を覚えた。
《これも、トムの魔法なの?》
《まさか。僕は文字が浮かぶだけの日記帳だよ。肖像画みたいに強い魔力を込めていたりすれば別だけどね。ほら、これを書いた頃の僕は学生だろ? 大したことは無理だよ》
だが、そこでふと考えた。もしも沢山の魔力があったら、トムはもっと自由になれる。色んなことができるようになって、自分を助けてくれるのではないかと、そんな期待が心の何処かに芽生えていた。
《トム、貴方はきっと、素敵な男性なんでしょうね。私なんかじゃ、全然相手にされないぐらいに》
《そんなことを書かないでくれ。僕は、君が思うような人間じゃない。むしろ、君そっくりさ。勉強やスポーツが出来たって、それで本当の友達ができる訳じゃない。
常に疎外感があって、そんな日々に心の何処かで苛立っていた。自分自身の生まれを憎まなかった日はなかったよ》
ハーマイオニーは、はっと顔を上げた。自分のことばかりで失念していたが、トムは差別の時代を生きていた。そんな彼を恵まれていると感じるなんて、本当にどうかしていたとしか思えない。
《ごめんなさい、トム! 私、そんなつもりじゃなかったの! ただ、貴方みたいな人が傍にいればって思っちゃったの》
《嬉しいな。僕もできることなら君を見てみたいな。声に出してお喋りして、勉強会なんか一緒に開いて、疲れたらお茶をしながらお互い読んだ本のことを話し合うんだ》
《素敵ね。それはきっと──ううん! 絶対に楽しい時間だわ!》
もう涙は感じない。ハーマイオニーは頬を染めながら、夢中になって日記帳に思いを綴っていた。
◇
昼が来て、皆が大広間の席に着けば盛大な宴が催された。普段の食卓もそれはもう素晴らしいものだったが、ハロウィン尽くしというのも生徒らを狂喜させるのは十分だ。
また、食事の最中にも魔法を用いた劇や音楽が流れ、生徒は時間を忘れて見入っている。こんな日にこそホグワーツの廊下や食堂でよくお話しするゴーストたちが来るべきだとは新入生の誰もが思ったが、この日は彼らにとっても大事な日で、遠方からのゴーストもわざわざホグワーツ城にお越しになるので、彼らは別の宴に参加しているそうだ。
蛇足だが、その宴には人間は参加しない方が良いと、興味本位で一度は参加してしまった各寮の先輩はげんなりした表情で忠告した。
ゴーストは食事が取れない為に腐った料理を置いて臭いを楽しんでいるし、自分達の首を投げたりするので愉快な光景ではないという。
こういう華やかな場所でなら首を投げる程度はジョークや場を盛り上げる雰囲気作りになっても、ゴースト塗れの薄暗い場所では唯のホラーだ。
普通の感性なら丁重にお断りして、辞退しておけというアドバイスには新入生の誰もが従ったため、幸いにして今年は哀れな被害者は出なかった。
であるから、この大広間でハロウィンを楽しんでいない生徒というのは、病を患って保健室で横になっているか、或いはハロウィンそのものに興味がないかの二択なのだが、ハロウィンが始まってからというもの、ダフネが目を凝らして探している人物──ハーマイオニーの姿がグリフィンドールの席の何処にも見えない。
最初こそ勉強か何かで遅れているんだろうとばかり考えていたのだが、それにしたって一時間も来ないのは異常だろう。彼女は呪文学の授業終了まで健康そのものだったし、ハロウィンだって楽しみにしていた。
だってこの日は、ハリーに友達になりたいと切り出すための日だったのだから。
だから……嗚呼、だから、だから有り得るとすれば、それは決して良くないことがあったという証明で……。
「もし。ミス・グレンジャーがみえないのですけれど、ご存知ありませんか?」
「? いや、見てないけど……ああ、ウィーズリーなら知ってるんじゃないか? あいつら犬猿だけど、だからこそ逆に言えば意識して切り離さなきゃならないってことだしね」
成程確かにその通りだ。聡明な男子にお礼を言って、何処か心からハロウィンを楽しみきれずに浮いているロンを発見することは容易かった。
「ごめんなさい、ちょっとお時間をいただいても宜しいかしら? ミスター・ウィーズリー」
「……えっと、はい」
普段のロンならば、接点こそなくともダフネほどの知性溢れる美人が寮を超えてまで話したいと言われれば、深く考えず小躍りするところだったろうが、ダフネがハーマイオニーと授業の前後に談笑していることは知っている。
だから、大広間から連れ出されてハーマイオニーのことを切り出された時はたどたどしくも正直に告げた。
「僕、いつも彼女が恨めしかったんだ。僕は魔法族で、兄さん達は勉強だったり、クィディッチで良い成績を残してる。だけど、僕はチェスみたいな遊びでしか他の人より先に行けなかった」
何かに秀でていたかった。クィディッチに夢中で、箒に跨って颯爽と翔ける選手になりたいという思いはあったし、呪文で皆を驚かせてやりたいと入学前に息巻いていたことだってあった。
「だけど、僕は何にもなれなかった……だから、酷いことを言っちゃったんだ……あんなだから自分から友達ができないんだって」
瞬間、ぱぁん! と乾いた音が廊下に響いた。白魚のような手が強くロンの頬を打ち、紅葉のような赤々とした手形が顔に残った。
「彼女の友達として、私は貴方を軽蔑します。誇り高い貴方のお父上も、さぞ今の貴方を見てお嘆きになるでしょうね」
「分かってる、僕は……」
「いいえ、分かっていません。貴方はミス・グレンジャーを、弱いと否定したのです。友達を作る勇気のない、弱虫だと罵りました」
だというのにロンは、間違いを認めながらそれを謝る勇気を持てないでいる。目を背け、時間が解決してくれることを待とうとした。
「もしも貴方がグリフィンドール生として、騎士道と勇気を持った男だと名誉を挽回したいなら、今すぐ彼女を捜し、誠実に謝罪しなければなりません。見つからなかったなどという言い訳はさせませんよ?」
この広いホグワーツ城から、なんとしてでも見つけ出せ。足が棒になって体が倒れても、這ってでも体を前に進めて見せろ。
「そうすれば、私は貴方を紳士と認めます。ミス・グレンジャーが許さないとしても、いつか仲直りできるよう取り計らいましょう。ですが、それは全て貴方の誠意次第だということをお忘れなく」
なおハーマイオニー、ロンのこととか既に忘れている模様