マイノリティ脈絡   作:サイクス・ピコ

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言葉を話す魔物③

 土で踏み固めただけの広く開けた道の中央に停止する馬車。その横を駆け抜けて、レーゲンはエヴァリスタの走る方へ向かう。魔力探知が不得意な彼は彼女の後ろを付いて行くしかない。瞬間、彼女は姿勢を一気に崩し、その動作の合間に魔法で生成した槍を森へ向かって投擲した。恐ろしく熟れた動作だと、レーゲンは思った。

 

 レーゲンが追い付くと、彼女は突っ立って森の方をじっと見ている。獰猛に歪む怒気を孕んだ目。猛獣のようだ。レーゲンは自分が食べられはしないかと冗談にも思う。

 

「エヴァリスタ様、この先に何が?」

 

「ああ。この道に向かって真っ直ぐな、ほら」と耳をそばたてるよう合図する。

 

 確かに、微かだが聞こえる、ガサガサと草叢を掻き分ける音。ボソボソと呟くような音。それが声だと気付いたのは、遠目から人影が窺えてからのことだった。徐々に姿が見えて来る。ネーエと同じくらいの少女だった。左肩を抱いている。どうやら、さっきのエヴァリスタの投擲は命中したらしい。「ちっ、流石に遠すぎたか」隣ではエヴァリスタがやけに軽々しい調子で悔しそうに舌打ちした。

 

「エヴァリスタ様! 手当をした方がいい」レーゲンは傷口を見るなり狼狽してエヴァリスタの肩に掴み掛かった。

 

「おい。あいつは人間じゃないぞ? 角が見えないのか?」

 

「いや、でも何やら話してます! いずれにせよ貴方のお仲間でしょう?」

 

「仲間? そんなのは一匹たりともいやしないが」

 

「屁理屈言ってる場合ですか。貴方の攻撃で死ぬかもしれない」

 

 少女の声がハッキリと聞こえて来る。痛い、痛いよ、お母さん。か細く弱りきった声。先程の攻撃で魔力の大半が失われていることに、エヴァリスタだけが気付いていた。

 

「あのな。私みたいな魔物はそう多くない。確かに分類学上、私とコイツは同じだろうしな。しかし、私みたいな魔物になるには最低限の知能が必要だ」

 

「知能、ですか?」エヴァリスタの奇妙な口ぶりにレーゲンはすっかり当惑してしまった。

 

「そう。人間の言葉を真似るが鳴き声としての使用しか儘ならない程度の知能。あいつさっきから『お母さん』などと言っているが、私たちに家族などというものは本来存在しない。あれは、近くの人間の群れを襲って覚えた言葉だろうな」

 

 レーゲンは彼女の話の内容よりもその様子に気を取られていた。やけに上擦った愉快な声。何度か笑みが浮かんで楽しげだ。まるで、自分が誰かを害したことなどすっかり忘れてしまったかのように。

 

「痴愚はいつまで経っても痴愚のまま。力によってしか物の価値を認識できない下賎な魂だ。助けてやってもいいが、お前の努力も虚しくこいつは人間を殺し続けるぞ?」

 

 もう目の前にやって来た少女は苦しそうに蹲った。虚ろな顔だ。レーゲンは何となく、彼女の孤独を感じ取って同情に顔を歪めた。

 

「おい貴様。ここに来る道すがら人間の村には寄ったか?」

 

 エヴァリスタはグイっと彼女の髪を引っ張ると、揶揄うような調子で尋ねる。

 

「人間の村。あなたも探してるの?」

 

「ああ、沢山の人間を殺せたか?」

 

「うん。だからあっちには貴方の分はもうないかも」

 

 それを聞いた瞬間、掴んでいた髪を乱暴に離す。それからは一瞥もくれず、レーゲンの方に向き直ってからまた話始めた。

 

「ま、そう言うことだ。さっさと処分しよう」

 

「まだ子どもじゃないですか。そんな、殺すだなんてあまりにも……」

 

「おい、はあ。これだから馬車で待ってろと言ったんだ。いいか? こんなのは生きている価値のない、邪悪なだけの存在だ」

 

「私には今の貴方の方が邪悪に見えますが」

 

「私が邪悪であるかどうかはどうでもいいことだ。今はこいつの話をしてる。それに、お前は魔物狩りだろ? なら、同じ話だ。ただ人間と似たような姿形をしている魔物。わかったら、離れてくれないか」

 

「同じじゃありません。鳴き声でも言葉を話すんです。話し合いで解決でするならそれに越したことはありません」

 

「お前、自分が滅茶苦茶言ってるのわかってるか?」如何にもバカバカしいといった態度でエヴァリスタはそう言うと、レーゲンの方へ近付く。

 

「想像してみろ。コイツに殺された人間は何を思って死んだ? よく考えろ、コイツが迷子の子どもみたいな台詞を馬鹿みたいに繰り返すのはどういうことなのか」喜悦に満ちた声がレーゲンの耳元で囁くと、次のように語った。

 

 "僕のお母さんは何処? お父さんは? 痛い痛いよ。僕の家、お父さんとお母さんの家、今はもう焼けて無くなってしまった。火傷の痕はいつまでだって残るだろうな。爛れてしまった僕の皮膚。二度と還ることのない、腐ってしまった僕の脚。ああ、レーゲン君。僕のお友達、今は片腕を食べられてしまって僕の横で眠っている。腕だけであったらどんなに良かったことか! 彼はもう還ってこないだろう。レーゲン君のお父さんとお母さんも皆んなコイツにやられてしまった。寂しい。生きていても一人だ。きっと、お父さんとお母さんももう……目の前のコイツ。同じ少女の姿をしたコイツ。最初はお友達になれるかもと思ったコイツ。レーゲンの好きだったコイツ。コイツは今、僕を喰わんとして無感動に僕を見下ろす。死が近い。コイツはまず僕の腕から口にした。痛い、痛いよ、お母さん"

 

「貴方、ほんと下衆ですね」

 

「お前が想像しようともしないからだ。コイツを野放しにすればこんなことが生産されるのは想像に難くない。お前がこいつの後始末を拒むなら、責任を果たすべきだ。さて、その責任の果てに犠牲になるのは、お前かお前の家族か……」

 

「わかりました。私は先に戻ってますから。御遺体は残るんですか?」

 

「まさか。飽くまで魔物さ。死骸なんて残りゃしないよ」

 

「そうですか。では」レーゲンは踵を返して馬車へと戻っていった。彼女に背を向けた彼の顔はやるせない罪の念に溢れている。何も言い返せなかった自分に、責任を提示されて受け入れられなかった自分に、ひどく恥じ入るばかりだ。

 

 彼女はレーゲンが離れて行くのを見てから話始めた。もちろん、彼には聞こえない程度の声量で。

 

「私には全く理解できん。うわ言のように決まりきった文句をぶつくさ言うお前のような愚か者が。私は生まれて物心が付いた頃から、読み書き問わず言葉が情報伝達に如何に優れているか気付いた。狩りにおいてこれを利用するのがどれほど重要なのか、それを認識しないことがどれだけ危険なのかも」

 

 エヴァリスタは傷付いた少女の肩の辺りを足蹴にして倒すと、グリグリとその辺りを踏み躙った。少女は余りの痛みに呻き声を上げる。

 

「やめて、痛いよ、お母さん」

 

「馬鹿の一つ覚えだ。お前は私が魔物だと認識していながら、何故その言葉が有効でない事に気付かない? 何故、もっと頭を使えない?」

 

「許して。やめて」

 

「馬鹿が。これから私はお前を確実に殺す。殺されたくなかったら、私を出し抜く術をテメェの無い頭で考えてみやがれ」エヴァリスタは怒気の籠った表情で声を荒げる。声量に従って、踏み付ける力も強くなった。少女の顔はいっそう苦悶に歪む。

 

「『出し抜く術を考える』から殺さないで」

 

「はっ、全く以って馬鹿げている! 何なんだお前たちは」エヴァリスタは足を離すと今度は横腹を思い切り蹴飛ばした。不意の衝撃に、少女の呼吸はヒュッと一瞬止まる。

 

「お前は悔しく無いのか、こんなに足蹴にされて、恨めしく無いのか私が。力に依って主従の総てが決するような生に意味など見出せるのか?!」

 

 思わず叫んでしまった。恐らくそれを聞きつけたネーエ達が間も無くやって来るだろう。時間切れだ。そう思ったエヴァリスタはいつものように槍を生成し、彼女へと近付く。苦しげに咳き込みながら、少女は彼女の方に顔を向ける。

 

「痛いよ。許して。出し抜く術を考えるから、殺さないで」

 

 エヴァリスタは何の躊躇いもなく、心臓に槍を突き刺した。少女の身体がボロボロと崩れていく。

 

「強い奴は弱い奴に何したって良い。その結末がこれだ。たかが魔力量、たかが戦闘能力。お前はそれで私に敵わなかったから死ぬ事になったんだ。それも屈辱的にな」

 

「……屈辱的ってなあに」それだけ言って、彼女はすっかり霧散してしまった。

 

(もう五十年以上経つと言うのに、こんなのばっかりだ。何故こんなにも頭が悪い。話が通じるかと思えば、強いのばかりで私を軽んじる者しかいない)

 

 エヴァリスタは呆然と立ち尽くして、目の前の木を眺める。

 

(人間どもから数々のヒントを得てきた。計画を修正した後も様々な人間と会い、話し、政治についての覚えはより深まった。しかし、どうだこのゴミ共ときたら。そのテーブルに乗る以前の問題だ。人間は善悪という概念を用いて、目指すべき方向を選分け価値認識の基盤として機能させる。私からすれば、悪とはこいつらのことだ。力による統治しか考えられない暴君共)

 

(口の聞けない男をずっと共同体の成員として接している集落があった。私が滅ぼしてしまったが、何をしているんだ。恐らく重要な手掛かりとして利用できたと言うのに、私と来たら充分な知見を得ずに狩りを開始してしまった。あれは惜しい事をした。しかし、人間は沢山いる。次だ。次に生かそう)

 

「エヴァリスタ、ねぇ聞いてるの?」

 

 気が付くとネーエが隣で袖を引っ張っている。心配そうに上目遣いで彼女の顔を探るように見つめる。エヴァリスタは一瞬ハッとしたような表情をすると、すぐに微笑を貼り付けネーエの背に合わせて屈んで、そっとネーエの頭を撫でた。

 

「心配かけたな。なに、もう悪い奴はいないよ」

 

「うん、ありがとう」

 

 ふと、レーゲンまでも近くまで来ていた事に気が付く。複雑な表情で遠目にこちらを見ていた。エヴァリスタが彼女の手を取って「戻るか」と言うとネーエは「うん」と言って頷いた。歩き出すと、レーゲンは鋭い視線でこちらを追っている。

 

「貴方の過去にどういうことがあったかは知りません。ですが、あんなやり方をしていればいつか必ず罰が当たります」すれ違い様に呟くような細い声が聞こえた。

 

「何だ、見てたのか?」エヴァリスタはチラリとレーゲンを見ると事もなげに言う。

 

「始終。あんなのは八つ当たりです。彼女はあんな仕打ちを受けるべきではなかった」

 

「言ってろ。黙って見てたお前も同じ事だ」少し先で立ち止まって、首だけを彼の方に向けてそう言うとニヤリと笑った。

 

「そうです。だからせめて見なければならなかった」

 

「そうかい」とだけ返すとレーゲンを置いて二人は再び歩き出した。

 

(そうだ。今の計画に必要なのはアイツらじゃない。コイツらだ。アイツらについてはもう諦めた筈だ。知性による支配。理性的な者が統治する理想の政治。次はない。常に一回きりだ。その一回性の中で私たちは試行する。私の行為の全てが意味を持つと考えねばならない。冷静に、冷静に、冷静に。熱くなりすぎだ。一挙手一投足全てが意味を持ち、諸々の文脈の層を織り成す。こんなことはもう二度と赦されないと思えよ。私)

 

 全く奇妙な事だが、彼女の覚悟に満ちた想いは、柔和で優しげな笑顔として現象した。

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