マイノリティ脈絡   作:サイクス・ピコ

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皇帝酒②

 ミリアルデは故郷を南下する道中、通りかかった町でなんとなしに悪戯を施した。大岩を魔法で整形し、嘘を刻んだ。曰く"ボースハフトは最上の名酒である"。

 

 蒸留技術の未発達な時代に造られたこの酒は、その製法の珍しさ故に、終身独裁官の就任を記念して製造されたが、やはり未発達が故に、味の評判は最悪だった。大量に造られ誰もが口にする事のできた為に、その評判の悪さは忽ちに広まり、ガイウス政権の最初の失敗であると言われた。皇帝酒(カイザー)とも呼ばれるこの酒は、政権批判の象徴ですらあった。

 

 ミリアルデは、世紀の悪戯を終え、暗くなった町に戻ってくる。彼女は何の為にそんなことをしたのか、自分でもよくわかっていない。夜が彼女の感情を暗く包んだ。

 

(無駄な事をした。無駄な事ばかり。故郷を失って、遠くにある同族の所まで一人で流離う。一体、何が目的でこんなことをしたのだろう)

 

 大量に調達したボースハフトに大層な封印まで施した後、碑文までこさえた。誰かが騙されるかもしれない。悪意がないと言えば嘘になる。

 

 最近、いつもそうだ。意味ばかりを考える。果たして、私に生きる意味はあったのだろうか.自分が小さくなるような感覚に襲われて立ち止まる。親子だろうか、娘と手を繋ぐ父親がすれ違いざまに、ミリアルデの方を一瞥した。

 

(一人の方が楽。結局、捨てるきっかけさえあればこっちから捨てた故郷が、向こうから滅んでくれただけ。故郷に居たって、私はほとんど孤独だった。何も変わらない)

 

 そうだろうか。闖入する最初の他者。私は一人孤独であるが故に自己に付き纏われている。寧ろ孤独がこれほど差し迫ったものに感じられるのは、自己がこのような形で呈示されているからではないのか。精神が増長し、身体をはみ出している。

 

 ミリアルデは唐突に喉の渇きを感じ、水筒を口にする。駄目だ。身体中をアルコールへの期待が駆け巡る。私が欲していたのは熱だ。ボースハフトを置いてきてしまったのは失敗だったか。ミリアルデは酒場のある方を思い起こして再び歩き出した。

 

(あの()()は命令だからと言った。命令であれば何でもするのか。言葉をもとうとも魔物は所詮魔物。いや、むしろ魔物の方が人間より賢いと思う事はあった。動物への尊敬と同じ目線ではあったけれど。魔物も人間も愚かだ。言葉を話す限りで)

 

 ふと、顔を上げる。気付けば足元ばかりを見ているのだ。目の前には、宿だろうか、二階建ての木造の建物が煌々と輝いている。どうやら間違えたらしい。酒場はどこだったけ。

 

(言葉なんていらない。私を苛むのはいつだって言葉だった。彼らが滅んだのも言葉の存在故だ)

 

 宿の中から話し声が聞こえて来る。入口に近付いているのか、徐々に大きくなってきた。恐らく男女二人組だろう。男だけが乗り気らしいことは話の内容はわからなくとも声のトーンでわかった。いわゆるナンパだろうか。やがて、ガチャリと音がして、声の主達が出て来る。

 

「あのな。一瞬、一杯だけだからな」

 

「わかってますって」男が自信あり気に胸を張るのを、女の方は訝しむ。

 

「ネーエが泣いたんだぞ? きっとまた親の事を思い出したんだ」

 

「わかってますよ。そもそも、だからこそ一人にしてあげた方がいいでしょう」

 

「そういうもんなのか? まだガキだぞ?」

 

「そういうもんですよ。ほら、パッと行きましょう。その方が早く帰れる」

 

 子連れなのだろう、子どもを寝かしつけて夫婦仲良く晩酌、といったところか。そう推測するが、女の姿を見た瞬間、前提からして誤っていたことに気が付く。

 

(魔物。何故人間と一緒に。いや、答えは明らかね.)

 

 ミリアルデはなけなしの憎悪に駆られて、二人について行く事にした。

 

(村を滅ぼした魔物と同じ。人間の言葉を話す。欺いて殺す為に。彼はいつかきっと殺される)

 

 彼女自身、女を追う動機に怒りが含まれている自覚はなかったが、全身は自然と力みで硬直し、拳は硬く握られている。観察中、故郷を襲った魔物を思い出す。

 

『いやはや、流石はエルフの方々! 魔物とエルフの共同での魔法開発は凄まじい成果を生みますぞ!』

 

『ふん。お前ら程度に使えるような魔法をシェアしていただけさ。やはり、個が探究の意思で以って、己で進む道こそ王道よ』

 

『やはりミリアルデ、お前が最強か! お前はずっと孤独だった。村の奴らから蔑まれ、村の端で一人ぼーっとしていた。誇れよ、お前は強い。お前は私だ! 脆弱な他者など真の強者には不要。勝って制して奪って殺せ。支配の主客以上に深い他者性など存在しない』

 

 この目の前の女も同じように言うだろう。それにしても、私の知っている媚びを売るような胡散臭い演技の範疇をこいつは超えている。ミリアルデは目の前を歩く男女の会話を聞きながら思った。

 

(魔物は言葉を話すようになって、随分と狡猾になった。しかし、これは度を越している。危険すぎる。仮にこいつが人間を殺さない()()魔物だったとして、他の魔物に騙される可哀想な人を増やす事にさえ繋がりかねない)

 

 個人的な憎悪が義憤に化けたところで、酒場に辿り着いた。迷いなく店の戸を開ける二人を立ち止まって見つめる。

 

(酒場.そう言えば、私も飲みたかったんだっけ)

 

 理由なく逡巡して立ち止まったのを、喉の渇きが駆り立てた。

 

 *

 空いていたカウンター席の隣には例の魔物が居る。何やら頭を抱えていると、急に顔を上げて、女の隣で酒を呷る男の方を見た。

 

「バカ、ほら帰るぞ。すみません」魔物はあろう事か連れであろう酔っ払いを静止して、謝罪までしているらしい。

 

「うるさい! ほら、お兄さんも飲んだ飲んだ! 金なんざ私が全部出しますよ.! 大将! ボースハフト十杯!」

 

「ほら、水飲めって。お前幾つだと思ってんだ」

 

「四十二! こんなこと聞くような仲ですか!」酔っ払いの男はワシワシと魔物頭を撫でる。

 

「くそっ、何も変わっちゃいない。すみません! またお冷」

 

「やめなさい。水は貴重なんですよ。海水を蒸留する工程に如何に苦労するかおわかりですかい?」

 

「お前がバカみたいに飲むからだろうが」魔物が怒鳴り散らすと、酒場中にドッと笑いが起きた。今や彼らは注目の的だ。

 

「ういー、学生注目!」男はドカッと音を立てて立ち上がると、人差し指を立てて腕を掲げた。返事は返って来ない。

 

「おい! 声が聞こえねぇぞ! もう一度! 学生注目!」彼は自分の座っていた椅子を蹴り倒してから、怒鳴るように声を張り上げた。

 

「おい、いい加減に」と言う魔物の声も聞かず、屍人のようにフラフラと中心まで歩いて行く。

 

 ミリアルデには理解できなかったが、酒場にいる一同は男女問わず、ニヤニヤと彼の奇行を楽しんでいるようだった。「おい! もっとシャキッと歩けよ!」とどこからともなく女の声が飛んで来ると、酔っ払いは不自然な動作でピシッと背を伸ばす。それがまた皆の笑いを誘った。

 

「ゴホン」遂に目的地まで辿り着いたのか、立ち止まって、わざとらしく咳をすると「皇帝に乾杯!」と想像だにしない喧しさで叫び、手に持っていたボースハフトをゴクゴクと飲み始めた。

 

「それはガイウスへの冒涜じゃなかったのかよ」諦めたのか引き留めもせず隣で魔物が呆れている。

 

「いえーい!」と酒瓶を掲げてからひっくり返して、空であることを示す。隣の魔物は遂に頭を抱えた。反対に、人間の方はゾロゾロと集まって、酒を渡して飲ませていく。

 

「やっぱビールは美味い!」とバカでかい声で貰った酒を呷りながら言う。早飲み対決でも始めたらしい。乾杯を合図に酒を飲んでは、ゲラゲラと笑っている。

 

「ちょっと、すまない。あいつ外出すの手伝って貰えるか?」女はトントンとミリアルデの肩を叩く。両手を合わせて頼んでいるのが横目でわかる。彼女は思わず首を回して女の方を見た。すると、応じたものと判断したのか「ありがとう」と言って、そのまま席を立ち上がって、群がりを掻き分けて行ってしまった。

 

(正直、面倒臭いけれど。あの魔物が何者かを知る良い機会かも)

 

 ミルアルデは一瞬手伝うか迷ったが、思い直して立ち上がった。人混みは好きじゃないんだけど。

 

 *

「悪いね。ゲロ処理までさせちまって」エヴァリスタはやれやれと首筋に手を当てながら、申し訳なさそうに言う。

 

 酒場の外を出て、脇にある暗がりでレーゲンが倒れている。少し距離を置いて、ミリアルデ、店主、エヴァリスタの三人で、自然と立ち話をする流れになった。

 

「うん。本当にね」

 

「こいつ出禁でいいよな?」

 

「すべての酒場がそうしてくれると、誰にも迷惑がかからなくていいな」エヴァリスタは笑う。釣られて店主と「へへっ」と笑った。

 

「それにしても、すごい予知能力だな。あんたがいなきゃ今頃店はゲロ塗れだ」

 

「何回も付き合わされたからな.ハア」

 

「気の毒に」「本当に」店主とミリアルデは口々に言う。

 

「いや、私が無理にでも止めるべきだった。もう分別もついたろうと考えた私が馬鹿だったらしい。ああ、そうだ。これ、酒代と迷惑料な」

 

 エヴァリスタはそう言うと、懐からパンパンに詰まった小さな麻袋を取り出して、三枚ほど金貨を摘むと男に手渡した。

 

「おお、金貨か。すまねえが有り難く貰っておくぜ」そう言う男の声が上擦っているのをミリアルデは聞き逃さなかった。

 

「実際それくらい迷惑かけたしな」エヴァリスタの方は気が付いた様子もない。

 

 ぼったくりにも程がある。ミリアルデはそうは思ったものの、面倒を起こすのを嫌って、何も言わなかった。

 

「ハハ、まあ酔っ払いの粗相には慣れっ子さ。ところで、姉ちゃんその角は?」

 

「ああ、これか。私は魔物だからな」言われて、エヴァリスタは自分の頭に生える角をさすった。

 

「ま、魔物?!」店主はあまりの驚きに思わず後退りして「す、すまん驚いちまって。魔物が人間と飲んで.いやそもそも言葉を話して、何だ? 色々よくわからんぞ」困惑に顔を歪ませた。

 

「ハハハ、無理もないさ。まあ、コイツとは腐れ縁でな。もう二十年以上の付き合いになるか」

 

「随分長いんだね」自らの()()を隠す事も無い不思議な魔物に、ミリアルデは一層の関心を持って言った。

 

「え? ああ。そうだな」エヴァリスタには、彼女が突然会話に入ってきたように感じられて、気まずそうに返事する。

 

「姉ちゃんたち、ところで名前は? 俺はここで店主をやってるラガーだ」

 

「エヴァリスタ。そこで潰れてる奴は……いいか」

 

「ミリアルデ」

 

「魔物とエルフか。珍しいお客だよ。今度はサービスしてやるから是非また来てくれ」

 

「もちろんこの酔っ払いは抜きでな」エヴァリスタがそう言うと店主は「当たり前だ」と返してから笑い出した。

 

「悪い。もう行かなきゃ。待たせている奴がいるんだ」エヴァリスタはレーゲンをおぶると「二人ともありがとうな」と言ってそそくさと立ち去ってしまった。

 

 至極明るい調子で元気に見送る店主の横で、ミリアルデはエヴァリスタの背を見つめる。演技の上手い魔物。背負われた男。置いてかれた子ども。ただならぬ関係を予感させる彼等に深い関心を寄せて、彼女は後を追う事に決めた。求めていた熱の感覚が心臓に宿った。

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