マイノリティ脈絡   作:サイクス・ピコ

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シュティムト家③

 部屋に入ると、西洋近代のアトリエのような光景が広がる。部屋の中心には画布が立てかけられた、三脚のイーゼルが置かれている。それを囲むように部屋の方々に、大量の絵が乱雑に積み上げられていた。

 

「ピカソ……いや、ブラックみたいな絵だな」

 

 エヴァリスタは、部屋に入って真っ先に目に入った、イーゼルに架かった絵を見て、呟くように言った。

 

「何だよそれ」

 

「こっちの話。で、これは何の絵だよ」

 

「あんたは伝統幾何学を透視図法の幾何学の一特殊として扱う事で、両者の対立を回避した。だけどな、俺は逆に、イデア論的な幾何学とあんたの幾何学を並列する事で発生する矛盾から何かが現れる気がしたんだ」

 

「何だそりゃ。っていうか、ほんとに読んでたのか」

 

「ハア、フィオーレから聞いたのか」

 

 シュティムトが迷惑そうに言うと「何見てるの?」とエヴァリスタの胸元から声がした。ネーエが起きたらしい。

 

「おっ、起きた。大丈夫か?」エヴァリスタが心配そうな顔を作って尋ねる。ネーエはそれに、「うん」と頷いた。

 

「シュティムトの描いた絵だよ」

 

「変なの」ネーエはつまらなさそうにすぐにそっぽを向いた。

 

「ハハハ、ネーエちゃんにはこっちの方が良いんじゃないか? ほら」そう言って、シュティムトは絵の山の中から、一枚取り出して、ネーエに見せた。

 

「すごい。綺麗!」ネーエは態度を一転、目を輝かせて、エヴァリスタの腕から身を乗り出す。

 

「危ないから、ほら」エヴァリスタはシュティムトから絵を取って、ネーエに渡してやった。ネーエは夢中でそれを眺めては手で触れて、その凹凸に不思議そうにしている。エヴァリスタはその様子を眺めてから、絵の方に視線を落とす。それは風景画だった。彼女は描かかれた物に強烈な既視感を覚えて、思わず声を漏らした。

 

「ここって……」

 

「そう。結婚が決まってすぐ、父さんの墓参りに行って来てね。ついでに、家にも寄ったんだが、すごい景色が綺麗でね。帰ってくるなり、筆を夢中で奮っちまった」

 

「へえ……なるほどね。こういうのはちゃんと金出して買ってくれる奴が居るもんじゃないのか?」

 

「いや、売ってない。暇な日に店先に飾ってるくらいだな」

 

「はあ?」エヴァリスタは彼の返答に驚き呆れる。確かこいつは彫刻の仕事にブツブツ文句を言っていたはずだ。

 

「売っちまったら最悪、所有者しか見れないだろ。俺は沢山の人に見てもらいたいんだ」

 

「どうしてまた」

 

「俺が描いたものが何なのか、そこで初めてわかるからだ。表現ってのは、意図との間の差異*1が必然的に生じるだろ?」

 

「だろ、と言われても」

 

「あんたには現実態と潜勢態とでも言っときゃいいのか? 表現者は自分の内側にある()()を現実化する。ただし、現実化された()()が、()()()()()は自分独りではわからない」

 

「はあ、なるほどな。()()のアスペクトは物質的に現実化されていても、()()()()()のアスペクトは未だ可能的であると。だから、表現行為の完遂には有能な鑑賞者が必要、こう言う訳か。それにしても、随分と活動的になったもんだ。数年前まで何もせず一人でゴロゴロしてた奴とは思えんな」

 

「正直、怠け癖の延長で、『俺はこういうモンを創ったぞ! 凄いだろ!』なんて言うのが嫌でそうしてるだけだから、大して変わってないさ」

 

「いいや、変わったさ」

 

 その時、ドアが開いた。レーゲンとフィオーレが話しながら入ってきた。どうも、シュティムトの事で盛り上がっていたらしい、「まさかそんな一面があったなんて驚きです」とレーゲンは笑顔で言った。

 

「レーゲン!」ネーエはレーゲンを見付けると叫んで、エヴァリスタの腕から逃れるように強引に降りて、彼に向かって駆けて行った。二人の話はだいぶつまらなかったようだ。

 

「ネーエちゃん、どうしました? 三人とも、こんなとこに居たんですね」レーゲンはそう言ってエヴァリスタ達の居る方に目を遣る「おお、ちゃんと絵は描いてるんですね。毎年材料集め大変なんですからね、それ」

 

「ああ。感謝してるよ」とシュティムトが言う。本当に感謝してるのか、全員が疑うほど白々しい調子だった。

 

「えっ、それレーゲンさんが用意してくださってるんですか? いつもすみません」レーゲンの隣で、ペコリとフィオーレはお辞儀した。

 

「何、彼にはお世話になってますから、ほんの細やかな御礼です。さ、二人ともそろそろ行きましょう」

 

「ああ。そうだな。急にお邪魔して申し訳ない」エヴァリスタがフィオーレに軽く頭を下げた。

 

「いえいえ、また是非遊びに来てください。いつまでオイサーストに?」

 

「帰りは飛んで帰れるから、一年くらいはいるかも。せっかく来たんだし」

 

「完全に旅行気分ですね……式典が終わったら城には泊まれないかもしれませんよ」レーゲンが口を挟んだ。「まあ宿くらいあんだろ」とエヴァリスタはぶっきらぼうに返した。

 

「お城に泊まるんですか?! いいなー」

 

 フィオーレが羨ましそうに言うと、ネーエが胸を張って「でしょ」と言った。自慢げに答える彼女に、何故彼女が誇らしげなのかと一瞬当惑したが、すぐに笑顔を作り手を取った。

 

「うん、ネーエちゃんが羨ましい!」

 

 ネーエはすごい満足げに笑みを浮かべた。その様子が大変可愛らしくフィオーレには映った。

 

「そうだ! 一年も居るなら、是非会っていただきたい方がいて、エヴァリスタさんの本のファンなんですけど、どうです?」

 

「へえ、良いね。私たちは式典の日以外明確な予定はないから、融通きかせられるよ」

 

「わっ! ありがとうございます。すっごい喜ぶと思いますよ。それに『断片録』を読んで何か思い付いたみたいで」

 

「おっ、ほんとか? 直近で会える日にちを決めちゃいたいな」

 

「そしたら、候補日が決まり次第、手紙を送りますよ」

 

「了解。じゃあさ、カフェで話さないか? ちょうど行きたかったんだよ」

 

「えっ、あそこですか?! エヴァリスタさんも知ってるんですね! あそこの飲み物が美味しくて」

 

「コーヒー好きなのか?」

 

「ええ! とっても! コーヒーがあると、毎日食べてる固いパンも特別なものに思えて」

 

「じゃあ決まりだな。ところでさ……」

 

「ちょっと、もう帰りますよ」

 

 レーゲンが迷惑そうに言うので、話を切って帰る支度をする。二人とも外まで見送ると言うので、その間、エヴァリスタとフィオーレは共通の趣味の話に興じた。

 

 *

 外はもう日が傾く頃になっていた。とはいえ、ここから城に着くまでにはまだ日は出ているだろう。そういう意味では、ちょうど良いタイミングだった。

 

「いやあ良い方ですね」レーゲンが先に口を開いた。

 

「ああ、フィオーレの話か?」

 

「そうです。流石に身籠った事を『そういえば』なんて報告するのはどうかと思いましたがね」と言って冗談めかして笑った。

 

「自分の事はどうでも良くなりがちなんだよ、彼女は」

 

「しかし、もう一人の命ではありませんから」

 

「実感も湧かんだろう、ただしょんべんで判断しただけなんだし」

 

「しょんべんって……もうちょっとマシな表現はないんですか」

 

「別に良いだろ、お前とネーエしか聞いてないんだし」

 

「いや、ネーエちゃんの教育に悪いでしょう」

 

「……確かに。ネーエ、私の言葉遣いを真似しちゃダメだぞ?」

 

「うん、わかった」ネーエは彼女の顔を見返して頷いた。

 

「何ですかその会話」

 

「ハハハ、素直だなネーエは」

 

 そう言って、エヴァリスタはネーエの頭を撫でた。レーゲンの知らぬ間に、いつものように手を繋いで歩いている二人。片方が魔物であるというのは、驚くべき事か。すぐに気を取り直して、三人は再び歩き始める。

 

「いつもありがとな。レーゲン」

 

「何ですか急に。らしくもない」

 

「いや、そういやあいつが絵を描けてるのも全部お前のお陰だったなと」

 

 ネーエの手で塞がってない方の手で頬を掻いて、照れたように笑う。夕日がその姿を一層魅力的に映す。彼は赤面してから湧き立つ感情を自覚し、所帯持ちの故にそれを恥じた。

 

「まあ、それはそうですが、面と向かって言われると照れますね」顔の紅潮を照れなどと言い訳して、レーゲンはごまかした。

 

「ふふん、存分に照れてくれ。滅多に褒めないんだから」

 

 彼女は片目だけ閉じて、得意げに笑うと、徐々に表情を崩していって、数回瞬きすると、伏し目がちになる。

 

「なあ、ライファイゼンの運営はお前に任せたいんだが、どうかな?」

 

「えっ、任せるって……」レーゲンは瞠目した。

 

「一人選任しなきゃいけないだろ。後の役職員はお前が選任してくれればいいし、何なら私も協力するが」

 

「いやいや、私には無理ですってそんな大役」

 

「運営も協力するからさ、どうだ?」

 

「うーん、それなら」レーゲンは顎に手を当てて考える素振りを見せる「……いや、やっぱりダメですね」

 

「そっか……理由は聞いても?」

 

 しつこく粘られるかと思っていただけに、キョトンとした顔でエヴァリスタの顔を見る。

 

「え、ええ。私はこれでも帝国では数少ない魔法使いの一人。有事の際には、前線で戦う必要があります。そんな身では、不適当でしょう」

 

「そうだな。そういえばお前はそんな奴だった」エヴァリスタは言った「いつも暇なのは、その有事ってやつのためだもんな」

 

「勝手に暇人にしないで下さい。自分で言うのもなんですが、最近は忙し過ぎてずっと落ち着かないくらいですよ」

 

「ふふっ。わかってるって。だから、ありがとうって言ってるんだ」

 

「レーゲン、ありがとう! 旅行、とっても楽しい」

 

 ネーエが大きな声で言った。旅行ではないんですが、と呆れつつ、レーゲンは笑った。エヴァリスタから聞いたのは、彼女が魔物に村ごと両親を殺された事。そんな子が、これほど明るく振る舞っているのは、なんだか感慨深かった。

 

「レーゲン、大丈夫?」

 

「えっ、いや。年寄りなんですかね私も」

 

「へえ、またまたどうしたんだよ」

 

 エヴァリスタがさっきとは打って変わって、意地悪そうな笑みを浮かべて膝で小突いてくる。そうやって三人で下らない話をしながら、行く先へ向かった。

 

「ここね、ありがと」

 

「うわー! エヴァリスタ、見て見て、おっきい!」

 

「そうだな、でも、通り道の図書館の方が大きかったろ? あそこ、今度行ってみようか」

 

「うん! そこも行きたい!」

 

「レーゲンはこれからどうすんだ?」

 

「私は、式典の会場近くに泊まるので……図書館の近くですね。良い宿おさえてあるんです」

 

「んじゃ、ここでお別れだな。式典の正確な予定決まったら、一報くれ」

 

「ええ、もちろんです。ああ、そうそう。真っ直ぐ行った先に検問あるんで、これ渡して下さい」

 

「通行許可証、ね。了解。んじゃ、式典で」

 

「バイバイ、レーゲン」

 

「はい。また今度」

 

 やけに機嫌が良いな、レーゲンはそう思ったが、口にはしなかった。楽しげに会話する二人を見送りながら、今日のシュティムトとの話を思い出す。あの片桐勇作の日記を翻訳したと言って、手渡された一冊の本。日記とは言うが、それは観察記録のように、エヴァリスタとのやり取りを丹念に記録し、彼独自の考察を付したものだった。

 

 レーゲンが信じたくもない彼の考察にすっかり取り憑かれてしまっているのは、単にその指摘が通俗的な解釈に一致するからに過ぎないのだが、彼がエヴァリスタ以外の魔物に出くわさなかった事を知っているだけに、真に迫ったものに感じられるのだ。

 

(もし、もし仮に彼の考察通りに、彼女のそれが全て演技なのだとすれば……)

 

 抗し難い疑念は彼女と会う度に生起するだろう。それだけの異彩を彼の日記は放っているのだ。

*1
つまり、芸術係数の事Duchamp, M. (1957) Creative Act.

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