マイノリティ脈絡   作:サイクス・ピコ

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ネーエと焼き菓子

今日、朝方から食糧を取りに行くと言って出て行ったきり帰ってこない。いつもは三十分程度で帰ってくるのにだ。息子が腹を空かせて、宥めるのに忙しい。遂に飽きて放っぽり出したのだろうか。最近、何かと俺に仕事を押し付けようとしてくる。『息子と釣りに行って来い』、『絵の面倒を見てやれ』。その間何をするのかと質せば、自分の研究だの計画だのと言う。自己中心的な魔物の本能がここにも表れている。

「片桐勇作の手記」

 

 オイサーストに到着して一週間が経つ日、二人はミリアルデのいる宿まで来ていた。ネーエが城に居るのは嫌だと言うので、何日かミリアルデと三人で外に遊びに出ている。

 

「それじゃあ、申し訳ないけど、頼んだ」エヴァリスタはミリアルデに向かって言った。

 

「いいよ。金貨のお礼だから」

 

「有難いけど、毎回それだな……じゃあネーエ、行ってくるな。夕方までには迎えに行くよ」そう言って、ポンポンとネーエの頭を叩いた。

 

「夜もミリアルデと三人でご飯食べたい」

 

「おいおい。一応向こうのメンツもあるんだし、初日ほど酷くはなくなったろ?」

 

「でも」とネーエが言うのをエヴァリスタは「でもじゃない」と遮った。途端に、ネーエの表情が不平に曇る。

 

「文句言ったってダメ。今日は帰る。いいな?」

 

「ネーエ。君も少しは我慢しないと」ミリアルデが間髪入れずに援護に回る。ネーエは如何にも帰りたくない様子で、ミリアルデの袖の辺りをギュッと掴んでいる。

 

「……美味しいもの買ってきてやるから」

 

 エヴァリスタはその様子に何と無く苛立ちを覚えて、めんどくさそうに首の辺りを触ってから、絞り出すように口調で言った。

 

「……ほんと?」と節目がちにネーエが問う。

 

「ほんと。この街でもとびっきり美味しい()()()

 

「じゃあ帰る」

 

「よし。じゃあ行ってくるから」と言ってエヴァリスタはネーエの頭を撫でると、手を振りながら去っていった。今日は、自身の著作のファンだと名乗る者をフィオーレに紹介してもらう事になっている。彼女は待ち合わせ場所のカフェへと向かう。

 

「おお、エヴァリスタ! 久しぶり」

 

 カフェに着くと、店主の男がカウンター越しから目を輝かせて、エヴァリスタに向けて手を振る。まだ開店間もないからか、人は疎らで暇そうに食器を拭いていた。彼女は男の方に近付いて、カウンターの手前で立ち止まった。

 

「ブルーノ、久しぶり。わざわざこんな北方になんて移転しなくても良かったのに」

 

「コーヒーでいいかい? 何、家内がね、君にいつもお金を出してもらってるんだから、限界まで近い所に住むのが筋だろと言うんでね。実際、君のお陰でこんな街でも店を構えられる訳だし、本当に世話になっているよ。ありがとう」

 

「いやいや、私が飲みたいって言っているものを無理やり提供させてるんだ。それくらいは当然さ」

 

「で、こんなとこまで珍しいね。何か用事でも?」

 

「大仕事がひと段落着いてね。祝賀会に出席するんだ。今日はこの後趣味仲間と、ここで雑談するだけなんだけどね」

 

「ははあ、雑談とは言ってもまた難しい話をする訳だ。そういえば、シュティムトの奴、良くここに来るよ。随分おじさんになっちゃってさ」

 

「へえ、コーヒー飲めるようになったのか」

 

「毎回砂糖入れてるよ。従量で銀貨一枚分だから相当盛ってる」

 

「それはコーヒーなのか?」

 

「それより、角、大丈夫なのかい? 最近は魔物の被害も多いし、トラブルに巻き込まれないとも限らないよ」

 

「あっ、そうじゃん」と思い出したように頭を片手で角の辺りを触れてから、一瞬だけどうやって隠そうか考えて、諦めると何事もなかったかのようにその手を戻した。

 

「そうじゃんって。エヴァリスタはそういうとこあるよな昔から。そういや、レーゲンはどうしてる?」

 

「そうそう、今回はあいつと一緒に街に来たんだ。元気してるよ。相変わらず酒癖は最悪だけどな」

 

 彼が「はい、コーヒー」と言って、彼女が「ありがとう」と返すやりとりを挟んでから、彼は改めてカウンターで立ったままコーヒーを飲む彼女に向き直った。

 

「やっぱり。レーゲンに怒られるぞ。角隠せって」

 

「おいおい、お見通しかよ」

 

「それで用事ってのも判った。国政関係の用事だろう? ……もしかすると、特区関係とか」

 

「驚いた。よくわかったな」

 

「一回ここに来た特区関連のゴタゴタを担当してる官僚が愚痴ってたよ。『女のクセに偉そうに講釈垂れやがって』ってさ。君だろ」

 

「あー、心当たりはあるな。書面上のやり取りだけでお互い顔までは知らないんだけどな。でも、最終的に私の考えには納得してくれたぞ」

 

「ハハハ、じゃあ彼は君を人間の女性だと思ってたわけだ」

 

 丁度ブルーノがそう言った時、後ろから彼女の名を呼ぶフィオーレの声がした。どうも、エヴァリスタに声を掛けたのではなく、隣に居る男に紹介をしていたらしくて、彼女が振り向くと、如何にも貴族らしい身なりの整った出立の青年が店先で突っ立って、ポカンと口を開けてこちらを見ている。隣に立つフィオーレがエヴァリスタの視線に気付いて、ペコリとお辞儀をした。

 

「まさか姿までバケモノだったとは……」

 

 男は呟くようにそう言った。

 

「趣味仲間ってあいつの奥様の事だったのね」

 

 ブルーノに声をかけられて、「ああ、そうなんだ」と向き直る。二人がこちらに歩いてくるのはわかったから、その間、彼と二言三言交わした。

 

「エヴァリスタさん、お久しぶりです。こちらが例の……」

 

「ああ。のっけから人の事を化物呼ばわりする小僧な」

 

 やっぱり聞こえてたか、とフィオーレは気まずそうに笑う。隣の男もようやく自身の失言に気が付いたらしく、慌てて深く頭を下げた。

 

「すみません。怪物的な著作の書き手がどのような方なのか、いろいろ想像を膨らませてたんですが、まさか、角が生えてるなんて。失礼、あいにくこの都市に引きこもってばかりなもんですから、異種族に疎くて。どちらの種族の方でいらっしゃるんです?」

 

「慇懃無礼ってこういう事を言うのか。魔物だよ魔物」

 

「ま、魔物?!」男は後退りしながら、身体を庇うように片肘を突き出すと、すぐに気を取り直して、再び頭を下げた「す、すみません。そ、そう言えば、人間の言葉を話す魔物が居るって話は聞いたことがあります。それに美女が多いとも、ちょうど……」

 

「お世辞なんか使わなくても大丈夫さ。お前の事は良くわかったから」エヴァリスタは意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

「申し訳ございません。失礼しました」

 

「……まあいい。私がエヴァリスタ。お前の名前は?」

 

「ツァール・ガンツェです」

 

「よしツァール、早速本題に入ろう。二人はコーヒーでいいか?」

 

 エヴァリスタは、二人が頷くのを確認してから、「なあ、ブルーノ」と店主を呼んで「二人にコーヒー。それと、そっちのテーブル使って良い?」と尋ねた。

 

 彼女が手で店先の丸テーブルを示しているのを看取って「ああ、どうぞ」と言うなり、コーヒーを作ろうと背を向けた。

 

 エヴァリスタはカウンターから自分のコーヒーを取って、彼女を待ち構えるように一人分のスペースを開けて待つ二人の方へと向かった。

 

「で? 色々研究してんだっけ?」冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干してから、エヴァリスタはツァールに尋ねた。

 

「ええ、『断片』にある集合と命題を面白いと思って、色々研究してみたんです。やっぱり、貴女の考察にもある通り、基本的な論理学の枠組みを落とし込めるのはそうですが、量化を表現すると、新たな問題が生じるんです」

 

 話しながら、自分の荷物をガサガサと漁って、左端に紐を通して纏めた分厚い紙束を取り出し、彼女に手渡した。

 

「これね。長いな。後で簡単に概要を説明してくれ」

 

「ええ、もちろん。あと、貴女の用いた関数という概念、あれを集合と集合の対応という形で表現したら、貴女の志す数学の在り方に一歩近付くと思ったんですよ。それは、えっと。これです」

 

「二本もあるのか。明日空けられそう? 今日は夕方には帰らないと」

 

「明日、ですか。はい、空いてますよ。このカフェにします?」

 

「ああ。とりあえず今日は徹夜で読むから、読み合わせをしたい。フィオーレは?」

 

「すみません、私は明日仕事なんですよ。でも、お構いなく、二人で進めちゃって大丈夫です」

 

「そっか、そりゃ残念。後で内容はシェアするよ」とエヴァリスタは言いつつ、ペラペラと紙を捲る。

 

 五枚目で指を止めて、彼に質問を投げると、応答があった。気になったフィオーレが、どういう話かを尋ねてくるので、二人で説明する。そんな風になんとなく、議論が始まった。

 

「面白いですね。でも、そうなると自然数の集合を考えた時、その元の数は無限と言う事になりますが、そうなると、数の構成も不可解に思えてきます」

 

「フィオーレ、もうちょっと詳しく」

 

「はい。普通、自然数が無限であると言う時、どんなに大きい自然数を考えてもその次を構成できるから無限だと言うのでしょうけど、自然数の無限なる集合と言うと、まるでハナから無限の自然数が現に与えられているようにも思えます」

 

「いやいや、自然数が有限だと仮定すれば矛盾が生じます」

 

「そうだけど、そうだからこそ違和感があるというか。論理的に無限ではあっても、現に与えられているように表現するのはおかしくない? みたいな」

 

「なるほど。なあ、私も気になったのが一点。『断片』では、伝統的な数と量の議論を統合する算術の体系として、()()なるものを紹介したが、そうすると、実数の無限と自然数の無限は同じ無限でも、要素の数には違うのではないかという問題が生じる。集合の概念は実数、或いは量にも適用可能だと思うか?」

 

「それは……すみません。今は何とも言えません。そういえば、確か『断片』は異国の数学書をメモしたもの、でしたよね?」

 

「まあ概ねそう。詳細を話すとややこしくなるから、その解釈でいい。あの数学で関数がやたら存在感を放っているのは、私自身感じている事だし、集合の議論は面白いと思う。それこそ、思い付きだが、何かを数える行為は自然数から数えられるものへの離散的な関数とも言えそうだ」

 

「な、なるほど。ご興味をもって頂けて嬉しいです」

 

「そう言えば、()()にも関数を使ってましたね」フィオーレが思い付いたように口にする。

 

「ああ、そうだな。透視図法の幾何学ではもはや頂点の数すら保存しないが、それでもなお、不変な変換が存在する」

 

「複比、ですか」

 

「そう。伝統幾何学を超えて、幾何学に出来ることはまだあるんだ。平行線公理の問題は、それが定理なのかどうかも勿論大事だが、新しい幾何学への端緒としてこそ重要な問題だと思う」

 

「凄いですね。確か数学を知ってからずっと、その目線で研究されてたんですよね」

 

「しかも魔物がですよ」ツァールは精一杯褒めようとして言った。

 

「お陰様で同業からは相手されなくなったがな」エヴァリスタはハハと乾いた笑みをこぼした。

 

「でも、本当に凄いです。シュティムト君も育てられて、研究もして」

 

「別に、私は魔物だからな。寝なければ研究する時間くらい作れる」

 

「そっか、そうですよね」

 

「……あいつがお前を支えてくれるか不安か?」

 

「あっ、いえ。違うんです。その、私が母親としてやっていけるか不安で。でもその、お医者でもいたいな、なんて」

 

「それもフィオーレ個人の問題じゃないと思うぞ」

 

「そ、そうですかね……」

 

「ああ。何なら私だって頼ってくれて良い」

 

「それは……」

 

「別に無理にとは言わないさ。ただ、選択肢として覚えておいて欲しい」

 

「エヴァリスタさん……」

 

 フフフ、とツァールは、口に拳を当てて突然笑い出して、「やっぱりだ」と言った。二人は彼に視線を移して、黙って次の言葉を待った。

 

「やはり、数学好きに悪い人はいない。人間でも魔物でも同じでした」

 

 彼は少しはにかんだ調子で目を細めて笑った。その笑顔を見て、二人も自然とつられたように笑顔になる。

 

「さ、そろそろ帰ろう。ああ、そういえば、この辺でお菓子売ってるとこ知らない? 美味しいやつ」

 

「数軒オススメありますけど、こっから一番近いのだと、あそこかな。案内しますよ」

 

「ありがとう。ツァールは帰るか?」

 

「いえ、付き合いますよ」

 

 それから三人は店を出て、エヴァリスタの買い物に付き添う間は、漸く専門の話を脇に置いて、生活上の話に時間を割くことができたのだった。

 

 *

 宿に着いて、ミリアルデの居る部屋まで来ると、エヴァリスタは戸を叩いた。音を聞いて、中から足音が聞こえる。ドタドタと無造作な音に、エヴァリスタは思わず笑みをこぼした。

 

「エヴァリスタ、おかえり!」勢いよくドアを開けて、ネーエは喜色も顕に大声で言った。

 

「ただいま。他の人も泊まってるんだから、走ったり大声出したりしたらダメだぞ」と彼女は少し屈んでネーエの頭を撫でながら言う。

 

「はいはい」

 

「おい、聞いてるのか……あとこれ。お土産」エヴァリスタはそう言って、手に提げていた箱をネーエに差し出した。

 

「何これ」

 

「タルト。美味しいぞ」

 

 それを聞いて、ネーエがすかさず箱を開けると「うわあ! 三つもある!」と感動に声を漏らすと、考え直してから部屋の奥に向かって「ミリアルデ! ミリアルデの分もあるよ!」と言った。

 

「ほら、中入って、早く食べよう」

 

「うん!」と機嫌良さそうに返事をして、箱を持って部屋の奥まで駆けていった。その足音に複雑な感情を抱きつつ、呆れたようにほくそ笑んでからネーエの後に続いた。

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