下北沢の大天使をデロデロに甘やかしてドロドロに依存させたい 作:百合好きの獣
ヒーローになれる
ハイハットが軽快に四つ鳴らされる。オーソドックスなカウント・イン。
『一番最初が重要だよ』という百合の指導の元、何度も何度も合わせてきた入りは、なんとか音を揃えることが出来たとひとりは思う。
(きっ、緊張で……指が……。前も向けない……!)
ひとりは極度のコミュ障であり、あがり症である。当然、一度や二度人前で演奏した経験があるからといって、衆目に晒されている恐怖はそう拭えるものではない。
緊張によってうまく酸素が脳に行き渡らず、頭が軽く締め付けられるような感覚がする。視野も狭まり、弦を抑える指も固くぎこちない。
(落ち着け……落ち着けぼっち……ゆっ、百合ちゃん……百合ちゃんの音に集中して……)
ひとりは息を短く吸うと、目を閉じて聴覚に集中し始めた。
セッ!! 事件から何度となく行っていた百合とのセッション練習による積み重ねによって、観客の声援やほかのメンバーの演奏の中から、正確に百合の奏でる音色を捉えた。
合わせる→出来たら褒めるという繰り返しが行われたことにより、パブロフの犬じみた刷り込みがひとりに備わっていた。
ふ、と肩の力が抜け、やや走りがちになっていたひとりのカッティングがぴたりと百合のリズムと合致する。
ひとりの背後で、百合が「頑張ったね、えらいね」とほほ笑んだような気配がした。
(よし、よしよしよし……! これで、このまま――)
落ち着きを取り戻したことによって、狭まっていた視野がわずかに広がる。閉じていた瞼を少し開いてみれば、最前列に、あの日路上ライブで知り合い、ファンになったと言ってくれた二人の女性が見えた。
彼女たちは一様に満面の笑顔を浮かべ、ひとり達の演奏に夢中になって手を振り跳ねている。……なぜか法被を着て。
(なっ、なんで法被を着てるのかはわかんないけど……でも……うん、今、私――)
――すっごく、楽しい。
胸をぎゅっと捕まれるような情動。全身を駆け巡る、ゾクゾクとした高揚感に背を押され、ひとりは自然と笑みを浮かべていた。
それは、笑い慣れていないが故にぎこちないものだったが、ふと『堪らず』漏れたようなその表情を目撃したファン一号と二号の脳が焼かれた。
高揚しているが、要所要所で百合や虹夏が支えるように音を重ねる事で、ひとりは少しだけギアを上げながらも幾分か冷静にメンバーの音を拾えていた。
だから、気づけた。
(……あれ、喜多さんの声、こんなに細かったっけ……。それに、今の合わせ、音が少しずれてた)
まだ完全に前を向くことはまだ出来ないひとりは、うつ向いた状態のままちらりと横を見た。
横目で見た郁代は、練習の時と打って変わって、背中が丸まり、表情も少し苦しそうに見える。
それは、まるで――見えない何かに溺れているかのようだった。
◇
郁代は、ひとりに陽キャの化身と例えられた事がある。
そも、彼女はフォロワー数15000人の人気あるインフルエンサーであり、自分の日常を切り取って不特定多数の目に晒す事には慣れていた。
だが、熱量の籠った数多の視線が、こんなにも質量を持っている事は知らなかった。
纏わりつくような期待の圧。自分がミスをすれば、それは容易く失望へと反転するであろうことは、想像に難くないと郁代は思う。
そんな事を想像してしまったからか――ピッキングが不安定になり音がズレた。冷や汗が吹き出る。
幸いに――そう言っていいかは微妙だが、百合がキーボードの音量をリハーサルよりも大きめに設定し、かつ郁代のパートをなぞる様に演奏してくれているからか、ミスが観客に露見してしまっている様子は無かった。
失敗するわけにはいかない。自分が――結束バンドのギターボーカルであり、一番目立つ自分がダメであれば、それはひいては結束バンド自体の評価に繋がってしまうかもしれない。
一度、最低な裏切りをした自分をもう一度迎えてくれた人達に泥を塗ってしまうわけにはいかない。
そう思って必死に練習してきたのに、どうして上手く出来ないのか。
期待の籠った視線に射抜かれると、足が竦み、手が震えてしまう。
ふと、最前列でペンライト――なぜペンライトを?――振っている、同年代くらいの女性の顔が目に入った。
何か引っかかるような、怪訝そうな表情を浮かべている……ように見えた。いけない。笑顔、笑顔にならなければ。
『喜多ちゃん、ギターボーカルはバンドの顔だからね! 笑顔だよ、笑顔!』
『……この歌詞を笑顔で郁ちゃんに歌わせるの……?』
『くっ暗い歌詞ですみません……』
『陽キャ代表が笑顔でこの曲を歌うのは面白すぎない??』
いつだったかに、合わせの練習をした時に言われた事を思い出す。
前を向いて――向けているだろうか。
口角を上げて――あげられているだろうか
苦しい。
このままでは、いずれカバーしきれないミスをしてしまう。
ライブが、失敗してしまう。
自分のせいで。
嫌なのに、それだけは絶対にしちゃいけないのに。
海難事故のように、藻掻けば藻掻くほど沈んでいく。深く、深く――。
◇
ひとりが郁代の異変に気付けたのは、偶然ではなかった。
セッションの練習で百合と2人で居るということは幾度となくあったが、それでも一番長く一緒に居たのは、同じ高校で、同じギターパートである郁代だった。
誰よりも近くで、一緒に練習してきたから。
だから、気づくことが出来た。
(喜多さん……あんなに、あんなに頑張って練習してたのに……!)
弦の抑えすぎで指先が赤く擦れてしまっていたことを知っている。
歌いながらの演奏に慣れず、何度もミスを重ねてようやく上手く出来た時の笑顔を知っている。
上達を虹夏やリョウ、百合に褒めてもらえた時の、嬉しそうに照れていた姿を知っている。
だから。
後藤ひとりは、いわゆるコミュ障だ。
話すときは常に相手の顔色や機嫌を伺うし、大勢の視線を集めるなんて、怖すぎて想像するだけで爆発してしまいそうだ。
でも、今、郁代はその恐怖と必死に戦っている。
結束バンドの誰よりも緊張しいだから、郁代がどれほどプレッシャーを感じているのかが分かる。分かってしまう。
そして、今も必死に藻掻いているような様子から、二曲目も同じ調子であれば崩れてしまうということも。
だから。
(こんなことで、喜多ちゃんの失敗になんて、させたくない!!!)
後藤ひとりはコミュ障である。
だけど、ここぞという時の思い切りの良さは、体が勝手に動くレベルの踏み込みは、誰よりも上だった。
一曲目が終わり、虹夏がMCで場を繋ぐより、郁代が震える手で足元の水を手に取るより、リョウがさりげなく郁代に近づくより、そして何かを考えていた百合が動き出すよりも、一歩早く。
ヒーローが、やってきた。
◇
──ギュウウウウウン。
アンプを通して響いたのは、意図的に生じさせたフィードバック音。
ギターを構える彼女の姿と視線が重なった瞬間、まるで緊張を切り裂くナイフのように、空気の質が変わった。
観客の誰かが、息を呑む音が聞こえる。
ただ、彼女が放つ空気と音の狭間に、誰もが目を奪われていた。
何の前置きもなく、ひとりはピックを握りしめる。
右手が振り下ろされたその瞬間、激しいディストーションサウンドが会場に爆ぜた。
その音が、フロアに詰めていた都合250名に強烈なインパクトを残す。
鮮烈なギターの音色が、まるで、彼女が目の前で変身を遂げたかのように、存在を誰よりも大きく見せていた。
会場の空気は、今や完全に後藤ひとりに染まった。
百合は、突如始まったひとりのアドリブパフォーマンスに、ふ、と頬を緩めて同じことをしようとしていた手を止めた。
虹夏は、一瞬呆気に取られたものの、すぐにひとりの意図を察し、百合とリョウにアイコンタクトを投げて、いつでも次の曲を始められるように準備をした。
リョウは、お腹を抱えて笑い転げたいくらいに胸が熱くなり、郁代の背中を軽く叩いてから定位置へと戻った。
それぞれがひとりの勇気に胸を打たれながら、負けられないと気合を入れなおす。
そして、郁代は。
(視線が、全部後藤さんに……もしかして――)
一陣の風が霧を払うかのように、視線の重圧が失せた。それは、俯きながらも目を引くようなパフォーマンスをしているひとりによって引き起こされたものだと理解する。
そして、それが何の為に――誰の為にやっているのかも。
(私の、ために……)
郁代は、胸をぎゅっと掴まれるような得も言われぬ感覚に襲われながら、熱に浮かされたような視線でひとりを見つめていたが、リョウに背中を叩かれ我に返る。
慌てて後ろを向けば、百合も虹夏も、そして元の立ち位置に戻ったリョウも、楽器を構えていた。
ひとりのアドリブが終わりに向かい始めた時、す、と手を両手をあげた百合が指折りカウントを始める。
十本立てた指が全て降ろされた瞬間、『結束バンド』が再び息を吹き返した――。
「……『ギターと孤独と青い星』」
◇
1曲目とは比べ物にならないくらい軽くなった体で、郁代はギターをかき鳴らしながら喉を震わせた。
前奏後の、バスドラムのみで始まるAメロは、百合が小さな体で大きく跳ねながら両手を叩く事で、観客の意識を手拍子にも割かせ圧を分散させてくれていた。
ベース、ギター、キーボードが合流した瞬間、ワッと会場の熱が急上昇する。その熱を引き立てるように虹夏はドラムを力強く叩き、百合とリョウが支える。そして、ギアを上げたひとりによるリードギターが視線と歓声を独り占めした。
結束バンドの皆が、自分を助けてくれている。
郁代は、すっかりとプレッシャーを感じなくなり、練習通りに演奏をすることが出来ていることで内心ほっと胸を撫でおろした。
それから、特段大きな失敗をする事なく、曲は後半に差し掛かる。
(よかった……これで、ライブは失敗にならないわ)
――本当に?
胸の奥で、何かが問いかけた。
(やっぱり後藤さんはすごく上手だわ……楽器素人の私でも先輩たちは上手いと思うけど、後藤さんはそれに負けてない)
先輩たちやひとりの演奏にみんなが熱狂している。
――それじゃあ、私は?
演奏は破綻していない。観客も盛り上がってくれている。結束バンドは、今、確かにステージの上で輝いている。
けれど、それは。
(私はそこに居ない)
ひとりが空気を切り裂いて、郁代の代わりに注目を集めてくれた。
百合がリードを取りながら支えてくれて、虹夏がリズムを鼓舞してくれた。
リョウがバンドの背中を押してくれて、ひとりの演奏に厚みを加えてくれている。
(私、なにもしてない。立ってるだけ)
自分は、ただ、助けられているだけ。守られているだけ。
――それでいいのか?
指の皮が擦りむけるまでギターを弾いたのはなんのため?
夜中、段ボールを被って喉が枯れそうになるまで歌ったのは、一体誰のため?
ああ、もう一度問いかけよう。
喜多郁代。貴女は一体なんのために、この数か月必死に努力をしてきたの?
(……違う。これじゃ、違う)
このままじゃ、ダメだ。ギターボーカルなんだから。結束バンドの顔なんだから。
――決めたんだ、自分で。
結束バンドの一員になるって。
(私の、歌を聞いて――)
喉の奥から何かがせり上がってきた。叫び出したいような衝動。
それは言葉になり、震える唇から、絞り出すように迸る。
「聞いて……」
ギターのストロークに合わせ、口を開く。
視線がステージの奥から、再び自分に集まってくるのが分かる。
その圧を、受け止めて、跳ね返す。
「――聴けよ!!」
魂を叩きつけるようなシャウト。
嫉妬、焦燥、恐怖、不安。そして、それでもという前へ進む覚悟。
その叫びは、郁代の生々しい感情を伝えていた。
その瞬間、ステージ全体の熱が跳ねた。
観客たちの目が、驚きと興奮の色に染まり、もう一度中心が郁代に戻った。
まるで、ライトが郁代一人を照らしているかのように、サビの主旋律が空間を切り裂く。
堂々と前を向いた郁代の瞳が、光を反射してキラリと輝いていた。
もう、怖がらない。
自分は結束バンドのギターボーカルだ。
誰かの後ろじゃない。誰かに守られてなんかいられない。
なぜなら。
この場所で歌うのは、私だ――!!
郁代の悔しさや焦燥感という感情の発露が、声に乗って観客へと運ばれる。歌詞とボーカルの思いが一致したことにより、観客が受け取る感情はより強く胸に突き刺さった。
殴り書きのような音をかき鳴らす、自己存在の叫びに心を奪われていく。
「ぶちまけちゃおうか――星に!!」
その日、STARRYに訪れていた全ての人間が確信した。
技術でもなく、完成度でもない。だけれど「この先絶対に来る!」と思わせる何かを持ったバンド。
結束バンドはここから始まった――と。
かっこいい喜多ちゃんと、クソかっこいいぼっちちゃんが見たかった。後悔はしていない。