さて、この大騒動が起こる数日前、パニバルの動向の話である。
日々素振りや体錬は欠かさない。教本も何度も何度も読み込んでいる。折を見て先輩達に稽古を申し込んだっている。
しかし、歴代最強レベルと名高いクトリ先輩すら子供扱いしてしまう、妖精倉庫の管理者にして古の勇者であるという青年ヴィレム・クメシュ。
自分の剣は日々向上している筈なのに。先輩方にも偶には一本取れるようになってきてるのに。何故だか彼のいる領域に、一向に近付けている気がしない。
…いや、むしろ自身が成長すればするほどに。
ヴィレムの姿が遠く彼方へ離れていく。わたしの剣はどれだけ振るおうとも届かない。なのに彼は、まるで虫を払うかのように───ほんの少し、手首を軽く払うだけで、わたしの急所の悉くを斬り裂いている。そんな理不尽な矛盾、死に疎いわたしですら怖気が走る瞬間を、最近確かに覚えだしている。
ああもう、わたしの捻くれ者の性曲がりめ! どうせ相手は愛情べた甘の人格者。ぐだぐだ躊躇するのは止めにしろ。みんなといっしょの時みたいにバカになれ。どうすればもっと強くなれるのか、素直に本人へ問いただすのが一番だ。
「たのもー!」心を決めたパニバルは、ノックもなしにヴィレムの居室へバーンとずかずか入り込んでいった。
「おら、大人しく額を出せ! 悪い子には二度と同じことをやらねえようお仕置きだ!」
「わー!? 分かった分かったもうやらない! だから右目を晒すようなことだけは勘弁だ! ライムスキン氏にセクハラされたと訴えるぞ!?」
人格者といえど限度はあった。髪をわしゃわしゃかき回されて、不躾な訪問をしたことをかるーいデコピンで叱られてしまった。ひとしきりドッタンバッタンじゃれあった後、わたし達はベッドをソファー代わりにし隣り合って腰掛ける。
そしてヴィレムは、いつも通りの鷹揚な口調で、静かにわたしに指摘した。
「パニバル、お前の剣の速さと鋭さ、変幻自在な緩急は大したもんだ。日頃の鍛錬が確かに出てる」
「けどな、お前は自分のやりたい剣、その場の閃きを優先して、打ち合いの中で大局が見えてないようにも思う。だから、今のお前に必要な課題は───…」
戦いとは、体技や剣技を競い合うだけではない。相手の情報を如何に知り、相手の心理をどう読むかも重要だ。
今自分が向き合う者は、一体何を得意とし何を苦手としているか。早い決着を望んでいるか、どっしり腰を構えているか。猛っているか、冷静なのか。何をすれば嫌がって、何をすれば誘いこめるか。それらの情報を組み合わせ、どう戦略的に戦うか。
膨大な経験を必要とするそれを、如何にして効率的に身に付けるのか。
───その為に、日頃から家族のことを観察する。何を求め、何をしようとしているか。何をすれば役立てるかを、自分の頭で考察する。
それを自ら実践し、相手はどのような反応を示すのか。自分は実際に役立てたのか、事前に予測した反応とどの程度の違いがあるか、常にフィードバックし続ける。
家族の為の、日常での小さな積み重ね。
それこそがやがて、戦いという瞬時の判断が連続して課される場でも、大局観として広範な応用が可能になる。
…………なるほど。ヴィレムの主夫力の高さ、年少組の扱いの上手さもあって、かなり説得力がある。
剣と剣とを交えることで、相手の心理や人格が感覚的に理解出来る。剣で自分と向き合う内に、そういう特技をわたしは自然と身に付けていた。
けどそれを、誰かと剣を打ち合えることが楽しくて、戦いに応用しようとまではしなかった。
考えること。それこそが、わたしの前の壁を壊し、大きな伸びしろになるのかも。
いやはや、これでヴィレムがクトリ先輩の願望も汲んで、結婚したり子供が出来るくらいにまで関係を深められていたというのなら、疑う要素など一つもなくなっていたのだが。
ポロっとそう口にしたら、思い切りクリティカルヒットしてしまったらしい。
「ははははは、言ったらいけないことを口にしちゃうのはどの口かなー?」
あ、まずい。ヴィレムの目から光が消えた。左手でわたしの頭をむんずと掴むと、さっき以上の激しさでぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃかき回し、右手はわたしのほっぺたをむにゅむにゅむにゅむにゅ揉み始める。
むわわわわ、目が回る。喋れない。悪かった。完全な失言だったからやめてくれ。タップタップ。
自分の発言がどんな結果をもたらすか、全然ちっとも予測出来てない。図らずもわたしの大局観の皆無さが、ここで完全に露呈してしまっていた。
仕方がない。捻くれ者のわたしだが、ここはご機嫌取りも兼ね、ヴィレムの助言に素直に従っておくとしよう───。