火を点けた先、青空の下で。   作:FINDER EYE

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残されたもの

 翌日の明け方。先生とレイヴンは始発の特急に乗り込んで、アビドスにある駅のひとつへと早々に足を踏み入れていた。

 

 人手が足りないのか、広々としたホームは所々砂に塗れ、お世辞にも手入れが行き届いているとは言えない。廃止となっている路線もあるのだろう。複数あるホームの幾つかは閉鎖されているようで、線路も砂に埋もれたまま。

 先生はそんなホームに設置されたベンチの砂を軽く払い、レイヴンと共に腰掛ける。列車内で寝ていた彼に代わり、彼女が車内販売で買っていたらしいサンドイッチと缶コーヒーを、お礼を言って受け取り、一緒に軽い朝食を済ませた。

 先生が寝ぼけた頭を起こすべく、喉にコーヒーを流し込み、その横でレイヴンがパックのコーヒー牛乳を両手で抱えて飲むひと時が過ぎ。

 軽く会話を交わした後、二人連れ立って閑散とした駅を抜け、最初の目的地へと足を運んだ。

 

 そして現在。

 先生たちは駅付近のとあるオフィスビル入り口に居た。

 

「ここ?」

「そのはずだね……うん、名前もちゃんとある」

 

 テナントサインにお目当ての名が刻まれている事を確認したところで、こんな堂々と掲げていいんだろうか、と先生は疑問を抱く。

 彼の疑問は尤もな事で、違法事業者である彼女たちは追われる身であり、入居当初に課長から同じ指摘が行われていた。しかし、名を売る為に借りたオフィスでもある、という社長の意向により決行されたのだ。

 

 入る前に連絡でも取ろうか、と先生が携帯端末を取り出したところで、彼の耳に声が届く。

 

「これで全部です! 積み終わりました!」

 

 聞き覚えのある声に先生とレイヴンは顔を見合わせた後、声がした方に向かう。その先には荷物が積み込まれた幌付きの軽トラックがあり、傍らに便利屋68の4人が集まっていた。

 

「じゃあどこに行く?」

「うーん……」

「あれ、どこか行くの?」

「せ、先生!?」

「えっ、あ、先生だ! 来てくれたんだね!」

 

 割って入ってきた先生の問いかけに便利屋の面々が動揺する中、ムツキだけが即座に反応を返す。直前まで少し残念そうな表情で携帯端末に目線を落としていた彼女だったが、その声を耳にした途端、満面の笑みを浮かべて彼の傍へと駆け寄った。

 

「うん。おはよう、みんな」

「おはよう」

「レイヴンちゃんもおっはよー!」

 

 便利屋の残る面々が口々に挨拶を返している間に、ムツキはいつぞやのように手を掲げ、そこにレイヴンの手がパチンと合わさる。

 その様子を──正確にはレイヴンを──カヨコが目を丸くして見つめた後、先生に視線を移して声をかける。

 

「……無事、だったんだね」

「ああ、うん。改めて、昨日はありがとうね」

「ふふん、あのくらいどうってことないわ」

「いやでも風紀委員長が来たらそっこー逃げたじゃん」

「し、仕方ないでしょ! 世の中、出来る事と出来ない事があるの!」

 

 笑みを湛えるムツキに、アルは言い訳がましく溢す。

 ゲヘナの風紀委員長。その名を聞くだけで不良は震え、目にすれば()()温泉開発部の部長ですら泣き崩れる、知らぬ者の方が少ない、キヴォトスの強者。

 そんな相手が出てきたとあっては、便利屋が撤退を判断するのも無理からぬ話だった。

 

「でも、それなら……」

 

 わいわいと言い合う二人の横で、カヨコの零した小さな囁き。それを拾ったレイヴンの視線が、カヨコと重なる。

 きょとんとしたのも束の間、ふとレイヴンは直観的に携帯端末を手に取り、画面を見ればモモトークのアイコンに新着通知のカウントが。タップして開くと予想通り、カヨコからのメッセージがあった。

 

 元々、レイヴンは能動的に通知を確認するような性質ではない。というより、自身で確認を行う習慣はなかったのだ。かつてであれば彼女が教えてくれたり、脳深部のデバイスが自動的に展開してくれていた事もあり、受け身でも問題なかった。

 キヴォトスで暮らすようになってからは当然、自ら動く必要があった。最近では対策委員会のグループに先生共々入った事もあり、通知音には気を配るようになっていたのだが──昨夜はヒナとホシノに強く意識を奪われていた為、確認を怠っていたのだ。

 

「……ごめんなさい?」

「いや、別にいいよ……まあ、無事でよかった」

 

 申し訳なさそうに小さく眉を下げたレイヴンに、カヨコは優しく微笑む。

 アコだけなら兎も角、ヒナもいるのであれば、そう大事にならないだろうと思っていた。だが、気掛かりでもあった。風紀委員会が襲来した原因の一端となっていたことを考えると、猶更だ。

 

 二人の無事が確認でき、安心したところで、カヨコの思考にもう一つ気になることが浮かんだ。

 

「そういえば、どうして此処が?」

「あ、私が呼んだよ。朝早くになるけど、もし来れるなら来てーって」

「うん、昨日連絡を貰ってね」

「やー間に合ってくれてよかったあ。もう少しでまた今度ねーってなるところだったんだから」

「今日一番の列車だったんだけど、遅かった?」

「え、先生たちアビドスに居たんじゃないの?」

 

 情報は共有しなよ、と目で訴えるカヨコ。そんな彼女を気にも留めず、ムツキはレイヴンの発言に目を丸くして先生へと顔を向けていた。

 先生は素直なレイヴンに小さく苦笑しつつ、仕方なしに口を開いた。

 

「昨日は偶々、D.U.の方に行く予定でね」

「ええっ!? じゃあ今日はD.U.から来たの? この時間に?」

「えー! それなら別に、無理して来なくてもよかったのにー」

「いや、無理はしてないよ。元々すぐ戻るつもりだったから、気にしないで」

「ふーん? まあ先生がそう言うなら……あ、そうだ。折角だし、ハルカちゃんを紹介するねー。しっかり話す機会もなかったし」

「い、いいいえ! わ、私のことなんて」

「よろしくね、ハルカ」

 

 ムツキに押し出されたハルカを交えた談笑。カヨコはその輪から少しだけ距離を置いて、レイヴンを小さく手招きした。誘われるがままに、とことこ近寄った少女の耳元へと、カヨコの口が寄せられる。

 

「先生、どこか調子悪いの?」

 

 元気に見える──ように、振舞っている。カヨコは先生を見ていて、そんな印象を受けたのだ。次いで連想するのは、昨日の事。

 私たちが撤退した後、何かあったのではないか。

 そんな疑念を抱いたカヨコが問い、

 

「……寝ないで、仕事してたみたい」

「…………そう」

 

 あんまりな答えに眉を落とす。

 そういえば最初に会った時も仕事に追われてたっけか、と思い出し、眉間の皺を撫でるように指先が動いた。

 その様子を眺めていたレイヴンの視線の先で、カヨコの表情が不意に柔らかくなり、淡い笑みへと変わる。

 

「カヨコ?」

「いや……私たちまとめて、シャーレにお世話になろうかって話があってね。社長も、あの様子なら悪い反応はしないだろうし」

 

 機嫌良く先生と話すアルの横顔を眺め、カヨコは微笑む。引っ越しを渋り、陰鬱な顔をしていた先程までが嘘のようだった。

 お世話になるとはいえど、便利屋を解散する事はないだろう。であれば協業といった形になるだろうか、とか。そういった細かい部分は置いておき。

 要は、この繋がりは今後も続くのだ。

 だから──

 

「その時に、まあ……手伝える事があったら、手伝うよ」

「うん。先生、喜ぶと思う」

「……そっか」

 

 仕事を手伝って貰える事ではなく。そう言って貰える事にこそ、先生は喜びを覚えるだろうと。

 言葉の足りないレイヴンの台詞から、カヨコはなんとなく、それを感じたのだった。 

 

 二人が一同との距離を戻したところで、先生たちの会話もちょうど区切りが付いたらしい。一拍の間を開けて、先生がトラックを眺めながら問いかける。

 

「それで……外出、って感じでもないけど」

「あーうん。まあ、昨日あんなことがあったから、流石にねー」

「ま、また別の依頼を求めてちょっと移動するだけよ!」

 

 更なる襲撃を警戒して逃げ出す訳ではない、とアルが言外に語る。まあ実際に、彼女の言う事も間違いではない。流石にアビドスで仕事を探すのは、人口的にも厳しいものがあった。

 とはいえ言い訳に聞こえるのも確かで。揶揄うようにムツキがアルの脇腹を突き、アルは手首のスナップを効かせ、その指をぺちんと叩いた。

 仲睦まじい二人を眺めて先生が微笑む。

 

「そっか、また会おうね。アルも、みんなも」

「もちろんよ! ただ今はうちが忙しくてバタバタしてるから、また今度ね、今度」

「アビドスにもまた来たいよねー。ここ、良いところだったからね」

「まあ……それはそうだね」

「はい、本当に」

「そうね……あ、も、もちろんまた来るわ、ラーメンを食べに!!」

 

 咄嗟に飛び出た言葉に、あの出会いが想起され。

 自然と綻んだ顔で、アルが口を開く。

 

「……本当に美味しかった、から」

 

 運転席はカヨコ、助手席にアルが乗り、荷台のムツキとハルカが手を振って。

 便利屋68の荷物を積んだトラックは、路地の向こうへと消えてしまった。

 

 その姿が見えなくなるまで手を振り続けた後、先生は傍らのレイヴンへと声をかける。

 

「じゃあ私たちもアヤネとセリカに合流して、大将のお見舞いに行こうか」

 

 先日、マーケットガードの襲撃による被害のあった柴関。大将に目立った外傷は無かったのだが、念のために病院へ押し込んだ、とセリカからグループトークで共有されていた。そもそもとして、彼もまたキヴォトスの住人。ロケットランチャーを撃ち込まれた程度でどうにかなるほど柔な存在でもないのだ。とはいえ、店舗自体はダメになったのも事実。入院は宿の代わりでもあった。

 

 昨晩の話し合いの結果、大人数で押し掛けるのも良くないとして、アヤネとセリカ、それに先生がお見舞いに行く事となっていた。その際、レイヴンの反応はなかったが、大活躍の疲れから寝てしまっているのだろうと予想されていた。どちらにせよ、先生と共に居るのだ。彼が声をかければ済む話だった。

 

「……それ、先生ひとりでも大丈夫?」

「レイヴン?」

 

 そんな経緯のあった先生の声かけだったが、レイヴンの返答は彼の予想とは違った。

 不思議そうな顔をしている先生と目を合わせ、レイヴンは静かに口を開く。

 

「ちょっと、行きたいところがあるから」

 

 

***

 

 

 先生と別れ、レイヴンはひとり、アビドスの市街地をゆっくりと歩いていた。

 

 先日の戦いの爪痕が、目的地へと近づくにつれ増えていく。老朽化したビル群は容易くその身に銃弾を埋め込み、場所によっては壁面が大きく抉られているところもあった。修繕が行われている様子はなく、戦闘があっても翌日には──早ければ当日でも復旧作業が始まっていたD.U.とは違うのだなと思う。

 

 それでも人の姿はそれなりにあった。規模に差はあれど、銃撃戦はキヴォトスの常。アビドスにおいても、そこに変わりはないのだろう。車の通りこそ少ないが、駅に向かって歩く人とは何度もすれ違った。

 しかし、昨夜のD.U.と比べてしまうと、やはり人通りは少ないと言えた。

 

 街並みと、行き交う人々を眺めて、歩く。

 今まで考えた事すらなかった行為をしながら。

 

 やがて、レイヴンは目的地へと辿り着いた。

 

 目の前にあるのは、倒壊し、瓦礫の山と化した店舗。

 キヴォトスであればなんてことの無い、よくある風景のひとつだ。

 そこが──柴関(見知った場所)でなければ、だが。

 

 レイヴンは手の届く位置まで歩み寄り、折り重なる木材にそっと指先を置く。

 赤の瞳を瞼で隠した彼女が見る景色は、みんなと食事をした時の事。

 

 ガレージの一室で、彼とした食事とも違う。

 シャーレの一室で、先生とした食事とも違う。

 大勢での、賑やかなひと時。

 

 目を開け、倒壊した柴関を改めて見つめ。

 脳裏に描いた景色と、瞳に映る景色を重ねて。

 アビドスを守る、という言葉の意味を、なんとなく理解する。

 それはきっと、居場所を守るということだけではなく。

 記憶の中の景色──思い出も、守りたいのだろうと。

 

 木材から指先を離し、手のひらを自身に向ける。

 それは、かつて過ごしたガレージさえも、まとめて、星ごと焼き払った手。

 多くを奪った、小さな手のひら。

 

 レイヴンはそれをじっと見つめ、考える。

 

 もし、今。

 あの時の選択を、やり直す機会が得られたとしたら。

 

 同じ選択が、出来るだろうか。

 彼の意志を、継げるだろうか。

 

 ありえもしない仮定を掲げ、自問していたレイヴンは、ふと自身の足元に白い破片があることに気づく。

 指先で摘み、顔の前へと持ち上げる。

 

「これ……」

 

 瞳に映るのは、見覚えのある模様。彼女の手にした物は、柴関で使われていたラーメン用の器──だった物だ。

 

 それは、何の変哲もない、壊れた陶器の欠片。

 誰が見ても、それをゴミクズと断ずるだろう。

 

 だが彼女は、それでも、確かな価値を感じていた。

 

 レイヴンは薄っすらとした汚れを軽く拭い、無造作にポケットへと仕舞い込む。

 見たいものは見たし、先生と合流しようかな、と彼女が考えたところで、その背に声が届く。

 

「あれ、レイヴンちゃん?」

「ほんとだ。そんなところで何してるのー?」

「……セリカと、アヤネ?」

 

 振り返ったレイヴンがセリカとアヤネの姿を目にする。少し視線を走らせるが近くに先生の姿はなく、どうやら二人だけのようだった。

 

「柴関に何か用事でも?」

「ううん……ちょっと、見たくなっただけ」

 

 セリカの問いに、レイヴンがぽつりと返す。

 普段と変わりないようで、違う、その声色を聞いて。セリカはレイヴンへと近づき、隣に並んで柴関を見つめる。

 その瞳は当然の如く、怒りに染まっていた。

 

「改めて見ると、やっぱムカついてくるわね。マーケットガードの奴らめ……!」

「でもセリカちゃん、今は……」

「……そうね」

「何かあったの?」

「……教室で話すわ」

 

 暗い声で交わされる、二人の会話。疑問を抱いたレイヴンが問うも、セリカは堅い顔で首を振り、端的に話題を切り上げた。

 

 後で分かるならいいかと小さく頷くレイヴンに、気持ちを切り替えたセリカの視線が向かう。すぐに気が付いた赤の瞳と、視線は重なった。

 

 セリカは、じっと見つめる。

 先生と離れ、崩れた柴関に居た少女を。

 大将のラーメンを、美味しい、と。

 そう言ってくれた少女を。

 

 目を閉じ、大きく息を吸い。再び目を開けると共に、口を開いた。

 

「確かにお店は壊されちゃったけど……でも、大将は無事だったし、大将ならお店なんて、いっくらでも()()()()()わよ!」

 

 力強く言い切ったセリカに、その言葉に、レイヴンが目を丸くする。

 

 実のところでいえば、()()()()()もあり、見舞いの際に大将は引退をほのめかしていた。だが、柴関の再開はセリカの中では規定路線らしい。大将の発言を共に聞いていたアヤネが、セリカちゃんらしいな、と微笑んでいた。

 

 セリカを収めていたレイヴンの瞳が、徐々に、眩しいものを見るように、細められていく。向けられた視線の妙な温かさに、セリカは怪訝な顔をした。

 

「えっと……レイヴンちゃん、どうしたの?」

「セリカは、かっこいいなって」

「うえぇ!? な、何なの急に!!」

「あ、セリカちゃん照れてる」

「いや、照れてなんかないし!! ちょっとびっくりしただけだし! そ、そんなことよりも! 早く、さっきの話を先輩たちに知らせないと!」

「……そうだね」

 

 表情を厳しいものに変えた二人が頷き合った後、セリカはレイヴンに顔を向ける。

 

「レイヴンちゃんも、行こ!」

「うん」

 

 

***

 

 

「先輩たち、大変!! これ見て!」

「アビドス自治区の関係書類を持ってきました! これを……?」

「……あれ?」

 

 セリカが走ってきた勢いのままに部室のドアを開けて喋り出し、アヤネもまた、同じような勢いで続いた。しかし話を続けるその前に、室内の空気が普段の物と異なる事に気が付き、二人揃って首を傾げていた。

 

 その後からゆっくりと入ってきたレイヴンも妙な違和感を抱き、部屋を見渡す。

 確かに、見知ったもの違う気がする。対策委員会で一番賑やか(・・・)なのはセリカだが、彼女が居ないからといって空気が沈むようなことも無いはずだ。

 ならばどうして、と考え──シロコの萎れた耳と、机に突っ伏していないホシノに由来するものと目星を付けた。

 

「……な、何、この雰囲気?」

「何かあったんですか……?」

「……先生?」

 

 レイヴンが呼びかけ、先生の顔をちらりと見るが、苦笑と共に首が小さく横に振られた。

 

「とりあえず今は大丈夫。おかえり、三人とも」

「ただいま」

「……うん、ただいま? い、いやそれよりも! とんでもないことが分かったの!」

「はい、衝撃の事実です……! 皆さん、まずはこれを見てください!」

 

 気には掛かる。だが、それ以上に重大な事柄を二人は抱えていた。

 言うが早いか、アヤネが机の中央に書類を広げる。彼女にしては珍しい、丁寧さに欠けた所作。それに怪訝な顔をしつつも一同は覗き込み、代表するようにホシノがぽつりと呟く。

 

「ん~、これって……地図?」

「直近までの取引が記録されてる、アビドス自治区の土地の台帳……『地籍図』と呼ばれるものです」

「土地の所有者を確認できる書類、ということですか……? でも書類なんて見なくても、アビドスの土地は当然アビドス高校の所有で……」

「私もさっきまでそう思ってた! でもそうじゃなかったの!」

 

 ノノミの言葉を遮り、セリカが叫ぶ。張り上げた声は、嘆きに震えていた。

 昂った気を鎮める為、深呼吸をするセリカ。そんな彼女に代わり、沈んだ声でアヤネが語る。

 

「午前中にお見舞いへ行った時に、大将から話を聞いたんです。柴関ラーメンが入っている建物はもちろんのこと、このアビドス自治区のほとんどが……私たちの学校が所有していることに、なっていませんでした」

「えっ……!? ……どういうこと? アビドス自治区がアビドスの所有じゃないって、そんなわけ……」

 

 アヤネの言葉を疑う訳ではない。だが自身の常識と重ねれば、信じきれない──いや、信じたくない。

 胸に燻る不安を押し殺し、ホシノは資料を手に取る。

 アビドス市街地の一角が記された地籍図と、対をなす地籍簿。そこに記された所有者の欄に視線を走らせ──

 

 ホシノは、自身の足元が崩れる音を聴いた。

 

「……これって、」

「現在の所有者は……」

「カイザーコンストラクション……そう書かれています」

 

 掠れたホシノの声と、当惑するノノミの言葉を引き取り、アヤネが締め括った。

 

 カイザーコンストラクションとは、建設業を軸とする会社だ。様々な建物の建築は元より、道路などの修繕も手掛けている。キヴォトスでは、流れ弾に因る建造物などの破損は日常の出来事。であればその修繕もまた同様。日常の一部、尽きない需要を満たす会社のひとつだ。

 社内には不動産の部門もある。当然、()()()()()()土地の売買は行われない為、住宅や商業施設の管理が主な仕事となっていた。

 

 そして──名が示す通り、カイザーグループの一員だ。

 

「アビドスの自治区を、カイザーコーポレーションが所有している……!?」

「……柴関ラーメンも?」

「……はい。大将はそのことを知っていて、ずいぶん前から退去命令も出ていたとかで……大将は、元々もうお店を畳むことを決めていたそうです……いつかは起きるはずのことだった、と……」

「どういうこと……!?」

「そんな、柴関ラーメンが……」

「あのお店が……」

 

 ぽつりと呟きを零したレイヴンの瞳が、セリカの方へと動く。暗い顔をした彼女と視線が一瞬重なり──目を伏せる事で、逸らされてしまう。

 その様子を見て、レイヴンの指先が、ポケットに仕舞った物を確かめるように、そっと動いた。あの場で言われた台詞が嘘だったとは思わない。しかしその実現はどうやら、随分と難しそうだと理解してしまった。

 

 窓から見える雲一つない空とは裏腹に、曇った心のまま、アヤネは周りを軽く見回す。陰鬱な空気が室内に広がっているのも、当然の事だった。守るべき場所が既に、敵とも呼べる相手の手に渡っている。その事実を突き付ける書類を見て、気が沈まないはずがない。

 しかしそれでも、伝えねばならない事が、共有すべき事が、まだ残っている。持ってきた資料とて、アビドス全土に比べれば、ごく一部でしかないのだから。

 

「……すでに砂漠になってしまった、本来のアビドス高校本館と、その周辺数千万坪の荒れ地。そしてまだ砂漠化が進んでない、市内の建物や土地まで……所有権がまだ渡ってないのは、今は本館として使っているこの校舎と、周辺の一部の地域だけでした……」

「で、ですが、どうしてこんなことに? 学校の自治区の土地を取引だなんて、普通できるはずが……いったい誰が、こんなことを……」

「……アビドスの生徒会、でしょ」

 

 微かな憤りを滲ませたノノミとは対照的に、冷淡な声でホシノが続く。

 

「学校の資産の議決権は、生徒会にある。それが可能なのは普通に考えて、その学校の生徒会だけ」

「……はい、その通りです。取引の主体は、アビドスの前生徒会でした」

「そんな……アビドスの生徒会は、もう2年前に無くなったはずでは……」

「……はい。ですので、生徒会が無くなってからは、取引は行われていません」

 

 ノノミとて、少し考えれば解る事だと、頭では理解している。ただ、心が認めたくなくて、否定材料を探すように言葉が溢れた。だがそれは、同じ苦しみを抱えるアヤネに、肯定で受け止められてしまった。

 これは、どうしようもない──事実なのだと。

 

「そっか、2年前……」

 

 その言葉に何を思ったのか。小さな呟きと共に、ホシノが目を伏せる。

 呟きを捉えた先生の視線がホシノに向かい、彼女の纏う空気が微かに変わった事に気づいた。まるで、鞘に包まれていた刀が、その身を僅かに覗かせたかのように。

 鋭く、冷たく──危うく。

 

「何をやってんのよ、その生徒会のやつらは!! 学校の土地を売る? それもカイザーコーポレーションなんかに!? 学校の主体は生徒でしょ!? どうしてそんなこと……っ!」

「こんな大ごとに、ずっと私たちは気付かないまま……」

「……それぞれの学校の自治区は、学校のもの。あまりにも当たり前の常識です。当たり前すぎて、借金の方にばかり気を取られて、気付くことが出来ませんでした。私が、もう少し早く気付いていたら……」

「……ううん、それはアヤネちゃんが気にすることじゃないよ」

 

 要らぬ荷を抱えようとした後輩に、ホシノがそっと声をかけた。自責の念に駆られ、ひざ元で強く握っていた手に視線を落としていたアヤネが顔を上げ、ホシノと目を合わせる。

 異なる色を持つ双眸は、申し訳なさそうに歪んでいた。

 

「これはアヤネちゃんが入学するよりも前の……いや、対策委員会ができるよりも前のことなんだから」

「……ホシノ先輩、何か知ってるの?」

「あ、そうです! ホシノ先輩も、アビドスの生徒会でしたよね?」

「え? そ、そうだったの!?」

「それに……最後の生徒会の、副会長だったと聞きました」

「……うへ~、まあそんなこともあったねえ。2年も前のことだし、そもそも私もその辺の生徒会の先輩たちとは、実際に関わりは無くってさー。私が生徒会に入った時には、もう生徒会の人たちはほとんど辞めちゃってたから」

 

 口々に問われ、ホシノはぽつりと語り出す。

 

「その時はもう在校生も二桁になってたし、教職員もいない。授業なんてものは、もうとっくの昔に途絶えてた」

 

 どこか、懐かしむような声色で。

 小さな身体を預けられて、パイプ椅子の背が軋む音が室内に響く。ホシノは天井を仰ぎながら、話を続ける。

 

「生徒会室も、そうと言われなければただの倉庫にしか見えないところだったし、引継ぎ書類なんて立派なものは一枚も無かった。ちょうど砂漠化を避けようとして、学校の建物を何度も移してた時期だったってこともあってね。そもそも最後の生徒会って言ったって、新任の生徒会長と私の二人だけだったし……その生徒会長は無鉄砲で、会長なのに校内でも随一のバカで……私の方だって、嫌な性格の新入生でさ」

 

 口の端が微かに持ち上がり、声には思い出を慈しむような色が乗っていた。

 

「いや~……何もかもめちゃくちゃだったよ」

「校内随一のバカが生徒会長……? 何それ、どんな生徒会よ……」

「成績と役回りは別だよ、セリカ」

「そもそも、セリカちゃんも成績はそんなに……」

「わ、分かってるってば!! どうして急に私の成績の話になるわけ!? 一応ツッコんでおいただけじゃん!?」

 

 シロコとアヤネに突っ込まれ、セリカが顔を赤らめる。

 その様を微笑ましそうに見つめた後、へらりと表情を崩してホシノが言う。

 

「うへ~、いやいや、正にその通りだよ。生徒会なんて肩書だけで、おバカさん二人が集まっただけだったからね。何の間違いだか、生徒会なんかに入っちゃって……いや~、あの時はあちこちに行ったり来たりだったねえ」

 

 過去に想いを馳せるように、窓の外へと視線が向かう。

 瞳に映る、昔と変わらない青空を見て、

 

「ほんっとバカみたいに、なんにも知らないままでさ……」

 

 瞬間の追憶が、声に乗る。籠められていたのは、複雑な色をした、濃い、大きな感情。その中で最も色濃いものは──悔恨だった。

 

「……ホシノ先輩が責任を感じることじゃない」

 

 当てられたように一同が黙り込み、室内に暫し降りた沈黙を、シロコが破る。

 その言葉は先ほどホシノがアヤネに向けたものと同じようでいて、違う。ホシノが昔を振り返っていたのに対し、シロコは今を見ていた。

 

「昔の事情は知らないけど、実際に生徒会が解散になった後……アビドスに対策委員会ができたのは、間違いなくホシノ先輩のおかげ」

「う、うん……?」

「……ホシノ先輩は怠け者だし、色々とはぐらかしてばっかりだけど、大事な瞬間には絶対に誰よりも前に立ってる」

「そうです。セリカちゃんを助けに行く時、真っ先に先生に助けを求めたのもホシノ先輩でしたし……」

「……うへ~、そうだっけ? よく覚えてな──」

「そうだったね、いつも絶対に先陣を切る」

 

 言い終える前に言葉が重ねられて。声の主である先生に、ホシノはそっと目を向ける。予想通りといえばいいのか。自身を見つめる暖かな眼差しが視界に入り──怯んだように、視線を逸らす。

 

「私、それ初耳なんだけど!? 何で教えてくれなかったの!?」

「ホシノ先輩は色々とダメなところもあるけど、尊敬はしてる」

「それって褒め言葉なの? 悪口なの……?」

 

 しかし視線を向けていたのは先生だけではなく。セリカの合流を経て、室内の目は全てがホシノに向かっていた。

 中でも一際強い視線は、ずっと、ホシノを捉えて離さない。

 

「ど、どうしたのシロコちゃん!? 急にそんな青春っぽい台詞を……! おじさんこういう雰囲気、ちょっと苦手なんだけど!?」

「……や、なんとなく、言っておこうかなって思って」

「え、えぇ……?」

 

 飾り気の無い、シロコの真っ直ぐな言葉を浴びせられ。気恥ずかしさからホシノの顔が赤らみ、視線があちこちを彷徨い──真剣な顔、というよりはどこか険しい表情のシロコに、ホシノが気付くことはなかった。

 

 唐突に提供された美味しい空気を吸い、ご満悦なノノミだったが、流石にのんびりと味わっている訳にはいかなかった。気持ちを切り替え、名残惜しそうに深呼吸をした後、議題を挙げる為にと口を開く。

 

「……では、どうして前の生徒会は、カイザーコーポレーションにアビドスの土地を売ったんでしょうか?」

「実は裏で手を組んでたとか」

「いえ……それは違うと思います」

「そうだね~。私もしっかり関わってないからただの推測だけど……ちゃんと学校のためを思って、色々と頑張ってた人たちなんじゃないかなーって思ってる。多分、最初は借金を返そうとして……って感じなんだろうな~」

「借金のために、土地を……」

「はい、私もそう思います。当時すでに学校の借金は、かなり膨れ上がった状態でした。ただ、それでもこのアビドスの土地に高値が付くはずもなく、少なくとも借金自体を減らすには至らなかった……」

「それで、繰り返し土地を売ってしまう負の循環に……ということでしょうか」

 

 口々に交わされた推察を締めくくるように、ノノミが悲し気に呟く。想像した過去と今を、少しだけ、重ねてしまったのだ。それはまるで、自分たちの未来を暗示しているようではないか、と。

 憂う瞳を手元に向けたノノミとは異なり、セリカは腕を組んで、うんうんと唸りながら天井を見上げていた。話の流れは理解したが、納得が出来ないのだ。

 

「何それ、なんかおかしくない? 最初からどうしようもないっていうか……」

「……そういう手口も、あるよね」

 

 苦々しく呟かれた先生の声に、セリカの顔が向かう。

 

「え? どういうこと?」

「アビドスは、悪質な罠に嵌められたのかもしれない」

「え、え?」

 

 硬い表情で、少々迂遠な物言いをする先生。セリカが首を傾げる一方で、理解を示すように表情を変えた生徒も居た。先生の内心が伝播したかの如く、暗色を滲ませて。

 

「あ~……なるほど、そっか」

「アビドスにお金を貸したのも、カイザーコーポレーション」

「!?」

「ということは……」

 

 どこか達観の混じる呟きを零すホシノ。その後を継いでシロコが剣呑な色を乗せて示唆すれば、アヤネが驚きに目を見開いた。同様の気付きを得たノノミが続き促すように小さな声を漏らすと、それに乗って、シロコの静かな声が続く。

 

「カイザーローンが、学校の手に負えないぐらいのお金を貸して、利子だけでも払ってもらうために土地を売るよう仕向ける」

「はい。きっと最初は、要らない砂漠や荒廃した土地でも売ったらと、甘言を弄したのでしょう。どうせ砂漠と化した使い道のない土地、その提案を断る積極的な理由もなく……」

 

 流れを引き取るように、アヤネは語った。気付いてしまえば辿り着く答えだ。なんなら、当時の情景すら容易に想像できる。

 だってそれは──同じ状況であれば、同じ選択をしただろうから。

 気付きに至らなかったのは、()()と接する機会や、悪意との遭遇。そういった経験の差だったのかもしれない。

 二人の先輩に少しだけ思考を割きつつも、アヤネは続きを紡ぐ。

 

「ですが、同時にそんな安値で売ったところで借金が減るわけでもなく、土地を取られる一方で……アビドス自治区そのものが、ゆっくりとカイザーコーポレーションのものになる」

「元々、そういう計算だったのかもしれない」

「アビドスにお金を貸した時点で、こうなるように全てを……」

「だいぶ前から計画していた罠だったのかもね。それこそ、何十年も前から……それくらい、規模の大きな計画だったのかも……」

「何それ!? ただただカイザーコーポレーションのやつらに弄ばれてるだけじゃん! 生徒会のやつら、どんだけ無能なわけ!? こんな詐欺みたいなやり方に、騙されてさえいなければ……!」

 

 考察の末、浮かび上がった大きな悪意。それを耳にしたセリカが、感情の赴くままに憤激した。怒鳴り声と共に椅子を弾き飛ばして立ち上がり、両拳は傍目から見ても判るほど、強く握り締められていた。

 激情を撒き散らし荒い息を吐くセリカへと、先生が沈痛な面持ちで、そっと声をかける。

 

「セリカ、落ち着いて」

「先生……?」

「悪いのは騙されることより、騙すことだと思うよ」

「……わ、私も分かってるわよ! た、たまにゲルマニウムのブレスレットとか買ったりするし、下手したらここの誰よりも分かってる! 悪いのは騙した方だってことは!」

 

 宥めるような穏やかな声色に、セリカの昂った神経が癒され、少しだけ静まった。そして彼女の冷静になった部分が、先ほどの激憤がどこに起因するのかを、自身へと突き付ける。

 

 それは──自己嫌悪だ。

 

 借金をどうにかしようと、常に考えてきた。その為に、お金になりそうな話を調べて回り、その結果、何度も騙された。

 そんな自身と前生徒会を、重ねてしまったのだ。

 だからこそ、静まった怒りに代わり、もう一つの感情が顔を出す。

 

「でも……悔しい、どうして……ただでさえ苦しんでるアビドスに、どうしてこんなひどいこと……」

「セリカちゃん……」

 

 今にも泣き出しそうな顔で零された言葉に、室内が重く沈む。

 

 そこに、小さな呟きが響く。

 

「……苦しんでる人たちって、切羽詰まりやすくなっちゃうからね~」

 

 静寂の中、目を閉じて、ホシノが言う。

 

「切羽詰まると、人は何でもやっちゃうものなんだよ……」

 

 それは、圧し潰したように平坦な声だった。

 追憶の影が浮かんだ表情を消し、目を開いたホシノは、普段のゆるい笑みをセリカへと向ける。

 

「ま、よくある話だけどね。ただそれだけだと思うよ、セリカちゃん」

 

 軽く放たれた割に、その言葉は、妙に重く響いた。

 

 数舜。室内は沈黙に満たされ、セリカが鼻を啜った音が小さく響く。ホシノの言葉を受け取り、それぞれが考え込むように口を閉ざした静かな時間。そこへと差し込むように、レイヴンは抱いてた疑問をそっと送り出す。

 

「その……カイザーコーポレーションが、土地を直接奪わないのはどうして? 企業ってもっと、強引なものだと思ってた」

 

 それは、企業が好き放題していたルビコンを見ていたからこその、感想だった。

 

 辺境の開発惑星()()()ルビコン。周辺の星系をその炎と嵐に巻き込んだ大災害『アイビスの火』が発生したことにより、封鎖された星。そこに燻るコーラルとその利権を求め、大企業が跋扈していた世界。その星に住まう者(ルビコン解放戦線)が抵抗しようと、治安維持組織(惑星封鎖機構)が立ちはだかろうと、企業が止まる事はなかった。

 だからこそ、()()()()()()()()()()としては、カイザーのやり方は随分と()()()感じるのだ。

 

「……アビドスの外って、そんな物騒なの?」

「い、いや、そうでもないと思うよ……」

 

 気を落ちつかせて再び着席したセリカの質問に、先生が苦し気に返答していた。彼自身もまた、キヴォトス外からの来訪者だ。訪れてからの日も浅く、余り詳しく無い以上、断言はし難い。だがそれでも、レイヴンが言う程の物では無いだろうと()っていた。

 

「えと……今でこそアビドスは私たちだけですが、昔はもっと大きな学校だったんです。それこそ、企業が手を出せるはずもないような」

「それに、侵略は不法行為です。そうなれば流石に、連邦生徒会が動くかと……」

「なるほど、連邦生徒会が……」

 

 ノノミとアヤネの説明にレイヴンは頷いて、連邦生徒会って凄いんだな、とぼんやり思った。きっと連邦生徒会には蹴り飛ばされるような執行者(エンフォーサー)など居ないのだろうと。

 

 一方、アヤネは答えを返した口元に手を当て、自身の発言を吟味していた。アビドスに対しての直接的な行動は出来ない。ならばどうするのか、と。

 閃きに、点と点が、線を結ぶ。

 

「──だからこそ、カイザーコーポレーションは、ヘルメット団を雇用していた。アビドスの生徒会が消えてしまってから土地を購入する方法が無くなり……まだ手に入れていない『最後の土地』である、この学校を奪うために」

「……無理じゃない?」

 

 考えを纏めるようなアヤネの呟きを、レイヴンはヘルメット団の事を思い出しつつ、小首を傾げて否定する。彼女はちらりとホシノを見て、自身の考えが間違っていないことを再確認した。

 その無謀な手法は、アイビスシリーズにドーザーを──()()()になった奴らをぶつけるようなもの。レイヴンはホシノとヘルメット団を、そう見立てていた。

 

「ん、あんな奴らに負けない」

「……でも、本当のところで言えば、かなりギリギリでした。物資が枯渇してましたし、あの日に先生とレイヴンちゃんが来てくれてなかったら、例えホシノ先輩といえど……ホシノ先輩?」

 

 言葉の途中で視線を移したノノミが、真剣な表情で考え込むホシノを見て首を傾げる。

 はたと視線に気付いたホシノは、取り繕うようにして、へらりと笑った。

 

「いやあ~ほんと、間に合ってくれてよかったよ。でも、どうしてアビドスの土地を奪うような真似をしてるんだろうね。こんな砂漠だらけの、砂まみれの場所なんてさ」

 

 あからさまな行動だった。当然、訝し気な視線がいくつもホシノへと向かう。その内のひとつである先生も、彼女の様子に引っかかりを覚えた。しかし先生はそこに触れず、助け舟を出すように、代わりとして先日の情報を共有すべく口を開いた。シロコと交わした約束のこともあり、丁度良い機会だったのだ。

 

「砂漠といえば、ちょっと耳に入れたいことが……ヒナから『アビドスの捨てられた砂漠で、カイザーコーポレーションが何かを企んでいる』と、聞いていてね」

「アビドスの砂漠で……」

「カイザーコーポレーションが……」

「何かを企んでる……?」

「そんなことをどうして、ゲヘナの風紀委員長が……」

「それに、どうして先生に……?」

 

 先生の言葉に対策委員会一同が怪訝な顔をして、一様に疑問符を浮かべていた。

 それもそのはず。『捨てられた砂漠』とはアビドスにおいて、砂漠化が進む前から砂漠だった場所。それでも昔は人が住み、建造物が並んでいた。だが砂嵐が始まったことにより、やがて砂に埋もれ、文字通り捨て去られたのだ。

 そう称されるだけあって、現在は人が住んでいる事も無く、交通機関が通っている訳も無い。

 

 だからこそ、そんな場所にゲヘナの──それも風紀委員長が足を運んだというのが疑問だった。その上、カイザーコーポレーションが何かをしている、ということも。

 

 不可解な状況に考えを巡らせる者が居る中、再び勢いよく立ち上がったセリカが声を発する。

 

「ああもう、そんな難しいことを考えるより、先にやることがあるでしょ! アビドスの砂漠はうちの自治区なんだから、実際に行ってみればいいじゃん! 何が何だか分からないけど、この目で直接確かめた方が早いって!」

「……ん、そうだね」

「……いや~、セリカちゃん良いこと言うねえ。こんなにたくましく育ってママは嬉しいよ。泣いちゃいそう。ティッシュちょうだい」

 

 よよよと目元を拭うフリをするホシノに、満面の笑みを浮かべたノノミがハンカチを差し出す。セリカは先輩組から向けられた生暖かい視線を受け、羞恥に頬を赤くした。

 

「な、何よこの雰囲気!? 私がまともなこと言ったらおかしいわけ!?」

「そんなことないよ」

「……レイヴンちゃん、それはそれでなんか恥ずかしいから!!」

「ふふっ……でも確かに、セリカちゃんの言う通りです」

「じゃあ、準備が出来たら行こっか」

 

 真顔のレイヴンから返ってきた言葉に、朱色の面積を広げるセリカ。熱を冷ますように手で風を送る彼女を見て、アヤネは小さく笑う。その後、方針は決まったと言わんばかりに先生を見れば、彼は同意するように頷いた。

 先生はひとりひとりと目を合わせるように見回す。異論が無い事を確認し、真剣な面持ちで口を開く。

 

「アビドス砂漠へ」

「「「うん(はい)!」」」

 

 異口同音とはいかずとも、一丸の声が室内に響いた。

 

 立ち上がったままだったセリカは、景気付けるように拳をぱしんと打ち付けた。

 

「よっし! 早速準備してくる!」

「あっ、セリカちゃん私も!」

「ふふっ、おやつは300円までですよ~☆」

「えっ……いや、流石に買い出しは行かないわよね?」

「置いてあるのも、ノノミ先輩が買ってくれたものですし……」

 

 準備といえど、そこまで大げさに装備を整える事は無い。服装で言えば、なんなら水着でもどうにかなるからだ。とはいえ砂嵐の吹き荒れるアビドスの砂漠に出るのであれば、飲料水に携行食、そしてコンパスの携帯は必須。それは、ホシノからも固く言いつけられている事だった。

 

 対策委員会の部室は狭く、物資の保管には不向きだ。その為、嵩張る物などは他の教室に置いてある。先の三人がわいわいと話しながら出て行った様子を、柔らかく微笑んで眺めていた先生が、彼女たちの姿が見えなくなると同時に立ち上がる。

 

「じゃあ私も砂漠に──」

「ダメ」

 

 行く準備を、と。

 続くはずだった台詞が、鋭い声で断ち切られた。

 

 一瞬の沈黙が室内に広がる。口を衝いて出た声にはっとしたホシノは、僅かに苦み走った表情を隠すように、その顔へ揶揄うような笑顔を浮かべる。

 

「いやあほら、先生は私たちと違って体力ないでしょ? 初めてアビドスに来た時だって、ぐったりしてシロコちゃんにおんぶされてたじゃん。だからほら、アヤネちゃんと留守番しててよ。ちょっと行ってすぐ帰ってくるからさ」

「……」

 

 普段に比べやや早口に、まるで取り繕うかのように喋るホシノ。ニヤニヤとした笑いを顔に貼り付けた彼女を、先生は真剣な眼差しで、じっと見つめ続けた。

 

 数秒の後。その瞳から逃げるようにホシノの顔が逸れ、視線がレイヴンへと向かった。

 

「レイヴンちゃんも、そう思うでしょ?」

 

 あの日ホシノは教室に居なかったような、と小首を傾げていたレイヴンの目が、同意を求めてきたホシノを見る。重なった瞳は、笑みを形作っているのに、どこか助けを求めるようにも見えた。

 不思議な印象を与える瞳に、レイヴンは疑問を抱く。だが、内容自体に異論はない。砂漠がどのようなものかは知らないが、ホシノが言っているのだ。素直に従うべきだと思っていた。

 

「うん。ホシノに賛成」

「ほら先生! レイヴンちゃんだってこう言ってるよ〜」

 

 再び、先生とホシノの視線が交差する。

 橙と蒼、異なる色を持つ瞳。先生はその眼差しを受け止め──ふと表情を緩めて、口を開いた。

 

「なら、そうさせて貰おうかな」

「うへ……それじゃ、おじさんも準備にいってくるよー。ほら、レイヴンちゃんもいこいこ~!」

「あ、うん……」

 

 戸惑うレイヴンの手を引いて、部室の外へと消えていったホシノを見送り。再び真剣な面持ちに戻った先生は思案に暮れる。

 

 些細なものではあった。でも確かに、普段と様子が異なっていた。特に顕著だったのは、先ほど交えた目だ。あの、誰かと重ねるかのような瞳。当人が意図していない、無意識的なもの。

 

 少し前。同じような瞳を、向けられた覚えがあった。

 

 記憶にある限りでは、ホシノからそのような目で見られたことは、今まで一度もなかったはず。しかしそれが、今になって急に。

 

 目を閉じて、思う。

 切っ掛けは──あの気配。過去を振り返る際、微かに覗かせた危うさ。

 

 アビドスに残った、ただ独りの三年生。

 彼女には──過去に起因する、何かがあるのだろうと。

 

 ホシノの様子に頭を悩ましていた先生の元へ、室内に残っていたひとりが、そっと近づく。

 

「……先生」

「シロコ?」

「出発する前に、ちょっと時間が欲しい……相談したいことがあって」

 

 声は、微かな憂慮に震えていた。

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