火を点けた先、青空の下で。 作:FINDER EYE
「もうっ、一体何なのよ!」
空が夕焼けに染まり、間もなく日没を迎えようとしている頃。
対策委員会の部室にセリカの怒鳴り声が響いた。
あの後、PMCの施設から離れたことにより通信状態は回復した。
まずは互いの安否を確認し、次いで行われたのは情報の共有。部室の方にはカイザーローンから電話があったとの事で、内容は理事の話と違わぬ物だった。
必然、一同の雰囲気は酷く沈んだ。以降の帰路は誰も口を開くことなく、物理的な重圧すら感じさせる空気の中、一同は黙々と部室へ戻っていった。
そして、改めて状況を話し合おうとした瞬間、セリカの怒りが再燃したのだ。苛立ちを露わにする彼女に対して、日頃であれば宥める言葉の一つでも飛んでいただろう。しかし、一様に暗い顔をする対策委員会の面々が何かを言うことはなかった。
セリカから吐き出された感情は、各々が内に抱えているものと同じ。まして事態は重く、かける言葉が見つからなかったのだ。
「カイザーコーポレーションは、あそこで一体何を企んで……?」
「『宝物を探している』、と言っていましたが……」
「あの砂漠には何も無いはずです。でたらめを言ってるんだと思います」
「石油など、お金になりそうな地下資源は何一つ残っていません……はるか昔に、すでにそういう調査結果が出ているんです」
「だとすると、どうして……」
「いやいや、今はそれよりも借金の方でしょ! 3000%とか言ってなかった!?」
「保証金も要求してきましたし……あと一週間で、3億円だなんて……」
ぽつりと零されたシロコの疑問を皮切りに、疲れの滲む声で議論するノノミとアヤネ。そこに、直面している問題と向き合うべきだとセリカが割り込んだ。
しかしセリカの言い分に従ったところで対策が直ぐに浮かぶはずもない。今までの利子だって、支払いに精一杯の状態だった。そこに追加された馬鹿げた引き上げ率に、莫大な保証金。向き合い、思い返したところで、胸の内に無力感が広がるだけだった。
室内には詰まるような空気が満ちていた。日差しが徐々に傾きを増し、暗がりを深めていく中、思い詰めた顔をしたシロコがふらりと立ち上がる。
「……行ってくる。あそこで何をしているのか、調べないと」
「し、シロコ先輩!? 行くって、一体どこへ……?」
「PMCの施設。徹底的に準備すれば、何とか潜入できると思う。行って、何をしてるのか確認する」
「ま、待ってシロコ先輩! それより今は、借金の話の方が先でしょ!」
直ぐにでも飛び出しそうなシロコを、セリカが慌てて呼び止めた。切迫感に押しつぶされそうなセリカの声を耳にして、シロコは大きく表情を変える。普段はあまり顔に感情が出ない彼女の反応が、その心情を如実に物語っていた。
「……借金はもう、真っ当なやり方じゃ返せない。何か、別の方法を……」
無理だ、なんて言いたくない。シロコは自身の胸の内に、徐々に諦めが広がっているのを実感していた。だからこそ、どうにか動いていたかった。でないと、じわりと滲む、寒さにも似た何かに負けそうだったから。
絞り出すような声で紡がれたシロコの言葉。苦悩に濡れたそこに、何が含まれているのかを察して、レイヴンはその小さな口を開く。
「──5分で1億」
シロコの脳裏に過ぎり、だが意識して捻じ伏せられた手段。かつて否定されたそれをレイヴンが端的に呟き、室内に息を呑むような気配が広まり、彼女へと視線が集まる。
「駄目だよ、レイヴン」
「……」
室内の面々が一様に口を開こうとしたその瞬間、誰よりも早く、厳しい声で制止する先生。レイヴンは硬い表情で自身を見つめる先生に対し、何も言わず、ただ冷たい赤の瞳を向けた。
レイヴンにこんな目で見られるのは初めてだな、と先生は頭の片隅で思いつつ、突き刺すような圧を与える眼差しを受け止める。そして──倫理的な物では無理だなと判断を下す。今必要なのは道理ではなく、その危険性を説くべきだと。
「襲撃を重ねれば当然、警戒される。その間隔が短くなれば猶更だ」
声をかけた後、レイヴンへと見せつけるように、先生はゆっくりと室内を見回す。その後、再び目を合わせ、諭すように声をかける。
「誰かが捕らえられたら、そこで終わってしまうんだよ」
その言葉は、レイヴンだけでなく、他の全員にも向けられたものだった。
レイヴンは先生と同じように室内を見回し、自身に注がれる視線と向き合った。それぞれの瞳に、心配の念を抱く優しい色が宿っているのを見て──誰かが欠けるのは嫌だな、と彼女は思う。
彼が語った内容も、納得は出来る。
それは無謀な行動の、妥当な末路なのだろう。
だけど──
「でも、それなら…………」
衝動のままに飛び出た先が紡がれる事はなく。ゆっくりと小さな口は閉じられ、力なく垂れた頭が左右に揺れる。
形になることはなかったが、言葉の続きは室内の誰もが理解していた。
なら──どうすればいいのか、と。
返せる答えを持たない先生も、自身に歯噛みするように口を噤み、沈黙が一同を飲み込んだ。
「まっ、とりあえず今日はこの辺にしとこう」
ぱん、と。重苦しい空気を払うような音が響く。
手を鳴らしたホシノは注目されたことを確認し、にへらと笑った。
「うへ~、じゃあ解散解散~。一回頭を冷やして、また明日集まることにしようよ。これは委員長命令ってことで」
「……そうだね。とりあえず、みんな一旦帰ろう」
二人の言葉に、誰からも異論が上がる事は無く。
本日の対策委員会は解散となった。
室内は暗い雰囲気のままに。
言葉少なに帰り支度を終えたセリカとアヤネが帰り。
ノノミはシロコと視線を交えてから、ホシノの様子を伺いながら静かに去って行った。
そうして、室内には四人が残る。ホシノはその内のひとり、帰る様子を見せず、ただじっと視線を寄こしていたシロコへと声をかけた。
「ん~? シロコちゃんは何かまだやることがある感じ?」
柔らかい笑みを浮かべるホシノに対し、シロコの表情は硬い。シロコは何かを訴えるようにホシノを見つめていたが、その微笑みが崩れることはなく。やがてシロコはその眉を落として、されど意を決したように口を開いた。
「……先輩、ちょっといい?」
「うへ~、おじさんとお話したいことがあるの? 照れるな~」
「私も」
「……先生も? うへ、おじさんモテモテだ~」
ホシノはわざとらしく頬に手を当て、はにかむように笑う。しかしその冗談めかした仕草をしても、二人は硬い表情を崩さない。
それを見て、ホシノは小さく苦笑した。
「でもさ、今日は疲れたし、色んなことがあったじゃん? また明日話そう、大体どんな話かは分かってるから」
「……ん、分かった」
素直でありながらも、明らかに気落ちした声でシロコは引き下がり。
ホシノに向いていた目線が、そっと動く。
「先生……」
寂しげに揺れる瞳を、先生は確かな頷きで受け止める。
その姿に、シロコは力なく、淡い笑みを浮かべた。
「ん、じゃあまた明日……」
それは、普段以上に静かな声だった。
肩から鞄を下げたシロコが部室のドアへと向かう途中、レイヴンの近くでぴたりと足を止める。彼女は数舜、逡巡するように眉をひそめてから、そっと口を開いた。
「レイヴン、その……私に、ついて来て欲しい」
「……うん、わかった」
何かあるのだろう。中身にまで考えが至らずとも、先のやりとりを見ていれば、それくらいのことは察する事が出来た。レイヴンは返答の後、ちらりと先生に目を向ける。彼が少々申し訳なさそうにその眉を下げ、小さく頷いたのを確認。二人きりにすべきなのだと理解し、席を立った。
手早く身支度を整え。
レイヴンはシロコに連れられて、対策委員会の部室を後にした。
「うへ~、先生やるねえ? 私の可愛いシロコちゃんと、いつの間に目と目で意思疎通ができる仲になったんだ~?」
二人の姿が消えて暫くした後、真剣な面持ちの先生に対し、ホシノは揶揄いの笑みを浮かべる。
「いやいや、やっぱり先生は侮れない大人だな~。おじさんは流れに付いていけなくて何だか寂しいよ」
先生へと顔を向けているのに、ホシノは何故か、目だけは合わせようとしない。そんな彼女を真っ直ぐに見つめ、彼は静かに話を切り出した。
「ホシノ、聞いてもいい?」
「ん~、何を?」
返事を受けて、ホシノの退部・退会届を差し出す。
「それって……」
眼前に突き出された紙に、ホシノは目を丸くした。
これこそ、彼女たちが砂漠に向かう前、シロコから相談された内容だった。
ホシノの鞄を勝手に漁り、その中から見つけた、とシロコは言っていた。悪いことなのは分かっていて、ホシノからも、先生からも怒られても仕方ない、とも。
相談を受けた際、先生はシロコを咎めなかった。自省する者に強く言う必要はなく、その行動も──今しがたのホシノの様子を見れば、気持ちが理解できるからだ。
「うへ~、いつの間に……! これ、盗ったのはきっとシロコちゃんだよね? 全くシロコちゃんったら、いくら何でも先輩のかばんを漁るのはダメでしょ~。先生、きちんとシロコちゃんを叱っといてよ~? あのままじゃとんでもない大悪党になっちゃってもおかしくないってー」
「うん。それはそれで、また今度ね」
ホシノの言葉も否定の出来るものではない。先生は流すのではなく、真摯に受け止め、飲み込んだ。
しかしその話は後に回して、
「今は、この退部届について聞きたいな」
「そっかー……」
「聞かせてくれる?」
「うーん。逃がしてくれそうには……ないよね~?」
そこで漸く、ホシノは先生と目を合わせた。
真っ直ぐにこちらを見つめる、心配そうな瞳。
どこか、
「……はあ、仕方ないなあ」
言って。ついと顔を逸らして、
「面と向かってっていうのも何だし……先生、ちょっとその辺一緒に歩かない?」
***
「……ごめん。先生から、引き離すような事して」
校舎を出て少し歩いたところで。足を止めて後ろを向いたシロコは、律儀にここまでついて来てくれたレイヴンへと、申し訳なさそうに声をかけた。
「ううん、大丈夫」
「……ん」
短い言葉の返答。しかし気遣いが感じられるものを受け取り、シロコは小さく微笑んだ。
夜を迎え、辺りには暗闇が広がり、二人の姿は月明りに淡く照らされていた。アビドス高等学校は節電の為、不要な電灯が殆ど落とされている。校庭を照らす照明塔も、久しく使われていない。たった五人の学校。教室の殆どは電気を入れるどころか、蛍光灯が外されてすらいた。
明かりの灯らない教室が並ぶ暗い校舎。その中で唯一、光を漏らす一室が存在感を放っていた。シロコの視線は、暗闇の中でひときわ輝く光に吸い寄せられるように、その部屋へ向かう。
心に浮かぶのは、そこに居るであろう二人のこと。
「ホシノ先輩……何かを隠してるみたいで……私には、話してくれそうになかった。でも先生相手なら、もしかしたら……って」
だから、二人きりにしたかった。レイヴンを連れ出した動機を、シロコは問われずとも語った。
伝えるというよりは、溢れてしまったかのような独白。先生への信頼が伺える言葉に含まれた、どこか寂し気な響き。レイヴンはその微かな感情を感じ取り、月明かりに照らされたシロコの憂いを帯びた顔を見つめて、静かな声で問う。
「シロコは、ホシノが大切?」
「ん……そうだね、大切」
返答は、自然に口を衝いて出た。
それは、深く考えずとも心から出てきた、明白な想い。
アビドスの乾いた空気は、夜の帳が下りるとともに、ひんやりとした冷たさを帯び始める。日中の熱気が残る地面からは冷たい風が立ち上り、シロコは薄っすらとした肌寒さを覚えた。
吐く息が白くなるほどではない。でも、身体の熱が奪われるような感覚。
その冷たい空気がふと──あの日の記憶を呼び覚ます。
──これ、巻いておきな~
胸の内に蘇った、無造作な言葉。
言った本人は、もう覚えていないだろう、そんな些細な一言。
手が自然と動き、首に巻いたマフラーをそっと掴んだ。
初めて触れた温かさは、今も鮮明に思い出せる。
あの日以来、例えアビドスの暑い太陽の下でも、ずっと身に着けていた。
静寂の中、シロコは静かに語り出す。
「……私には、この学校に来る前の記憶が無い」
「記憶、が……」
「ん、そう」
動揺の滲む呟きにシロコの意識が向くことはなく。
彼女はただ、積み重ねたこれまでを追想していた。
「自分の名前しかわからなくて、何の当ても無く彷徨っていて……ここで、ホシノ先輩とノノミに出会って」
それは自身に残る、原初の記憶。
寒さに震え。空腹に苦しみ。孤独に怯えていた。
そんな世界が、一変したあの日。
「……この学校には、私の思い出の多くが詰まってる」
いつも使っている校舎も、催し物の際に使用した体育館も、砂掃除の大変な校庭や共に勉強をした図書館だって。
見渡す限りの景色に日々の記憶が色濃く息づいている。
ここで過ごした日常は、かけがえのないものだった。
「だから、この学校が──皆が、大切」
アビドスが無ければ。対策委員会が無ければ。
この出会いはなかったかもしれない。
もし、ホシノ先輩と出会うことがなければ──私は今も、独りだったかもしれない。
その可能性を想像した瞬間、心が凍るような感覚に襲われる。冷たい風が肌を撫で、かつての寒さがシロコの中で再び息を吹き返す。
マフラーに触れていた手へと、無意識のうちに力が篭った。
言葉にした以上に強い想いを瞳に宿し、シロコはレイヴンを真っ直ぐに見つめた。
「先生もだけど、レイヴンにも。感謝してる。学校の事、手伝ってくれてありがとう」
「……わたしは、先生に付き添ってるだけ、だから」
「それでも、ありがとう」
「…………うん」
重ねられた言葉を受け取って。
レイヴンは目を閉じて、想う。
ありがとう──感謝の言葉。
ルビコンで言われたのは、何回あっただろうか。
アビドスで言われたのは、何回あっただろうか。
数えるまでもない自問を、胸にしまい込む。
どれだけ差があろうと、贈られた言葉は、どちらも大切なものだった。
「……シロコ」
「なに?」
「学校、守ろうね」
「……ん」
具体案はなくとも。
ただ、強い意思を胸に。
見つめ合い。
どちらともなく、微笑んだ。
「レイヴン、また明日」
「うん。また明日」
***
対策委員会の部室を離れ、先生とホシノは旧校舎まで足を運んでいた。
「けほっ、けほっ……うわぁ、ここも砂だらけじゃーん~……」
耐久性などが危険視され、普段は閉鎖されている古い校舎。その入口を開き、二人は中に入る。電気は通っているらしく、壁のスイッチを押せば蛍光灯に明りが灯る。しかしその光は弱々しく、廊下の窓から差し込む月明かりの方が強い。視界の状況は点ける前と大差ないように思えた。
どこからか入り込んだのだろう。閉じていたはずの建物内には、床はもちろん、廊下に出された机と椅子の上、備え付けられた水飲み場の中にも砂が散らばっていた。
それらを見まわし、ホシノは悲しげに眉を下げる。
「ま、仕方ないんだけどね。掃除をしようにも、そもそも人数に対して建物が大きすぎて……砂嵐が減ってくれれば良いんだけど……」
それが望み薄なことは、ホシノも重々承知しているのだろう。ぼやいた声色からは僅かな希望も伺えない。彼女の表情は、現状を受け入れるように凪いでいた。
しかしそれでも、先生はその顔を見て、潜むのは負の感情ばかりではないと気付いていた。
「うへ~、せっかくの高校生活が全部砂色だなんて、ちょっとやるせないと思わない?」
「ホシノは、この学校が好きなんだね」
「……今の話の流れで、本当にそう思う?」
ホシノは問いかけながら、先生を見る。
返答は、何の臆面もない笑みだった。
その暖かな眼差しと少しだけ視線を交わし、逃げるようにそっと逸らす。
「うへ、やっぱ先生は変な人だね」
思えば。
そこ以外、似ている部分など、ありもしないのに。
どこか──面影を探している。
気づいたことを誤魔化すように、ホシノは口を開く。
「……砂漠化が進む前、アビドスはかなり大きくて力のある学校だったって言われてるけど……そんな記憶も実感も、おじさんには全く無いんだよね~。最初から全部めちゃくちゃで、ちゃんとしたものなんて何一つない学校だった」
それでも、他の地区へ行こうとは考えもしなかった。
「おじさんが入学した時のアビドス本館は、今はもう砂漠の中に埋もれちゃったし。当時の先輩たちだって……もうみんな、いなくなった」
よくないな、とホシノは思う。
どうして今日は、こんなにも昔のことを話しているのだろうと。
「今いるここは、砂漠化を避けて何回も引っ越した結果に辿り着いた、
口にした言葉は、思いのほか強く響いた。
それが意味すること──捨てられない想いに自嘲して、切り替えるように明るい声を出す。
「ま、でもここに来てシロコちゃんやノノミちゃん、アヤネちゃんにセリカちゃんと会えたから……」
そう言って、対策委員会の部室を思い浮かべる。
あの部屋もまた、大切な場所だった。
「……うへ、やっぱり好きなのかもしれないな~」
「…………」
先生が沈黙を返したことで話は途切れた。
訪れた静けさに、ホシノは物思いに耽る。
人が増えて賑やかになった部室も、最近では随分と静まり返ることが多くなってしまった。
続いて欲しいと願っていた日常が、欠けていく。
彼女を失った、あの時のように。
その考えに至った瞬間、無意識に拳が硬く握られた。強張りを解すために、静かに、深く息をする。
意識が内を向きすぎてたかな、と気付いた時には遅かったのだろう。ちらりと視線を向ければ予想通り、心配そうに見つめる先生の顔が見えた。
ホシノは力ない笑顔を返しつつ、考える。
「……先生、正直に話すよ」
表情を改め、ぽつりと語りだす。
「私は2年前から、変なやつらから提案を受けてた」
「提案?」
「カイザーコーポレーション……提案というかスカウトというか……アビドスに入学した直後からずっと、何回もね。そういえば、ついこの間もあったな~……」
思い出すのは、繰り返し聞かされた黒服の言葉。
──アビドス高校を退学し、私共の企業に所属する……
──その条件を呑んでいただければ、今アビドスが背負っている借金の半分近くをこちらで負担しましょう
「それは誰から見たって破格の条件だった。でも、当時は私がいなくなったらアビドス高校が崩壊するって思ってたからこそ、ずっと断ってたけど……」
入学当初は、自分がアビドスをなんとかするのだという自負があった。暫くして、独りになった時。当然、学校を離れるわけにはいかなかった。
でも、今は──
不意に途切れた言葉を訝しんでるのだろう。じっと自身を見つめる先生の眼差しと視線を交え、ホシノは静かに
「……あいつら、PMCで使える人材を集めているみたい」
「……その人は、一体何者?」
「私も、あいつの正体は知らない……ただ、私は黒服って呼んでる」
「黒服……」
「何となくぞっとするやつで……キヴォトス広しといえども、ああいうタイプのやつは見たことなかったし……怪しいやつだけど、別に特段問題を起こしたりはしなかった……何なんだろうね。あのカイザーの理事ですら、黒服のことは恐れてるように見えたけど……」
ホシノの心に、ずっと引っかかっている事があった。
黒服の呼び出しと同時に発生した、市街地での戦闘。便利屋が襲撃され、柴関に被害が及んだ。そう聞いてはいるが、気になっているのだ。狙いは──本当に便利屋だったのだろうか、と。
──……ふふ、状況が変わりましてね
黒服が放ったあの言葉は、いったい、
じわりと息が詰まるようなこの状況は、いったい、
ホシノは、黒服の呼び出しと柴関の崩壊が、どうしても切り離せずにいた。
「じゃあ、この退部届は……」
「……うへ」
思考へと傾いていた意識が、先生の声で引き戻される。目線を動かせば、二人をこの場に繋ぎ留めている原因となった物的証拠が視界に映った。
これをどうにかしないと、先生が引き下がることはないだろう。そう思えば、決断は早かった。
「……まあ、1ミリも悩んでなかったらって言ったら嘘だし。ちょっとした気の迷いっていうか……うん、もう捨てちゃおうか」
下手な言い訳と共に先生の手から取り上げて。
退部届を破き──ホシノは、自身の失敗を悟る。
紙を引き裂く音が。
あの日の記憶と重なって。
──じゃーん!
声が、聴こえる。
──ホシノちゃん見て見てー! アビドス砂祭りの昔のポスター!
──やっと手に入れたよー!
能天気そうな、明るい声が。
──この時はまだ、オアシスが湖みたいに広がってたんだよねー
──あ、このポスターは記念にあげる!
懐かしい、あの声が。
──えへへ、すっごく素敵でしょー?
──もし何か奇跡が起きたら、またこの頃みたいに人がたっくさん集まって……
奇跡なんて起きっこないですよ、先輩
そんなもの、あるわけないじゃないですか。それよりも現実を見てください!
──は、はう……
こんな砂漠のド真ん中に、もう大勢の人なんて来るはずがないでしょう!? 夢物語もいい加減にしてください!
──うえぇ、だってホシノちゃーん……
──ご、ごめんね?
……っ
そうやってふわふわと、奇跡だの幸せだの何だの……
もっとしっかりしてください! あなたはアビドスの生徒会長なんですよ!? もう少し、その肩に乗った責任を自覚したらどうなんですか!
「うへ~、スッキリした」
「…………」
なんてことのないように振る舞った──つもりだった。月明りの方が蛍光灯よりも強い、薄暗い廊下。背丈の差もあり、少し俯けば表情なんて見えないだろうと。
でも、ダメだったのだろう。
先生の沈痛な面持ちが、鏡よりも雄弁に、自身の失敗を語っていた。
引き裂いた退部届が、あの日に破いたポスターと重なってしまい。その場に捨てる気にもなれず、折り畳み、スカートのポケットに仕舞う。
ホシノは取り繕った歪な笑みを収めて、先生から顔を逸らすように、身体を窓へと向けた。
「シロコちゃんとレイヴンちゃん、今頃何してるかなあ」
沈黙をごまかすように、言葉を溢す。
「銀行強盗の計画とか、考えてないといいんだけど」
「……シロコはそんなことしないよ。ホシノのこと、わかってるからね」
「そっか。じゃあ……レイヴンちゃんは?」
「…………きっと、大丈夫だよ」
苦し気な先生の声に、ホシノは思わず小さく笑う。
少しだけ、いつもの調子を取り戻していた。
「シロコちゃんもだけど、あの子もだいぶ危なっかしい子だよねえ~」
「でもシロコと同じで、良い子だよ」
「……うん、そうだね」
ホシノは彼に言葉を返しつつ、目を閉じて脳裏に描く。
二人とも、どことなく似ていた。
口数は少ないけれど、意志の強さは秘めていて。
好戦的に輝く瞳は困りもので。
ブラックマーケットで見せた、闇銀行を襲う際の躊躇の無さは、少し心配なところ。
それでも、悪い子じゃないのだろうと思えるのは、素直さが感じられるからだろうか。
ただ、強く違いを感じたのは──
「ねえ、先生……これは、本人のいないところで聞くようなものじゃないんだけど……」
ホシノは思い返す。
セリカを助け出した日のことを。
「あの子は誰か──大切な人でも、亡くしてるの?」
その言葉が、暗闇に飲まれて消えた後。
「ホシノ、それは……」
「──……ごめん、聞くべきじゃなかったね」
彼の絞り出したような声に、ホシノは小さく謝罪した。
「……どうして、そんな事を?」
「ううん。ただ……」
続きは、口に出せなかった。
保健室の前で涙を流す少女に対して──少し、自身を重ねていた、などと。
「ね、先生」
返答に代わり、改めて彼に向き直って。
努めて明るい声を出す。
「あの子たちの事、ちゃんと見ててあげてね」
「……それは、ママも手伝ってくれるんだよね?」
瞬間──なんだこいつ急に、と面食らい。
続いて、いつかの意趣返しだと気づく。
へら、と笑いが零れた。
虚を衝かれた心が齎した、自然な笑み。
「も~、しょうがないパパだなぁ」
釣られて先生も口の端を持ち上げ、少しの安堵を浮かべて笑った。先ほど言葉を発した時も揶揄うようなものではなく、むしろ情けないような顔だった。
他人事のはずなのに、こんなにも心を砕いてくれるのかと、ホシノは思う。
その善性の滲む笑顔を、目に焼き付けるように、じっと見つめる。
「……さっきの話は明日、みんなにちゃんと話すよ」
暫しの見つめ合いを経て、ホシノがぽつりと零す。
「可愛い後輩たちにいつまでも隠しごとをしたままっていうのも良くないし……聞かされたところで困らせちゃうだろうけど、隠しごとなんて無いに越したことはないだろうし」
「……そっか」
「だから……先生、また明日」
「……うん。また明日」
笑みをひそめ、
「──さよなら」
暗がりに消えようとした背へと、
「ホシノ!」
「な、なに……?」
「私が大人として、どうにかする! だから……!」
先生が必死に言い募る。
「……うへへ。私、そんなに元気なさそうだったかな?」
そう言って、ホシノは彼の元へと、少しだけ歩み寄る。
何の具体性も無い言葉で呼び止める先生は、いっそ無様とすら言えた。
だけど──
「うん。ありがとう、先生」
ホシノは微笑み、想う。
そんな彼だからこそ、後を託せるのだと。
***
翌日──机の上にはホシノが残した退部・退会届、そしてみんなへの手紙が置かれていた。