火を点けた先、青空の下で。   作:FINDER EYE

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委員会の事情

「いやぁ~まさか勝っちゃうなんてね。ヘルメット団もかなりの覚悟で仕掛けてきたみたいだったけど」

「まさか勝っちゃうなんて、じゃありませんよ、ホシノ先輩……勝たないと学校が不良のアジトになっちゃうじゃないですか……」

 

 気の抜けた声を出すホシノに、アヤネがため息交じりに言葉を返す。

 場所はヘルメット団の撃退へと向かうまで居た部屋。そこに、無事迎撃を終えた面々が集まっていた。中央に置かれた机と、それを取り囲むように配置されたパイプ椅子。座る少女たちは、まずは一息といったところだろう。

 

「先生の指揮が良かったね。私たちだけの時とは全然違った」

 

 シロコが先の戦闘を思い返して言葉を零す。その声には、敬意が込められていた。

 

「これが大人の力……すごい量の資源と装備、それに戦闘の指揮まで。大人ってすごい」

「皆の力あってこそ、だったけどね」

 

 彼にとってその言葉は謙遜ではなく、ただの事実だった。実際、人数差を覆す程の戦術を取った訳でもない。アビドスの面々とレイヴン。その個々人の力による物が大きかったのは確かな事だ。

 しかし、それはそれとして。指揮によって戦いやすかったのもまた、事実だったのだろう。先生の言葉を聞いてもシロコの意見が変わる様子はなかった。

 そんな彼女の姿を見て、ホシノがにんまりと笑って口を開く。

 

「今まで寂しかったんだね、シロコちゃん。パパが帰ってきてくれたおかげで、ママはぐっすり眠れまちゅ」

 

 彼女の言葉により発覚した新事実。レイヴンは驚きに目を丸くして、先生へと顔を向ける。

 

「パパなの?」

「違うよ!?」

 

 違ったらしい。顔の前で手を振り否定していた。

 

「いやいや、変な冗談はやめて! 先生困っちゃうじゃん! それに委員長はその辺でしょっちゅう寝てるでしょ!」

「そうそう可哀そうですよ」

「あはは……」

 

 セリカとノノミがフォローに入り、アヤネが乾いた笑いを漏らす。

 アヤネは話題を変えた方がよさそうだと判断したのだろう。居住まいを正して、先生の方へと向き直る。

 

「少し遅れちゃいましたけど、あらためてご挨拶します、先生」

 

 そんな彼女の言葉を皮切りに、自己紹介が始まる。

 彼女たちは、アビドス対策委員会。この場に居るのは1年の奥空アヤネ、黒見セリカ。2年の砂狼シロコ、十六夜ノノミ。そして、3年で委員長の小鳥遊ホシノとの事だ。

 自己紹介に返答を行いつつ、先生はひとつの疑問を抱いていた。アビドス対策委員会。その名は、連邦生徒会のデータベースには存在していなかった物だ。

 

「よければ『アビドス対策委員会』がどういったものなのか、教えて貰ってもいいかな」

 

 彼女たちの事をより詳しく知るための問いかけ。先生のそれに、アヤネが頷いた。

 

「そうですよね、ご説明いたします。対策委員会とは……このアビドスを蘇らせるために有志が集った部活です」

「うんうん! 全校生徒で構成される、校内唯一の部活なのです!」

 

 ノノミが明るい声で追従。しかしその後続く、少しトーンが落ちた声。

 

「全校生徒といっても、私たち5人だけなんですけどね」

 

 憂愁を帯びたノノミの言葉を、シロコが引き継ぐ。

 

「他の生徒は転校したり、学校を退学したりして町を出て行った」

 

 そう言って、シロコが窓の外を見る。その目に映るのは外の景色か、それとも去って行った生徒たちの幻影か。先生はその横顔から、彼女がどの様な心境なのか読み取る事が出来ずにいた。

 すぐに窓の外から視線を切った彼女と重なる、先生の視線。見つめ合う形のまま、悔やむような表情でシロコが話を続ける。

 

「学校がこのありさまだから、学園都市の住民もほとんどいなくなって、カタカタヘルメット団みたいな三流のチンピラに学校を襲われてる始末なの。現状、私たちだけじゃ学校を守り切るのが難しい。在校生としては恥ずかしい限りだけど……」

「もしシャーレからの支援がなかったら……今度こそ、万事休すってところでしたね」

「だねー。補給品も底をついてたし、さすがに覚悟したね。なかなかいいタイミング(・・・・・・・)に現れてくれたよ、先生」

「……力になれたなら何よりだよ」

 

 アヤネに続いた、ホシノの言葉。先生はそこに少しの含みを感じたが、気のせいだろうと飲み込んだ。

 

「うんうん! もうヘルメット団なんてへっちゃらですね。大人の力ってすごいです☆」

「かといって、攻撃を止めるような奴らじゃないけど」

「あー、確かに。しつこいもんね、あいつら」

 

 朗らかな口ぶりのノノミとは異なり、微かに苛立ちを滲ませたシロコ。セリカも辟易とした様子で声を漏らす。その様子からは、カタカタヘルメット団には随分と長い事悩まされていたのだろうという事が見て取れた。

 

「こんな消耗戦を、いつまで続けなきゃいけないのでしょうか……ヘルメット団以外にもたくさん問題を抱えているのに……」

 

 アヤネは自身が抱える陰鬱な気持ちを、そのまま零す。他のメンバーも似たような心境なのだろう、彼女と同様に沈んだ面持ちをしていた──ただ、一人を除いて。

 

「そういうわけで、ちょっと計画を練ってみたんだー」

「えっ!? ホシノ先輩が!?」

「うそっ……!?」

 

 暗い空気を払拭するかのように、ホシノが軽い声を出す。しかし、彼女の発言にセリカとアヤネが動揺を隠さず、あんまりな反応を返した。どうやらアビドス1年生組の中で、委員長の評価は然程高くないようだ。日頃の行いが窺い知れる反応だと言えよう。

 

「いやぁ~その反応はいくら私でも、ちょーっと傷ついちゃうかなー。おじさんだって、たまにはちゃんとやるのさー」

「……で、どんな計画?」

 

 続きを促すセリカに、ホシノが語りだす。

 

「ヘルメット団は、数日もすればまた攻撃してくるはず。ここんとこずっとそういうサイクルが続いているからねー。だから、このタイミングでこっちから仕掛けて、奴らの前哨基地を襲撃しちゃおうかなって。今こそ奴らが一番消耗しているだろうからさー」

「い、今ですか?」

「そう。今なら先生もいるし、補給とか面倒なことも解決できるし」

 

 動揺したアヤネの問いかけにも、ホシノが動じる事はない。そんな彼女を見て、他のメンバーも乗り気な様子を見せ始めた。これまでやられっぱなしだった相手への、反撃の機会。好戦的な笑みが彼女たちの口元に作られていく。

 

「なるほど。ヘルメット団の前哨基地はここから30kmくらいだし、今から出発しよっか」

「いいじゃない、懲らしめてやりましょ!」

「そうですね~。あちらも、まさか今から反撃されるなんて、夢にも思ってないでしょうし」

「そ、それはそうですが……先生はいかがですか?」

 

 口々に発せられる同意に怯んだのかのように、アヤネが先生へと意見を求める。

 その言葉を受け、彼は対策委員会の面々を見回した。やる気に満ちた様子の4人と、戸惑っている1人。先の戦闘による怪我があるようにも見えない。

 で、あるならば。

 

「……うん、そうだね。私も良い手だと思うよ」

 

 同行者の意見はどうだろうかと、先生が横目にレイヴンを見る。

 視線に気が付いた彼女は、力強く頷いた。

 

「泣きを入れたら、もう一発」

「……そっか」

「おー、可愛い顔して物騒な子だねー」

 

 レイヴンの意見(レッドガンの流儀)を聞き、先生は手で顔を覆い、ホシノが軽口を返す。

 過去の出来事では実のところ、一発なんてかわいい話ではなく。()にブレードを叩き込み、蹴りを入れ、銃撃を浴びせた事。それはこの場において、レイヴンだけの秘密であった。

 そんな話はさておき。

 意見がまとまった事もあり、ホシノが席を立って声を上げる。

 

「よっしゃ、先生たちの同意も得たことだし、この勢いでいっちょやっちゃいますかー」

「善は急げ、ってことだね」

「はい~それでは、しゅっぱーつ!」

 

 

***

 

 

『敵の退却を確認! 並びに、カタカタヘルメット団の補給所、アジト、弾薬庫の破壊を確認』

 

 アヤネの言葉に、集っていた面々の肩から力が抜ける。カタカタヘルメット団前哨基地襲撃作戦(ミッション)は、呆気なく方が付いた。

 戦いの結実は、ホシノの戦略が嵌ったと言える。ヘルメット団は対策委員会の襲撃に反応こそしたものの、アビドス学区での戦闘が尾を引いた事もあり、反撃としては随分と腰が引けていた。

 逃げ出す判断も早く、どちらかと言えば基地を破壊する方に時間を費やしていた程だ。

 

「これでしばらくはおとなしくなるはず」

「よーし、作戦終了。みんな、先生、お疲れー」

 

 暴れ回ってすっきりしたのだろう。清々したと言わんばかりなシロコの言葉に続き、ホシノが号令をかける。

 

「それじゃ、学校に戻ろっかー」

 

 そんな言葉と共に撤収に移る面々。しかし、レイヴンが後に続く事はなく。彼女はその場に留まって、辺りを見回していた。

 敵の拠点だからとアビドスの面々が大活躍(・・・)したそこは、至る所に弾痕が残り、爆破された残骸が転がっていた。その、どこか懐かしい光景を見て。彼女の意識が少し、過去に寄る。

 

「レイヴン、皆はもう移動したよ?」

 

 付いてこないレイヴンに気が付いたのだろう。先生が声をかける為、傍へと寄ってきていた。

 その先生へと彼女が向き直る。心にあるのは、今回の戦いで生じた疑問。彼女はウォルターの意思を継ぎ、彼の使命を果たして──ひとつ、教訓を得ていた。

 

「ねえ、先生」

 

 遺恨は元から断つべきだ(一度生まれたものは そう簡単には死なない)、と。

 

「本当に、逃がして(・・・・)よかったの?」

「……レイヴン」

「…………」

 

 自身に根付いた観点に従った、先生への問いだった。

 その言葉が含む物を察したのだろう。先生は咎める様な声色で、悲しむ様な表情で、彼女の名を呼ぶ。そして、そんな彼の様子に、違う(・・)のだと理解して。レイヴンは視線を落とした。

 彼はウォルターではなく。この考えもまた、異なるものなのだと。

 

「なになに? あいつらが戻ってくる事を心配してるのー?」

 

 重い空気を纏う二人の様子を気にしないかのような、軽い声。出所はホシノだ。二人を探しに戻ってきていたのか、彼女以外の面々も近くまで来ていた。

 

「あんな奴ら、また来たら蹴散らせばいいだけだよー」

「そうそう、ヘルメット団なんてどーってことないわっ!」

「ん、何度来ても叩きのめす」

「うんうん。私たちなら、それができちゃいます☆」

「……アビドスの皆は、頼もしいね」

 

 逞しいと言うべきか悩んだ先生は表現を選び、対策委員会のメンバーを褒め称える。

 そんな彼へと、彼女たちは誇るかのように力強い笑みを返した。

 

「ほらほらー、教室でゆっくりしたいし。先生たちもさっさと帰るよー」

 

 ホシノの言葉と共に彼女たちは再び学校へと歩き出す。先生もそれに同行する為、レイヴンの背へと手を当てる。

 

「レイヴン……私たちも、戻ろう」

「……うん」

 

 

***

 

 

「お帰りなさい。皆さん、お疲れ様でした」

「ただいま~」

「アヤネちゃんも、オペレーターお疲れ」

 

 アヤネの出迎えにホシノとセリカが返し。続く面々も言葉を交わす。

 本日二度目の戦いを終え、再び対策委員会の教室でパイプ椅子に座り込んだ面々。

 彼女たちにも疲労はあるのだろう。腰掛けた姿には疲れが見えたが、しかしその顔にはむしろ気力が漲っていた。

 

「火急の事案だったカタカタヘルメット団の件が片付きましたね。これで一息つけそうです」

「そうだね。これでやっと、重要な問題に集中できる」

「うん! 先生のおかげだね、これで心置きなく全力で借金返済に取り掛かれるわ!」

 

 軽く伸びをしながらノノミが語り、シロコが同意する。彼女たちの表情は明るい。ヘルメット団を追い払えた事が余程喜ばしかったのだろう。中でも一際輝かしい顔で笑うのは、セリカだ。

 晴れやかな表情のまま、彼女は先生へと顔を向ける。

 

「ありがとう、先生! この恩は一生忘れないから!」

「──借金返済って?」

「……あっ、わわっ!」

 

 少々大げさにも思える礼。それを受け取る代わりに先生が返した問いに、セリカが動揺する。慌てて両手で口を塞いだとて、一度口から出た言葉が戻るはずもなく。彼はその様子を見て、彼女にとって先の発言は失言だったのだと気が付いた。

 とはいえ、疑問を差し戻すつもりはない。ゆったりと対策委員会の少女たちを見回してみれば、アヤネと目があった。

 

「そ、それは……」

「ま、待って!! アヤネちゃん、それ以上は!」

 

 言い出しかけたアヤネを、セリカが遮る。余程聞かれたくないのか、彼女の声は大きく、室内へとよく響いた。

 その声に先生は少し頭を掻く。勿論彼としては、聞けるなら聞いておきたかっただけだ。そして当然、それを無理強いするようなつもりはない。様子からして今は無理かな、と聞きだすのを諦めようとしたが──

 

「いいんじゃない、セリカちゃん。別に隠すようなことじゃあるまいし」

 

 そんなホシノの言葉がセリカへと向けられ、彼女は驚きに目を見開く。身内から言われるとは思ってなかったのだろう。

 ホシノへと向き直ったセリカが、動揺を隠さないまま口を開く。

 

「か、かといって、わざわざ話すようなことでもないでしょ!」

「別に罪を犯したとかじゃないでしょー? それに先生は私たちを助けてくれた大人でしょー?」

「ホシノ先輩の言う通りだよ。セリカ、先生は信頼していいと思う」

 

 セリカの反論にホシノが軽く返し、シロコが後に続く。先輩二人からの言葉に気圧されて、表情を変えるセリカ。しかし、退く気はないのだと言わんばかりに声を張り上げる。

 

「そ、そりゃそうだけど、先生だって結局部外者だし!」

「確かに先生がパパッと解決してくれるような問題じゃないかもしれないけどさ。でも、この問題に耳を傾けてくれる大人は、先生くらいしかいないじゃーん?」

 

 尚も反論する彼女を宥めるように、諭すように。ホシノは語り掛ける。

 

「悩みを打ち明けてみたら、何か解決策が見つかるかもよー? それとも何か他にいい方法があるのかな、セリカちゃん?」

「う、うう……」

 

 返せる答えがセリカにはなかったのだろう、言葉にならない声が漏れた。

 彼女とて自身の言い分が苦しいのは理解している。ただ状況を説明するだけ。それに、これ程まで反発する方がおかしいのだと。

 しかし、説き伏せられそうになった彼女は、それでも拒むように声を上げる。

 

「でっ、でも、さっき来たばっかりの大人でしょ! 今まで大人たちが、この学校がどうなるかなんて気に留めたことあった!?」

「──確かに、来たのは今日」

 

 その発言に反応したのは、レイヴンだ。

 

「だけど、道に迷って来るのが遅くなっただけ。手紙を読んだ三日前、シャーレを出る時からずっと、先生は気にかけてた」

 

 きっと待ってるだろうから、とか。一刻も早く辿り着けるように、とか。そんな言葉をレイヴンは、この三日間で何度も聞き続けていた。

 だからこそ彼は、足が動かなくなるまで歩き続けたのだと。そう思っていた。

 

「三日間も……それで、あんなに弱ってたんだ」

「うっ……え、いや、道に迷わなければよかっただけじゃない!」

「それはそう」

「れ、レイヴン?」

 

 今まで黙って話の推移を見守っていた先生が、急に返された手のひらに動揺して声を漏らす。

 

「でも──」

 

 そんな彼に見向きもせず、レイヴンの視線は変わる事なくセリカへと注がれていた。

 

「たとえそうだったとしても。先生はずっと、戻ろう(・・・)じゃなくて、進もう(・・・)って言ってた」

 

 それが誰の為かと言えば、アビドスの為なのだろうと言う事は、語られずとも伝わっていた。

 セリカへと向けられる、レイヴンの真っ直ぐな眼差しと言葉。

 だが彼女はそれを受け止めるではなく──跳ね除ける。

 

「でも!」

 

 拒絶するかのように、叫ぶ。

 そこにあるのは理屈ではなく、感情。

 

「この学校の問題は、ずっと私たちだけでどうにかしてきたの! なのに今更、大人が首を突っ込んでくるなんて……」

 

 その矛先はレイヴンではなく──先生(大人)だ。

 

「私は認めない!」

 

 先生へと強い視線と言葉を叩きつけると同時に、セリカが教室から飛び出す。

 

「セリカちゃん!?」

「私、様子を見てきます」

 

 アヤネがその背に声をかけるが彼女の足は止まらず、ノノミは即座に後を追っていった。

 彼女たちの走る音が遠ざかり、静寂が室内を満たすその前に、先生がレイヴンへと声をかける。

 

「レイヴン……」

「……ごめんなさい。余計な事、言った」

「いや……ありがとうね」

 

 彼の言葉に、レイヴンは黙って首を振る。

 先生の擁護をしたくて、先の言葉を発したのではない。ただ自分が気に入らないと思ったから、反発したのだと。彼女は自身の発言が何故出たのかを、理解していた。

 ホシノはそんな彼らを眺め、開け放たれたままになった教室のドアを眺め。

 暫くしてから、口を開いた。

 

「えーと、簡単に説明すると……この学校、借金があるんだー。まあ、ありふれた話だけどさ」

 

 話の始まりはその様な言葉だった。

 対策委員会の少女たちが語る、アビドスの借金問題。9億6235万円という途方もない金額。それが、廃校の危機に追いやられている原因。そのせいで生徒もいなくなり、ゴーストタウンになりつつあるのだと。

 借金をする事となった理由も、先生は聞いた。

 数十年前、アビドス学区の郊外にある砂漠で起きた、砂嵐。想像を絶する規模で発生したその自然災害に対応すべく、多額の資金を投入し続けた結果なのだと。

 投入できる資金が枯渇し、悪徳金融業者にまで手を出す事になり。それでも毎年更に巨大な規模で発生する砂嵐に、学校の努力も虚しく、学区の状況は手が付けられないほど悪化の一途をたどった過去を。

 利息の返済に精一杯で、弾薬や補給品の補充も出来ない事。誰も問題と向き合おうとしなかった為、セリカが神経質になっていた事も。

 

「……まあ、そういうつまらない話だよ」

 

 ホシノの言葉で締めくくられたそれが、彼女たちの事情だった。

 

「そうだったんだね……」

 

 一通り聞き終わり、先生は顎に手を当て思考に沈む。

 シャーレに権限はあれど、9億を超える大金を用立てる手段はない。ホシノの言うように、確かにパパッと解決できるような問題ではなかった。

 ホシノは少し表情を険しくして考え込む先生を見て。その様子をどう捉えたか、彼へと軽い声で語りかける。

 

「で、先生のおかげでヘルメット団っていう厄介な問題が解決したから、これからは借金返済に全力投球できるようになったってわけー。もしこの委員会の顧問になってくれるとしても、借金のことは気にしなくていいからねー。話を聞いてくれただけでもありがたいし」

「そうだね。先生はもう十分力になってくれた。これ以上迷惑はかけられない」

 

 その言葉はきっと、彼女たちの優しさでもあったのだろう。しかしそれは、要らぬ重荷を背負うべきではないと告げる、緩やかな拒絶でもあった。

 だからこそ、彼の言うべき言葉はひとつだ。

 

「私も対策委員会の一員として、一緒に頑張るよ」

 

 真剣な面持ちと共に告げられた言葉に、アヤネが目を丸くする。

 

「そ、それって……」

 

 彼女はそう口にした後、理解へと至ったのだろう。驚きを表していた顔は、やがて笑みへと変わっていった。

 

「あ、はいっ! よろしくお願いします、先生!」

「へえ、先生も変わり者だねー。こんな面倒なことに自分から首を突っ込もうなんて」

「良かった……『シャーレ』が力になってくれるなんて。これで私たちも、希望を持っていいんですよね?」

「そうだね。希望が見えてくるかもしれない」

 

 沸き立つ少女たちの期待に応える為に、先生は柔らかく微笑む。

 

「これから、よろしくね」

 

 

***

 

 

「……ちぇっ」

 

 つまらなそうな呟きは、誰に拾われる事も無く。少女と共に、廊下へと消えていった。

 

 

***

 

 

 アビドス郊外の市街地。まだ、そこで生活する住民たちの姿がある場所。先生は幸いにも営業していたビジネスホテルの部屋を二つ確保した。

 あまり利用客が居ないのだろう。宿の料金は安く、中も閑散としている。だが、その割には部屋の作りは広く、設備もしっかりしていた。それは先生に、ここもかつての名残のひとつなのだと感じさせる物だった。

 広く作られた道路に走る、数の少ない車。大きく作られた駅に走る、本数の少ない電車。それらと同じく、過去から受け継がれ今に至った物のひとつだと。

 

 その様な考えに至った一室で彼は現在、レイヴンと向き合っていた。彼女をベッドへと座らせ、自身は部屋に据え付けられた小さな机の椅子へと座り。三日分の汚れを洗い落とした二人は身綺麗にしており、宿に入るまでに買った一着へとそれぞれが着替えていた。これまで着ていた物が洗い終わるまでに必要だと配慮しての物だ。

 先生としては本来であればこのような場を設けず、そのままレイヴンを就寝させてあげたかったのだが、残念ながらまだ相談すべき事が残っている。

 それは、明日以降の事についてだ。

 

「私は昼間言った通り、対策委員会の一員として明日もアビドスへ向かうつもりだけど、レイヴンはどうする?」

 

 先生が対策委員会の少女たちへと告げた言葉に嘘はない。それを証明する為という訳ではないが、アビドスへと足を運ぶのは当然だと、彼は思っている。

 しかし、レイヴンがそれに付き合うかどうかは別だ。彼女には彼女の進むべき道があるのだと。だが、それをあの場で聞くのは気が引けた。場の空気に流されるような子ではないと知ってはいるが、一度落ちついて考えられる状況になるまで待ったのだ。

 

「……一緒に居てもいい?」

「うん。じゃあ明日もまた一緒に、アビドスへ行こうか」

 

 今度は迷わないようにするからね。などと苦笑いしながら言いつつ、先生は考える。

 彼女の返答は、想定通りの物ではあった。

 少し間があったのは、昼間の出来事が原因だろうと彼は推察する。それがどちらの件か、それとも両方なのか。そこまでは、窺い知る事は出来なかったが。

 レイヴンは自分の足で立ち、歩く事はできる。選択を選び取る事もできる。しかし、自身の考えで動く事は、まだ出来ないのだろう。彼女がいつか巣立てるようにと、彼は願い、行動していくつもりだった。

 とはいえ、それは性急に事を運ぶ物でもない。時間と経験が彼女を成長させるだろうと、信じて見守ろうとしていた。

 

「セリカも、ホシノも。大人、大人って……」

「……レイヴン?」

 

 意識が思考へと傾いていた先生の耳に、レイヴンが出すにしては珍しい、ボヤくような声が転がり込む。彼が視線を向ければ、彼女はいつの間にかベッドへ背を預けるように寝ころんでいた。

 レイヴンはそのままの体勢で、先生へと疑問を投げかける。

 

「先生、大人って何なの?」

「なかなか難しい質問だね……」

 

 素朴な難題に、先生はどう答えようかと悩む。

 成人、と返すのもひとつの手だろう。定義の上では間違ってない。しかし、その様な回答が求められているのではないと理解している。

 ただひとつ、言えそうな事があるのなら──

 

「少なくとも……彼女たちにとっての『大人』は、寄り添ってくれるような存在ではなかったんだろうね」

 

 それは、対策委員会に限った話ではない事。

 このキヴォトスにおける、一般的な事。

 だからこそ、彼がここに居る理由。

 

「……そうなんだ」

 

 その言葉に、自身の出会いを思い返し、彼女は考える。

 大人。寄り添う存在。

 先生はそうだろう。必要だと思われる物を用意してくれたけど、何を強制するでもなく。何をすべきか考えられずにいた自身へ選択肢を用意し、道を示してくれた。

 では、ウォルターはどうか。戦う事を要求されたが、それは彼との関係性を考えれば、当然の事でもあったのだと言える。ただ、彼は突き放すような事をせず。かといって、寄り添うというには遠く。でも、気を配って貰っていたのは、分かっていた。

 恐らくあのどっちつかずな距離感は、彼の中にあった何かのせいだったのだ。それが何なのか、もう聞く事は出来ないけれど。きっとその壁がなければ、彼は寄り添ってくれたのだろうと。

 彼女はそう、信じている。

 

「じゃあ、わたしは恵まれてるんだね」

「レイヴン……」

 

 その言葉に、彼女の境遇に。そうだね(君は幸運だ)、などと言えるはずもなく。違うよ(君は不幸だ)、などと言えるはずもなく。先生に出来たのは、彼女の名を呼ぶ事だけだった。

 一方、先生から貰った回答で一定の納得を得たのだろう。レイヴンは心なしかスッキリした表情でその身を起こす。そして目に入った彼の難しい顔に首を傾げ。その仕草に返された、安心させようとする笑みに瞬きをする。

 

 心の深いところへ触れる事の無い、曖昧で穏やかな時間が少し訪れ──レイヴンはそこで気が付いた。彼の傍らにある机。そこに置かれた、タブレットスタンドへと設置された端末に。

 レイヴンは半目になった。

 

「……先生、ここでも仕事するの?」

「あはは……」

 

 そう言いはしたが、実のところレイヴンもなんとなく察してはいた。遭難していた三日間でも割と触っていたのを見ているのだ。屋根があって、充電ができる場所。そんな所で触らない訳がないだろう、と。

 渋面の彼女へと、先生は乾いた笑いを零した表情を改め、柔らかい笑みを送る。

 

「あの子たちに、一員として頑張るって言ったからね」

 

 以前から抱えていた書類もある。ここ数日のうちに飛び込んできた書類もある。しかし、今はそれらよりも優先したい書類があった。それは、顧問の登録に必要な書類。

 連邦生徒会の混乱は収まる様子が無い。きっと、手続きに伴う処理も遅れるだろう。だからこそなるべく早く準備し、提出しておきたかった。

 

 

***

 

 

 翌朝のアビドス住宅街、45ブロック地区。

 そこで先生とレイヴンが並んで歩いていると、見知った顔と遭遇した。

 

「……」

「うっ……な、何っ……!?」

 

 見知った顔──セリカは、物言わぬ赤い瞳に見つめられ、気後れしたかのように後退る。

 彼女にしてみれば、昨日の諍いの焦点にあったのは大人の存在であって、レイヴンに対して思うところは少ないのだろう。いやむしろ、支援物資を持ってきてくれた事も、共に二度も戦った事も考えれば。セリカにとしては、感謝すべき相手だと認識している。

 ただ、大人の肩を持つような発言により、なんとも言い難い距離感を抱いていた。

 

「おはよう」

 

 縄張りがぶつかり合った猫の様な二人に、先生の挨拶が割って入る。

 

「な、何が『おはよう』よ! なれなれしくしないでくれる?」

 

 そちらの方が相手取り易かったセリカが、ここぞとばかりに噛み付いた。

 彼女の先生に対する考えは昨日と変わりはない。一日経って冷静さこそ取り戻してはいるが、だからといって受け入れる気持ちにはなれなかったのだ。

 

「私、まだ先生のこと認めてないから! まったく、朝っぱらからのんびりうろついちゃって。いいご身分だこと」

「……」

 

 レイヴンがその言葉に反応して眦を吊り上げるが、その口が開かれる事はなく。そんな様子が見なくてもわかったのだろう。先生はセリカへと顔を向けたまま、レイヴンの頭を軽く撫でつける。

 罵られて尚、穏やかに微笑む先生と、睨みつけるレイヴン。そんな彼らの温度差に、セリカは風邪でも引きそうな気分だった。

 気まずい気持ちもあるのだろう。彼女の足がこの場からじりじりと離れるように動く。

 

「……わ、私は忙しいから。じゃあね──」

「セリカちゃんは、これから学校?」

「──って、な、何よ! 何でちゃん付けで呼んでんのよ! 私が何をしようと、別に先生とは関係ないでしょ?」

「まあそうだけど……学校に行くなら、一緒に行かない?」

 

 足こそ止まったが、振り返った彼女は呆れ顔だ。

 

「あのね、なんで私があんたと仲良く学校に行かなきゃならないわけ? そっちの子と一緒でいいじゃない。それに悪いけど今日は自由登校日だから、学校に行かなくてもいいんだけど?」

「あれ、それなら何処へ?」

「……そんなの教えるわけないでしょ?」

 

 これ以上の会話は要らないと判断したのだろう。セリカは気持ちを切り替えるかのように笑顔を作り、先生へと向ける。

 

「じゃあね、バイバイ」

 

 そんな言葉を残して彼女は砂埃を立てながら走り去り──

 

「──ッ、ごめんレイヴン、先に教室へ行ってて!」

 

 先生が少しの逡巡を経てそれを追うように走り出す。

 

「先生、気を付けてね!」

「ありがとうっ!!」

 

 彼の背へ声をかけ、遠ざかっていく姿を暫く眺めた後。レイヴンはひとり、対策委員会の教室へと歩き出した。


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