僕の恋路は壁が多い   作:銀楠

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イルカショーは後ろのほうで見るべき

 

 

 魚が好き、という言葉には二種類の意味がある。

 つまり『食べるのが好き』と『見るのが好き』の二種類だ。『一緒に泳ぐのが好き』みたいな島人の意見もあるかもしれないが、それは少数派故見ないことにする。

 

 大事なのは、この場合、星川が『見る派』であってくれたことだ。

 魚が泳いでるのなんて見たら吐き気を催す、なんて言われていたら、今日の僕は完全に詰んでいた。幸いにもそうでなかったから、練りに練ったデートコース――つまり、水族館デートはおじゃんにならずに済んだ。

 

「水族館ね、大人じゃん」

 

 とは、星川の談である。僕には何をもって大人なのかは分からなかったが、お気に召してくれたことは分かったので、まあ、良しとしよう。

 

 というわけで、僕らは駅前から水族館まで移動した。

 

 チケットを購入して入館した僕と星川を出迎えたのは、大小様々な種類の海の生き物たち。巨大な水槽の中を力強く泳いでいる。サメもいれば、ウミガメもいる。マイワシの群れもいれば、アカエイもいる。海の神秘は一瞬で僕らを魅了した。

 今日は休日だから、水族館の中は当たり前のように混雑している。小さな子供たちは水槽に張り付いて、海の生命の躍動に目を輝かせていた。

 

「ねえ」

 

 周りに気を遣ったのか、星川が声を落として話しかけてくる。

 

「あんた、泳げる?」

「もしあのサメみたいな動きを期待されてるなら、それは無理だ」

「そんなの期待してるわけないじゃん。普通に、二十五メートル泳げるかって訊いてんの」

「まあ、小さい頃は水泳習ってたからな。速くはないけど、バタフライまで一通り泳げるぞ」

「すごっ……あたし犬かきもできない」

「まあ、そういうやつもいるよな」

 

 泳げないなんて珍しくもない。というか、まさに湯川が泳げない。

 現代の水泳の授業では泳げないやつに泳ぎを教えてくれることなんて滅多にないので、スイミングスクールに通わないと泳げないのは当たり前のことでさえある。個人的には、平泳ぎはできた方が良いんじゃないかとは思うが。

 

 そんな話をしながら巨大水槽を堪能した僕たちは、ルートに従って奥に進んだ。

 暖かい海の色鮮やかな生き物たち。過酷な深海を生きる珍妙な形の生き物たちと続く。クラゲのエリアなんかは殊更照明が絞られていて、水族館というよりプラネタリウムのようであった。

 誰もが足を止めて写真を撮っている。

 

「かわいい」

 

 星川もまた、そのゆったりとしたクラゲの泳ぎに魅了され、写真を撮っていた。

 

「篠宮。写真」

「ん? 僕はいいよ」

「そうじゃなくて、撮ってって言ってんの」

「言ってたか?」

 

 文句を言いつつもスマホを受け取り、星川とクラゲをフレームに入れる。そして一枚、写真を撮った。

 

「かわいく撮れた?」

「ああ、最高にかわいいよ。クラゲが」

「あたしを褒めろっつぅの」

「クラゲに負けず劣らずかわいいぞ、星川」

「なんかビミョー……ま、いいや。ほら」

 

 星川が手招きをする。自分の隣に来いというジェスチャーだ。

 ご要望に応えて、僕は星川の横に身を置いた。すると、星川がより一層身を寄せてくる。肩と肩が触れ合った。

 

「ほら、撮って」

 

 そう言われて、やっと意味を理解した。つまり、二人で自撮りをしたいということなのだろう。あたりを見回すと似たようなことをやっているカップルは多い。

 見よう見真似で、僕は星川の肩に腕を回した。肩が少し跳ねる。ちらりと星川の様子を伺うと、少し緊張しているように見えた。

 

 構わずにシャッターを切る。

 撮れた写真を二人で確認すると、案の定、星川の表情は硬かった。

 

「星川、写真写り悪いな」

「あんたのせいだから。普通、急に肩とか触る?」

「すまん。星川なら馴れてるかと思って」

「…あんた、あたしのことビッチだと思ってるでしょ?」

「ほらっ、見てみろ星川。クラゲがたくさんいるぞ」

「誤魔化すの下手くそか!」

 

 星川に蹴りを入れられた。

 さすがに今回は僕が悪いので、素直に非を認めるしかない。

 

 順路をさらに進むと、多くの人の気配を感じた。水族館の一角に多くの人が集まっている。

 

「イルカショーだって」

 

 人の列の奥に掲げられた看板を見た星川が書かれた文字を読み上げる。

 

「見てくか」

「うん」

 

 列の最後尾に並ぶと、ちょうどそのタイミングで入場が開始した。吸い込まれていく人の流れに逆らわず、僕らも入っていく。そして、すり鉢状になった客席の前の方に着席した。

 

 ショーが始まると、飼育員のおじさんがイルカについて丁寧に解説していく。

 なんでも、イルカはその頭部から発生させた超音波で、仲間とコミュニケーションをとることができるらしい。さながら言葉のいらない会話。星川が「あんたと湯川みたいじゃん」と言った。僕は「湯川はイルカほど賢くないな」と返した。

 イルカたちは様々な芸を見せてくれた。完璧に統率の取れた泳ぎは感動ものだ。水中で衝突しないのかとヒヤッとする場面が何度もあったが、いずれも、スレスレで避ける。そのたびに、あちらこちらから歓声が上がった。

 

「すごい! すごい!」

 

 星川が魅了されていたのは言うまでもない。

 

 水中での見事な団体芸の後は大技を見せてくれるらしい。何をするのかと期待していると、マイクを付けた飼育員さんが「水しぶきにご注意くださーい」と言いながら、何らかのハンドサインを行った。

 それを水中から確認したイルカたちは一斉に深く潜っていく。かと思ったら、急に浮上してきた。そして、勢いそのまま空中に飛び出す。前列に座っていた僕らは首をもたげねばならないほどに、イルカは高く舞った。

 

「やばっ…」

 

 僕は反射的に立ち上がって、星川の前に立ち塞がった。視界を遮られた星川が不満そうな目を向けてくる。しかし僕も、意地悪するためにこんなことをしているわけではない。

 

 最高点まで飛び上がったイルカは、重力に引かれて落下した。着水の瞬間、水面には強い衝撃が伝わり、衝撃が伝播して高い水しぶきになる。それは当然のように客席に襲い掛かり、僕の背中をぐっしょりと濡らした。

 

 驚愕に見開かれた星川の目と視線が合う。

 

「……ありがと」

「いや……別に。メイク崩れた女の隣歩きたくなかっただけだから」

「デリカシー皆無か!」

 

 そんな僕らの様子に気づいた飼育員さんが「ジェントルマンな彼氏ですね。皆さん、彼に拍手を」と、すかさず弄ってくる。あたりからぱらぱらと拍手が飛んできて、注目の的となった僕と星川は揃って頬を紅に染めた。

 

 そんな感じで、イルカショーは大盛況のうちに幕を閉じた。

 集まった人が散開していく。

 僕と星川は熱帯魚のコーナーに足を運んだ。自然界にいるとは信じられないような色の魚を二人で眺める。

 

「濡れたの、大丈夫?」

 

 星川がそんなことを言う。心底心配しているように聞こえるあたり、やはり星川は性根のいい奴なのかもしれない。

 

「ちょっと気持ち悪いけど、問題ない。髪をセットしてこなかったのが活きたな。セットしてたら、その時間が無駄になってた」

「それとこれとは別の話。ちゃんとお洒落はしてこいっつぅの。デート相手に対する礼儀だから」

「はい正論暴行罪」

 

 そんな話をしながら順路を進むと、ついに終着点にまで辿り着いた。水族館の終着点。つまり、売店だ。

 

「湯川にお土産買っていっても良いか?」

「デート中に他の女への贈り物買うとか正気?」

「大丈夫。僕は幼馴染を女にカウントしてないから」

「あたしがカウントしてるから、大丈夫じゃないっつぅの…」

 

 とは言いつつも本気ではなかったようで、星川は湯川へのお土産をしっかり許可してくれた。

 僕と湯川はお互いにプレゼントするとき、変なものを送り合って馬鹿なセンス勝負を繰り広げることにしている。故に僕は、売店の隅から隅まで吟味した結果『チンアナゴの抱き枕』という、絶妙な商品に行きついた。デザインは微妙だし、細いから抱き枕としての実用性もない。商品開発部も、よくこれにゴーサインを出したものだなと思う。

 

 会計を終わらせて売店に戻ると、星川がキーホルダー売り場の前に立っていた。何やら、真剣に吟味している。

 

「なんか欲しいのがあるのか?」

 

 その背中に声をかけると、星川がゆっくり振り向く。

 

「まあ、今日楽しかったし、記念に」

「そうか。まあ、お金は僕が出すから、値段は気にしなくていいぞ」

「いい。こんくらい自分で出すから」

「遠慮すんなって。僕にも男気を披露させてくれ」

「男気なら、もう見せてもらったつぅの……でも、そこまで言うなら、奢ってもらおうかな。代わりに、あんたの分はあたしが出してあげる」

「僕の分?」

「うん」

 

 というわけで、僕は星川の隣に並んでストラップの吟味作業に入った。とはいえ、正直どれも魅力的には見えない。どれもこれもマトモなデザインだ。つまり、マトモじゃないのは僕のセンスの方ということである。

 

「決めたっ」

 

 僕が懊悩するうちに、星川は決めたらしい。ピンクのクラゲのストラップを手に取る。まあ、今日の経路的に、クラゲかイルカのどちらかだろうとは思っていた。

 

「じゃあ、僕はこれにしようかな」

 

 僕は自分で選ぶのも面倒臭かったので、星川が取り上げたクラゲの隣にあった商品を手に取った。星川のピンクのそれとは色違いの、青いクラゲ。半透明で、若干透けている。

 

「…あんたさぁ」

 

 そんな僕を星川が呆れたような目で見ていた。

 なんだろう。そんな目を向けられる覚えは……あった。いま、僕はチンアナゴの抱き枕を抱いている。

 

「ま、いっか」

 

 と、星川は納得して、レジに向かった。僕も追随するようにその後を追う。

 ちなみに、値段はともに500円だった。

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