僕の恋路は壁が多い   作:銀楠

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Live me…

 

 

 そして来る十二月二十四日はクリスマスイブだった。

 

 いや、二十四日がクリスマスなのは当たり前なのだが、僕にとってこの日はクリスマスイブである前に……そう、言うなれば『決戦の日』というべき一日だ。そういう意気込みで、僕は今日までを過ごしてきた。

 

 雪姫との待ち合わせは午前十時だった。約束の駅前に足を運んだ僕は、柱に背を預けてキョロキョロしている雪姫に手を上げてアピールする。

 彼女は僕の顔を見つけると、パッと華やぐように微笑んだ。

 

「よかった……来てくれないかもとも、思ってたので」

「まさか」

 

 笑って誤魔化した。

 実のところ、ドタキャンする策も考えなかったわけではない。それが一番簡単で確実な対応な気もした。ただ、実行に移すことはなかった。

 

 十二月にもなると、昼間でもかなり寒い。

 雪姫はバックリボンが特徴的な、グレーのフレアコートを羽織っていた。首には真っ赤なマフラーを巻いている。

 

「それで? 今日の予定は雪姫に任せていいんだよな? ……一応、もしもの時の為に、僕も僕なりにコースを考えて来たけど……」

「いえ、お気持ちだけいただきます。今日は全て、私に任せてください」

「……ああ、じゃあ、任せるよ」

「はい」

 

 嬉しそうに。

 雪姫はひとつ頷いた後、僕に一枚の切符を渡した。定期券で通学している僕は、電車の切符というものを初めて見た。

 初めて見たけど、切符に行き先が記されていることは知っていた。そこには、僕らが現在いる駅の名前とその一つ隣の駅の名前が記されていた。

 

「隣の駅?」

「はい」

「そっちで待ち合せればよかったんじゃ……まあ、いいや。切符いくらだった? 出すよ」

「券売機で一番安いものを買っただけなので、大丈夫です」

 

 そんなことを言う雪姫の後ろに続くように改札を通り抜けた。その背中を追いかけるように、唯々諾々とついていく。

 雪姫が向かったのは、切符に記された駅とは無関係な路線の通るホームだった。

 

「雪姫? 行き先間違えてないか?」

「電車、来ましたよ」

 

 行き先もあやふやなまま、特徴のない電車に乗り込んだ。乗り慣れない電車の見慣れない内装に、僕は少しの不安を覚えたのだと思う。対照的に、雪姫はとても落ち着いていた。

 電車の中はほどほど混んでいたが、僕らは幸いにもボックス席に並んで座ることができた。

 

「………」

「………」

 

 電車が揺れる。

 窓の外は寒天の街だった。クリスマスイブだからそれなりに賑わっていようが、傍から見れば、死んだように静かな街だった。

 

「僕、アニバーサリーって嫌いなんだよな」

 

 沈黙に耐え切れず、僕は早々に口を開いた。

 雪姫は言葉を返さず、視線で僕に続きを促す。

 

「クリスマスとかハロウィンとか、みんな馬鹿みたいに盛り上がるけど――たとえば僕らが乗ってるこの電車には運転手がいるみたいに、普段通りの生活を普段よりメンタルを削られながら熟してる人がいると思うと、素直に盛り上がれない」

「涼太さんは、ひねてますね」

 

 雪姫はクスクスと笑った。

 他愛ない話をしながら、僕らは電車に揺られた。雪姫は決して饒舌な質ではないが、彼女との会話は素直に楽しかった。でも、そうやって一時間も電車に揺られていると、心の底に沈んでいた不安が再び首をもたげていた。ふと車窓から外を覗くと、そこは全く知らない街にだった。

 何処まで行くつもりだろう。

 そんな疑問に答えたのは、車内アナウンスだった。次で終点らしい。

 

「降りるか?」

「はい」

 

 雪姫は冷静だった。だから僕は安心していた。

 終点は遠い町のそれなりに大きな駅だった。昼間なのに人が賑わっている。雪姫はスマホに落としていた視線を上げると、

 

「ホームで食べる立ち食いそばが有名な駅だそうです。お昼に食べていきませんか?」

 

 と、言った。

 

「いいけど……そういうのって混んでるんじゃ……」

「並ぶのは苦手ですか?」

「いや、そんなことはないけど……電車の時間は大丈夫なのか?」

「問題ありません」

 

 その即答っぷりに首を捻った僕だけど、雪姫は僕の疑問が言葉になるより先に移動を開始した。先導されるまま、彼女についていく。

 立ち食いそばの店は本当にホームの中にあった。そして、思ったほどは混んでいない。店から立ち上がる白煙と、出汁の薫りに涎が溢れた。

 

「立ち食いの店って初めてだ」

「私もです」

 

 そんな会話をして、その後は無言でそばを啜った。立ったまま食べた暖かいそばは今まで食べたそばで一番美味しかった。

 そばが食べ終わったら、雪姫は外していたマフラーを先ほどまでより少しだけ緩めに巻いた。

 そしてちょうどそのタイミングでやってきた電車に乗り込む。

 

 そんなジャストタイミングなことがあるんだなと……まさか、思うわけがない。

 僕は確信めいた口調で口を開いた。

 

「雪姫、目的地は?」

「………」

 

 彼女は答えない。

 乗り込んだ電車は空いていた。ドアが閉まる。ゆっくりと動き出した電車の中、僕は雪姫の隣に座った。

 

「目的地はないんだな?」

「……思ったよりも、早くバレてしまいましたね。もう少しドキドキしてほしかったのですが……涼太さんの賢さには敵いません」

「まあ、知識として、そういう旅行方法があるのは知ってたから」

 

 別に僕が賢いわけじゃない。

 電車好きやお金がない人がよくやる旅行。電車に乗るだけ乗って、いろんな場所に行くけど、改札は通らない。最終的に、入った駅の隣の駅で改札を通れば、百円ちょっとでプチ旅行できるという理屈だ。

 その派生で、行き先を最初から決めずに目に付いた電車に乗って、自分でも行き先がわからない旅を楽しむというものもある。

 

「……何も言わずにつれ出してしまってごめんなさい。今から引き返しますか?」

「いや」

 

 僕は雪姫の方を見ないで窓の外を見る。

 ちらほらと田んぼが広がる、田舎然とした町があった。

 

「これはこれで面白いから、付き合うよ」

 

 雪姫は言葉を返さなかった。彼女の方を見なかったから、彼女がどんな反応をしたのかは知らない。知りたくなかったから、目を逸らしたとも言える。

 ただ。

 雪姫はそっと、僕の手にその冷たい手を重ねてきた。そしておっかなびっくり、指を絡めるように手を繋いでくる。

 

 僕は握り返さなかった。

 

 

 林道を見て、川にかかった橋の上を渡って、山を見て、終に海まで見た。時刻は四時頃。海はオレンジ色だった。

 潮騒の聞こえる無人駅に降り立った僕は、

 

「そろそろ帰ろう」

 

 と、雪姫に言った。

 雪姫は答えず、辺りを見回した。無人駅は駅員はもちろんのこと、乗客すらいなかった。右手に海が、左手に長閑(のどか)な町が見える。誰も目に映らない駅に立つ僕は、まるで世界が僕と雪姫の二人だけになってしまったようだと思った。

 

 一陣の風が吹く。

 彼女の赤いマフラーが寒風に靡いた。風花が舞う。幻想的な世界だった。

 

「涼太さん」

 

 彼女が僕の名前を呼ぶ。

 僕の身体はびくんと反応した。喉が鳴る。僕は鈍感じゃない。鈍感じゃないから、彼女が何を口にしようとしているのか如実にわかった。

 心臓が、いっそう強く血液を送り出す感覚があった。

 

「私は涼太さんのことが好きです」

 

 焦らすこともなく、彼女は端的にそう告げた。

 それよりない、告白の文言だった。

 

 その表情は赤らんでいるようにも見える。でもそれは夕日のせいかもしれないし、彼女の顔は逆光で具に観察することは叶わない。

 僕は震える唇を何とか動かした。

 

「ごめん」

 

 それは断りの言葉だった。

 

「雪姫の気持ちは嬉しいけど――」

 

 言えば言うほど。

 僕の声が震えるほど、雪姫の表情はぐにゃりと歪んでいった。世界が歪んだのかと思った。海辺の駅は強い風が吹いていた。僕の言葉は風が浚って、僕の耳に届くこともなかった。口はたしかに動いていたけど、僕自身の耳には金属音のような高い音が空鳴るだけだった。

 僕の言葉が音になっていることを確かめる手段は、雪姫の表情だけ。

 僕は僕の本心を語った。雪姫の気持ちが嬉しかったのは事実。でも僕には応えられない理由があった。それを包み隠さず、全部口にした。

 

 僕はなんとか感情的にならないようにした。

 もし逆の立場だったら、感情的にフラれるなんて溜まったものじゃないと思ったから。僕は論理的だった。僕は正しかった。

 僕の言葉のひとつひとつに、彼女はたしかに傷ついたような顔をした。泣きそうな顔をした。そして最後には、涙を流し始めた。

 

 僕の心は軋んだ。

 心は脳を走る電気信号、なんてのは、きっと嘘だと思った。こんなにも胸が痛いのだから。

 雪姫の透明な涙は、呵責となって僕を苛んだ。僕は心が痛めば痛むほど、正しいことをしているような気がした。

 

 ――だから、僕は間違っていたのだと思う。

 雪姫の悲しみを汲み取った気になっていた僕は、結局、僕のことしか考えていなかった。彼女の痛みを理解した気持ちになっている自分に、勝手に酔っていただけなのだ。

 

 そうとも知らない僕は、彼女の痛みを理解した気になりながら、ペラペラと考えてきたことを喋った。何日もかけて考えて、悩んで、捻りだした僕の理論を語って聞かせた。

 

「―――」

 

 雪姫の口が動いた、ような気がした、けど、マフラーに隠された口元は、逆光も相まって本当に動いたかはわからなかった。

 僕の口はまだ動いていたと思う。わからなかったのは、僕がまだ音のない世界にいたからだ。耳鳴りが煩くて、他の音は聞こえなかった。そんな音のない世界を壊したのは、僕の目の前にいた雪姫だった。

 

「だから! もうやめてください!」

 

 悲痛な絶叫だった。悲鳴だったかもしれない。

 その切り割くような声で、僕の耳はようやく音を感じ始めた。風の音が耳朶を揺らす。

 

「そんな言葉聞きたくありません……」

 

 雪姫はいやいやをする子供のように耳を塞いだ。

 僕がなにを言ったのか、僕はもう忘れていた。そんな僕の視界の中で、雪姫は何度も首を振りながら「好きなんです、好きなんです」と繰り返した。

 

「好きなんです。こんなにも胸が痛くて、切なくて、苦しくて……でも気持ちよくて――初めてなんです。こんなにも好きなんです。だから私を選んでください。星川先輩のことなんて忘れてください。お願いだから、このままクリスマスが終わるまで私と一緒にいてください」

 

 ――ずっと、一緒にいてください。

 雪姫はそう言った。僕のような子供が受け止めるには、いささか重すぎる発言だった。

 

 彼女の言ってることはメチャクチャだ。感情的で、僕のことを一切斟酌していない。

 恋は盲目。

 相手のことがちゃんと見えてないのは、きっと雪姫も同じだったのだと思う。僕らは向き合ったまま、互いに自分の事だけを見ていた。

 

「雪姫、僕は――」

「いや!」

 

 彼女の絶叫は、吹荒ぶ突風に押し流されていった。

 雪姫のマフラーが解けて風に流されていった。僕はそれを目で追った。雪姫は何も言わない。僕の言葉を聞くつもりはなさそうだった。

 ふと。

 本格的に降り始めた雪を眺めながら僕はふと、今なのではないかと思った。

 僕が半年間抱えた荷物を下ろすのは、今この場なのではないかと思った。

 それは正気ではない今の彼女になら言えるかもしれないというズルい考えがそうさせたのかもしれないし、彼女が僕を嫌ってくれればそれですべてが解決すると、そんなもっとズルい考えがそうさせたのかもしれない。

 本心がどこにあったのかはわからないけど、僕は口を割った。

 

「――夏休みの前、僕とお前が偽物の恋人を解消した日、雪姫と忘野先輩が仲直りした日、忘野先輩があの神社にいたのはたまたまじゃないんだ」

 

 秘密を、口にした。

 そこには何か……倒錯的な快感があった。

 

「僕はお前との関係を終わらせたくて……忘野先輩に頼ったんだ。対価を支払って、雪姫に優しくするように――そういう()()をするように頼んだんだ」

 

 雪姫は目を見開いた。その拍子に、彼女の目から一際大粒の涙が溢れ出る。

 

「僕は雪姫が思うような人間じゃない。僕は雪姫を裏切ったし、それをずっと秘密にしてきた」

 

 言えた自分を少しだけ誇らしく思った。

 なにか間違えているような自覚はあった。だけど、それを咎めてくれる人はこの場にはいなかった。

 虚ろな目が僕を見る。

 

「いいんです」

 

 幽鬼のように立ち尽くす彼女は、生気のない声で、言う。

 

「姉さんのことなんてどうでもいいんです。涼太さんのことが好きなんです。それでも好きなんです。涼太さんのことを思うと胸が切なくて、星川先輩と仲良くしてるのを聞くと辛いんです。涼太さんが私のことを選んでくれないなら、いっそ――」

 

 雪姫は僕の手に自らの手を重ねた。そしてそのまま、引っ張るように僕の手を誘い……掌が、首に触れる。雪姫の首を震わす拍動の感触が、潮騒と混ざり合って僕の脳を混乱させる。混乱した頭で、女の首はこれほど細くて柔らかいのかと、僕は場違いな感想を抱いていた。

 

 そして彼女は、言う。

 

 

 

「いっそ、私を殺してください」

 

 

 

 

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