翌日、僕と湯川はデパートを訪れていた。
冷房の効いた店内を進み、辿り着いたのはあまり男子にとって近づきたくない区画。
「なあ、湯川」
「なに?」
「なんで僕はこんなところにいるんだろうな」
「私の水着を買うためじゃない?」
そう、僕らがいるのは水着売り場だった。それも、女性用の。
当たり前のようにお客さんは女性ばかりで、僕という異物は完全に浮いていた。時折白い眼を向けられて、肩を竦める。
「なんでこんなことに…」
「…ん」
僕が呆然と呟くと、湯川が記憶喚起のためにスマホの画面を向けてくる。そこにはメッセージアプリのトーク画面が表示されていた。相手はみんなの人気者、星川瑠璃。
『星川さん、ちょっといい?』
『湯川? そっちから連絡くれるなんて意外。なんかあった?』
『ちょっと確認したいことがあって』
『おけおけ』
『篠宮がプールデートの約束したっていう妄想に取り憑かれてるんだけど、そんなわけないよね?』
『あー。そんな話したかも。あたしに泳ぎ教えてくれるって約束したわ』
『!?』
『なに? 湯川も一緒に来たいの?』
『いや、私その日予定あるから』
『まだいつ行くか言ってないしwww』
『うっ…』
『ゴールデンウィーク初日だけ予定空いてるから、その日に駅前集合ね』
というわけである。どういうわけだろうか。
普段の湯川であればもっとにべにもなく断りそうなものだが、珍しくも、湯川はこの誘いを受け入れたのだった。それはもしかしたら、星川という新しくできた友人の誘いを断りづらかったのかもしれないし、或いは、シンプルに友人とプールに行ってみたかったのかもしれない。
そのどちらなのかは僕にも分からなかったし、僕も直接訊いたりはしなかった。
かくして、プールに引きづりこまれることが確定した湯川であったが、ここで一つ、問題が発生した。
水着を持っていないのである。
まあ、キングオブインドアである湯川がそんなものを持っているはずがないのは、当たり前と言えば当たり前のことだ。
ちなみに、ゴールデンウィーク初日とは三日後のことを示す。明日あさっては学校なので、間に合わせるために、昨日の今日で、せわしなくも水着を買い求めに来たのである。
…いや、おかしい。
僕が一緒に来る理由が何一つ説明されていない。
「湯川、やっぱり僕、帰っていいか? ここは僕がいるべき場所じゃないと思うんだ」
「ダメ」
「なしてか訊いてもよかですか?」
「篠宮には私の水着を選んでもらうから」
「それはレベルが高すぎるのでは」
「問答無用。今日は水着を選ぶまで帰さない」
「罰ゲームかな?」
「男女で水着選びとか、いかにも恋人っぽいね。今日は楽しもうか、ダーリン」
「げろげろげろげろ」
そんなわけで、嬉し恥ずかし苦々しい水着選びがスタートした。
湯川は水着の海で溺れるように辿々しく店内を巡ると、最終的に三着の水着をもって試着室へ。
どうやら、その三着の水着を順々に見せていく流れのようだ。
なんで僕がそれを見なければならないのかは未だに理解できないが、とはいえ、湯川が着替えている間にひっそり立ち去るほど僕は鬼畜ではない。結局、流れに流されるまま、僕は湯川のショッピングにアドバイスを送るしかないのかもしれない。
というわけで、一着目。
「どう、かな…」
珍しく所在なさげな声音の湯川が身を包むのは、ワンピースタイプの水着だった。
「おお…」
僕は思わず目を丸めた。湯川が実は美少女であることも、抜群のプロポーションを誇ることも知っていた。しかし、こうして頭の天辺から爪の先までちゃんと見る機会はあまりなかったかもしれない。というか、いくら幼馴染とはいえ、そんな機会があったらマズい。
水着自体はシンプルなデザインである。
だからこそ、湯川本人の魅力を引き立てているようであった。不覚にも、胸が少し刺激される。
「まあ、うん。いいんじゃないか?」
「ちょっと子供っぽくない?」
「それは設計上仕方ないだろ」
ワンピースタイプの水着は、どうしたって幼さが出てしまう。むしろそれが売りのデザインなのだが、湯川に合ってないといえば合っていない。
「やっぱビキニじゃないか?」
「そう…だね…」
なんて言いながら、湯川は試着室に引っ込んでいった。さっとカーテンが引かれ、簡易的な仕切りが完成する。こんな薄弱な壁の向こうで湯川が全裸になっているのだと思うと……びっくりするほど、胸は高鳴らなかった。水着姿には心臓が反応したのに、不思議なものである。
なんて考えていると、再びカーテンが開け放たれた。
「……っ!」
その姿を見て、一瞬言葉を失う。
湯川の女性らしい線を、ホルターネックタイプのビキニが覆っていた。色が黒色だからなのか、白い肌が一層際だち、普段は服に隠れている太ももや鎖骨、おへそなどに目が行ってしまう。はっきり言ってエロい。
「…どう? エロい?」
「いや、エロくないな」
「じゃあ、すんごくエロい?」
「ああ、最高にエロい」
馬鹿なやり取りをして、それだけだった。たぶん、湯川は僕の反応を見て、こちらの方が感触が良いことを察したのだろう。言葉はいらない、なんて言ったらカッコいいが、実際には僕の鼻の下が伸びまくっていただけだと思う。
このままの勢いで三着目。
カーテンの向こうから登場した湯川は、青いセパレートタイプの水着を纏っていた。ブラ部分がホルターネックチューブトップになっており、なんだか妙に色っぽい。恥じらうように内ももを擦り合わせるその所作が、そんな色っぽさを加速させている。
「…どう?」
「エロいな」
「それしか言わないじゃん」
「いやいや、今回のはただのエロさじゃないぞ。十年に一度のエロさだな。今世紀最高のエロさでもいい」
「ボジョレーヌーボーかよ」
ツッコミも、どこか覇気がない。
「どっちが好き?」
「ん?」
「さっきの黒いのとこれ」
「あー。まあ、青い方が似合ってはいると思う」
「おけ、じゃあ、これ」
と、手渡してきたのは湯川のスマホだった。
「どうした? 僕の反応がキモ過ぎて、僕の名前をアドレス帳から消したくなったのか?」
「違う。普通に写真撮って」
「ああ、写真ね……写真!? まさか、インターネットに……お前、『露出』で始まって『狂』で終わるあれな人なのか!?」
「違う。星川さんに見せるため」
「ああ、なるほど……なるほど?」
「いいから」
というわけで、僕は湯川の全身が写るようにフレームを調整し、写真を一枚撮った。女性用水着売り場で写真を撮る男。犯罪者でないはずがなく…。誰にも通報されなかったのは、神がかり的な奇跡と言えよう。日々の善行が……まあ、心当たりはないけど、気づかぬうちに積んでいた徳が、僕を助けてくれたのかもしれない。なんて、自己賛美をしてみる。
僕からスマホをひったくるようにして取り返した湯川は、写真を星川に送った後、再度カーテンレールを引いて試着室の中に消えた。続いて、衣擦れの音が聞こえてくる。
しばし、そのまま待っていると、湯川がやっと出てきた。その手にはスマホが握られている。
「星川から返信きたか?」
「きた」
「はっや。ジャパネットかよ。で、なんだって?」
「『かわいい』って。あと、スタンプが何個か」
「意外と簡素だな」
そっけない、というよりはシンプルな感想だ。もしかしたら、忙しいのかもしれない。休日のこの時間なら、友達と遊んでいても不思議ではない時間だ。
「ま、なんでもいいか。目的の物は買えたし、そろそろ帰るか」
「いや、せっかくデパートに来たから寄りたいところがあるんだよね」
「そうなのか? まあ、寄りかかった船というか来かかったデパートだし、ついでの買い物くらい付き合うぜ」
「ん? 今なんでもするって言った?」
「言ってねぇ」
「でもついでの買い物は付き合うって言ったよね?」
これはやばいかもしれない。
そう気づくのは致命的に遅かったと言わざるを得ないだろう。或いはまさか、女性用水着売り場よりも足を踏み入れがたい場所があるなんて、予想していなかっただけかもしれないが。
いずれにしても、これは僕のミスだったと言える。
それだけの話。