僕の恋路は壁が多い   作:銀楠

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立つ前から折れてるフラグもある

 

 

 学内に鐘の音が鳴り響く。終業の合図。学生達は各々の荷物を纏めていそいそと帰る者と、そうせずにだらだらと駄弁る者に分かれた。

 僕は――僕と湯川はどちらかというと前者に分類される。雨の日も風の日も大体僕の家に直帰して、ゲームしたり勉強したりとまったりした日常を過ごすのだ。

 

「よしっ、帰るか」

 

 今日はちょっと担任に頼まれ事をしていたので湯川を待たせることになってしまった。これでも学級委員長なので断れないのだ。

 机の上に広げっぱなしだった七限の教材を鞄に放り込みつつ、健気に待ってくれていた湯川に声をかける。

 

 ちなみに湯川は教科書を熟読するフリ(・・)をしていた。何故フリだと分かるのかというと、コイツは教科書を読めるほど頭が良くないことを知っているからだ。たぶんクラスメイトに話し掛けられないための精一杯の防御手段なのだろう。

 

「おい湯川、陰キャ特有の話し掛けるなバリアはもう良いから帰ろうぜ」

「は? 違うけど? 本当にちゃんと読んでましたけど?」

 

 湯川は何故か掛けている眼鏡のブリッジを右手の中指で持ち上げながら答えた。湯川の視力は別に日常生活に不便があるレベルで低い訳ではないので、たぶんコイツなりの精一杯の擬態なんだろう。なんか悲しくなる。

 

「まあ、うん。別に何だって良いけど。とにかくさっさと帰ろう」

「いや、良くない」

「食らいついてくんなや。もう本当に教科書読んでたってことで良いから」

「そうじゃなくて」

 

 「忘れたの?」と湿った眼を向けてくる湯川に僕は首を捻った。まったくと言っていいほど心当たりがない。

 

 今日はどっちも日直じゃないし、二人とも部活なんかやってない。だから学校が終われば陽キャの陽キャオーラに湯川が焼かれる前にそそくさと帰っている。

 

「なんかあったっけ?」

「はあ……これだから脳みそチンパンジーは」

「僕の成績はお前より遥かに上だし、チンパンジーは意外と賢いぞ。もしかしたらお前より賢いかもな」

 

 湯川の学力は底辺に近い。去年なんか進級出来るかどうかの瀬戸際までいったほどだ。昨年度末に追い込みを手伝いながら勉強はコツコツやれと口を酸っぱくして言っておいたのだが、どうも今年度の様子を見るに梨の礫だったらしい。

 

「すぐに成績成績言う人の方が頭悪いと私は思う。第一、高校の授業で習うことなんて何の役に立つの?」

「ひとまず進級の役に立つだろうな。あと、親に怒られないこととか。おじさん、お前の赤点フルコースに何て言ってるの?」

「次、一教科でも赤点取ったら勘当だって」

「お前は今すぐ勉強しろ」

 

 湯川のお父さんは割と厳しいタイプの父親だ。一人娘を溺愛してる手前勘当は流石に嘘だと思うが、カミナリは間違いなく落ちるだろう。愛の拳が落ちるかもしれない。

 

「そんなことはどうでも良いんだよ」

「まったくこれっぽっちもどうでも良くないけど……それで、僕が忘れてることって?」

「ふっ…」

 

 湯川はニヤリと笑って左手の小指を掲げた。

 

「分かったでしょ?」

「いや分からんが?」

 

 その指を圧し折れば良いのだろうか?

 

「恋人だよ、コ・イ・ビ・ト! 昨日、篠宮が言ったんでしょ」

「あーね」

 

 そういえばそんな話をしたなと、昨日の味の抜けたガムくらい価値のない放課後を思い起こす。馬鹿話に精を出しすぎて内容がうっすいが、何とか肝を思い出した。

 

 …そう、なんか好きになれそうな女の子を見つけるところから始めようみたいな話だったはずだ。

 

「で、良い感じの女の子は見つかった?」

「いや普通にその話忘れてた」

「やっぱりバカは篠宮でしょ」

「ドブにお前臭いねって言われた気分だわ」

「言い過ぎ」

 

 そうだろうか? そうかも。

 

 というか、また話があらぬ方向へ行っている。そもそも何の話だったっけ…。頭を捻って一瞬前の記憶を掘り起こす。

 

「それはともかく、昨日の話がどう関係してくるんだ? あの話の続きなら帰ってからでも出来るだろ?」

「話はね。でも実践は出来ない。言葉の上で語られる恋愛話なんてまさしく机上の空論」

「湯川……お前、そんな難しい言葉知ってたんだな…」

「今熱弁してるから話折らないでくれる?」

 

 じとっと前髪越しに黒曜の瞳が此方を射抜く。僕は肩を竦めて返事をした。

 

「まずはやっぱり千種さんからだね。彼女はチョロい。私のサイド・エフェクトがそう言ってる。計算によれば九十八パーセントの確率で勝てる」

「捕らぬ湯川のバカ算用だな」

 

 失敗したときのために二パーセントの保険をかけてるところが絶妙にウザイ。

 

 僕がだんだんこの話に興味がなくなっていく間にも湯川はしたり顔で滔々と何やら語っている。

 

「篠宮、まずは何においても会話だよ。好感度はイベントを熟さないと上がらないし、イベントは会話しないと発生しない。つまり話し掛けないことには恋は始まらない」

「バカ特有の途中式は間違ってるのに結論は合ってるやつやめろ」

 

 愚者の千慮に一得あり、というやつである。俗に言う「俺バカだからよぉ」構文のことだ。

 

「まあ私がバカなのかカバなのかはどうでも良いから、とにかく千種さんに話し掛けてみなよ」

「お前はカバかもしれなくて良いのか…!?」

「あげ足とらなくて良いから」

「今のあげ足か?」

 

 なんだかバカらしくなってきた。早く家に帰って遊びたい。

 僕はカバンとブレザーを持って立ち上がった。

 

「ま、まともに話したことない女子となんて話せるか! 俺は帰らせてもらう!」

「拗らせ童貞とホラー映画で最初に死ぬやつのスペシャルミックスやめろ。ちょっと面白いじゃん」

「ありがと。『ど、童貞ちゃうわ!』ってやつもやる?」

「やんない。だって童貞じゃん」

「はい事実陳列罪」

「そんな童貞の篠宮のためにこんな情報を調べておきました」

 

 湯川がそう言って見せてきたのはスマホの画面だった。訳分からんデザインの訳分からんサイトが表示されている。

 

「『童貞の、童貞による、童貞のための童貞卒業レッスン』。完璧でしょ?」

「不完全だわバカめ。なんで童貞に童貞卒業をレッスンされんだよ。意味分からんだろ」

「………ホントだ」

「さて、帰るか」

「まあ、待って」

 

 なおも食い下がる湯川に僕は辟易した。こいつのしつこさは(すっぽん)並みだ。或いは益荒男でも良い。

 

 僕が『湯川=九州男児』概念に考えを巡らせている間に湯川は次の策を弄したのか、少し考えながら口を開いた。

 

「ほら、想像して。千種さんと恋人になって、甘い青春を過ごす自分を。手を繋いで帰ったり、放課後にデートしたり、学校で友達に隠れてキスしたり…」

 

 なるほど、次はメリットで僕を動かす作戦らしい。

 別に拒否する意味もないので、僕は言われた通りそれらを想像した。想像したというより妄想した。全身の血行がほんの少しだけ良くなった気がした。

 心臓が高鳴って脈拍が上がるのが分かる。僕の中の童貞がそわそわし始めた。

 

「…篠宮。端から見るとすごいキモいよ」

「分かってる。分かってるけどそわそわしちゃう。だって男の子だもん!」

「男子全員巻き込んで自爆するのやめろ」

「…っ!? 湯川、ヤバイかも」

「どうした?」

「緊張してピンク色の汗かいてきた」

「カバかよ」

 

 そんなアホな話をしながら実はずっと湯川の支度を待っていたのだが、湯川は全く動こうとしないかった。

 こいつは意地っぱりで面倒なところがある。これは長くなりそうだと思った。

 

「湯川、もう良いから帰ろうぜ。馬鹿話なら帰りながらしよう」

「嫌だ。篠宮が千種さんに話しかけるまでここ動かないから」 

「じゃあ普通に僕だけで帰るんだけど…」

「篠宮」

「なに?」

「五千円やる、話し掛けてこい」

「何がそこまで…」

 

 湯川が本当に財布を取り出したから、僕は折れることにした。ここは教室だ。五千円押し付けられるところをクラスメイトに見られでもしたら、女に集ってるクズ男だと思われてしまう。

 

 しょうがないのでまずは千種を探すことにした。

 教室をぐるりと見回す。

 千種はいなかった。

 

「うしっ、千種いない。湯川、帰ろう」

「篠宮」

「なんだ?」

「Go」

「お前もう面倒臭くなってゴリ押そうとしてるだろ!」

「…Go」

 

 本当に一人で帰ってやろうかなと思いつつ、それもなんだかなと思って結局言う通りにしてしまう。

 

 千種は見付からなかったが、千種が何処にいるか知ってそうな奴には心当たりがあった。

 

 前田華凛。

 

 クラスの学級委員長で誰とも分け隔てなく接する少女。あの湯川にすら挨拶を返させるほどのコミュ力を持った学年一の人気者だ。

 

 僕は前田が上手いこと一人になるタイミングを見計らって声をかけた。

 

「前田、ちょっと良いか?」

「篠宮君? 珍しいね、放課後残ってるなんて。(しき)ちゃんは?」

「僕とアイツがまるでセット商品の如くいつも一緒にいる……のはまあ、否定できないけど。それとは関係なく、ちょっと用があるんだけど、千種ってどこにいるか分かる?」

「美穂ちゃん? 美穂ちゃんなら今日は委員の仕事がないからってもう帰ったけど?」

「………おけ」

 

 時間かえせや。

 

 マジでさっさと帰ればよかったと後悔しながら湯川の下に戻ろうとする僕に前田から声がかかった。

 

「美穂ちゃんに何か用? 私が伝えておこうか?」

「あー、いや。大丈夫。また明日にでも自分で伝えるから」

「えっ、あっ、いやそれはその……辞めておいた方が……」

「ん?」

 

 やけに挙動不審になった前田に僕が首を捻ると、彼女は小さく、そして辿々しい声で話し始めた。

 

「あの美穂ちゃんね、あまり篠宮君のこと良く思ってないみたいだから」

「……えっ?」

 

 立てる立てないとかそれ以前に、最初っからフラグが折れてることもあるんだなって。

 

「いや、違う違う。美穂ちゃんも悪気がある訳じゃないし。ちょって誤解があるだけで、そんなに悪いことじゃないよ、うん! 元気出して!」

「やめて。フォローされると僕がより惨めだから」

 

 なんなら前田のフォローの方がより僕の心を抉ったまである。

 優しさはときに人を傷付けることがある。これ、本日の教訓。

 

 …というか、なんだって僕は千種に嫌われているのだろう。

 僕と千種はただのクラスメイト。ほぼ関わりはない。だから湯川の話を鼻で笑ったわけで、千種が僕に懐いている印象は好きの逆、つまり無関心だと思っていたのだ。

 好感度ゼロだったらまだ納得出来た。でも、初手マイナススタートは聞いてない。本当に心当たりがないのだが、何故そうも嫌われているのだらうか。

 

「あの、ほら、美穂ちゃん風紀委員でしょ。結構真面目なタイプの。だから……篠宮君ほら、いつも湯川さんとイチャイチャしてるし。美穂ちゃんそういうのダメだから」

「僕と湯川がイチャイチャ…?」

「うん。付き合ってるんでしょ?」

「えっ!? 僕と湯川って付き合ってるの!?」

 

 思わず湯川に目を向けてしまった。同時に張り上げるように声を上げてしまう。教室中の視線が僕に集まった。たぶん僕の顔は今、物凄く引き攣っていると思う。

 湯川は湯川で凄く迷惑そうな顔をしながら、首を左右に振っていた。

 

 その様子を見ていたクラスメイト達はいそいそと各々の噂話に身を投じていく。もうなんだか、凄く面倒臭いことになる予感がした。

 

「あー、前田。僕と湯川は別に付き合ってない。今本人に確認を取った」

「あっ、うん。見てた……でもほらっ、いつも一緒に帰ってるからてっきり…」

「幼馴染みなんだ。家が近いんだよ」

「そうなんだ……じゃあ、放課後はどっちかの部屋で二人っきりっていうのもただの噂なんだよね?」

「あ、あ、あ、当たり前じゃないか。は、ははっ…」

「……」

 

 僕の目はたぶんピンボールゲームの玉くらい右往左往していただろう。悲しいほどに分かりやすい、図星を突かれた人間の反応だった。

 

 それを見た前田は何を勘違いしたのか顔を赤くし、両手をワタワタ動かし始める。

 

「こ、高校生だもんね! それくらいあるよ! で、でも避妊はちゃんとしようね! 私との約束だよ!」

「おい馬鹿やめろ違うから。誤解を生む言葉をそんな大きな声で叫ぶな!」

 

 時既に遅し。吐いた唾は飲めないように、言った言葉は返らない。

 錯乱した前田の言葉はクラス中に残酷な程良く響き、既に噂話に花を咲かせていたクラスメイト達は新たな肥料の投下によって大輪の花を狂い咲かせた。

 

「前田……もし明日あらぬ噂が学校中に広まってたら僕はお前を一生恨むからな」

「あらぬ……えっ、あっ、もしかして勘違いしちゃってた!?」

「まあ、うん。お前も年頃なんだな」

「いやぁぁぁ」

 

 暗にお前ムッツリなんだなと言うと、前田は更に紅潮させた頬を両手で隠して叫んだ。

 

「…まあとにかく、誤解だから」

「うん。ごめんね。クラスの誤解は私が解いとくよ」

「助かる。僕が何言っても火に油だろうからな」

「そうだね。何も言わない方が良いかも」

 

 噂の花に水はやらないし、良く燃える薪に油は注がない。ここは前田の人気に肖って、鎮火されていく様を見学させてもらおう。

 

「まあでも、まさしく誤解した私が言うのもなんだけどさ、誤解で良かったよ」

「ん? まあ、クラスメイトが放課後乳繰り合ってるなんて、あんま考えたくないもんな」

「いやまあそれもそうなんだけど……ほら、さっき千種ちゃん真面目って言ったでしょ? だからもし今の噂が千種ちゃんの耳に入ってたら、風紀矯正パンチが飛んできてたかもだし」

「アイツそんな危ない奴なの!?」

 

 そんなバイオレンスでヒステリックな奴だったとは、このリハクの目をもってしても見抜けなかった。

 

 前田にお礼とクラスの誤解を解くことの念押しをして今度こそ湯川の下に戻る。

 

 湯川はまた教科書を広げ、熱心に読んでいるフリをしていた。

 一言も発することなくここまで話し掛けるなオーラを表現出来るのは、もはやコミュ強なんじゃないかと思いながら湯川の肩を叩く。

 

「湯川」

「ん?」

「…帰るか」

「そだね」

 

 

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