結果的には、ことは概ね僕の狙い通りに進んだ。
学校の掲示板をちらっと覗いた限りでは、昨日の星川の処女宣言は大いに広まっているようだ。それは今まで蔓延していた星川に関するうわさに矛盾する、つまり真っ向から否定する内容だったわけだが、より強く膾炙したのは新しい噂だった。
噂にはインパクトというものがある。
どこの誰が言い出したか分からない噂より、本人が教室の真ん中で叫んだ言葉の方が情報としてのおもしろみが大きい。たとえそれが前提をひっくり返すような内容だったとしても、人はよりインパクトの大きい情報を信じ、より信じられた情報が集団の共通認識になるのである。
畢竟、噂は噂で塗りつぶせる。
噂とは、所詮そんなものだ。
とはいえ、それが星川のためになったかと問われれば、それに自信をもって頷くことは残念ながらできない。
結局、星川は恥ずかしい宣言をクラス中に傍聴され、あまつさえ学校中に拡散されたわけだから、大いに恥をかいたということである。
まあそれは『人の噂も七十五日』ということで、長期的に見ればないものとして扱ていい損失だとしても、処女非処女云々に関しては明確なレッテルが張られてしまった。それが最大の問題なのである。
以前、『処女は恥ずかしいか』という命題を星川に向けられたことがあったが、僕はそのとき、お茶を濁してしまった。
故に星川がその件についてどういうスタンスをとっているのかは今も分からない。
もし、星川が処女であることを恥ずかしいと思っている人間ならば、今回僕が弄した策はありがた迷惑以外のなにものでもない。というか、まんま傍迷惑であっただろう。
そんなリスクは実行する前から承知していた僕だったのだが、それでも今回の件を敢行した理由は、僕が星川の名誉よりも湯川の意思を尊重したからに他ならない。いい感じだったかわいい女子より、色気を微塵も感じない幼馴染の方を優先してしまっているあたり、僕も極まっているというかキマっちまっているというか。
そんなことを考えつつ登校していると、学校の最寄り駅のロータリーで、偶然星川の後姿を見かけた。
昨日あんなことを仕掛けたとはいえ、素っ気なく他人のように振舞うのもおかしいだろうと思って、僕は星川に声をかけた。
「星川、おはよう」
「…はよー」
省略された朝の挨拶は掠れていて聞き取りづらかった。昨日、自棄になってカラオケオールナイトでもしたんだろうか。
そんな邪推をしながら星川の顔を覗き込むと、肌色が妙に赤いことに気づいた。
カリスマギャルを自称する星川が化粧に失敗したとは思えない。とはいえ、意外と初心な彼女を照れさせるようなシーンでもなかったし。どちらかといえば、それは熱っぽいような……。
「風邪?」
隣にいた湯川が先に真相を言い当てる。
昨日の心労が原因かもしれない。或いは、昨日は雨だったし、帰りがけに濡れてしまって、身体を冷やしてしまったのかも。
どちらにせよ、元気に登校するようなコンディションには見えない。
「…ちょっとダルいだけ。平気だから」
言葉とは裏腹に、目は虚ろだった。吐く息は熱を含んでいて、呼吸すらも辛そうに見える。悪寒なのか
ためしにおでこに手を当てると、それなりの熱を感じた。少なくとも、微熱と呼べる範囲ではない。
「引き返して帰れ。家まで僕が送るから」
湯川に目配せをする。教員に遅刻の連絡をしておいてくれという意味だ。
「やだ」
しかし、そんなアイコンタクトは無意味だった。星川の子供のような拒絶。端的なその返事に、僕は一瞬面喰った。
「無理して登校しなくても、学校は逃げないぞ。若さは逃げるけどな」
「…昨日の今日で休んだら、みんなにあたしが昨日のこと気にしてるって思われるじゃん」
「実際、気にしてるんじゃないのか?」
「そうだけど。そう思われたくないの」
何とも難儀な話である。
とはいえ、その遠因というか、直接の原因は僕にあるわけで、その話を持ち出されると弱い。
「しょうがない。学校までは介抱するよ」
「ありがと」
素直にお礼を言いながら、星川は僕に寄りかかってきた。身体を支える杖のように扱われているのだろう。そこまでしてくるとは思っていなかったが、振り払うような鬼畜の所業はしない。むしろ、役得だと思わんばかりである。
そんな感じで、とりあえず学校までは星川を連れて行った。ただ、ふらついて靴を履き替えるのもままならないようだったので、保健室に連行。その身柄を保健室の先生に預けた。
昼休みになると、自販機でスポーツ飲料を買って、保健室に顔を出した。
ちなみに、湯川は昔から風邪が
保健室は閑散としていた。先生も用事なのか留守にしている。
結果、室内は僕と星川のふたりっきりだった。
星川は眠っていたが、僕が近づくと、気配に気づいたのか目を覚ます。
派手な金髪はシーツの上に乱れて広がり、華やかな美貌には目を奪われる。焦点の合わない瞳で天井を見上げる星川の顔を、僕はおずおずと覗き込んだ。
「………篠宮?」
星川が掠れた声で僕の名前を呼んだ。ぼんやりとした表情は、まだ現状を理解できていないと見える。
「朝よりはよくなった?」
と、自然な流れで訊きながら、星川が身体を起こすのを手伝う。問いに頷く星川に手土産のスポーツ飲料を渡すと、僕は立ち上がって窓を開けた。
籠っていた空気が解放され、外からの空気が入ってくる。
「んーっ」
吹き込んだ外の空気を浴びて、星川は気持ちよさそうに伸びをした。
雨が降った次の日の空気はしっとりとしていて心地よい。
星川はそんな空気をしばらく全身で堪能したあと、
「ねえ、篠宮」
と、声をかけてきた。
「ん?」
僕は窓枠に腰掛けながら返事をした。
「昨日さ、なんであんなことしたの?」
「あんなこと、ね……」
さて、どう言い訳したものかと、いろいろ考えはした。考えはしたが、何も思いつきはしなかった。
「まあ、言い訳するなら、湯川にお願いされたからだよ。僕は昔から、あいつのお願いに弱いんだ」
「………あっそ」
期待外れとでも言いたげに、星川は吐き捨てた。
「あんたって、湯川のこと大好きだよね」
「いや、僕と湯川はそういうんじゃないんだって。例えば、右半身が大好きな左半身なんてないだろ? つまり、そういうことなんだよ」
「はいはい。臆面もなくふたりでひとつの身体だって言えるくらいの関係ってことね」
いや、そういうことではないのだが。
そこはかとなく機嫌が悪い星川におろおろしていると、会話の主導権は再び星川の手に握られた。
「あんたさ、責任取ってよ」
「…なにが?」
「あんたのせいで、あたし、学校で居場所なくなるかもしれないし」
「それで責任と」
「そう」
責任………責任ねぇ。
「……結婚でもするか?」
と言うと、星川はかなり渋い顔を見せた。
「あんたって照れるとすぐボケるよね。しかも、あんまおもしろくないし」
「大きな剣でチクチク刺すのやめてぇ!」
照れ隠しを暴かれると、身包みを剝がされたような羞恥が体を駆け巡る。あまつさえおもしろくないなどと言われると、それは僕にとってもう最大の罵倒だった。
「ねえ、熱、もうないと思うんだけど」
つれない星川は、身悶える僕に構うことなくそんなことを言った。言いながら前髪を掻き分け、
そんな僕と同じように、或いは反対に、星川もまた、僕に近づく。
お互いに近づこうとしたせいで急速に近づいた距離に、僕は思わず身を固めた。
対して、星川は予定通りとばかりに自然な動作で、両手をもって僕の顔面を捕獲する。
「負けたら、キスする約束だったから……」
そして、
「………っ!?」
唇に押し付けられた柔らかな感触に、僕の息は止まった。
世界から、一切の音が消えた。
強引でぎこちない、キスの感触。慣れていないからか、それとも勢いをつけすぎたせいか、歯が当たったような感触があった。そんなことはちらりとも気にはならなったが。
二人の吐息が絡まって
僕の頭は真っ白になったまま、幾ばくかの時が過ぎる。どれくらいの時間が過ぎたか分からないくらいに、僕は呆然としていた。
気が付くと、星川はベッドの上で元の体勢に戻っていた。
今のは僕の儚い幻覚だったのではないかと思うほどに。
しかし、星川は微かに瞳を潤ませながら仄かに笑っていて、その表情が白昼夢ではないと物語っている。
「本気だから」
と、一言。
これはつまり、どういうことなのだろうか。
そんなことをぐるぐると頭の中で考えているうちに、気が付くと、昼休みは終わっていた。
今回は珍しくも後書きありです。
普段は後書きを書くよりも次の話を書き始めてしまうのであまり慣れていないのですが、そこは大目に見てください。
ということで、第二十話となりました。本話で第一章的なものは終了です。まあ、山場らしい山場もない章でしたが。
長々とお付き合いありがとうございました。
感想をくださった方々にも感謝しています。センスのある返信に自信がないのでgoodを押すだけに留めていますが、すべてに目を通させていただいてます。お褒めの言葉をいただくたびに狂喜乱舞しながら執筆しているのはここだけの秘密です。
作者のやる気を上手に擽る感想をくださった皆様、懲りずに誤字修正をしてくださる皆様、手間でしかない評価をしてくださった皆様、そして、ここまで稚文を読んっでくださった皆様に最大限の感謝を。これからもご期待に添えるようなおもしろい作品にしていきたいと思っていますので、今しばらくのお付き合いをお願いいたします。
それでは最後に一言。
恋路の壁、どこだよ!!!